(大丈夫か?)

 

(……そっちこそ)

 

 

 涙は流れない。ただ、どこまでも悲しい。

 

 

(どうしようかな、これから)

 

 

 空虚……無力感……心に穴。確かな物など何も無くて。

 

 

(時間に任せよう。辛いだろうけど、焦ったって仕方ないじゃないか)

 

 

 肩に置かれるぬくもり。

 

 

(そうだな。それしか無いよな……)

 

(……帰ろう?)

 

(ああ)

 

 

 抱えられるようにして家路につく。微かに聞こえる聖歌隊の歌。

 

 

(うん、会える。その内きっと)

 

(会えたらまた一緒に演奏するんだ)

 

(詩……書くから、曲はつけてね……)

 

 

 エクルとの別れ。

 彼との約束。

 

 

(もう書けたの?)

 

(ええ。一気に出来たわ。これで彼に曲をつけてもらえたら素敵じゃない?)

 

(そうだね……次のコンサートで演奏出来たら、良いな)

 

 

 詩に目を通す。ふわりと脳裡に浮かび上がる曲名。

 

 

(良い詩だね。曲名は……これかな)

 

 

 そう言って俺が書き込んだ言葉は。

 

 

「……えーっと」

 

 

 そこで目が覚めて、するりと文字が逃げていく。駄目だ、思い出せない。

 

 ベッドの中で自分の記憶力と2〜3分格闘したけど無理だった。仕方無い、起きよう。

 窓を開ければ、すっかり冷たくなった空気が飛び込んでくる。思わず身震いした俺の脳裡に、肩に置かれたぬくもりが蘇った。

 

 

(時間に任せよう。辛いだろうけど……)

 

 

 顔は分からなかったけど、あれが従弟。

 あの手の温かさ、そして優しいバリトン。

 

 ……今、何処に居るんだろうな。

 

 

---------------------

 

 

『あら、そうだったの』

 

 

 レーゲンスブルクに戻り、翌日には土産を持ってエクルに会いに行った。従弟探しの経過と、機内で祖父さんと話した事も報告したかったから。

 

 祖父さんの事はエクルにも何度か話してた。だけど彼が『あの』御者だったという事は、流石の彼女も知らなかった。折角だからサッサと名乗れば良いのに、祖父さんは最後の最後まで正体を隠し通して、バラした途端にチェコに行っちまったんだ。薄情モンだ。

 

 

『……たく、ギリギリで種明かししなくたって良いのに。そうだろ?エクル』

 

 

 このモヤモヤした気持ち。エクルなら分かってくれると思ったのに、期待と真逆で彼女はコロコロ笑い出した。

 

 

『ちょっと、ソコって笑うトコ?』

 

『ああ、ごめんなさい。ああでも可笑しい。あの人らしいったら!』

 

 

 どう言う事だよ。

 

 

『最初に貴方に正体を明かしたら、こうして私に真っ先に知らせるって分かってたのよ、あの人』

 

『だったら尚更じゃないか。せめて俺の記憶が戻ったと知った時に』

 

『そうすると、私に会わなきゃならなくなるでしょ』

 

『……会いたくなかった、って事?』

 

『たぶんね。「会う訳にはいかない」の方が正しいかもしれないけれど。

 腑抜けになってたあの人を一喝したって話、聞いたでしょ。あれが効き過ぎたみたいで、以来ずっと怖がられてるのよ。私の事を気にしてくれてはいるんだけど、面と向かって話すのは勘弁してほしいって感じ』

 

 

 何と言うヘタレ。

 

 

『でもさ、エクルがそれを知ったとしても、別に会わなきゃ済む話だろ?』

 

『そうでも無いのよね。実は、名乗ったら最後。それもあの人は知ってたんだわ』

 

『何故?』

 

『私が、貴方を通して呼びつけちゃうからよ』

 

 

 ……ちょっと、背中に悪寒。

 

