「よぅ、青磁」

 

「どうも。あけましておめでとうございます」

 

「おめでとさん。ちゃんと二人で初詣行ったか?」

 

「はぁ、まあ」

 

「うんうん。正月からめでてぇこって」

 

 

 1月3日、ライブ会場の控え室に俺は来てた。

 今日は流石に出ない。純粋に客。

 

 マスターに頼まれてた曲は12月始めに書き上げた。そこで一度チェックして貰おうと持って行ったら、マスターはそれをざっと見るなり鞄にしまい込んだ。まるで目を通すのも時間が惜しいと言うように。

 そして『この曲、年明けライブでお披露目するから来いよ』とだけ言われ、そのまま今日がやって来て、俺はこうして此処に居る。

 

 

「年末は実家行ったんだろ?」

 

「ハイ」

 

「オーストリア行きの話はどうだった?反対とか無かったか」

 

「割と放任主義なんで、特には。それどころか音楽祭に行くとか言い出して」

 

「すげぇじゃねえか。息子の作品聴きに行こうってか?」

 

「そんなんじゃないっす。うちの親、今年銀婚式なんで、俺をダシに海外旅行するって感じで」

 

「へぇ、なかなかちゃっかりしてんな」

 

 

 そりゃ親御さんにも楽しみが出来て良いや、とマスターは笑いながら着替えを済ませた……そう言えばマスターのお父さんは、マスターが結婚して1年も経たない内に病気で亡くなったと聞いた事がある。

 

 

「ま、それなら安心して準備に専念出来るな。来週だっけか?出発」

 

「ハイ、11日に」

 

「おっし。前の日は空けとけよ。壮行会すっから」

 

「あ」

 

「おはようございます、入って良いですか?」

 

 

 俺が答える寸前にドアがノックされて、聞こえて来たのは堀越の声。

 

 

「おぅ、良いぜ」

 

「あけましておめでとうございます、マスター!」

 

「ああ、おめでとさん。今年も宜しくな」

 

「はい……あ」

 

 

 開けたドアの陰になってた俺にそこで気付いたようだ。

 

 

「おはよ、堀越」

 

「おはよう」

 

「どうして、此処に?」

 

 

 どうやら彼女は理由があってこっちに来たみたいだ。手伝いかな?

 

 

「お手伝いって程じゃないんだけど、何となくステージの裏側を見たいなあって思って」

 

「じゃあ本番も?」

 

「うん。舞台袖に居させてくれるって、マスターが」

 

「お前がやってる事、ちょっとでも知りたいって思ってるんじゃねぇか。健気だねぇ」

 

「ちょ、ちょっと!マスター!!」

 

 

 途端に彼女の顔が真っ赤になる。それを見ながらからかうように笑うマスターの瞳は、でもとても優しかった。

 

 

「ま、そんな訳でよ。青磁は客席で弥と亮司と鴇の相手してやってくれ。頼んだぜ」

 

「皆さん来るんですか」

 

「そうそう。後でそのまま皆で新年会って寸法さ」

 

「マスターの店で?」

 

「おぅ。読めるようになったなあ」

 

 

 嫌でも分かるようになりますって。

 

 

「だから終わったらタクシーで先に店に行っといてくれよ。柳もじきに行くはずだから料理は任せて、奴等にゃ適当に飲みモン出してやってくれといたら良いぜ」

 

「ハイ。じゃあまた後で」

 

「おうよ。気楽に楽しんでけよな」

 

「また後でね」

 

「うん」

 

 

 マスターと堀越に見送られて控え室を出た。前回と立場が逆で、何だか不思議な気分だ。

 

 

「やあ」

 

 

 エントランスに戻ったら社長が来てた。

 

 

「あ、明けましておめでとうございます」

 

「おめでとう。今年も宜しく」

 

「あ、ハイ。こちらこそ宜しくお願いします」

 

「準備はどう?」

 

「はい、おかげさまで何とか」

 

 

 そう答えれば、そうか良かったと喜んでくれる。何度もヨーロッパ遠征をしてる弥さんと社長が教えてくれる現地の情報は、どんなガイドブックよりも信頼度が高い。お陰で俺は安心してオーストリア行きの準備を進める事が出来た。

 

 

「空には会ったのかい?」

 

「ハイ、つい今しがた」

 

「壮行会するとか言ってなかった?」

 

 

 流石、読まれてる。

 

 

「はあ。10日にしてくれるって言ってました」

 

「そうか。予想通りだな」

 

