(……待って。そこはこんな風のが良いんじゃないかな?)

 

(でも、それだと間延びした感じにならない?私はさっきの方が良いと思うわ)

 

(どちらも面白いんじゃないか?好みによる部分もあるだろうし。両方やってみよう)

 

 

 交錯する歌声。織りなす旋律は、バッハのカンタータ。素直な伸びのあるソプラノ、張りのあるバス……そしてしっかりと主張しながらも他と綺麗に調和する響きを持ったテノール。

 

 

「っと!」

 

 

 自分の声で目が覚めた。ひょっとして俺、今歌ってなかったか?

 

 

「こないだの続きかあ……」

 

 

 コーヒー・カンタータ。合間によく歌ってたんだ。コンサートのメインというよりは余興で持ってたレパートリー。三人で……って、ちょっと待て。

 

 

「全員歌ってた、よな?」

 

 

 俺が歌ってたのは、バスだ。じゃあテノールは……。

 

 

「流黎さん、歌ってんじゃん」

 

 

 何が『聴く側の人間』だよ。しっかりちゃっかり歌ってたじゃないか。しかもあんな極上のテノールで。
 なあんだちぇっちぇっと文句を言いたくなったけど前世の事だからと思い直し、もう一人の歌い手を思い起こす。ソプラノの女性。

 

 

「あれがエクルさんかー」

 

 

 記憶と記憶が、重なった。流黎さんが見せてくれた写真の、あの人。

 

 

「あ」

 

 

 音が頭の中で動き出した。流黎さんに貰ってたテーマが展開していく。メロディがついていく。俺は急いで浮かんできた音を書き留めて行った。

 

 

-------------

 

 

「はよーございまーっす」

 

「お、何だ青磁。何かスッキリしてんな」

 

「あ、流黎さんからの例の件、やっと少し進んだんです」

 

「そうか!良かったじゃねぇか。いつお披露目だ?」

 

「いや、未だメインだけなんでこれからが正念場なんすけど」

 

 

 それでも納得の行く旋律が出来て、やっぱり嬉しい。あの後一気に書いて見直して、『彼女』の歌詞と合わせてみて。これなら行けると確信出来た。

 

 

「そりゃ完成が楽しみだ。出来たら聞かせてくれよな?」

 

「はい、是非」

 

 

 そこへ柳さんが裏口から戻って来た。

 

 

「あらぁ青磁君。おはよぉ」

 

「おはようございます。堀越は今日も?」

 

「そう。何だか陸上部頑張ってるわよぉ」

 

「そうだ青磁、こないだ言ってたシフトの件なんだけどよ」

 

「ハイ」

 

「茜ちゃん、やっぱ午前は厳しくなってくるらしいんだ」

 

 

 ホントに頑張ってるんだなあ、堀越。

 

 

「そうなんすね」

 

「ああ、特にこれから来年の春にかけてな。だから悪ぃけど、その間だけでも朝から入れる日は頼みてぇんだ。来週までに、どんな感じで入れそうかまた教えてくれねぇか?」

 

「私もフォロー出来るから無理はしないでねぇ、青磁君」

 

「週2か3くらいになると思いますけど」

 

「そりゃ有難ぇ。じゃあランチ始めるか!」

 

 

 ぱん!と手を鳴らして準備に入る。マスターも今日は結構上機嫌みたいだな。

 

 

-------------

 

 

「おー、鴇!」

 

 

 16時過ぎ、カランと音がして入って来たのは流黎さん。

 

 

「やあ」

 

「今日は一人か?」

 

「そう。さっき亮司には会ったけどさ、配達の途中で」

 

「そか。何にする?」

 

「ラテ」

 

 

 言いながらカウンター席に座る。

 

 

「何だ、機嫌良いじゃねぇか」

 

「そっちこそ。何時もよりテンション高い」

 

 

 流黎さんに指摘され、マスターは何故か俺を指さす。

 

 

「コイツ、また一つ成長しやがったんだよ」

 

 

 俺?

