「はよーございまーっす」

 

「おー青磁、また早出かよ」

 

「アレ?」

 

 

 時計を見れば11時半。何てこった、遅刻だと思って慌てて来たのに。

 ため息ついてカウンターに座れば、奥で洗い物をしてる堀越と目が合った。

 

 

「おはよ」

 

「……おはよう」

 

 

 あれ?元気が無い。何時もならここぞとばかりにあれこれ言ってくるのに。

 

 

「どうかした?」

 

「別に」

 

「……ふーん」

 

 

 会話も素っ気無いもんだ。ひょっとしたら例の陸上部の手伝いが結構きついのかもしれない。俺は堀越をそっとしておく事にした。

 

 

「モーニング余ってんぞ、青磁。食うか?」

 

「あ、良いんすか?」

 

「おぅ。残りモンだから半額で良いぜ」

 

 

 一瞬マスターの奢りかと思った俺は未だ甘い。それでも200円足らずで食事にありつけるのは有り難かった。

 

 

「そんでどうだ?例の件は」

 

「あー、未だこれと言ったイメージが無くて。苦戦中っすよ」

 

 

 サラダを冷蔵庫から出しながら、マスターが早速聞いてくる。今回「例の件」と言えば勿論、流黎さんに頼まれた曲の事だ。

 

 もうあれから1週間経つ。あの時、ブランデー入りコーヒーを飲みながら流黎さんは『半年後に出来てれば良いよ』と笑って言った。その頃に彼はまた3ヶ月程度の予定でヨーロッパに行くそうだ。

 だけど俺は、期間を2ヶ月と自分に言い聞かせてる。時間があれば良いのが出来るという訳じゃ無いし、途中で試験もあるし。何より、のんびり構えてたら最後に慌てるのなんて目に見えてる。

 

 

「こんにちは」

 

 

 そこへカランと音がして、弥さんが入ってきた。

 

 

「お、珍しいじゃねぇか」

 

「まあね。茜ちゃんゴメン、今日のミーティング来週に延期になっちゃったの」

 

「あ、そうなんですか」

 

「うん。折角予定空けといてもらったのに、悪かったね」

 

「いいえ、それだったら先に学校のレポート書いちゃいます」

 

 

 そうしたら来週は陸上部の方に集中して入れるし、と言って堀越が楽しそうに笑った。さっきの俺の心配は杞憂だったみたいだ。

 

 

「こんにちは」

 

 

 今度は流黎さんの声。

 

 

「おー鴇、一緒に来たんかぁ」

 

「まあね。ちょっと公園で話してたんだ」

 

「そっか。もう少ししたらランチ行けるぜ」

 

「それは是非頂かなきゃね。先にカプチーノ貰って良い?」

 

「ああ、ちょっとだけ待っててくれよ。弥も食うだろ?ランチ」

 

「モチロン。空のタンドリーがどれくらい改良されたかチェックしないとね」

 

「言ってくれるなぁ。食って驚け!」

 

 

 マスターとそんな遣り取りをしながら、弥さんはカウンターの奥、洗い物を終わらせてサラダを作ってる堀越の正面になる席に移動して、来週の段取りの話を始めた。

 流黎さんは二人の遣り取りを笑って聞きながら俺の隣に座る。それとほぼ同時に、俺の目の前にモーニングがどんと置かれた。

 

 

「ほいよ、青磁」

 

「いただきます」

 

 

 流黎さんに例の曲の進捗状況でも聞かれるかと緊張したが、彼は一切その話に触れなかった。マスターと雑談してる。以前に公園で仲良しになった人達の話みたいだ。じゃあ良いかと、俺は取り敢えず食べる方を優先した。

 

 

「……でさ、振り向いたらランドセル背負った女の子がいたんだ」

 

「おー、ひょっとして」

 

「そう。若葉ちゃん!もう4年生だって聞いて吃驚しちまった」

 

「そりゃ1年生だった子が3年経てば4年生だな」

 