 

『そんな事、出来るの。エクル』

 

『縁のある人ならね』

 

 

 そう言って彼女はニカッと笑った。

 

 

『まあ良いじゃない。トキとは心ゆくまで話せたみたいだし、私もあの人の消息を知れた訳だもの。本人もピルゼンに戻れて嬉しいでしょう。ラテ、もう一杯如何?』

 

『あ、うん』

 

 

 祖父さんの話はこれで終いだな。

 

 

『で、「従弟の彼」のほうは進展無し?』

 

『ああ。シアンが色んな人を紹介してくれるんだけど、流石にエクルの時みたいには行かないや。もっと記憶が戻って何かヒントが出て来たら良いんだけど……あ、』

 

 

 そこで思い出した。

 

 

『なに?』

 

『いや。今朝見た夢で、エクルが書いた詩に俺が曲名をつけるっていうシーンがあったんだけど、それが思い出せなくてモヤッとしてるんだ』

 

『あら。じゃあ私、詩は書けたのね?』

 

『アレ、覚えてないの?』

 

『ええ。書けたら「彼」に曲をつけてもらうって約束していたのは覚えてるけど』

 

 

 ホント、みんな覚えてる部分ってバラバラなんだな。

 

 

『夢のイメージだけなんだけど……エクル、貴女が詩を書き上げたのは、命の終わりの間際だったんだ。だから、あの曲は完成していないかもしれない』

 

『そうなのね、納得』

 

 

 俺が「彼」を探したいと思うようになったのは“会えたら約束を果たせる”っていう朧気な記憶。

 最初は何の事か分からなかったけど、今はこの曲の事なんだろうなって分かる。

 

 

『でもそうなると、その曲名が気になっちゃう』

 

『モヤッとするだろ?』

 

『するわねー。是非とも思い出して頂戴?』

 

 

 エクルが俺に『目を瞑れ』とゼスチャーしてきた。

 

 

『こう?』

 

『そうそう。リラックスしてね。夢のシーンを思い出して……それはどこに書いたの?』

 

『……エクルから受け取った紙の……上のほう、だね』

 

『良い感じ。さあトキ、貴方は曲名を書いた……目の前に掲げて、読んでみて?』

 

 

 誘導されるままに、瞼のスクリーンに浮かび上がってくる映像を眺める。

 流れるような美しい詩の上に、俺のゴツゴツした文字が見えてきた……それは。

 

 

『……ちょっと待って』

 

『あら、難しかった?』

 

『いや、見えた。見えたんだけど……俺の名前だった。今の…… "Zeitfluss" って』

 

『どう言う事?』

 

『俺の名前、直訳すると "Zeitfluss" になるんだ。 "Zeit" が「トキ」で、 "fluss" が「ナガレ」』


『あら、トキって鳥の名前から取ったんじゃないの?ニッポニア・ニッポンって学名の』


『良く知ってるなー。確かに普段はそっちの意味の漢字を使うんだけど、本当の文字のほうは "Zeit" なんだ』


『ビックリだわ。そんな繋がり方もあるのね』

 

 

(名は言霊……同じ言霊は共鳴し……)

 

 

 祖父さんの別れ際の言葉を思い出した。この名前のお陰で、以前の記憶を呼び戻せてるのかもしれない。

 

 

『なんだか元気が出て来た。「彼」は絶対、音楽の世界に居るね』

 

 

 彼を見つけて、エクルが書く詩に曲をつけてもらう。演奏会も出来たら最高だ。

 また楽しみが出来た。

 

 

『私も確信したわ。きっと今の方向で大丈夫』

 

『うん。また新しい事が分かったら連絡させてもらうよ』

 

『ええ、私も何か思い出したらすぐ言うわね』

 

 

---------------------

 

 

『おはようございます』

 

『おはよう、シアン。今日はニュルンベルクだよね』

 

『そうです。よろしくお願いします』

 

