「ちょっとぉ、空」

 

「あンだよ」

 

「こんな良い子、よくも隠してくれてたわねぇ」

 

「今日会えただろ」

 

「なあにぃ?弥さん」

 

「この子、管理栄養士のタマゴちゃんじゃない。しかもスポーツ栄養学に興味があるって」

 

「そうなんか?そりゃ初耳だ」

 

「嘘。知ってたでしょ」

 

「スポーツ栄養学は知らなかったぜぇ」

 

「えー凄いじゃなぁい、茜ちゃんて!」

 

「そんなんじゃ無いです!興味があるってだけで……専攻は違いますし……」

 

 

 柳さんに思いきり褒められた堀越が、また大慌てでそんな事を言った……ひょっとして。

 

 

「あの、弥さん」

 

「なぁに?青磁クン」

 

「堀越に何か頼みました?」

 

「お、流石バイト仲間ね!」

 

 

 弥さんはニッカリ笑ってVサインまで出してくる。

 

 

「私が所属してる所の専属管理栄養士が手伝いを探しててね。その人、今直ぐどうのこうのという訳じゃないけど、数年後には手を引く予定だって明言してるの。だから出来るだけ早く後継を見つけたいんだ」

 

「じゃあ、育成期間は有るんですねぇ?」

 

「うん。柳ちゃんも私の中じゃ候補に挙がってたんだけど、やっぱり拘束時間が長くなるし、自営してるから難しいなと思ってたんだ」

 

「わぁ、光栄ですぅ。考えてもらえただけでもすっごい幸せぇ!!」

 

 

 きゃいきゃい喜ぶ柳さんの手元でスープの鍋がぶわっと噴いた。慌ててそっちに集中する。

 

 

「その点、茜ちゃんはまだ時間の融通も利くんじゃないかなって。関心があるんなら自力で勉強したら良いんだから」

 

「でも」

 

 

 必死で断ろうとしてる堀越に、弥さんは尚も畳み掛けた。

 

 

「勿論、大学はしっかり卒業してね。栄養学の基礎が全て学べるんだから貴重だよ?其処に自分でスポーツ栄養学を肉付けしていったら良いの。今の専属さんはその道ではちょっと知れた人。為になるよ」

 

「でも……私なんかがそれを引き継ぐなんて」

 

「何でもかんでも茜ちゃん一人でしようとしなくて良いよ。メンバーと話し合いながら進めてくものなんだから。貴女みたいに話しやすい良い子だったら、皆張り切ってフォローしてくれる事間違い無しだよ」

 

「そんな……」

 

「ウチのメンバー、人数は10数人と少ないけど半数以上が男の子。皆良いコ達よ。茜ちゃんとあんまり歳も違わないし、イケメン揃い」

 

「……え?」

 

 

 わ、其処で反応するのか。

 

 

「そうだね、君みたいな子にサポートしてもらえたら皆も喜ぶと思うよ」

 

 

 社長がスコアのコピーを片手に弥さんの隣に座った。ね?と笑いかけられて、困った堀越の視線がうろうろと宙を彷徨い……とうとう俺が視界に入ったようだ。

 

 

「鳥栖珈君は、どう思う?」

 

「どう、って」

 

「私なんかがやってみて良いと思う?」

 

 

 ああ、やりたい気持ちはあるんだと分かる。俺からのリアクションを待つ彼女の後ろから、弥さんがこっそり『プッシュしてね』とジェスチャーで圧力をかけてきた。

 

 

「……興味持ってる分野なら、とにかく一度やってみたら良いと思うけどな。時間的にもまだ余裕があるんだから、例えば暫くは試用期間みたいにしてもらう、とか」

 

「あ、それナイスアイデア!」

 

「うん、取り敢えず実際の様子を見て貰うのが良いよな」

 

 

 すかさず、弥さんと社長が後押ししてきた。すげーな、一つも打ち合わせなんてしてない筈なのに息ぴったりだ。

 

 