「それ位は分かってるけどさ。やっぱこう、時の流れをしみじみ感じたなあ、あれは」

 

「俺たちがすぐオヤジになる訳だな」

 

「ホントだ」

 

 

 子供は成長が早いからなあ、そりゃ3年も間が空けば……。

 

 

「猫引き取ったって言ってたばあさんは?」

 

「未だ会ってないんだよ。元気だと良いんだけどさ……」

 

 

 ああ……

 

 

「時の流れ、か……」

 

「ん?」

 

「え、何か言ったか?青磁」

 

 

 知らない内に思ったままを口にしてしまったらしい。流黎さんとマスターが揃ってこちらを向いて、やっとそれに気付いた。

 

 

「あ!いえ、何でも」

 

「そっか。ほれほれ、しっかり食えよ」

 

「あ、ハイ」

 

 

 マスターはニッカリ笑って流黎さんとの雑談に戻る……いや待て、流黎さんは話に戻る直前に俺をチラリと見た。絶対見られた。気のせいじゃない。

 

 

「ランチのサラダ出来ました。置いときます、マスター」

 

「サンキュ。そしたら上がってもらって良いぜ。レポート頑張れよ」

 

「はーい、有難うございます!」

 

「お疲れ様、茜ちゃん」

 

「有難うございます流黎さん。失礼します」

 

「じゃあ来週ね」

 

「はい、弥さん。宜しくお願いします」

 

「お疲れ」

 

「……うん」

 

 

 おい、何で俺だけそんなリアクションなんだ。

 そんな俺の疑問などお構いなしに、カランとドアベルの音を残して堀越は帰った。

 

 

「ん?どした」

 

「いえ……俺、堀越に何か悪い事したかなぁと思って」

 

「何で」

 

「何か怒ってるみたいだし」

 

 

 マスターがちょっと首を捻る。捻って、それからまたニッカリ笑った。

 

 

「レポートと陸上部の事でいっぱいいっぱいなんだろうよ。ほれ、茜ちゃんて器用とは言えねぇだろ?」

 

「まあ、どっちかと言えば」

 

「な?だからその分一生懸命取り組んで頑張ってんだろうよ。ウチでも確かに喋りが減ってる感じあるし」

 

「あ、そうなんすか」

 

 

 そうかと納得した俺に『食ったら働けよ』と容赦無い檄が飛んできた。間も無く正午になるのに気付いて慌てる。ランチ目当ての客がやってくる頃だ。

 

 

「先ずは鴇と弥にランチな。俺につけときゃ良いから」

 

 

 二人は既に奥の席に移動していた。プレートにサラダとチキンとライスを盛りつけ、スープと一緒に持って行く。

 

 

「あ、来た来た」

 

「へー、良い感じになってるじゃない。ワンプレートスタイルで正解だね」

 

「ありがとうございます。どうぞごゆっくり」

 

 

 ドアベルの音がしてマスターの『いらっしゃい』の声が響いた。水とオーダーを、と二人の前から下がろうとした時。

 

 

「あ、ゴメン。青磁君」

 

 

 流黎さんに呼び止められた。

 

 

「ハイ?」

 

「今日は何時に上がるの」

 

「17時になると思いますけど」

 

「じゃあ、後の予定が無ければ、あの公園で。待ってるから」

 

「……えと」

 

「ほら、青磁君。お客さん呼んでるよ」

 

 

 何も返答出来ない内に弥さんにそう急かされて、後はそれっきり。ランチの時間帯は流石に混むし、今日はマスターと二人だけで店を回さなきゃならなかったから、再び彼に話しかけるなんて暇はもう無かった。次に二人を見た時には既に帰り支度。

 

 

「おぅ、また来いよ!」

 

 

 マスターがレジのところで話してる。今日は奢りだ、へぇ太っ腹と笑い声が聞こえ、すぐに二人とも店を出て行った。俺はと言えば、テーブルを片付けながら『ありがとうございました』と叫ぶのが精一杯だったわけで。

 

 

-----------

 

 

 17時15分。結局、俺の足は公園に向いていた。

 流黎さんはすぐに分かった。同じように夕暮れの中ベンチに座り、家路を急ぐ人々を眺めていたから。

 

 

(……同じ?)