 

 

「ああ成程ね」

 

 

 俺の事を話してるのは分かるけど何を言われてるのかは全く分からない。そんな事はお構い無しで、二人の会話は進んで行く。

 

 

「お前の依頼分も形が見えてきたとさ」

 

「それは嬉しいな」

 

「だから俺もそろそろ次を依頼しようか、ってな感じ」

 

「そっか。なら、やっぱり動き出したって事かな」

 

「何が?」「へ?」

 

 

 俺達の問い掛けには応えず、流黎さんは手にしていたA4封筒から何かを取り出した。

 

 

「さっき亮司から受け取ったモノ。向こうのプロデューサから返事が来てね」

 

「お、それはひょっとして」

 

「うん」

 

 

 ニヤリとマスターがこっちを見て笑う。

 ニッと、流黎さんも俺を見て笑う。

 

 

「こないだのライブの感想と、青磁君の曲の評価」

 

「え?」

 

 

 プロデューサなんて、いたっけ?

 

 

「でも、そんな人ライブには来てませんよね?」

 

「来てないよ」

 

「じゃあ何で……」

 

 

 ぐるぐる渦巻く思考の中から、ぽかりと一枚のCDの映像が蘇って来た。当日の夜、マスターが流黎さんに渡してたアレ。

 

 俺ももらった、アレ。

 

 

「ひょっとして、あの時のCD……?」

 

 

 それ以上は言葉にならない。でも意味は通じたらしい。

 流黎さん、またニッコリ笑って。

 

 

「うん。送った」

 

 

 まさかの一言。

 

 

---------

 

 

「じゃあ今日はこれまで。あ、鳥栖珈君、教務室へ」

 

「あ、ハイ」

 

 

 翌日、俺は講義終了と同時に呼び出された。こんな事初めてだ。俺、何かしたっけ?

 

 

「……あ、来た来た。入りなさい」

 

「はあ、失礼しまっす」

 

 

 ドアを開ければ笑顔の先生。怒られる訳では無いらしい。

 

 

「何でしょうか」

 

「其れを見てごらん」

 

 

 唐突に指し示された机の上には、分厚いA4封筒。中には英語で書かれた書類が何枚も入っている。申込書みたいだ。

 ふーんへぇーと眺めていたら、先生が『相変わらずだなあ、君は』と呟くのが聞こえた。

 

 

「コレが何か?」

 

「鳥栖珈君、ウチがイタリアとオーストリアに提携校がある事は知ってるね?」

 

「あ、ハイ。一応」

 

「その両校から君を奨学生として受け入れる用意があると連絡が来た」

 

「は?!」

 

 

---------

 

 

 日が暮れる。俺は公園で、未だ明るさの残る空を眺めていた。

 

 

『……上位者の作品をみてもらったんだが、中でも君のはどちらからも高く評価されてね。一年間、海外へ勉強に行けるチャンスだよ。君が決めてから、空いた枠を他の学生に打診しようと思ってるんで、急かして悪いけど今週中に返事を頼むよ』

 

 

「……はあ」

 

 

 何が動き出したってんだよ、流黎さん。一気にこんな話が集中して来るなんて予想出来るワケ無いじゃないか。

 

 

「あら?青磁君じゃなぁい」

 

 

 のんびりとした声は、言わずと知れた柳さん。買い物帰りかな。

 

 

「あ、ども。お疲れ様っす」

 

「なに、こんなトコで黄昏れちゃってぇ」

 

 

 黄昏れる方が未だマシだ。

 

 

「そんな姿も似合うけど、日も暮れたし。風邪引いたらダメだから切り上げましょ。ほら立って。ついでに協力してちょうだい」

 

「協力?」


「今日は冬向けレシピの試食会。丁度良いわぁ!」

 

「え、あの、ちょ」

 

 

 っと待って下さいと言う間も与えられず、買い物袋を右手に持たされ左手はしっかり拘束された状態で、俺は真っ直ぐマスターんちに連れられて行った。

 

 