『こちらこそ』

 

 

 シアンのスタッフが運転する車に揺られ、俺達はニュルンベルクに向かった。

 シアン共々お誘いを受けた、来年のルツェルン音楽祭。今日はその関係者との気楽な座談会みたいなモンだと聞いていた。

 

 

『進行役は私です。トキには編集とコメントをお願いしたいと思います。日本の方もいらっしゃいますから、場合によっては通訳もお願いする事になるかもしれませんが』

 

『そうなんだ。その人は出演予定の?』

 

『いえ、一観客として行かれると聞いています。音楽の専門学校の先生だそうですよ』

 

 

 校名を聞いてびっくり。あの街からそんなに遠くないぞ、その学校。

 

 

『おや、それは奇遇』

 

『暫く前から思ってたんだけど、世界って狭いよな?』

 

『ジャンルが限定されてるから、余計にそう感じるんでしょうね。では、打ち合わせの続きを』

 

『そうだね。会場は?』

 

『アドラー・ハレ内の第3会議室です。座談会と言っても、本当にざっくばらんなモノですよ。それで……』

 

 

 最近は、シアンとの打合せもスムーズに出来るようになった。目的地に着く前に打合せは終わり、ランチタイムもしっかり確保。

 

 

『では1時間後に。あの左側にある茶色い建物です』

 

 

 シアンは先に現場のチェックがてら、此処の責任者とランチ。俺は、出発前に行きつけのパン屋で作ってもらったサンドウィッチを食う事にしていた。

 

 肌寒いけれど天気は良い。適当にベンチを見つけて腰を下ろし、コーヒーのポットを取り出し、弁当を広げた。ついでに地図も。
 ニュルンベルグは初めてだ。折角だから後でパッヘルベル所縁の聖ゼーバルドゥス教会には行ってみたい。という事で、場所の確認。

 

 

「エクスキューズミー」

 

 

 一個目を食べきらない内に、日本語訛りの英語で声をかけられる。
 地図から顔を上げれば……うん、どう見ても日本人。

 

 

「何か?」

 

 

 俺が日本語で返したら、相手は驚きながらも明らかに安堵の表情を浮かべた。

 

 

「ああ、助かりました……あの、こちらで行われる座談会の会場に行きたいのですけど、アドラー・ハレはどちらでしょうか」

 

 

 ひょっとして。

 

 

「ルツェルン音楽祭関係の?」

 

「あ、はい。そうです。関係者の方ですか?」

 

「ハイ。同席させてもらいます、流黎 鴇です」

 

 

 自己紹介をしたら、何故か相手の顔がぱあっと輝いた。

 

 

「そうですか、貴方が!いやあ光栄です!」

 

 

 言うなり握手まで求められる。光栄って……何で?

 

 

「あ、失礼しました。申し遅れました、私、烏羽(からすば)と申します。専門学校で音楽の講師をしております」

 

 

 間違い無い。シアンが言ってた人だ。

 

 

「知り合いの紹介で、この夏にシアン・ネーゲルさんと引き合わせて頂いたんです。それで流黎さんの事も教えて頂きました。

 恥ずかしながら今まで流黎さんのレビューもエッセイも見た事が無かったんですが、それから改めて拝読しまして、その視点と感性の鋭さに感服致しました。本日お会い出来るのを楽しみにしていたんです!」

 

「あ、恐れ入ります」

 

 

 何か勢いのある人だなー。

 

 

「あ、お食事中ですよね、すいません。どうぞ召し上がって下さい」

 

「烏羽さんは?」

 

「済ませてます。30分前に待ち合わせしているので。あ、そろそろ行っておいた方が良いかな」

 

「ああ、ハレはあの茶色い建物です。中に入れば後は分かる筈です」

 

「ありがとうございます。ではまた後ほど」

 

 

 ぺこりとお辞儀をして彼は去って行った。

 

 