「じゃあ……試用期間って言うか、体験入部みたいな形でも良ければ」

 

「良い良い!それでも大歓迎よ。正式に入るかどうかは改めてって事で、ね!」

 

「はい。そうしたら……あの、宜しくお願いします」

 

「こちらこそ!あ、連絡先教えてくれる?また日程とかの打ち合わせもしたいし」

 

 

 弥さんは、早速堀越と次の約束を取り付けにかかった。其処へマスターが試作品の一品目を運んでくる。

 

 

「手伝います」

 

「おう。じゃあスープ頼むわ」

 

 

 マスターについてキッチンまで戻る。

 

 

「グッジョブだぜ、青磁」

 

「いや、俺は単に堀越にも良い勉強の機会なんじゃないかと思って」

 

「やっぱ真面目だなあ。ま、暫く栄養学で頭いっぱいにするのは良いこった。これで茜ちゃんも失恋だの何だの言ってるヒマも無くなるだろうからよ」

 

 

 ふっふっふ、とオッサン臭い笑いを浮かべるマスターは上機嫌。そっと堀越の様子を伺えば、目を輝かせて弥さんの話を聞いている。さっき迄泣いてたのが嘘のようだ。

 

 

「はい、これお願いね」

 

 

 柳さんがカップによそったスープをトレーに載せてこっちに寄越して来た。店じゃ見た事のない色をしてる。

 

 

「……これは?」

 

「ふふー、食べてみてからのお楽しみよぉ」

 

「そいつ持ってったらもう座ってていいからな、俺達もすぐそっちに行く」

 

 

 すっかり今後の話で盛り上がってる三人の所へスープを持って行く。社長がすかさず配膳を手伝ってくれた。

 

 

「あ、チャウダーね!」

 

「チャウダー?クラムチャウダーとは違うんすか?」

 

「鳥栖珈君、クラムは『二枚貝』の事!チャウダーはスープの一種」

 

 

 弥さんに尋ねたつもりなのに、堀越がここぞとばかりにツッコミを入れて来る。すっかり元気じゃないか。

 

 

「そうそう。今日はそこにトマトも入れてみたのよぉ。手抜きして水煮のアサリ使っちゃったけど。ごめんなさいねぇ」

 

「じゃあ正しくクラムチャウダーだね」

 

「後は味だけさ」

 

「空のアレンジよりは余程イケる筈よ」

 

「食う前から言うなよ、二人が引くだろ?」

 

「まあまあ、とにかく頂こうじゃないか。な?」

 

 

 マスターと柳さんと弥さんの話を社長が纏めて、いよいよ試食会だ。

 

 

「いただきます」

 

「はい、どうぞぉ」

 

「何でも良いから言ってくれよ?黙って食べるのはナシだぜぇ」

 

「このサラダは?」

 

「私が作りましたぁ」

 

「……これって、タンドリーチキンです……よね?」

 

「そうだぜ!俺の自信作だ」

 

「でも何か違うよな?なあ、青磁?」

 

「いや……俺、こんなン食べるの初めてで比べようが無くて」

 

 

 そんな調子で大人数の夕食は賑やかに進んでいった。途中からは、これらをどうやって店で提供するかの戦略会議。

 結局は、量や盛りつけを工夫して日替わりランチの1メニューで様子を見るのが良いだろうという事で落ち着いた。

 

 

「じゃあ来月には一度試してみるか」

 

「やっぱり聞ける意見が多いと助かるわぁ。ありがとね、茜ちゃん、青磁クン」

 

「あ、いえ」

 

「こちらこそ、ごちそうさまでした」

 

「そしたら食器、下げるわねぇ」

 

「あ、手伝います」

 

 

 早速片付けを始めた柳さんを見て堀越が急いで腰を上げた。

 

 

「あ、俺も」

 

「あら良いわよぉ、男性陣は打ち合わせしてねぇ」

 

「柳ちゃん、私洗い物するから」

 

「あーすいませぇん弥さん、お願いしますぅ」

 

