「G線上のアリア……と」

 

 

 エクルと別れた俺は、その足でバッハのCDを買うべく音楽ショップへ向かった。

 有名な曲だから俺も知ってはいたけど、店なんかで何となくBGMとして流れてるのを何となく聞き流してたのが殆ど。ぶっちゃけ、この前シアンが聴かせてくれた時に初めて最後までしっかり聴いたっていう有様。

 まずいよなー。もっとクラシック系のコンサートにも行かなきゃ。

 

 

「あ、コレだ」

 

 

 エクルが教えてくれたレーベル。シアンも裏方で協力してるって聞けば、買わない手は無い。

 

 店を出たところで、楽器を持った集団とすれ違った。これから練習なのかそれとも帰りなのか。金管系のケースを持っている人もいればヴァイオリンやチェロのケースを抱えた人もいる。

 

 それを目にしても、もう右手は痺れなかった……と。

 

 

[おお、昨日よりは順調のようだな]

 

 

 頭のどこかで声がした……この感覚、覚えがあるぞ。ついこの前、俺の口を勝手に使って喋った“人物”。

 

 

「……誰なんですか」

 

 

 めちゃめちゃ問い質したいけど、普通に声に出したら俺が怪しまれる。仕方無いから独り言のように呟けば、返ってきたのは謎かけのような内容。

 

 

[初めてだが初めてではない。だが意思疎通が叶い、有り難い]

 

「だから誰?」

 

[音に出さなくとも思えば通ずる。私の名は、貴殿が継いでくれた]

 

 

 俺が名を継いだ?って事は。

 

 

[祖父さん?]

 

[今生ではそうなる]

 

「ちょ」

 

 

 っと待ってくれと叫びそうになって慌てて口を両手で塞いだ。危ない危ない。

 

 

[えーと。すいませんが俺が宿に戻るまで話すの待ってくれ……ませんか。ちょっと、この状況についていけてなくて]

 

[ああ、なるほど。驚かせてしまったのか]

 

 

 独特のペースだけど、話せばわかる人みたいだ。

 

 

[では、どのくらい後なら宜しいか?]

 

[えーと……3時間後で、どうでしょう]

 

 

 こういう人たちの時間感覚がどーなってるのか知らないけど、ひとまずそれで通じたみたいだった。

 

 

[承知した。では後ほど]

 

 

 そんなひと言を残して、祖父さんだと名乗る気配は消えた。

 

 

「……ドコ行ったのかなー」

 

 

 俺には見えない存在を探す能力なんて無いから、さっさと頭を切り換える。

 3時間後って伝えたから、21時過ぎにはスタンバイしないといけない。それまでに晩メシ済ませてシャワーも浴びよう。

 あ、弥に連絡……いや、このタイミングではあまりに中途半端だな。止めとこう。

 

 

「先にこれ聴くか」

 

 

 わざと軽く言って、自分の気持ちを奮い立たせる。

 見えない傷を負った過去の自分と今の自分。その両方を繋ぐ曲。聴いたらまた過呼吸のようなあの発作を起こすかもしれないけど……でも、さっきは手も痺れなかったし。それに希望を繋ごう。

 

 

「大丈夫。『過去は過去、現在(いま)は現在』だ」

 

 

 エクルの言葉を復唱すれば、幾らか心が軽くなる。よし、きっと大丈夫。

 

 

---------------------

 

 

[3時間経った。邪魔をする]

 

「わ!」

 

 

 ヘッドフォンでチェンバロ協奏曲を聴いてるところに声が混じった。慌ててプレーヤーを止めてヘッドフォンを外す。

 

 

「えーと、こんばんは」

 

[気楽にしてもらいたい。貴殿の宿なのだから]

 

 

 そう言われても。

 

 

[横になられよ。今日も疲れただろうに]

 

「じゃあ……失礼します」

 

 

 釈然としないまま、ベッドに仰向けになった。天井と会話してる気分だ。

 “声”は今生の祖父さんだと名乗ったけど、どうにも喋りが古風で硬い。

 

 

[バッハを聴いておられたのか]

 

「はあ、まあ」

 

[手の痺れはいかがか?]