「後、今日は新年会だって」

 

「了解だよ」

 

「あ、青磁君。おめでとー」

 

 

 弥さんだ。

 

 

「おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」

 

「律儀だなあ。こちらこそ宜しくね」

 

 

 すぐさま、社長が新年会と壮行会の話を弥さんに伝える。

 

 

「うん、空って、皆で集まってワイワイするの好きだもんね。今回もそうだろうなと思ってたから空けてるよ、予定」

 

「OK。それはそうと、鴇は?」

 

「控え室に行ったみたい」

 

「じゃあ俺達は先に入るか。場所も取りたいし」

 

「あ、そうですね」

 

 

 社長に促され、俺が先頭でホールに入った。程良い広さの空間に、4〜5人掛けくらいの丸テーブルが10数台置いてあり、どのテーブルにも紙コップと紙皿が載っている。今日は見知ったライブ仲間が何組か集まっての開催。半分はバンド同士の新年会を兼ねてて、気楽なモンだ。

 

 

「何処でも良いんすか?」

 

「良いでしょ。聞きやすそうだし、そこにしようか」

 

 

 真ん中あたりのテーブルを弥さんが指さして、俺達の席は決定。

 

 

「そしたら俺、鴇に知らせてくる」

 

 

 社長は荷物を置くとエントランスに戻って行った。ついでに控え室を覗いてくるんだろう。

 

 

「そう言えば、このステージで君の新曲、やるんだよね?」

 

「はぁ、まあ」

 

「今回はどう?聞いてみて」

 

「……実は未だ聞いてないんです」

 

「え?」

 

 

 弥さんがキョトンとする。

 

 

「初めてじゃない?そんなパターン」

 

「そうっすね。って言うか、聞かせてもらえなかったって言うか。こっちから尋ねても『まだ歌詞が最後まで出来てねぇから』とか言われて」

 

「柳ちゃんが書くって言ってたよね?歌詞」

 

「ハイ。でも結局何にも話が無いまま今日になって」

 

 

 一応、スコアそのものは問題無いんだろうけど。

 

 

「……マスターがスコアにOKを出した時点で俺の役目は終了なんで、後は何とも言えないですし」

 

「ふぅん?まあ今日きちんとお披露目してくれるんだから、楽しみ倍増って事にしとこうか」

 

「どっちかって言うと、胃が痛いっす」

 

「なぁに言ってんの。君が作ったんだから大丈夫!」

 

 

 ばし、と背中を叩かれて俺は前につんのめった。相変わらずスナップが利いてて威力絶大だ。

 

 

「で、準備は進んでる?」

 

「あ、ハイ。おかげさまで大した問題も無く行けてます。教えてもらった情報、すっげぇ役に立ってて」

 

「そっか、良かった」

 

 

 其処へスタッフの人がやって来て、テーブルにでっかいペットボトルを何本も置いていく。社長と流黎さんには悪いけど、先に一杯もらう事にした。

 

 

「何にします?」

 

「ウーロン茶」

 

「ハイ」

 

 

 ついでに俺もウーロン茶にしておいた。紙コップに入れたウーロン茶を弥さんに渡せば、直ぐに乾杯の仕草をして。

 

 

「じゃあ一足先に、青磁君、おめでとう。向こうでも今まで以上に良い曲を沢山書いていってちょうだいね?」

 

 

 最高の激励の言葉を贈ってくれた。

 

 

「やあ」

 

 

 流黎さんの声だ。

 

 

「あ、明けましておめでとうございます」

 

「おめでと、鴇」

 

「うん、明けましておめでとう。二人とも、今年もどうぞ宜しく」

 

「去年以上に、だね?」

 

「勿論」

 

 

 弥さんの言葉に笑って返しながら席に座り、ミルクティーの入ってるボトルに手を伸ばした。

 

 

「あ、開けます」

 

「良いよ自分でやるし。そんな気遣わなくても」

 

「亮司は?」

 

「廊下ですれ違った。控え室さ」

 

「そっか」

 

「あ、そうだ。音楽祭の要項が届いたんだ」

 

 

 ボトルをテーブルに戻し、カバンから封筒を一通。

 

 

「忘れない内に渡しとく」

 

「ありがとうございます」

 

 

 分厚い封筒を受け取ると、ちょっと気持ちが引き締まった。そこへ間も無く開演ですとアナウンスが流れる。今日はプログラムは用意されてなくて、このアナウンスで初めてバンド名とステージの順番が発表される。マスターのバンドは2番目だった。