「じゃ、お言葉に甘えて打ち合わせしますか」

 

 

 打ち合わせと言ったって、10分とかからない。洗い物の音と女性陣のお喋りを背中に聞きながら、男三人はソファで膝をつき合わせてざっくり譜読みをする。

 手書きのスコアと睨めっこして、ところどころ音やリズムの確認をしていけば終了。3パターンの違いも粗方理解してもらったところで、演奏の準備に取りかかった。

 

 

「んじゃ亮司、青磁と一緒にソファを隅に移動させてくれっか?俺楽器出してくるわ」

 

「OK」

 

「いよいよねぇ」

 

「もう少ししたら始められると思うよ。そっちは?」

 

「こっちももう片付くわよ。やっぱ三人でやると早いわ」

 

「じゃあ終わったら客席に移動してくれよ」

 

「はぁい、了解ですぅ」

 

 

 あれよあれよと言う間に場が整えられ、リビングがスタジオに変わっていく。俺は社長に言われるまま動くだけで精一杯だけど、マスターは勿論、社長も慣れた様子でセッティングをしていく。

 

 

「んじゃ青磁、コレ使ってくれな。チャチくて悪ぃけどよ」

 

「……俺んチのより余程良いっす」

 

「空、この弦あれから張り替えたか?」

 

「ああ、流石にあの後切れちまってさ」

 

「ん」

 

 

 マスターが俺の所にやってきて音源を設定してから言った。

 

 

「そしたら音くれ、青磁。Aな」

 

「あ、はい」

 

 

 ギターの調律をしてる間に堀越達が片付けを終えてソファに座った。柳さんがマイクを持って座ったから、隣に腰掛けた堀越が『歌うんですか?!』とびっくりしてる。其処で歌うのかぁ、ホントにカラオケ状態だな。

 

 

「じゃあ始めるとしましょうか」

 

「待ってました!」

 

「素敵ぃ!頑張ってぇ」

 

「おい、柳もちゃんと歌ってくれよ?」

 

「もーちろん!任せといてぇ」

 

 

 取り敢えずは一通りって事で、最初から最後までざっと流す。次にエンディングの3パターンを順番に聴いてもらい、論議(?)が白熱。

 無難な形のBは見事に無視された。笑える。

 

 

「成程な、そうしたら……」

 

 

言いながら、マスターがアレンジした音を鳴らしてみる。

 

 

「こう?」

 

「あ、そんな感じ」

 

「うん、それ良いじゃないか」

 

「良い折衷案だ」

 

「よっしゃ、そしたらこれで彼奴等に見せてみる事にするか。仕上げヨロシクな、青磁」

 

 

 どうやら方向は決まったみたいだ。俺はホッと胸を撫で下ろした……と。

 

 

「あ、電話だ」

 

 

 マスターんちの電話が鳴った。

 

 

「珍しいわね、この時間に」

 

「出てくれるか?柳」

 

「うん、良いわよぉ」

 

 

 電話の応対を任せて話し合いを再開しようとした、其の時。

 

 

「えぇ〜!流黎君?本当にぃ?!」

 

 

 そんな声が部屋中に響き渡り、俺と堀越を除く三人はその声で一斉に振り向いた。それで、電話をかけてきた人物が彼等の知り合いだと分かる。

 

 

「え、鴇?」

 

「本当か?」

 

「マジかよ!」

 

 

 堀越が『誰?』と問いたげに俺を見たが、俺だってそんなの知る訳が無い。

 ……いや待てよ。

 

 

(……何時戻って来んだろなあ、鴇)

 

 

 つい先日の、マスターと社長の会話で出て来た名前を思い出した。

 弥さんは、今確かに『トキ』と言った。そんなにメジャーな名前じゃない……なら、その人物の可能性は高いんじゃないか?