「おぅ青磁じゃねぇか、よく来たな」

 

 

 柳さんに引っ張られて来ただけなんですけど。

 

 

「ん、どした?元気無ぇな」

 

「……はあ」

 

 

 俺の中では急展開過ぎて、どう説明したものかと言い淀む。

 

 

 ……昨日、流黎さんの口から聞かされた内容は十分仰天するモノだった。

 

 

『青磁君の曲、かなり高評価だったんだ。詳細はまた後にするけどさ。で、そのプロデューサから提案があって「ヨーロッパ演劇祭にエントリーしてる若手演劇集団の、オリジナル戯曲の音楽をやってみないか」って』

 

『戯曲?!』

 

『そう。今作曲者を探してるんだって。新人限定』

 

『でも、わざわざ日本からなんて……』

 

『国は関係無い。彼は世界各国、老若男女ジャンル問わずで色んな曲を常に耳にしてる人だ。その彼が君を認めたんだ、それなりの理由と意味はある』

 

『……』

 

『全く初めての分野かもしれないけど、やってみたら面白いと思うよ?期間は約半年、場所はオーストリア。OKなら年明け早々からでも良いって言ってた。まあ、ちょっと検討してみてくれる?あ、これが君の曲の感想と批評』

 

 

 遣り取りを思い出したらまた勝手に溜息が出る。マスターが『兎に角座れ』と椅子を勧めてくれた。キッチンからはコーヒーの香り……助かるなあ、この香り。気持ちが落ち着く。

 

 

「未だ昨日の事で悩んでんのか?」

 

「いや、違うんです。今日は学校で……」

 

 

 マスターに話の先を促され、俺はぽつぽつと今日の顛末を説明していった。

 

 

「へぇ、凄ぇじゃねえか!」

 

「だけど、何だか全部がいきなり過ぎて。どう考えたら良いんだか」

 

「なぁに、悩んじゃってるのぉ?」

 

 

 淹れたてのコーヒーを持って来てくれた柳さんが向かいに座って話に加わる。

 

 

「おぅ、青春してるぜ、コイツも」

 

「うふふ~、良いわねえ」

 

 

 あんまり良いとは思えない……いや、ありがたい話なんだけど。

 

 

「だけど、どっちの話も嫌とかいう訳じゃないんでしょ?面白そうとか、気になるとか、そんな部分がアッチにもコッチにもあるから困っちゃってるだけで」

 

「確かにそうかもしれないですけど、どっちも全く想像がつかなくって」

 

「そりゃそうだろ。んな簡単に想像つくようなら、つまんねぇモンさ」

 

 

 俺の悩みも、マスターにしてみたら他愛もない事なんだろうなあ。

 

 

「良いじゃねぇか。今週いっぱい思いっきり悩んどけ」

 

「ンな簡単に言わないで下さいよ」

 

「でもねぇ、ホントは簡単なのよぉ」

 

 

 柳さんが、お玉を持った左手をちっちっちと振って俺の反論を封じた。

 

 

「だって、自分の気持ちに素直になったら良いだけなんだも~ん」

 

「気持ち?」

 

「そ。悩んでも良いけど『考える』ばっかりじゃバランス悪いのよ。大切なのは『感じる』事だと思うのよねぇ」

 

「感じる、ですか」

 

「そおよぉ。青磁君、曲作る時も考えてばかりなの?」

 

 

 まあ、考えないといけないトコもたくさんあるけど……。

 

 

「いえ、『浮かんでくる』って感じな時も結構あります」

 

「人を好きになる時だって、考えて好きになる訳じゃないわよねぇ。フィーリングとか言うじゃない?」

 

 

 いきなりなんでそう言う喩えが。

 

 

「まあ、そうですね。多分」


「よし、悩むのは一旦中止だ。試作品、食ってくれよな」

 

 

 相談タイム強制終了。何だかはぐらかされて終わったような気がする。

 

 

「じゃあ一緒に手伝ってねぇ」

 

 