 

 

「早い方じゃないか」

 

 

 ギリギリで戻って来た社長が弥さんの隣に座った。手酌でこれまたウーロン茶を紙コップに入れてる。

 

 

「これなら柳も俺達と一緒に店に移動出来そうだ」

 

「え、柳?茜ちゃんじゃないのか?」

 

「今日は彼女がアシスタントなのさ。控え室に居ただろう?」

 

「あー、だから」

 

「ついでに、正月ならではのサプライズがあると面白いんだけど、どうだろうね」

 

 

 言って流黎さんがニンマリ笑う。それを見て何となく落ち着かない気分になりながらも、俺は照明の当たったステージに目を向けた。

 

 ステージ上では、早速トップで演奏するバンドの人達が上がってきて準備を始めていた。前のライブでも見かけたバンドだ。何と全員、和装してる。

 

 

「凄いですね。あの衣装で演奏出来るんすか」

 

「着てるって事は出来るんだろうね。まあ、これが正月ならでは、かな」

 

「はぁ」

 

 

 準備の間に、獅子舞やら中国の正月に出てくるような龍の舞いまで客席に繰り出して来た。此処、一体ドコなんだよ。

 呆気に取られてる間に最初のバンドの演奏は進む。童謡をアレンジしたメドレーなんかもあって笑ってしまった。こういうのも結構面白い。

 

 

(待て、こんな中であの曲をやるのか?)

 

 

 演奏し終えた和装バンドに拍手を送りながら、俺は不安になってた。あの曲、こんな晴れがましい場で演奏しても良いんだろうかと思い始めたからだ。

 確かにラストは明るい曲調にした。だけど歌詞が未だだったから、あまり作詞に制限がかかるような音を使いたくなかったのも確か。

 そしてとにかく最初の主題が……作った俺が言うのも何だけど、かなり暗い。間奏で転調を繰り返してラストに持ってったんだけど、どこか無理矢理な感じが残ってしまった気もするし。

 

 

「どうしたんだ?青磁」

 

 

 社長が俺の鬱屈に気付いて心配そうに声をかけてくる。

 

 

「今から演奏される新曲の出来が気になってるだけよね?」

 

「空に任せときゃ大丈夫だって」

 

 

 流黎さんはそう言ってくれるけど。

 

 

「いや、やっぱりあの時一旦返してもらえば良かったなあって」

 

「空はOK出してたじゃないか」

 

「ですけど、あの時は元々マスターに推敲してもらうつもりだったんすよ?なのにさっさと持ってかれちゃって」

 

「あー、だから胃が痛いとか言うんだ」

 

 

 弥さんが納得して頷いてはくれたんだけど。

 

 

「だけど年末まで作ってたら今日聞けなかったじゃない。それが今日みんなでこうして聞けるんだからラッキーよ。結果オーライ」

 

 

 賛同してくれるワケじゃないんだよなー。

 

 

「ほら、始まるぜ」

 

 

 社長の声でステージ上を見れば、すっかり準備が整ってメンバーもスタンバイ完了。マスターと白藤さんが新年の挨拶の後に曲紹介をしていく。

 

 

「青磁君が作曲したものばかりだね」

 

 

 流黎さんが気付いてそう言った。

 俺も聞いた瞬間に分かってた。しかも作った順番に演奏するらしい。当然、今回の曲はラストだ。何の罰ゲームだよコレ。

 

 

「まあまあ。旅立つ君へのエールなんだから心して聞きなさい」

 

「そうだね。今までの復習をちゃんとして行けってとこだろ」

 

「空らしいや」

 

 

 三人から速攻で言葉の拘束をかけられて俺は椅子に固定された。嬉しいような恥ずかしいような泣きたいような……もう、色んな気持ちが心の中で渦巻いて仕方ない。そうしてる間に前奏が始まり、マスターのボーカルが入った。

 

 

「……え?」

 

「あー成る程ね」

 

 

 俺が固まったのと、流黎さんが納得したのがほぼ同時。

 

 

「何?どうしたんだい?」

 

 

 初めてこの曲を聞く社長が、呆然とする俺の横から問い掛けてきた。

 

 

「……変わってるんです。前と」

 

 

 歌詞が。

 

 

「へぇ」

 

「やるじゃない、空」

 

 