「つむじ風みたいな人だなあ」

 

 

 ところがそれから1時間も経たない内に、彼の本当の凄さを目の当たりにする事になった。

 

 

『ユーゲント管弦楽団の新鮮な演奏は殊更私の関心の的です!何と言っても……』

 

 

 予定通りに対談は始まった。雰囲気も良い感じ。でも単に穏やかだった訳ではない。

 派手なボディランゲージと辿々しい英語と片言のドイツ語を手段に、口角泡を飛ばす勢いで音楽祭への熱い思いを語る烏羽さん。そんな彼に同席者は最初唖然としていた。

 が、流石に音楽界を知り尽くしている人達だ。じきに互いの持論評論、ご贔屓の楽団の紹介までも、彼に負けじと語り出した。

 

 

『見事にお任せ状態ですね。お陰で楽が出来ますよ』

 

 

 シアンがこっそり耳打ちしてきたけど、俺は烏羽さんの通訳担当みたいになってしまって結構忙しい。会話は録音しているから、俺のコメントは後でコレ聞き直してまた考えよう。

 

 

---------------------

 

 

『……ではこの辺りで。今日は長時間、ありがとうございました』

 

 

 シアンの締めの言葉で座談会は終了。時計を見れば予定を1時間も過ぎていた。

 

 

『いや、楽しかったです』

 

『こんなのは初めてでしたな』

 

『ではまた音楽祭で』

 

 

 参加者は口々に別れの挨拶を述べ握手をして去って行く。一人は俺に直接、レビューの依頼をしてくれた。何故か写真も撮られたりする。

 

 

『貴方も注目されつつあるんです』

 

 

 訝しむ俺にシアンがそう言って笑った。だとすれば、それは彼の手腕のお陰だ。

 

 

『俺までプロデュースしてくれてるんだ』

 

『そんな大袈裟な話じゃないですよ。良い物は良い。分かる人は分かってくれます』

 

「あの」

 

「……はい?」

 

 

 ドアを出た所で烏羽さんが立っていた。帰ったんじゃなかったのか。

 

 

「忘れ物でも?」

 

「いや、改めてご挨拶したかったので。今日はお世話になりました。ありがとうございます」

 

「いえ、烏羽さんもお疲れ様でした」

 

『それと、シアンさん』

 

『はい』

 

『今日は本当に貴重な時間を頂きありがとうございました。改めてお会い出来て良かったです。帰ったら学長にもきっちり伝えますので』

 

『おや、彼は学長になられたんですね?』

 

『はい。今年からですが。シアンさんに宜しくと申しておりました』

 

『ありがとうございます。またお会いしましょう』

 

 

 互いに握手をして、烏羽さんは踵を返す。別れの言葉が耳に残った。

 

 Wiedersehen……また、会いましょう。

 再び、必ず。

 

 

---------------------

 

 

「そっか。じゃあ空んトコ、大変だったんだ」

 

『そうだね、やっぱ今月が一番辛かったみたい。でも、柳ちゃんも頑張ってくれたって』

 

「うん」

 

『もう少し落ち着いたら鴇に手紙書くって言ってた。それまで待ったほうが』

 

「そうだね」

 

 

 年末、久々に弥に電話をかけて向こうの近況を聞いた。仲間は皆元気そうで安心したけど、お世話になった人が居なくなってしまったのは、やはり寂しい。

 

 

『またコッチ来たら、一緒にお参りに行こ?』

 

「うん是非。ところで、弥の方は?」

 

『お陰様で順調。年が明けたら直ぐオーストラリアに移動よ』

 

「大会、2月だっけ」

 

『そう。南半球だからね、さっさと現地入りして調整したいところ』

 

 

 彼女のアスリートとしてのキャリアは着々と積み重ねられてるらしい。

 

 

「空五倍子は?」

 

『後からになりそう。今回は団体で移動するし、サポートスタッフも最初から同行だから、少しは気楽なんじゃない?』

 