 

 

 また小さな疑問が過ぎって消える。掴みきれない輪郭がもどかしい。

 そうだ今日こそちゃんと聞いてみようと心に決めて彼に近づいた。

 

 

「あ、来てくれたね。有難う」

 

「いえ、お待たせしてすいません」

 

「にぁ」

 

「……にぁ?」

 

 

 予想外の声は彼の腕の中から。見れば其処には黒猫が一匹。

 

 

「ちょっとね、預かってるんだ。もうじき飼い主さん戻って来るから」

 

「そうすか。結構大きいですね」

 

「そうだね、人間だと何歳くらいなのかな。すっかり大人なんだろうけど」

 

 

 なあ、たま?と彼が猫の顎を撫でてやれば、ぐるぐると嬉しそうに喉を鳴らす。

 

 

「人懐こいですね」

 

「ああ。たまは元々そうだったな」

 

「元々?」

 

「うん。前に会った時は子猫でね。この辺でうろうろしてる野良だったんだけど、今の飼い主さんが拾ってくれたんだ」

 

 

 前に此の街に住んでた頃、か。

 

 

「あ、戻って来た」

 

 

 流黎さんが言うが早いか、たまは腕からぴょんと飛び降りて飼い主のところへ走って行った。

 

 

「たまちゃん、ただいま!有難うねぇ。長い事ごめんなさいね」

 

「いえ、俺も久々にのんびり出来て楽しかったです。たまも俺の事覚えてくれてたみたいで」

 

「勿論よ。貴方が来なくなってからも、この子よくこのベンチの周りをうろうろしてね、なかなか帰ろうとしなかったんだから」

 

「そうなんですか。ありがと、たま。嬉しいよ」

 

 

 二人の遣り取りを見てたら、おばさんがくるっとこっちを向いた。

 

 

「そちらが、待ち合わせてたコ?」

 

「ええ、そうです」

 

「弟さん?」

 

「違いますが。似てますか?」

 

「あら、ごめんなさい。でも、そうね。雰囲気が似てるのかしらね」

 

「そうですか」

 

「じゃあこれで。お待たせしちゃってごめんなさいね、お連れさん」

 

「あ、いえ」

 

 

 慌てて俺はお辞儀する。その頭上をたまの鳴き声が通って行った。

 

 

「じゃ、行こうか」

 

 

 顔を上げると、流黎さんはそれだけ言って歩き出す。俺も遅れまじと彼の左に並んだ。同じ距離を移動するのに俺の方が少しだけ歩数が多い……コンパスの差かぁ、ちぇっ。

 

 

「来てくれたって事は、この後は特に用事は無し?」

 

「ハイ」

 

「良かった。そうしたら取り敢えずメシ、行こうか」

 

「あ、でも」

 

 

 あんまり持ち合わせが。

 

 

「大丈夫、俺の奢り」

 

「……良いんすか?」

 

「勿論。て言ってもこの前の居酒屋だけどね。のんびり話せるかなって思って」

 

 

 そう言って彼はにっこり笑った。その間も歩みは止めない。遅れないように俺もせっせと足を動かす。

 

 

「それでいきなりだけど、例の件」

 

 

 ホントにいきなりだ。何も進んで無いから余計に気が引けて心臓が跳ねる。

 

 

「イメージ湧きそう?」

 

「……すいません。まだ何も出来てなくて」

 

 

 正直に言えば彼はまたあははと笑って。

 

 

「謝んなくても良いよ、俺からの勝手な依頼なんだし。テーマも使いにくかったら無視してくれて全然問題無いから」

 

「いえ、そうじゃ無いんです」

 

「ん、何が?」

 