 

 いの一番に電話口へとすっ飛んで行ったのはマスター。社長もすぐに続く。弥さんが『ごめん、ちょっと待ってて』と申し訳無さそうに言ってから、これまた電話めがけてダッシュをかけた。

 

 

「なんか……すごいね」

 

「うん」

 

「誰なんだろう」

 

「うーん……」

 

 

 結局俺は、四人が受話器の奪い合いをしてる様子をリビングから堀越と一緒に眺めるハメになった。社長が先ず受話器を手にして話し出す。聞いていたら、どうやら電話の向こうの人物はロンドンに居るらしいという事が分かった。

 それから二言三言話して、弥さんに交代。誰に会っただの、懐かしいねえだの喋っていた。向こうに共通の知り合いでもいるんだろう。

 

 

「よぉ、鴇」

 

 

 待たされまくったマスターが最後にやっと電話口に出た。最近の、店やバンドの様子なんかを話してる。

 

 

「……で、今日は丁度新しい曲の仕上げをしてんだよ……そうそう、だから皆揃ってんだ。今まさにって感じで盛り上がってたんだぜ?!おまけに今日はウチのバイトの奴等も来てくれててさ」

 

 

 言いながら、マスターがちらっとこっちを見た。ヤな予感がする。ほら、あの何かを思いついたっぽいあの笑いが。

 

 

「……そう。ソイツそいつ。今回も面白ぇ曲書いてきてくれたぜぇ。話すか?」

 

 

 マスターの笑顔が一層深くなった。俺に向かってこっち来いと手招きする。

 

 

「ほら、行った行った」

 

 

 ソファに戻って来てた弥さんにドンと背中を押され、俺は嫌でも前へ踏み出す。マスターが更に激しくぶんぶん左手を振って早く来いと急かして来た。

 

 

「はい」

 

「おう、ちょっと話してやってくれよ。俺達の仲間。鴇って言うんだ」

 

「はあ……でも何を」

 

「最初は向こうに任せりゃ良いからよ。お前の事は知ってるから大丈夫だって」

 

「え」

 

 

 俺の事、どんだけ話してるんだろう。って言うか、また有る事無い事ないまぜになって伝わってそうで怖いんですけど。

 

 

「もしもし……あの、初めまして」

 

 

 何て切り出したら良いか分からないから、とりあえず挨拶。

 

 

『こちらこそ、初めまして。鳥栖珈くん?』

 

 

 海を渡って届いた声は、思ってたより高め。綺麗なテノールだ。

 

 

「あ、はい」

 

『どうも。流黎 鴇です。君の事は何時も空から聞いてるよ』

 

「はあ、どうも」

 

 

 何を、とは聞けずに適当に言葉を返す。

 

 

『大変だろ?空んとこで働いてたら』

 

「いえ、別にバイトは全然どって事無いです」

 

 

 ついついそう言ってしまったら、一拍置いて笑い声が返って来た。

 

 

『はははっ!うん、まあ「本業」は問題無いんだろうけど』

 

 

 ああ、この様子じゃ全部バレてる。

 

 

『作曲編曲さ。苦労してない?全部君がやってるって聞いたから』

 

「……まあ、ぼちぼちで」

 

 

 マスターが隣で『何喋ってんだよ』と問いた気に覗き込んで来るし、皆電話の周りに集まってるから何とも言いようが無い……勘弁して下さいよ。

 

 

『でもアイツ、何時も君の事すっごい褒めてるんだ。それだけは直接言いたくってね。今度会ったら、俺にも是非聴かせて欲しいんだ。宜しく』

 

「はあ。じゃあ、また機会があれば」

 

 

 無難に返したつもりだった。だって社交辞令だと思ったから。もう何年も各国を回ってるってマスター達が言ってたから、直接会うなんて絵空事だと思ったんだ……なのに。

 

 

『そう?じゃあ来月。未だ日程は決まって無いんだけどそっちに戻るから』

 

「えええ!流黎さん、帰国するんですか?!」

 

 

 そんなのフェイントだ!