 ぱっと聞いただけじゃ分からないけど、このテーブルのメンバーならその真意がすぐに分かる歌詞。それは俺に向けてのメッセージ。

 社長と弥さんは興味津々て風情でステージに釘付け。他の席からは手拍子やら威勢の良いかけ声なんかが飛ばされてるのに、俺達のテーブルだけが別世界のように静まり返る。

 その様子はステージからでも目立ったんだろう、マスターがこっちに視線を向けてオーバーアクションで手拍子をしろと促してきた。

 

 

「ほら」

 

 

 流黎さんが俺の肩をぽんと叩き、そのまま手拍子を始める。社長も弥さんも直ぐにマスターに応えてリズムに乗りだした。俺もせめて手拍子くらいはと思ったけど、もうどうにも身体が動かなかった。メンバーの皆の動きに目を奪われ、耳はひたすらその音を捉える。

 

 一曲目は、マスターん所でバイトを始めて3ヶ月と経たない頃に初めて依頼された曲。改めて聞けば稚拙としか言いようが無い。でもマスターはあの時『お前面白いセンスしてんな、ホントにクラシック専攻なんか?』って言った後、『将来は何やってくれるか楽しみだな』って俺のアタマをくしゃくしゃ撫でてくれたんだ。

 

 

(完全に一本取られたなぁ……)

 

 

 今以上に何も知らないまま、音楽をやりたい気持ちだけを持ってこっちにやって来た頃の事や、バイトでの思い出なんかが蘇ってきて、俺は軽く涙目。ぼやけた視界の中で二曲目が始まる。これは進級して直ぐの頃に書いた分。続く三曲目はこの前の秋に仕上げたやつだった。

 

 ダン、とドラムが響いて三曲目が終わる。

 

 

「さあ、ラスト一曲だ」

 

「初お披露目のね」

 

「流石にさっきのと今のはオリジナルのままだったな。次がどう来るか楽しみだな」

 

 

 ステージに拍手を送りながら、俺以外の三人はそんな会話を交わしてる。最初がアレで最後が普通な訳が無い。だけどどう来るかは分からない。ああ胃が痛い。

 

 

「あ、出て来た」

 

 

 一旦舞台袖に下がったマスターが再びステージに戻って来た。さっと拍手が止むと、徐にマイクを手にする。

 

 

「どうもありがとう!じゃあ俺達の今日のラストナンバー行きまあっす!」

 

 

 前奏が始まると、マスターは舞台袖に向かっておいでおいでをするように手を振った。

 

 

「……え?」

 

「あ!」

 

「わぁお!!」

 

 

 社長と弥さんはこれまた大喜びで手を叩くけど、俺は固まるしか無い。流黎さんだけが平然としてる……流黎さん、コレ知ってたんだな。

 

 

「うん、知ってた」

 

 

 俺が聞けば、彼はしれっと答えて。

 

 

「半分成り行きだけど、茜ちゃん説得係になったんだ。もうだいぶ前だよ」

 

 

 そう。マスターに招かれてステージに姿を現したのは、柳さんと堀越だった。

 

 

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「あん時ゃステージからでもはっきり見えたからなあ。ホンット、お前のあの顔は誰かに撮っといてもらいたかったぜ」

 

「驚きもしますよ、あんなの。詐欺じゃないっすか、詐欺」

 

「人聞き悪ぃな。俺担当の部分の歌詞が出来てなかったってのはホントだぜ。茜ちゃんの方が先に仕上げて来てくれてよ、それがまた良い出来だったんだ!聞いただろ?」

 

「モチロン聞きましたけど」

 

 

 ライブでのラストの曲。歌詞は何と、マスターと柳さんと堀越の共作だった。

 1番が柳さん、2番がマスター、そして3番が堀越。更に、自分が担当したところは自分で歌うという徹底ぶり……さすがに堀越は二人にフォローされながら歌ってたけど。

 

 

「いやもう俺もどうなるかって直前までヒヤヒヤだったもんなあ」

 

「誰も信じません、そんな話」

 

 

 うっくっくと笑いながら、むくれる俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でくり回す。俺の壮行会の筈なのに、主催が先陣切って酔っぱらってどーすんだろう。

 

 

「にしても、柳はともかく茜ちゃんが作詞も出来るってのには驚いたな。良いセンスしてるじゃないか」

 

「おぅ。もう俺好み、ドンピシャ。これからちょくちょく頼もうかな、なあ、茜ちゃん?」

 

「駄目よぉ、茜ちゃんは公私どっちも多忙なんだからぁ!ほらほらもう飲み過ぎ!」

 