「あのテーマ、すっごく使いたいんです。詩と照らし合わせればあの旋律が一番合ってると思ったし……ただ、突破口が見つからないっていうか」

 

「あー、突破口ね。言い得て妙だ」

 

 

 言ってから変だったかと内心焦ったけど、彼は其れで納得してくれたらしい。ウンと頷くと『じゃあ其れ、見つけて貰わないとね』と嬉しそうに一言。

 

 

「でも、どうやって」

 

「方法論なんて分からないけど。でも多分、俺が今日話したいと思ってる内容がきっかけになるんじゃないかな」

 

「……やっぱりこないだの続きですか?」

 

「うん、この前は途中になっちまったから」

 

 

 ……石畳の街に佇む彼。

 何度か感じた既視感。この懐かしい感じ。

 

 これは何なんだろう……。

 

 

「そうっすね。聞きたいです。もう少しイメージを膨らませたいんで」

 

「うん」

 

 

 言ってる内に目的地に着いた。未だ時間も早いから席はガラ空きだ。

 

 

「掘りごたつの席、良いかな?」

 

 

 本当にのんびり話すつもりだ。

 彼は2階の個室をリクエストして階段を上がっていった。俺も後からついていく。

 

 

「じゃ、取り敢えずビール二つ。後、適当に見繕って……青磁君は食べたいもの、ある?」

 

「あ、ポテトフライを」

 

 

 第一弾の注文を済ませれば程なくジョッキがやってきて、まずは乾杯。

 

 

「お疲れ様」

 

「いえ。流黎さんこそ、忙しいじゃないんですか?」

 

「そうでもないよ。今日はオフだったからのんびりさせて貰った。午後は公園に居たし」

 

「午後?まさか、ずっとじゃないですよね」

 

「ずっとだよ」

 

 

 て事は、かれこれ4時間以上あの公園に居た計算になるぞ。

 

 

「飽きないんすか」

 

「全然。好きなんだよね、あの公園。色んな懐かしい人達にも会えたりするし」

 

「今日のあのおばさんも、ですよね?」

 

「うん。そうなんだけど……ほら、この街って石畳のトコ、割と多いだろ?」

 

 

 またいきなり話が変わる。

 

 

「そうですね、確かに」

 

「俺、元から放浪癖あったんだけど、そんな俺がこの街には5年も住んだ。最初に来たのは、もう9年近く前になるのかな。

 この街に来た時にもの凄く『うわ、落ち着く』って感じたんだ。その理由が……住んでる人達の雰囲気も勿論だけど、石畳が多いっていう街の佇まいにあるんだな、って気付いてさ」

 

「街が気に入った、って事ですか?」

 

「そうだね。でも、それと同時に懐かしさがあったんだよね」

 

 

 初めて来たのに、初めてと思えない何かがあったんだ、と彼は続けた。

 

 

「当時はそれが何故なのか全然分からなかった。それでも兎に角居心地が良かったもんだから、そのまま住み続けてた。

 そうしてる内にある日いきなり、ある人のイメージが湧いたんだ。それがやっぱり石畳の街で暮らしてる人だ、って印象があって、でもこの街じゃない」

 

「はぁ」

 

「弥に出会ってからそのイメージは強くなった。そして、俺はその人にどうしても会わなきゃならないって思うようになったんだ」

 

「え、それって弥さんじゃ無いんすか?」

 

 

 この前『彼女が直接のきっかけ』って言ってたから、てっきりそうだと思ったのに。

 

 

「うん、違う。でも全てのきっかけになってくれたのは彼女なんだ」

 

 

 弥さん……もしかして何かの能力者なんだろうか。

 

 

「流黎さん、結局その人には会えたんですか?」

 

「それが3年前、ひょんな事から居場所が分かってね。で、その人に会うために此処を一旦離れたんだ」

 

「何処で会えたんですか?」

 

「ドイツの端っこ。小さい頃はチェコに居たそうなんだけど、事情があってドイツに移住したって言ってた」

 

 

 何かドラマチック。そして流黎さん、アクティブ。

 


「で、その人に会ってからが本番。芋づる式に前世を思い出していったんだよ」

 

「芋づる式?」

 

 

 連想ゲームみたいな感じなんだろうか。

 

 

「それで、例のあの詩の事になるんだけど」

 

「はい」

 

「原作は、その人なんだ」

 

「え!?」

 

 

 そう来るか?