 

 

 だからソレ、なんで知ってるんだろう。

 

 

「出てないですね、少なくとも今日は」

 

[おお、それは。漸く『傷』が癒えてまいったか]

 

 

 心の傷。

 


「……あの、聞きたい事があるんですが」

 

[何なりと]

 

「“前世の”貴方は、誰なんですか」

 

 

 そこで声の主……ああもうメンドクサイな、祖父さんで良いや……は、しばらく逡巡していたようだった。

 

 

[……貴殿の仲間に救われながら貴殿をお助け出来なかった者、とだけ申し上げる]

 

「ややこしいんですけど?」

 

[申し訳無いが、今はこれ以上明かせぬ]

 

 

 思ったより頑固ジジイなのかー。

 

 

「じゃあ、俺の記憶の謎解きを手伝ってください。分かる範囲で良いので」

 

[承知致した]

 

「俺は昔、エクルとシアン、そしてもう一人と音楽に携わっていた。それは知ってるんですか」

 

[存じ上げておる]

 

「貴方と俺が会うのは2度目ですか」

 

[3度目ではあるが、こうして直接対面出来たのは初めてとも言える]

 

 

 何だ?その微妙な関係。

 

 

「貴方は、弥を知ってるの?」

 

[いかにも]

 

「前世でも?」

 

[前世も、その前も]

 

「弥に助けられた事があるってホント?」

 

[本当だ]

 

「それはいつですか」

 

[前世も、その前も]

 

 

---------------------

 

 

 結局、“祖父さん”と話していたのは30分ほど。その間に分かった事は3つ。

 

 その1。俺がチェリストだったのは二つ前の人生。

 その2。祖父さんはその時から俺の事を知っている。

 その3。一つ前の人生=前世の俺は、ほぼ世捨て人状態だった。

 

 

[貴殿が音楽家であった時、貴殿をお助け出来なかった。その後悔が強かったのだ。次に会えた時、貴殿が事故の顛末を思い出しておられたら、必ず謝罪をと心に決めていた」

 

「でも前世の俺は、世間を疎んじていたって……」

 

[何があったのかまでは存じ上げぬが、兎に角、数人の御友人以外とは交流を断っておられた。私には貴殿の記憶が蘇っておられたか否かを確認する術も無く、お会いする機会も来ぬまま、貴殿は流行り病で夭逝なされた]

 

 

 だからあの夢で、傘をさしていたエクルの後ろ姿しか見えなかったんだろうか。

 俺が、彼女に会う事を拒絶したのかもしれない。

 

 

[だが悪い事ばかりだった訳でも無いと、後になって弥殿から伺った。お陰で今生に希望を繋ぐ事が出来た]

 

「それが前世で弥に助けられたって話ですか]

 

[長きに亘り、精神的に支えとなっていただいた]

 

[弥と貴方は知り合いだったって事ですね?]

 

[左様。弥殿や御友人の婚礼の折、貴殿が段取りや進行を手掛けられた事なども教えて下さった]

 

 

(おめでとうございます)

 

(さあお祝いだ!)

 

(どうぞお幸せに……)

 

 

 結婚式の夢の断片。あの場に居たのは弥、柳、空五倍子、そして空。

 皆の結婚祝いをしたのは本当なんだ、良かった。……って事は、ひねくれてた(らしい)前世の俺も、皆が支えて助けてくれてたって事か。

 

 ……ところで肝心の祖父さんは、俺を“何から”助けられなかったんだろう。

 それを尋ねると、祖父さんは明らかに狼狽え始めた。

 

 

[いや、未だ申し上げる事は出来ぬ]

 

「さっき『事故の顛末』って言ってたから、その件に絡んでいるのは間違い無い訳ですよね。そう言えば俺の音楽仲間に救われたとか。それは一体……」

 

[そっその時が来たら申し上げる。夜も更けたのでこれで失礼する。またいずれ]

 

「あっこら待て……」

 

 

 がばっと跳ね起きて叫んだけど、もう何の反応も無い。姿が無いってこんなに便利なのかちくしょう。

 

 これ以上天井に向かって呟き続けても不毛だ。そのまま寝入っても良いようにベッドに潜り込んでイヤホンをつけ直し、続きを聴く事にした。

 弦楽器を従えながら続くチェンバロの演奏が、心地良い眠気を誘う。睡魔が今日一日の疲れを伴いながら一気に押し寄せて来たところで、俺はあっさり意識を手放した。

 

 

---------------------

 

 

 翌日は朝から街を歩き回った。昨日のエクルと祖父さんの話を整理したかったからだ。

 明け方に少し雨が降ったらしく、石畳の道はその色を濃くしていた。霧も僅かだが残っていて、その幻想的な風景が心を落ち着かせてくれる。

 

 路地を曲がれば小さな教会。入口の前には、ぴかぴかに磨かれたオープンカーのボンネットに華やかなリース。結婚式があるんだな。

 

(さあお祝いだ!)