 言うなりエプロンを渡されキッチンに連れて行かれた。そこからはひたすら冬向けレシピの話ばかりで、悩む暇なんて一秒たりとも無かったのは確かだったけど。

 

 

「じゃあまた明後日だな。10時から、良いか?」

 

「ハイ」

 

「サンキュ。助かるぜぇ」

 

 

 2時間後、試食もレシピ検討も一通り終了。マスターがOKを出したから、来月後半にはまたこれがランチメニューにあがってくるんだろう。シフト変更の確認もして、さあ帰ろうとしたら呼び止められた。

 

 

「待てよ、途中まで送るから。車出してくるわ」

 

「まだ9時だし大丈夫です」

 

「遠慮しないで良いわよ。私も今から買い出しするから、ついでだしぃ」

 

「今から?」

 

「だって9時過ぎると安くなるんだもん、あの駅横のスーパー」

 

 

 ご贔屓なんだなあ。

 

 

「じゃあすいません、お願いします」

 

「おうよ」

 

 

 そうして、駅前まで車に乗せてもらう。礼を言って車から降りて……ふと駅のすぐ横にある喫茶店に目が行った。

 

 

「アレ?」

 

 

 最初は見間違いかと思った。けど間違い無い。

 流黎さんと堀越。まさかの組み合わせ。

 

 

「何でまた……」

 

 

 流黎さんが何か言って、堀越が楽しそうに笑う。

 ……あんな風に笑うなんて、俺は知らない。

 

 

---------

 

 

「8回目」

 

「は?」

 

 

 昼休み。学食でメシ食ってたら向かいの奴にいきなり突っ込まれた。

 

 

「ため息。うぜぇぞ、青磁」

 

 

 言うなり額をべし、とはたかれる。

 

 

「てっ」

 

「どーしたんだよ、何かあったのか?」

 

「何かって……」

 

 

 言われてハタと考える。確かにこの数日で留学の推薦の話が来たり戯曲の話が来たりで頭ン中はごちゃごちゃしてた。でも今はそれ以上に……。

 

 

「……はぁ」

 

「ったくよぉ~何だってんだよー」

 

 

 もう9回目と言われても、知らず出てくるため息までは止められない。何でかなんて俺のほうが知りたい。決めなきゃなんない事もやんなきゃなんない事も沢山あるってのに。

 

 ……昨日、流黎さんと喋ってた堀越。ちらと見掛けたあの笑顔が記憶にこびりついて離れなくて、それが一番気になって仕方無い。

 

 

(って言うか、ショック?)

 

「あー付き合いきれねぇ!先行くからな!」

 

 

 午後始まるぞと言い残して、彼はさっさと俺の前から姿を消した。

 

 

---------

 

 

「参ったなあ」

 

 

 午後の講義は全く集中出来なかった。座学だったから良かったようなものの(イヤそれも良くないって分かっちゃいるけど)これが実技だったら教室から追い出されてる。

 

 

「……はぁ」

 

 

 口から出てくるのはため息ばかり。思考回路も散々ループを繰り返してショート気味だ。こりゃ自分だけじゃどうにもなんない。

 

 

(昨日の今日だけど……こんなままじゃ留学とかの話どころじゃないよ)

 

 

 こんな事相談出来るのは、やっぱマスターしかいない。閉店時間を狙って店に行く事にした。翌日の準備もあるから、マスターはいつも閉店後も1時間ぐらいは店に居る。


 店に着けば、看板もホール側も電気は消され、カウンター周りだけがじんわり明るい。ヨシ大丈夫。思い切ってドアを開ける。

 

 

「お!珍しいな。学校終わったか」

 

 

 カウンターの中から即座にマスターの声。向かいの客席からは柳さんが振り向いてニッコリ。

 

 

「あらぁお疲れ様、青磁君」

 

「……鳥栖珈君?!」

 

「え?」

 

 

 間髪入れず、もう帰ったと思ってた堀越の素っ頓狂な声が響いた。がた、とカウンターの椅子が倒れ、柳さんの向こう側から本人の姿が現れる。

 