「どうかなー」

 

 

 彼の性格から言ったらべったりついて回りたいところだろうけど、曲がりなりにも会社を背負ってる立場。バイトの時みたいには行かない。

 

 

「来年はヨーロッパ遠征は?」

 

『今の所は予定無し。オーストラリアの後は夏にアメリカ』

 

 

 直接会って話せるのは未だ先になりそうだね、と彼女は笑って言った。

 

 

「行き違いばっかりだなあ」

 

『そんな周期なんだろうね。鴇も私も、自分の足下を固める時期なんだよ、きっと』

 
 

 それは暫く前から感じていた。シアンのお陰で仕事の量も内容も広く、深くなりつつある。追いつくのは大変だけど、ここで踏ん張ればフリーライターとしての基盤が確立出来そうな気がしてるのも事実。

 

 

「とりあえず、頑張らないとね」

 

『その意気。それにしてもピルゼンが鴇のお祖父さん所縁の地だったとはね。ビックリよ』

 

「俺だってビックリだったよ。それに」

 

 

 祖父さんが御者だったなんて、と言おうとして何故か躊躇した。

 

 

『それに、何?』

 

「あぁ……エクルに会って万事解決したと思ったら、次の人捜しが始まってさ」

 

『へぇ、誰?』

 

「うん……」

 

 

 何故だろう、また過去をそのまま話すのが憚られる。

 

 

「……俺とエクルの仲間」

 

『手応えは?』

 

「全然無し、今の所は」

 

 

 弥の溜息が海を渡って聞こえてきた。

 

 

『長丁場になりそうだね』

 

「最初が順調すぎたんだ。そんなモンだと思って気長に行くよ」

 

『そっか。それぐらいのつもりが良いかもね。私は何も出来なくて悪いけど、応援だけは目一杯してるから』

 

「有難う。弥も頑張って」

 

『モチロン!じゃあまたね!』

 

 

---------------------

 

 

《久しぶり。長い事音信不通で悪かった。

 弥から聞いてくれたんだな、お供え届いた。有難う。親父も嬉しいと思う。

 実は何度か電話したんだけど、お前も忙しいみたいだから手紙にした。

 この筆無精の俺が!野郎に手紙だぜ!有難く思えよ!》

 

 

「……相変わらずだなあ」

 

 

 そろそろ本格的に春だという頃になって、空からの手紙が届いた。

 消印は3週間前。その内2週間は俺が出張してたせいで生じたタイムラグだ。

 

 

《……柳の調子も戻って、店も元通りの調子でやってる。お預けになってたバイトの件も再始動だ。ぼちぼち面接ってのをやろうかってとこ。

 バンドもそろそろ活動開始。最初はコピーばっかりだけど、その内オリジナルもやってやるから楽しみにしとけよ!》

 

 

 これはマジでレビューの依頼をしてきそうだな。もっと耳肥やしとかなきゃ。

 

 

『……って事で、もしも良さそうな催しがあったら教えてほしいんだ』

 

『分かりました』

 

 

 シアンに頼んでみれば、早速ファイルをめくって調べてくれた。合間に『トキのお友達は、やはり面白いですね』とか言われる。否定はしないけど。

 

 

『そうですね、これとか如何ですか?』

 

 

 暫くしてシアンがぺらっと見せてくれたチラシは。

 

 

『グラストンベリー・フェスティバル?』

 

『そうです。世界一の規模です。ロックフェスティバルですが、サーカスに演劇、ジャズ、レゲエ等もあって盛りだくさんです。映画上映もありますね』

 

『イングランドなんだ』

 

『ええ。屋外フェスティバルで、会場は広大な農業地。800エーカーとか900エーカーとか』

 

『そんなに?』

 

 

 余裕で街が作れちまうじゃないか。

 

 