 

 前世でも楽しい時間はあった……そんな記憶に浸りながらぼんやり歩いていたら、いつしかドナウ川の畔。霧はすっかり晴れ、朝日が川面で金色に輝く。人の往来も増えて、そろそろ街全体が活動開始の時間のようだった。

 地図を広げて現在位置を確認。有名な石橋が割と近くにあると分かったのでそちらへ向かう事にした。後で焼きソーセージも食ってみよう。せっかくだし。

 

 

---------------------

 

 

『良かった。エクル・トルンカでしたか』

 

『こんなに早く会えるとは思ってなかった。本当にありがとう』

 

『こちらこそ。私も仲間に再会出来て嬉しいですよ』

 

 

 一通り旧市街を歩き回ってから宿に戻り、シアンに報告と礼を兼ねて電話を入れた。彼の事も少しずつだけど思い出したと言えば、嬉しそうな安堵してるような深い溜息が一つ。

 

 

『そう言えば、そんな事がありましたね』

 

『それは覚えてなかった?』

 

『面目ない。しかしそれなら合点が行く。誰しも辛い記憶は思い出したくないでしょうから』

 

『そうだね。分かる気がする』

 

『ところで』

 

 

 シアンが話題を変えてきた。

 

 

『トキは、これからどうなさるおつもりですか?』

 

『え?』

 

『貴方はエクルに会えた。短い時間でも、多くの事を話したのでしょう。目的は達成された訳ですよね』

 

『そうだね、一応』

 

『もしかして、もう帰国されるとか?』

 

『いや……次の目的が出来たから、もう暫くはコッチに居ようと』

 

『次の目的?』

 

 

 今朝、改めて決めたんだ。

 

 

『一緒に活動してたチェンバリスト、覚えてる?』

 

『ええ、うっすらとですが。貴方と面影が似ていたような覚えがあります』

 

『その「彼」を探そうと思うんだ』

 

 

 従弟だった人を、探す。

 

 

『シアンの事と前後して、少しだけ彼の事も思い出したんだ。手がかりが全く無いからまた一からだけど、出来れば会ってみたい』

 

『それは楽しそうだ。しかし何か取っ掛かりくらいは欲しいですね』

 

 

(うん、会える。その内きっと)

 

(会えたらまた一緒に演奏するんだ)

 

 

 時の流れを越え、記憶が朧に浮かんでくる。

 

 

『シアン。君は「音楽をやってた人間は、次の人生でも音楽に囲まれて生きたいと思う」って言ったよね。実はエクルも同じ事を言ったんだ。「彼」が何処かに居るのなら、きっとまた音楽の道を進んでるだろうって』

 

 

(詩……書くから、曲はつけてね)

 

 

 そう。彼に会えれば、あの時の約束が果たせる。

 

 

『……それでしたら』

 

 

 少しの間を置いてシアンの声が受話器の向こうから再び聞こえてきた。

 

 

『差し出がましい事を言うようですが、私の仕事を手伝って頂けませんか?お時間のある時だけで結構です。そうすれば、トキも各国のアーティストに会う機会が増える筈です』

 

 

 そうだ、彼はプロデューサ。

 

 

『え、良いのかい?』

 

『勿論です』

 

『すごく助かるよ!それで、俺は何を手伝ったら?』

 

『ライターとしての腕を振るって頂きたい。トキの本領発揮ですよ』



 問うた俺に明るい声が返ってきた。

 

 

『企画のメイキングレポートや国立劇場のコンサートレビュー、田舎町での屋外ライブもあります。時には映画の試写会にも招待を頂きますから、都合が合えばそれに同行なども是非。

 映画監督にも勿論紹介します。お望みでしたら、ムービーレビューも』

 

『凄いなあ、シアン』

 