 

「あ、未だいたのか。堀越、おつか……」

 

「何で今来るのよ!鳥栖珈君の馬鹿ぁ!!」

 

 

 動揺を辛うじて抑えた俺の努力は報われない。最後まで言わない内に、堀越はいきなりそんな事を喚いてこっちに向かってダッシュしてきた。

 思わず道を空けると、そのままドアを叩き開けて飛び出して行く。

 

 

「アホぅ!何避けてんだ青磁!」

 

 

 呆然としてると、今度はマスターから阿呆呼ばわり。

 

 

「え、いやだって」

 

「だってもへちまも無ぇ、茜ちゃんを追いかけろ!」

 

「俺が?」

 

「そーだ!お前だ!今あの子を一人にすんじゃねぇ!行け!!」

 

「っはいっ!」

 

 

 マスターの、今までに聞いた事の無いドスの効いた声に突き飛ばされ、俺は反射的に走り出す。日没直後の未だ明るい夕空に照らされる堀越の姿はすぐに見つかった。

 

 

「おいっ堀越っ!待てよ!」

 

 

 こういう時に待てと言われて待つ人間はいない。でもこっちだって呼ばずにはいられない。思ったよりも堀越は足が速かったから余計だ。

 緩くカーブした石畳の道に時折足を取られそうになりながら必死に走った。

 

 じりじりと距離を詰め、やっと追いつけそうだと思った……その時。

 

 

(え?!)

 

 

 いきなり彼女の姿がブレたと思った次の瞬間に俺が『見た』のは……女の子が馬車に轢かれる光景。

 

 

「……っ駄目だぁ!止まれぇっ!!」

 

 

 咄嗟に叫んでいた。そんな俺の声に異様な物を感じたのか堀越が立ち止まりこちらを向く。

 

 駄目だ。

 駄目なんだ。

 

 二度も死なせてしまうなんて、絶対………。

 

 

「……ちょ、ちょっと、鳥栖珈君!」

 

「え?」

 

 

 耳元で堀越の声が聞こえて我に返った。

 

 

「アレ?堀越……大丈夫、だった?」

 

「大丈夫も何も、訳分かんない!って言うか離れて!」

 

 

 ぐいぐいと胸元を押されて、俺は自分が彼女を抱きしめてたのに初めて気付いた。

 

 

「あ、ゴメン。でも良かった……何とも無くて」

 

「もう……何なのよ……いきなり何よ、人の気も知らないで……」

 

 

 突っぱねられた腕の長さ分だけ距離が空いて、そっぽを向いた彼女の横顔が目に入る。

 耳まで真っ赤だ。

 

 俺の心臓がどくんと跳ねた。それは、決して此処まで全力疾走してきたせいでは無くて。

 彼女の横顔も、夕焼け空の照り返しと言うには赤すぎて。

 

 ……何か、それだけで色々分かってしまった、気がした。

 

 

---------

 

 

「はい」

 

「うん、ありがとう……あの」

 

「……何?」

 

「鳥栖珈君は、大丈夫?」

 

「うん……まあ」

 

 

 自動販売機で買ったホットココアを堀越に渡して、ぽつぽつとそんな会話をする。公園の上に広がる宵闇と、そこに浮かび上がる常夜灯のオレンジ色が、俺の気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。

 

 堀越を止めようとした俺の叫び声は相当だったようで、居合わせた人々が皆固まってた。その空気に気付いてしまえば今度は一気に恥ずかしくなって、俺は慌てて彼女を連れて其処から離れた。

 

 かと言ってその辺の茶店に入る気にもなれず……結局たどり着いたのが、この公園。

 

 

「……あの」

 

「何?」

 

「さっきの……いきなり、何だったの?」

 

「うん……」

 

 

 聞かれるのは予想してた。けど、どう説明したら良いのか分からなかった。

 刹那に蘇ったあの光景。あれが正しければ……いや、そうなんだ。

 