『確かに、その期間中だけ現れる街みたいなものですよ。農地なので、雨が降ったら楽しい事になります』

 

 

 そのくらいの気持ちじゃないと行けないっぽいな。

 

 

『今ならチケットを回してもらう事が可能です。どうします?』

 

『うん、是非』

 

 

 シアンが選んでくれたんだ。行く価値は十二分にある。

 

 

---------------------

 

 

『え、それマジかよ?!』

 

 

 手紙のお礼と、グラストンベリーの件を伝えようと久々に空に電話をかけた。案の定、世界最大規模のロックフェスティバルの話を聞いた途端に声色が変わる。

 

 

『おいおいおい、俺を差し置いてグラストンベリーだとぅ?』

 

「差し置いてないよ。偶然。たまたま」

 

『偶然だろーが何だろーがロックだろ!そーいうのは俺の都合をチェックしてからにしてほしかったぜぇ。チクショウ、良いなあ羨まし過ぎる!!』

 

「ちょっとこっちの話も聞け」

 

『あンだよ?』

 

 

 やっと彼の口が一旦休憩に入った。

 

 

「自慢じゃないけど、俺グラストンベリーなんて知らなかったんだ。シアンが提案してくれて、改めて調べたらとんでもない規模の祭りじゃないか」

 

『そうだぜぇ。期間中に全部回るなんて到底無理だかんな』

 

「それそれ。何も知らないまま行ったら時間が勿体ないだろ?だから空のオススメのバンドとか、会場を効率良く回るコツとか、そう言うのを教えてもらいたいんだ」

 

『お、偉いじゃねぇか。ひょっとして早速予習か?』

 

「そうそう。こうやってお前のバンドのレビュー書く準備してるんだぞ」

 

『言ってくれるぜ!』

 

 

 呆れたような、少し茶化すような口調。照れてるな。

 

 

『よっしゃ、まだ時間もあるしな。俺も今年の分ちょいと調べてからリストアップして送ってやるよ。電話で言うよか良いだろ』

 

「そうだな、助かる。有難う」

 

 

 これで現地での行動がかなりスムーズになる筈だ。助かった。

 

 

「それで、店はどうなんだ?最近」

 

『ぼちぼち続いてる。あ、バイトとうとう雇ったぜ』

 

「そりゃ凄い。どんなコなんだ?」

 

『それがドンピシャ俺好み。青磁って言うんだ』

 

「男の子?」

 

『そう。あ、俺好みってのは、ソイツのセンス』

 

「何のセンス?」

 

『作曲』

 

「へ?」

 

 

 センスって言うから、服とか……店絡みなら盛りつけとか、そんな方面だと思った。

 

 

「まさかバンドも?」

 

『いんにゃ、いきなりは流石にまずい』

 

 

 て事は、慣れたら引きずり込む気だ。

 

 

『でも曲作りくらいは手伝って貰おうかなって。ソイツにとっても良い勉強になるさ』

 

「凄いなー。空って作曲の指導まで出来るのか」

 

『違う違う。ソイツ音楽の専門学校生なんだよ。隣町にあンだろ。あそこ』

 

「……待て」

 

 

 何だこれ。妙にシンクロしてる。

 

 

『どした?』

 

「俺この前、そこの学校の講師って人に会った」

 

『何処で』

 

「ニュルンベルグ」

 

『ンなトコで何してんだ、そのセンセイ』

 

「ルツェルン音楽祭ってのがあるんだけどさ、それ絡みの座談会の参加者だったんだよ」

 

『鴇も参加したのか?』

 

「いや、俺は議事録係みたいなモン。で、後からコメントとか付け加えて編集」


『それってドコに載るんだ?』


「聞いてどうする」

 

『買って読む。俺も、ロック以外にも見聞を広めねぇとな』

 

「何やら殊勝な事を」

 

 

 珍しい事を言うから揶揄ってみたが、それにも彼はうーんと唸って。

 

 