『いや、私自身が駆け出しで、取れる仕事は何でも引き受けてる状態で。ジャンル云々なんて言ってられませんから』

 

 

 ご謙遜を。顔の広さは既になかなかのものだ。

 

 

『でも、ジャンルを超えて交流出来るってのは大事な財産だと思うよ。今のシアンと交流がある人達なら、色んな可能性を持った若手のアーティストも多いような気がするし』

 

『それは確かにありますね。瑞々しい感性と未知の可能性を持った若手は沢山います。今は無名でも、10年後20年後が楽しみな人も大勢います。そこにトキが関わって下さったら、希望も一気に膨らみますよ』

 

 

 アレ?何か話が大きく……。

 

 

『私は彼等に、もっと大きなステージを提供したい。彼等の持っているものを存分に表現してもらいたいし、それらを世界に発信したいんです。でも、私では力不足な事も解っていました』

 

『シアン?まさか……』

 

『正直に言います、私は貴方と再会する日を心待ちにしていました。貴方の文章は非常に好感が持てる。それは貴方が音楽を愛し、相手を尊敬する気持ちを自然と持っているからだと思っています。

 そんな貴方に、多くの可能性を持った人達と彼等の作品について感じたままを綴って頂きたいと、前から常々思っていました』

 

 

 迂闊。彼の提案は、俺が思っていたのよりずっと大きな話だ。手伝いなんてレベルじゃ無い。

 

 コレ、一緒に仕事をしようってお誘いだろ?

 

 

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 結局、俺はシアンの提案を有難く受け入れた。流石にいきなりこっちでライターとして食っていけるようになるとは思ってないけど、「彼」を探す取っかかりにはなる。すごくなる。

 

 後は、連載で世話になってる雑誌の編集者さんからOKが出るかどうかだったけど、連載の記事を落とさない事と定期的に連絡を入れる事の2点を守れば良いと言ってくれてラッキー。

 これで、どこに居ても暫くは食いつないでいけそうだった。

 

 

『そりゃまた面白い事になってんな』

 

 

 生存報告を兼ねて久々に空に電話すれば、そんな言葉が返ってきた。

 

 

「どうなるかは未だ分かんないけど。連載打ち切られたらアウトだし」

 

『でもよ、そのシアンって奴と動いたらヨーロッパ中見て回れんぜ?』

 

「まあそりゃ確かに」

 

『あ、もしかしてイギリスも行くよな?そだよな!』

 

「分かんないけど……って言うか、えらく食いついてくるなあ」

 

『あたぼうよ!俺、ブリティッシュがだぁ〜い好きなんだぞ!』

 

 

 声がウットリしてる。こりゃ筋金入りだ。

 

 

「ブリティッシュ……ロックだよな?」

 

『おう。そう言やお前、俺のギターの腕知らねぇよな。今度帰って来たら聞かせてやる』

 

「いつになるか分かんないぞ?」

 

『いいさ、半年後だろーが10年後だろーが構わねぇ。実は俺、もうじきバンド再結成すんだ。オリジナル曲もばんばん作るからな、覚悟しとけ』

 

 

 覚悟かぁー。

 

 

「喫茶店をやるとか言ってたのは?」

 

『それはそれ。場所はそろそろ内定。バンドはまあ、だから趣味の範囲になるだろうけどさ』

 

「のめり込みそうだなあ」

 

『食って行くのが先決って事くらい分かってら。柳も頑張ってくれてるし、良い店にしてやる』

 

「そっか、頑張れよ」

 

『お前もな、鴇。戻って来たらバンドのレビューも書かせてやる』

 

「そうだな。そっち方面は初心者だし、せいぜい精進しとくよ」

 

『その意気。今の内にロックもいっぱい聴いて耳肥やしとけよ』

 

 

 そうしたら俺のバンドの良さも一層身に染みて分かるぜ、と笑って空は電話を切った。

 

 

---------------------

 

 

『先日のコンサートのレビュー、好評でしたよ』

 

『そう?』

 

『ええ。あの作曲家の評価が見直されるきっかけになるでしょう。それに彼等も日の目を見たと言うところです。前座らしいですが、来年のルツェルン音楽祭への参加も内定しましたし』

 

『それは良かった。彼等を埋もれさせておくには勿体無いって、皆も言ってた』

 

『ええ、本当に』

 

 