 俺が囓ってたポテトフライがポロッと落っこちた。

 

 

「何で其れが俺のところに来るんですか?」

 

 

 慌てて落としたものを回収。今までのは流黎さんの思い出話だと思ってたけど、これは違うぞ。

 

 

「ぶっちゃけて言うと、彼女が君を指名したんだ」

 

「待ってください……そしたら、俺もその人と前世が被ってるんすか?」

 

「そう。今は信じられないかもしれないけど、いずれ君も思い出すよ。彼女のほうは君を覚えてたし……そうそう、これを君に見せようと思って持って来たんだ」

 

 

 言いながら流黎さんは鞄から一枚の写真を出した。

 

 

「これが、その人。レーゲンスブルクで撮った」

 

「……」

 

 

 赤煉瓦の屋根……後ろに大聖堂が見える。

 流黎さんと肩を組んでファインダーに収まってる女性が、その人。

 

 

「やっぱり何処かで覚えてるんだね」

 

「え……」

 

 

 流黎さんがおしぼりを渡してくれて、それで俺は自分が泣いてる事に気付いた。

 

 

「あ……え、何で……」

 

 

 自分が泣いてる理由が全く分からない。ただ……今自分が感じているモノは、ライブの日に控え室で流黎さんと初めて会った時の、あの感覚に限りなく近いと言う事だけは分かった。

 

 

「懐かしいんだ?」

 

 

 ぽつりと彼の言葉が聞こえ、そうだこれは懐かしさだと納得する。

 未だ涙は流れてる、でも心の奥の一角がふわりと暖かい。

 

 

「そうですね。それで……嬉しい、んだと思います」

 

「そっか、良かった」

 

 

 言うと、彼は残りのビールを一気に呷り、新しいジョッキと一品を二つ三つ注文する。その間は殆ど言葉を交わさなかったけど、それが特に居心地悪いと感じる事も無く。

 

 

「あ、来た。食べよう」

 

「はい。頂きます」

 

 

 追加した品がやって来る頃にはだいぶ落ち着いた。落ち着いて来たら、新たな質問が湧いてくる。先ずは曲の件だ。

 

 

「それで、あのテーマなんですけど」

 

「うん」

 

「あれも、その人が?」

 

「いや、俺の記憶に残っていた分」

 

「流黎さんが書いたって事ですか?」

 

「そうじゃないんだ、此れが」

 

 

 うーん、分からん。

 

 

「でも流黎さんだったら、そのまま作曲出来そうな感じなのに」

 

「とんでもない、俺にはそんなの無理。曲の題名を付けるだけで精一杯だよ」

 

「そうすか?」

 

「うん。だから彼女も俺じゃなくて君をわざわざ指名したのさ」

 

 

 俺達の中で作曲家と言えば君だから、とにっこり。何そのプレッシャー。

 

 

「その人は今、ナニされてるんですか?」

 

「プロのソリスト。ソプラノのね。名前はエクルって言うんだ」

 

「エクルさん……」

 

 

 写真を改めてじっくり見る。愛嬌のある笑顔と、貫禄……って言うかプロのオーラが絶妙に融合してる。こんな人から依頼してもらったなんて嘘みたいだ。

 いつもの俺なら尻込みしてたかも……でも不思議と、“今度こそ”きちんと仕上げようと言う思いが湧いてきた。

 

 

「分かりました。俺なんかので良ければ」

 

「謙遜しないで。君の作品じゃなきゃダメなんだから。よろしくね」

 

「ハイ」

 

 