『コレ真面目な話なんだけどさ。こないだ俺、クラシックも面白いなって初めて思ったんだ。あーいうのだったら良いんじゃねぇのって』


「あーいうの?」

 

『青磁の曲』

 

「え、その子ってクラシック専攻なのか?」

 

『そうだぜ。面白ぇだろ』

 

「て言うか、空がそんな子を採用したってのが面白いな」

 

 

 言えば『あそこの学生は、ちょっと狙ってたってのもあるんだ』と種明かしをしてくれる。

 

 

『折角なら音楽の話も出来る奴が良いなって思っててさ。全部で10人くらい面接したけど、ラストが青磁だったんだ。で、見た瞬間に採用決定』

 

「決め手は?」

 

『直感。何か「居るだけで面白ぇなコイツ」って思ったんだ』

 

 

 空に“面白い”って言われる人物かー。

 

 

『話してる内に作曲とかもするって聞いたんで、一度作品を見せてもらったのさ。そしたらコレがなかなかのモン。で、クラシックってのをちょいと見直したんだ』

 

「へえー。空にそれだけ言わせるって、どんな子だろうな」

 
『柳と三人で写真撮ったら送ってやるよ。お前も良かったら一枚でもくれよな?柳が見たがってんだ。お前が去年来た時、折角のチャンスだったのに会えなかったって当分むくれてたんだぜ』

 

 

 そうだなあ、彼女とは電話でも話せてない。空港に見送りに来てくれた時が最後になってる。

 

 

「あ、雑誌の切り抜きなら」

 

『ダーメ。生写真』

 

「何でだよ」

 

『切り抜きはとっくにやってんだ。そっちの雑誌を取り寄せるのも時間の問題だぜアレは』

 

「わー、息子の芸能界デビューを喜ぶ母親っぽい」

 

『そんな感じだよな。だからお前のファン第一号にしといてくれよ』

 

 

 ファン、ねえ。

 

 

「……そう言えば、たまに写真撮られるんだよな。仕事先でも休憩時間とかに」

 

『「一緒に撮らせて下さい」とか?』

 

「そうそう」

 

『お前、やっぱ人気あるんだなあ』

 

「そうか?考えた事無いけど」

 

『鴇ぃ。お前、も少し自分の事知っとけ』

 

「そう言われても」

 

『黙ってりゃ美男子なんだし』

 

「それ言うんなら空のほうが垢抜けてるし格好いいじゃないか」

 

『それは勿論だけどな』

 

 

 どさくさに紛れて何か凄い事言ったぞ、コイツ。

 

 

『何てぇのか、人を惹きつけるモンがあるんだよお前。和むし』

 

「そうなんだ?」

 

『おうよ。ただ、お前って優しすぎるトコあるからなあ。バイトの時なんか、他の奴等に良いように使われててイラっとした事もあったんだぜ。今だから言うけど』

 

 

 エクルに言われたのと同じ意味だろうか。

 

 

『そう言やお前と青磁って似てなくもないかも。優しいって点じゃお前を上回るしな』

 

「おい、未来ある若者をこき使うんじゃないぞ」

 

『俺がそんな非情な奴に見えるかよ。し〜っかり可愛がってるぜぇ』

 

 

 楽しそうにケラケラ笑い、とにかく写真頼んだぞと俺に念押しすると、空は電話を切った。

 

 

---------------------

 

 

 緋色のカーテンが揺れる。その手前にアップライトピアノ。

 擦り切れのあるリネンのシャツを着た青年がピアノの前に座っている。

 

 俺を助けてくれた従弟。次に会うべき大切な仲間。

 

 スコアが1ページ、風のいたずらでピアノから舞い落ちた。

 拾おうと右腕を伸ばし……そこで自分の指が物を上手く掴めない事を思い出す。

 

 

(あ、ごめん)

 

(大丈夫だよ)

 

 