 俺の前世と堀越のそれも、僅かだけどクロスしてた。

 

 

「あの、さ」

 

 

 ちらと横目で見れば、彼女は両手で包むように持ったホットココアの缶をじっと見つめて微動だにしない。ただじっと、俺が何を言うのかを待っている。

 

 

「俺、前に交通事故を目撃した事があって」

 

「事故?」

 

「うん」

 

 

 前世の堀越が、とは流石に言えなかった。彼女がそれを思い出してるかどうかが分からないし……出来る事なら思い出したくない類の事だろうとも、思ったから。

 

 

「女の子だったんだけど、止める間もなく路地から飛び出して……丁度角を曲がってきた車にはねられて……」

 

 

 小さな嘘。彼女はそれも黙って聞いてくれる。

 

 

「さっき、何故だかその記憶が一気に蘇っちゃって、堀越が事故に巻き込まれると思い込んで……」

 

「……」

 

「……ゴメン。何かごちゃごちゃになっちゃったんだ、あの時」

 

「……て、くれたんだ」

 

「え?」

 

 

 小さくて聞き取れなかった彼女の言葉を確かめたくて振り向けば、控えめな笑顔がそこにあった。

 

 

「何か良く分かんないけど……鳥栖珈君、心配してくれたんだ」

 

「あ、えっと」

 

「ありがとう」

 

 

 目にはうっすらと涙が浮かんでたけど、堀越は笑ってそう言ってくれた。

 それは昨日見掛けたあの笑顔よりももっと綺麗で……もっとずっと、可愛いと思ったんだ。

 

 

「あれ?青磁君、それに茜ちゃんも」

 

 

 その時、後ろから聞き慣れた声。

 

 

「あ、流黎さん」

 

「こんにちは。あ、もうこんばんは、だね」

 

 

 弾かれたように立ち上がって堀越が挨拶すれば、流黎さんもくだけた調子で返してる。途端に俺の気持ちがずんと重くなる。それが何故なのかはもう分かってた。

 

 

「珍しいね、二人揃って」

 

「あー」

 

 

 咄嗟に言葉が出なくて唸ると、横から堀越が口を出す。

 

 

「あのっ!さっき、鳥栖珈君が私を助けてくれて……」

 

「助けた?」

 

 

 目をぱちくりさせて流黎さんが俺を見る。仕方無く、俺はさっきの状況を手短に説明した。

 

 

「そっかあ。成程」

 

 

 聞き終わると、彼はニッコリ堀越に微笑んで。

 

 

「俺の言った通りだろ?彼はね、ちゃんと君を大事に想ってるんだよ」

 

「わっ!」

 

 

 俺自身が自覚したばっかりの自分の気持ち。其れをいきなり声に出されて背中が冷えた。流黎さん、そんな事いつ言ったんだよ?

 

 

「はい、あの……相談させてもらって良かったです。ありがとうございます」

 

「礼なんて良いよ。いずれ分かる事だっただろうし。でも、遠回りにならなくて良かったね」

 

「はい、あの私……かっ帰ります!!」

 

「え、ちょっと」

 

「大丈夫だよ……じゃあ茜ちゃん、またね」

 

 

 焦る俺を宥めるようにしながら、彼は至って普通にバイバイと手を振る。でも堀越は今までとは全然違った。

 

 

「はい。鳥栖珈君も……また、明日ねっ!!」

 

「あ……うん。また、明日」

 

 

 また、明日。

 

 そんな言葉は初めてだった。彼女は呆けてただろう俺の顔をちらっと見ると一目散に……というか脇目もふらずに、すたすたすたと駅に向かって歩いて行った。

 

 

「じゃあ、行こうか」

 

 

 ぽん、と俺の肩を軽く叩いて流黎さんは踵を返す。

 

 

「何処へ?」

 

「空の店。飛び出して来たんだろ?」

 

「あ」

 

 

 そうだった。彼女の事、心配してるだろうな。でも本人はもう帰っちゃったから俺が報告しなきゃいけないか。

 

 