 やる気充塡。残ってたホッケや唐揚げを平らげて、また次のメニューを注文した。

 流黎さんはまたアルコールを頼んでるけど、俺はとっくにウーロン茶だ。強いなあ……そう言えばこないだも、しこたま飲んでたよな。彼もマスターも、弥さんも……。

 

 

「あ」

 

 

 彼に尋ねたい事が、また一つ。

 

 

「ん?」

 

「流黎さんは、弥さんが『直接のきっかけ』だって言ってましたけど」

 

「うん」

 

「俺は弥さんに会っても、そんな『きっかけ』ぽいモノを感じなかったって言うか、ピンと来ないんですよ」

 

「なるほど。でもそれで正しいと思うよ」

 

 

 運ばれてきたジントニックをひょいと掲げて乾杯の仕草。ピンと来ないのが正しいって、どう言う事なんだろう。

 

 

「強いて言うなら、『因縁が薄いから』ってトコかな」

 

 

 アルコールを一口含んでから、彼はぽつぽつと説明してくれた。

 

 

「実は俺達、彼女とも前世で会ってはいるんだけど、その時の『知り合い度』みたいなのが君と俺で違っててさ。俺のほうがダイレクトに関わりがあった、って考えてもらえたら」

 

「じゃあ、俺は弥さんとの間にワンクッションあった、みたいな事すか?」

 

「そうそう。ただ、俺も初対面でピンと来たわけじゃないんだ。どっちかと言うと彼女のほうが先に前世を思い出してたっぽい。

 でもエクルの存在を知った頃から俺の記憶も戻り始めた。そこからは互いにどんどん記憶が蘇っていった感じだね」

 

「はぁ……」

 

「機会があれば、また彼女も交えて飲もうよ。他にも面白い話が聞ける筈だし」

 

「あ、ハイ」

 

 

 そう言えば弥さんも『またゆっくり話そうね』とか言ってたな……その日がちょっとだけ楽しみになっている自分に気付いた。

 

 

「あー、そう言えば……」

 

 

 話したかった事はあらかた出尽くしたんだろう。流黎さんの話はそこから普通の雑談に変わった。見た目は酔っ払ってないけど、既にそれなりに出来上がりつつあるらしい。

 今日の猫の話から、今までにあの公園で出会った人達の事。この街でマスターとバイトをしていた頃の話。とめどない話の中に彼の人柄が自然と浮かび上がってきて、それらが曲のイメージを膨らませていく。

 

 ……前世でも、こんな感じだったんだろうか。流黎さんも、俺も。

 

 

-----------

 

 

(うーん、違う……)

 

 

 イメージは確かに出来てる、なのに音が湧いて来ない。

 ひたすら鍵盤を叩いても枯れたような打突音しか聞こえない。

 

 そうじゃない。そうじゃないんだ。

 

 

(ああ、チクショウ!)

 

 

 思わず俺は両の拳を鍵盤に叩き付けた。

 その瞬間。

 

 だぁあん!!!

 

 

「わっ!!」

 

 

 一気にティンパニを乱打したような轟音に驚いて飛び起きた。

 ……夢か。という事は、この音は雨。いきなりの土砂降りだ。隣の倉庫のトタン屋根が格好の打楽器になってる。時計を見れば朝の5時を回ったところだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 何か変な汗出てる。ざっと拭って、冷蔵庫からジュースを一本。

 

 

(……あれ?)

 

 

 一気に飲み干したところで、夢の中の光景が蘇ってきた。

 

 アップライトピアノ。高さのある窓と、揺れる緋色のカーテン。擦り切れのあるリネンのシャツ。使い込まれた床板。

 

 

「……あ!」

 

 

 コレなのか?コレって、過去の……。

 

 

「わー、ヤバイヤバイ!」

 

 

 眩暈がする。座ってすらいられない。何とかベッドに潜り込むと、少しずつ収まっていく雨音に引っ張られるように俺の意識も落ちていった。

 

 

>>>5

 

 

20091101-20100510-20180927