 奏者も聴き手も喜んでくれるから嬉しいですよ、と受話器の向こうの声が弾んでいた。

 

 ……ドイツを拠点にするようになって3ヶ月が過ぎた。シアンは自分の事を駆け出しだと言ってたけど、なかなかどうして。

 こちらにも10日に1本のペースでレビューの仕事を回してくれていたし、コンサートや展覧会の招待も既に沢山貰っていた。彼に連れられて会った人は3桁にのぼっている。内訳と言えば、映画監督や指揮者はもとより、絵本作家なんかまで様々。

 

 

『それで、その音楽祭なんですが』

 

 

 シアンが続ける。

 

 

『彼等からチケットが回って来ました。是非トキにも来て頂きたいとの事です。未だ先ですが、どうですか?』

 

『ああ、勿論行かせてもらうよ。シアンも当然行くんだろう?』

 

『ええ。久々ですので是非とも』

 

 

 今年の音楽祭は既にほとんど終了。でも来年は3つくらいは行ってみたい。贅沢な希望かもしれないけどな。モノによっちゃ、チケット取るの自体が大変だって言うし。

 まあそれはその時に考えよう。今は目の前のスケジュールが優先だ。

 

 

『来月にお願いしたいのは、今のところ3件あります。2日と9・16日。どうでしょうか』

 

『大丈夫。ただ、来月は月末から2週間ほどフリーにさせてほしいんだ』

 

『そうですね、3ヶ月休み無しの状態でしたから。連れ回しておいて言うのも何ですが』

 

『シアンほどじゃないよ。それに、これだけの仕事を回してもらって助かってる』

 

『そう言って頂けると有難い。では、再来月の15日に一本仮決定の分があるので、その前までフリーと言う事で』

 

『じゃあ申し訳ないけれど、来月の30日からその次の12日までは空けさせてもらうよ』

 

『分かりました。その間は、どちらへ?』

 

『イギリスへ行ってから、一週間ほど日本に戻る』

 

 

 もう、空の店が出来てる筈だしな。

 

 

---------------------

 

 

「あ、ココだ」

 

 

 教えてもらった住所に辿り着けば、小さい店が一軒。店の内外装は柳の希望が入ってると聞いてたけど、想像よりは渋い。時間が経つ程に味が出る系なんだろうな。木のぬくもりを大事にしているのが分かる。

 

 

「おー鴇、ひっさしぶり!」

 

 

 ドアを開ければカランコロンとドアベルが鳴り(これは空の趣味だ)、彼の声が店内に響き渡った。

 

 

「久しぶり。良い感じじゃないか」

 

「そーだろそーだろ。やっぱナチュラルテイストってのは良いねぇ、客にも割と好評」

 

「その様子なら、入りもまあまあ?」

 

「おかげさんでな。そろそろバイト入れようかって言ってんだ」

 

 

 そりゃ大したもんだ。

 

 

「そう言えば今日、柳は?」

 

「俺の親父、看てくれてる。ここ数日、ずっとそうだぜ」

 

 

 空の表情が少しだけ曇る。

 

 

「でも、お袋も覚悟はしてる。オープン当日は二人して来てくれたんだ。間に合って良かった」

 

「喜んでくれただろ?こんな良い店が出来て」

 

「まあな。で、流石に座ったままだったけどよ。直々にコーヒー淹れてくれたんだ」

 

「本当に嬉しかったんだな。空が自分の仕事を継いでくれてさ」

 

「だと良いけどな……ま、店は全然違っちまったけどさ」

 

 

 俺ぁ幸せモンだぁな、と彼は軽く笑った。

 

 

「ま、近況はそんなとこ。で、何食う?」

 

「うーん……じゃあホットサンドと、ラテ」

 

「OK」

 

「それと、これな」

 

「お!ひょっとして」

 

 

 イギリスで調達した土産を渡せば、空は大喜び。大々的に感謝をされたけど、その後は俺への質問攻めが待っていた。

 シアンのお陰で増えた仕事の話をすれば『こっちで手に入る雑誌、あんのか?』と俺のレビューを読みたがったけど、恥ずかしいからそれだけはまだ勘弁。絶対言わない。

 

 

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 翌日には空五倍子のところへ顔を出した。

 

 

「じゃあまずまず順調って訳だ。仕事も幅が広がった事だし」

 