 左手でスコアを拾って手渡す。受け取る彼の顔は周囲の風景と共に波紋を描いて虚空に溶けた。

 

 

「……顔が分かんないのが惜しいなあ」

 

 

 結構長い夢だった気がするけど、残念ながら内容はあんまり覚えてない。従弟の顔も、あと一歩で見逃した。

 辛うじて、スコアに書かれていたメロディを覚えている限り書き留める……と言っても数小節だけだけど。

 


『……で、夢に出てきたスコアの断片がコレなんだ』

 

『え、記録してくれたの?!凄いじゃない!』

 

 

 次にエクルに会ったのは、コンサートの手伝い打合せの時。

 メモを見せると、熱心に音の断片をなぞってくれた。

 

 

『……こんな感じかしら?』

 

 

 直ぐにハミングでメロディを再現してくれる。メロディそのものは聞き覚えが無いのに、何故か胸の奥が暖かくなった。

 

 

『懐かしい感じがする』

 

『そうね、その感覚がきっと大切なのよ』

 

『エクルは?』

 

『何て言うのかしら……彼の人柄を感じるわ。トキと同じく心根の優しい人だった』

 

 

 おお、そんな事まで。

 

 

『曲にも、その人の癖みたいなものは出るもの。そういうのがまた面白いのよね』

 

『成る程ね』

 

 

 感心して頷く俺に、彼女はニッコリ笑ってメモを丁寧に折り畳む。

 

 

『これ、暫く借りても良いかしら?改めて詩を書きたくなっちゃった』

 

『勿論だよ。寧ろそれはエクルに持っていてほしい』

 

『ありがとう』

 

 

 後は、5月のコンサートの前情報を教えてもらいながらランチタイム。

 裏方を手伝いながらだけど、彼女が大ホールで歌うのを聴けるのは初めてだから楽しみだ。

 

 打ち合わせを終えて帰宅すれば、ポストに一通の手紙が入っていた。

 

 

「お、空から」

 

 

 厚さから言って、グラストンベリーの件だと見当をつける。

 中身がぱつんぱつんに入ってる封筒を慎重にカッターで開けると、やはりロックフェスティバルの情報……と、写真が一枚。

 

 

《こないだ言ってた分だ。青磁がイヤがったんで、機嫌とって漸く撮れた一枚。》

 

 

 そんな走り書きが写真の裏にでかでかと書いてあった。

 

 空の相手も大変だろうなあと思いつつ、写真をひっくり返す。

 

 

「あ……!」

 

 

 途端に俺は固まった。これでフリーズしないほうがおかしいだろう。

 だって、そこに写っていたのは。

 

 

「……彼だ」

 

 

 灯台もと暗し、とは言ったもんだ。

 

 

《柳はお前と顔も似てるって言うけど、俺はそこまでは思わねえんだよな。自分で見てどうだ?》

 

 

「どうって言われても……」

 

 

 そう呟きながらも、俺は思わず笑ってしまった。

 

 

「そんなトコに居るなんてなあ」

 

 

 ホント、あの街は面白くて飽きなくて、色んな人と出会わせてくれる。

 

 

「空……お前、凄すぎるぞ」

 

 

 次の帰国はまだ少し先。

 今は此処で仕事の基盤を確立させる事が優先。

 

 でも、これで帰国がますます楽しみになった。

 

 今度、あの街に帰る時が。

 従弟であっただろう、彼に会う時が。

 

 直ぐには会えない。

 でもいくらでも待てる。

 

 俺達の時の流れは、将来必ず一つに纏まると信じられるから。

 

 

「……エクルに伝えなきゃ」

 

 

 早速受話器を取り彼女に電話をかける。彼女も丁度帰宅したところらしかった。

 

 

『あら、トキ。どうしたの?何か忘れ物?』

 

『いや、それがさ。さっき帰ったらポストに……』

 

 

(了)

 

 

20091231-20100424-20180519