「良いじゃねーか、此処俺んちだし。明日休みだし。みんな居るし」

 

「その明日はみんなで青磁クンお見送りするんだからぁ。ちゃんと起きてよね!今日はもうそっちで寝といてちょうだい。ハイおやすみ」

 

「んー」

 

「ゴメン青磁クン、ちょっと手伝ってぇ」

 

「あ、ハイ」

 

 

 言われて奥のソファにマスターを運ぶ。彼の右腕を自分の肩に掛けて上体を支えながら引き摺る様に移動した。どっちかって言うと小柄なマスターだけど、力が抜けてるとやっぱそれなりに重い。

 

 

「到着です」

 

「んー」

 

「こっち頭で。あースリッパ脱いで下さいよ」

 

「んー」

 

「はい毛布」

 

「……青磁」

 

「はい?」

 

「頑張れよ」

 

 

 掛けたばかりの毛布の下から、握手と言わんばかりに差し出されたマスターの手。握り返せば暖かい、兄貴みたいな手だった。

 

 

「……はい」

 

「寂しくなるけどよ……まあ、夏には……会おうぜ」

 

 

 マスターはそれだけ言うと、俺の返事を待たずにぐぅと鼾をかいてさっさと夢の世界の住人になった。

 

 

「ありがとぉ青磁クン。助かったわぁ」

 

 

 だらんと下がった腕を戻しながら、柳さんが声をかけてくれる。

 

 

「さああっちに戻ってね。まだまだ夜は長いわよぉ」

 

 

 キッチンカウンターの前にしつらえられたローテーブルの周りには社長と弥さんと堀越。夕食からスタートした壮行会だったけど、2時間も経てば腹もふくれて一通り喋りまくってるからすっかり二次会の様相を呈してる。

 流黎さんは仕事が未だ終わらないようで、姿を見せてない。『鴇が来たらまた乾杯しようぜ』って言ってたマスターが既に酔い潰れちまったから、余計にダラダラモードだ。

 

 

「鳥栖珈君、来て」

 

 

 堀越が手招きする。テーブルの上に地図が広げられていた。

 

 

「夏の計画立てようって、弥さんが」

 

「早いっすね」

 

「どこがよ?半年なんてあっと言う間だからね。今から計画してて丁度良いわよ、ねえ亮司?」

 

「そうだな。今回は音楽祭と弥の出る大会の日程が結構近いから良い感じで回れそうだし。折角だから茜ちゃんに色んな物を見せてあげたいってのもあるし」

 

「え、ひょっとして堀越、付いてくの?」

 

 

 ヨーロッパで大会があるってのは聞いてたけど。

 

 

「うん。スタッフ枠で入れてもらえる事になったの。日程の大半は夏休みと被ってるから何とかなるし。足手纏いにならないようにしなきゃね」

 

「流石に5月から連れ回す訳には行かないけど。でも最終調整の時に居てもらえるのが心強いわ。足手纏いどころか大助かりだよ、茜ちゃん」

 

「そうそう。俺も、茜ちゃんが弥についててくれるとこっちで安心して仕事してられるから有難い事さ」

 

 

 励ましてる部分も大きいんだろうけど、それでも陸上部に関わるようになって3ヶ月足らずで二人にここまで言わせるって凄い。やっぱ適性があるって事だろうな。

 

 

「大会最終日が7月末でしょ。青磁君が参加する音楽祭はインスブルックの近くであるんだったよね?」

 

「ハイ。8月10日が初日だって聞いてます」

 

「10日もあれば結構あちこち回れるわよ。さあどうしよっか、茜ちゃん?」

 

 

 言われて堀越が目を輝かせた。因みに大会の開催地はパリなんだそうだ。

 

 

「そうですね、折角なんでパリの周辺をじっくり見て回りたいです。向こうのスポーツ栄養学の実践も見られたらなって思うし」

 

「他の国も回ろうね」

 

「ハイ!弥さんのお薦めの所とか、行きたいです」

 

「そうねー、それなら…」

 

 

 夏の計画、二人で早速盛り上がってる。考えたら俺って、その頃は本番直前。あたふたしまくってるに違いない。

 

 

「まあ、インスブルックに入るまでは二人で自由にあちこち行って来たら良いし。どのみち俺達の出番なんて無いも同然さ」

 

 

 社長が苦笑いしながら俺の肩をぽんぽんと叩いた。

 

 

「社長は、どこから合流されるんすか」

 