「ボチボチだけどね。若葉ちゃんとお前のお陰だよ」

 

「あー、あの」

 

「そうそう。ホンット、忘れずに届けてくれて感謝」

 

「今更蒸し返すなよなぁ」

 

 

 ……あのポルビチカ。

 俺の出発の時、息を切らせて見送りに来てくれた空五倍子と空を思い出した。まだあれから半年そこそこだって言うのに、もう何年も前の事のように感じてしまう。

 

 

「御利益があるって言うなら何よりさ。俺も、此処の代表になってからも順調に仕事させてもらってるし」

 

 

 言いつつ、デスクの上に飾ってあるポルビチカに目をやる。それは空の店でも、レジの隣に丁寧に飾ってあった。

 

 

「それで、まだこっちには戻って来ないのか?」

 

「うーん、まだ暫くは」

 

「向こうに定住って考えは無いんだよな?」

 

「無い。やっぱり俺の拠点は、この街」

 

 

 思ったままを口にしたら、空五倍子はニヤッと笑った。

 

 

「ホント、お前と弥ってソックリだな」

 

「え、そう?」

 

「ああ。暫く前に弥が同じ事言ってた。あいつ、記録会とか大会であちこち行くじゃないか。それ考えたら此処に住むのって正直、効率悪いんだよ。

 で、ある時『何なら引っ越すか?』って聞いたんだ。そしたらメチャメチャ怒られた」

 

「お前の仕事の事だってあるじゃないか」

 

「確かにな。そんなに自分を犠牲にされても嬉しくないとかも言われたし。でも最後は『自分たちはこの街に居てこそ。此処が拠点』だったんだ。全く同じだろ?」

 

「ホントだ。そりゃ凄い」

 

 

 見事なシンクロ。もう笑うしか無かった。

 

 

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 弥は合宿中で会えず。空の親父さんの事も気になったけど、時間は待ってはくれない。

 仕事もやっとかなきゃなんないって事で、世話になってる出版社に顔を出したら、担当の人がやたら笑顔で迎えてくれた。

 

 

「向こうでもご活躍なんですね!ここ一ヶ月くらいで、流黎さんの記事を見たという人からの問い合わせが何件か入ってきてるんですよ」

 

 

 なんだそれ。初耳。

 

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。向こうの雑誌のレビューを見て、問い合わせたら此処の契約ライターだと教えられて……っていうのがパターンです。お陰でウチの出版物にも関心を持ってもらえて、ジャンルも販路も広がりそうです」

 

「ドコに問い合わせしたんですか?その人達」

 

「シアン・ネーゲルと言う人だそうです。音楽プロデューサだそうですね」

 

 

 そっかー。シアンか。

 

 

「流黎さんの記事は分かり易さと面白さでは定評がありますし、ウチとしては是非とも今後も仕事をお願いしたいと思っているんです。で、折角なのでこの場で次の契約の話をさせて頂けませんか?」

 

「へ?」

 

 

 1年以上契約期間が残ってる内に次の話が出るなんて。

 でも、それって有難い事だよな。連載もそろそろ終盤になってきてるから、次の仕事が来るなら助かる。聞けば条件も悪くなかったから、3年契約で内定した。

 

 

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 後は手続きやら何やらをしてたら一週間なんてあっと言う間。シアンやエクルや仲間の人達への土産を買って、慌ただしくフランクフルト行きの飛行機に乗り込んだ。

 

 離陸して、シートベルト着用のランプが消えて一息ついた時。

 

 

[ご苦労だな]

 

 

 久しぶりの祖父さんの声がした。

 

 

「わ……」

 

 

 久々過ぎて思わず声をあげそうになり、隣の乗客に怪訝な顔をされる。

 

 

[申し訳無い。貴殿がチェコに着くまでにお伝えしたい事があるので、こうして参った]

 

[何ですか?]

 

[貴殿の具合も良うなられ、安心した。私は間もなく、貴殿の傍から失礼する]

 

 

 相変わらずマイペースだな。でも失礼するって……いなくなるって事?

 

 

[いかにも]

 

[それは何故ですか]

 

[私の正体を明かす時が来たためだ]

 

 

 正体って……そう言えば教えてくれてなかったな。

 

 

[じゃあ、教えて下さい]

 

[……あの馬車の事故の時なんだが]

 

[はぁ]

 

[私は、その馬車を操っていた]

 

 

 いきなりのカミングアウト。

 それがどう言う意味なのかを考え……俺は愕然とした。

 

 

[そうしたら、貴方が『あの子』を?]