「それで?」

 

「は?」

 

「前にも面識があったんだね?」

 

 

 さっさと歩きながら言う。俺も流黎さんのそんな会話パターンに少しは慣れてきたようで、彼が言う『前』がいつの事なのかは直ぐに分かった。

 

 

「あ、ハイ。ただ、親しいとか言うよりも通りでたまたま遭遇したって感じで」

 

 

 本人が居る前では適当にぼかしてた一瞬の記憶を改めて彼に告げる。

 

 

「……二度も彼女を死なせちゃいけないって、咄嗟にそう思ったんです」

 

「そっか」

 

「でも考えてみれば、さっきは車も来てなかったし……何かすっげ恥ずかし」

 

 

 思わず左手で顔を覆って俯いてしまう。俺、今また真っ赤になってそうだ。

 

 

「それ程までに強烈な出来事だった。だからこそ、今回は何があっても彼女を守りたいと思った。そうじゃない?」

 

「そう……ですね、多分」

 

 

 顔は未だカッカしてるけど、その言葉には素直に肯けた。

 

 

「まあ、これでまた何か思い出すのかもしれない。取り敢えず今日は結果オーライって事さ」

 

「オーライ?」

 

「だって嬉しいじゃないか」

 

 

 ニッと流黎さんがオッサン臭く笑う。彼がこんな笑い方をするなんて初めて見たかもしれない。そう言えばマスターがたまにこんな笑い方をするなあと思い出し……ついでにそんな笑い方をした時は碌な事が無いのも思い出した。

 

 

「え、と」

 

「彼女が出来たって事。君にも春が来たって訳!」

 

 

 ぞ、と悪寒が走る。

 ダメだこのままマスターんとこ戻ったら延々酒の肴にされる!帰れない!

 

 

「いえ!その……俺、今日は此処で失礼します!」

 

「何言ってるんだよ、ちゃんと報告しなきゃ駄目だろ」

 

 

 逃げる間も無く俺は腕を取られ、そのままぐいと引っ張られた。

 

 

「ほら!時間も経ってるし、急ぐよ」

 

「え、あの」

 

「はい、走る!」

 

「うわ……」

 

 

 あああマスターんちにまた外泊決定だ。諦めて流黎さんの走りのペースに合わせると、もう逃げないと分かったみたいで、すっと手を放してくれた。

 そのままマスターの店に向けて並走だ。さっきはダッシュだったけど今は正しくランニング。

 

 

「……昨日、」

 

 

 前を向いたまま、走りながら彼が口を開いた。

 

 

「駅で彼女と会ったんだ。どうも俺を待ってたみたい。それで、相談したい事があるって言うから隣の喫茶店で話を聞いてたんだよ」

 

「……じゃあ、あの時」

 

 

 思わず呟いた。それを流黎さんはしっかり耳にして。

 

 

「あ、見た?」

 

「ハイ。マスターに駅まで送ってもらったんです。そン時に外からちらっと……」

 

 

 あの光景を思い出して、この24時間近く悶々としてた自分は何だったんだろうと落ち込みそうになった。思わず身体から力が抜けて行く。

 

 

「なーんだ、入って来たらその場で一発で解決したのに。ほらほら、走って」

 

「あ……ハイ」

 

 

 促されて再び走り出す。

 

 

「何て言うのかな、とにかく一生懸命話してたよ。茜ちゃん」

 

「……何をですか?」

 

「ん、色々とね。もう着くから全部は話せないけど……」

 

 

 店の灯りが見えて、マスターが待ってくれてるのが分かる。

 

 

「前から頼りにしてたそうだよ、君の事。お兄さんみたいだって」

 

 

 店の前に着く。流黎さんがドアに手をかけた。

 

 

「……でも其れが恋心だ、って気付いたのがライブの打ち上げの時」

 

「え」

 

 

 それってどう言う……と聞こうとした時には、彼はもう店に入ってた。『おー、鴇!』という、いつものマスターの声に迎えられて。

 

 

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20100514-20181021