「基本的には予定無し。仕事もあんまり長くは空けられないんでね。5月には一緒にパリ入りするけど、3〜4日で戻って来る。後は弥が大会に出る日だな」

 

「それはそれでハードですよね」

 

「でもオーストリアには1週間くらい居たいね。居心地良いし。茜ちゃんのお陰でその可能性も出て来たから、何とかやりくりして夏期休暇をそこに持ってくつもりさ」

 

「そうですか」

 

「音楽祭も、君の作品が上演される日には必ず駆けつける。後で時間があれば希望の場所を案内するから、その時は遠慮無く言ってくれよ」

 

「……そっか、亮司ともオーストリアで会えるんだな」

 

「わ」

 

「お、鴇」

 

 

 話に夢中になってリビングのドアが開いたのに気付いてなかった。

 

 

「やっと解放されたか」

 

「鴇、遅ーい!」

 

「ごめんごめん。今日の担当さんは良い誌面を作ろうって一生懸命の人だったから、ついつい長引いちゃってね」

 

「流黎クン、お腹空いてるんじゃなぁい?今温めるからねぇ」

 

「ありがと、柳。空は?」

 

「珍しく、さっさとダウンしちゃったのよぉ。ほら、あっち」

 

「……疲れてんだなぁ」

 

「もう若くないって事かしらねぇ〜。とりあえず乾杯しよぉ、ね!」

 

 

 堀越がさっさと地図を片付けた。マスターを除く全員がテーブルを囲んだところでシャンパンが出される。

 

 

「じゃあ、鴇が乾杯の音頭な」

 

「それじゃ、青磁君の今後の活躍を祝して、乾杯!」

 

 

 流黎さんの声に続いてみんなで乾杯。一気に飲んでグラスを置いて、それから何となく拍手もして。
 柳さんが流黎さんの夕食を出してきて、堀越は再び地図を床に広げる。流黎さんが『それで皆、何してたんだい?』と聞くから社長が説明して、それなら集合は8月9日の昼頃にインスブルック空港にしようか、とトントン拍子で予定が決まる。まるでその辺へ一泊旅行に行くような気軽さだ。

 

 

「おっと、そろそろお開きにしないと終電逃しちまいそうだな」

 

「あら、ホント。タクシー呼ぶわねぇ」

 

 

 皆でだべってたらいつの間にかそんな時間になってた。弥さんと堀越も帰り支度を始める。

 

 

「じゃあ帰るよ。また明日な。空港に直接行くし」

 

「ちゃんと空も連れてきてよね、柳ちゃん」

 

「はぁい。モチロンですぅ!」

 

 

 靴を履き、皆でぞろぞろ外に出た。流石に寒いけど天気は良くて、オリオン座がくっきり見える。

 

 

「あ、来た」

 

 

 ヘッドライトが近づいて来た……ライトの数が多いぞ。

 

 

「アレ、2台呼んだんすか?」

 

「うん」

 

 

 タクシーが止まる。

 

 

「じゃあね、青磁君」

 

「え、あ」

 

 

 呆然としてる間に社長と弥さんが乗った車は走り去って行った。堀越も唖然としてる。

 

 

「じゃ茜ちゃん、こっち乗って」

 

「え」

 

「ほらほらぁ、青磁クンも」

 

「は?何で」

 

 

 押し込められるように彼女の隣に乗ればドアがバタンと閉まった。

 

 

「ちゃあんと茜ちゃんちまで送り届けてあげてね?」

 

「その後は戻ってくるんだよ。荷物は全部こっちで預かってるんだし」

 

「う」

 

 

 焦って堀越の方を振り向く。びっくりしながらもちょっと嬉しそうな彼女の顔がそこにあった……ああ駄目だ降りられない。それに今降りたらエライ事になるかも……っていうか。

 降りたくない。

 

 

「……分かりました」

 

 

 ぼそっと呟いてシートに座り直せば、柳さんは『いやぁんカッコイイ!』とか何とか囃し立てるし、流黎さんは運転手さんに『男の子は連れて戻って来て下さいね』とか頼んでる。

 

 

「じゃあ、行って来ます」

 

「うん」

 

「いってらっしゃぁ〜い!」

 

 

 最後の最後でまんまとやられた気がする。

 でも今日はあんまり彼女と話せてなかったし。

 

 

「……あのさ」

 

「うん」

 

 

 こうなったら折角の二人の時間だ。ドライブデート(いや俺が運転してる訳じゃないけど)を楽しんでやる!

 

 

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20091106-20100528-20181025