 

 [左様]

 

 

 マジかよ。

 

 

『お客様、毛布をお持ちしましょうか?』

 

 

 いつの間にかフライト・アテンダントが隣に来ていた。慌てて意識を『現実』に引き戻す。

 

 

『あ、すいません。お願いします』

 

『どこか具合でも?』

 

『いえ……単に寝不足で。少し眠れば大丈夫です、ありがとう』

 

 

 直ちに持って来てくれた毛布を受け取り、肩から下を覆う。別に大して寒くはなかったけど、一枚被ったくらいで暑くなる訳でもない。それよりもこうして毛布にくるまれているという安心感の方が、今の俺には有難かった。

 

 

[本当に申し訳無かった]

 

[いや……でも、それだったら貴方だって辛い時間があった筈だ]

 

 

 そして、“自分があの子を死なせてしまった”という思いも、一緒。

 

 

[確かに、事故の後暫くは荒れた。何と言う事をしてしまったのだと、現実から逃げた。馬車に乗る恐怖から逃げた。四六時中酒を浴びるように飲み、周囲に当たり散らしておった。

 だが、そんな時にエクル殿が訪ねておいでになった。その時は鬱陶しさが先立ち、エクル殿を追い返そうと怒鳴ったのだが……]

 

[が?]

 

[逆に一喝された。それで目が覚めた]

 

 

 エクル姐さん、凄すぎ。

 

 

[エクル殿は言われた。事故は悲しい事だったが、あまり自分を追い詰めるなと。それで漸く、私は自分が成すべき事を知った。何ヶ月も経てからであったが、あの子の墓に参り、母親にも謝罪した]

 

[怒られるなんて事、無かったですよね?]

 

[それどころか、よく来てくれたと泣かれたのだ……自分の行動が如何に身勝手で不誠実だったかを痛感した。だが、結果的には許してもらえた。そうして私は救われた。だが貴殿は、事故を、あの子の事を想い悲しむ余り、心を閉ざしてしまわれた]

 

[……]

 

[エクル殿にそれを知らされた時、初めて後悔した。自分だけが傷ついた気になり、周りに甘えていたが為に、私は事故の被害者を増やしてしまったと気付いた]

 

 

 見えない筈の人物が、じっと俺の目を見る感覚。

 

 

[被害者って、俺ですか?もしかして]

 

[左様。貴殿は事故直後、殆ど錯乱状態に陥っておられた。エクル殿や従弟殿がおられなかったら、何が起きていたか分からない程に。

 それを見ていたのに、私は逃げた。あの子の母親に責められる事を恐れ葬儀にも参列せず。

 せめて速やかに貴殿と話をするべきだったのに、それも知らぬふりをした]

 

[それは俺が弱かったからでしょう。もし貴方が話に来てくれていても、結果は同じだったかもしれない]

 

[だが違ったかもしれない。その可能性があった。なのに、みすみすそれを潰した]

 

 

 その後悔を、重荷を。

 今までずっと抱えていたんだ。

 

 

[でも……結局何百年もかかってしまったけど、俺はもう大丈夫です。ホントに長い間、ご心配をおかけしてすいませんでした。ありがとう]

 

 

 自然に言葉が流れ出る。

 心の裡に刺さっていた小さな欠片が、スッと溶けて消えた気がした。

 

 

[こちらこそ感謝申し上げる。此度は貴殿と直接に話せ…誠に幸いだった……]

 

 

 少しずつ祖父さんの気配が薄れ始めた。そろそろお別れの時間らしい。

 

 

[……せっかくなら“祖父さんと孫”で対面したかったですね]

 

[……そうなれば斯様な話は出来なかったかも……そう思えば、貴殿が名を継いで下され……最善だったのであろう……]

 

[”刻の流れ”、ですか]

 

[名は言霊……同じ言霊は共鳴し……]

 

[祖父さん?]

 

[……どうか……良き旅を……幸多からん事を……]

 

 

 それを最期に、祖父さんの声は一切聞こえなくなった。

 

 

>>>3

 

20091203-20100423-20180512