 

 

「え、鴇戻ってくんのかよ?!」

 

「わ、ホント?」

 

「何時だよ、おい!!」

 

「きゃあーちょっと!お土産!ビール!!!覚えてるぅ?」

 

 

 一瞬硬直した隙に受話器は再び争奪戦の対象となり、俺はあっさりぽいと蚊帳の外に放り出された。堀越が待ってるソファに戻ろうとしたら、リビングのカーペットの毛足がいきなりめちゃめちゃ長くなった気がして驚いた……後から思えば、あの時の俺って大概ぼうっとなってたんだなあって分かるんだけど。

 

 

「どうしたの?鳥栖珈君」

 

「いや、何でも無い……と思う」

 

「思うって、何よ」

 

「うん、何だろう……」

 

 

 彼女には曖昧に返事をしたけど……実はさっき名字を聞いて『トキ』という人の正体が分かってきたんだ。


 そう言えば、彼はライターだって言ってた。恐らくフリーの。

 フリーライター……流黎 鴇。

 

 断片的だった記憶と情報が漸く一つの形を成した。間違ってなければ、彼はよく芸術関係の記事を書いてる。

 

 当然、音楽も。

 当然、相当耳は肥えてる。

 

 ……何て事だ。そんな人に聞かせるモノなんて無いのに。

 

 

---------------

 

 

「はよーございまーっす」

 

「おぅ、おはようさん」

 

「スコア、出来ました」

 

「そっか、ありがとよ!」

 

 

 水曜日。やっと例の曲を完成させて早めにバイトに行けばマスターは喜色満面。曲を渡して店内を見渡せば、柳さんがせっせとモーニングの片付けをしていた。

 

 

「堀越は?」

 

 

 この時間は未だ居る筈なのに。

 

 

「陸上部」

 

「あ、この前言ってた」

 

「そーそー。今日が初日で顔合わせ」

 

「あー青磁クン。おはよぉ」

 

 

 仕事が一段落した柳さんがやって来た。

 

 

「おはようございます」

 

「其れ、こないだの曲の?出来たんだぁ」

 

「ハイ」

 

「ご苦労様。じゃあ今日は私の新作ケーキおごるわねぇ」

 

 

 やった、今回もあったぞ!これを励みにして頑張ったんだ。報われるなあ。

 

 

「はい!ありがとうございます!」

 

 

 手洗いをしていつものエプロンを付けて、バイト準備完了。洗い物を引き受けて、新作ケーキを楽しみに待つ。

 

 

「良い感じじゃねぇか。ありがとよ!」

 

「どうも」

 

 

 これも、曲が出来た時に必ずマスターが言うセリフ。いつも『良い感じ』としか言ってくれないから、何が良い感じなのか、そもそも本当にこれでマスターは気に入ってくれてるんだろうかとつい思う……まあ、気にしてても仕方無いんだけど。

 

 でも今回はそれで終わらなかった。

 

 

「でさ」

 

「はい?」

 

「これ、来月の合同ライブでラストに演ろうと思うんだ」

 

「はあ」

 

「まあ、他のも入れても3曲程度なんだけど」

 

「はい」

 

「青磁、助っ人で出てくれよな」

 

「は?」

 

 

 何でそういう展開になるんだ。

 

 

「あ、ひょっとして裏方の手伝いですか?」

 

「違うちがう。何言ってんだ、演奏に決まってんだろ」

 

「メンバー揃ってるじゃないすか」

 

「それがどうしてもその日は空けられねぇとさ。社会人バンドの悲しいところだねえ」

 

 

 自分で言った言葉にウンウンと大袈裟に頷きながらマスターは話を続ける。

 

 

「ソイツ、キーボード担当なんだよ。当日が駄目だって分かったのが昨日でさ。今から代わりを探すったって大変だし、誰でも良いって訳でもねぇからな、こーいうのは」

 

 

-------------

 

 

「はい、完成!」

 

「お、出来たか?」

 

「バッチリでしょ」

 

「おー良いじゃねぇか。男前上がってんぞ、青磁」

 

 

 ライブ当日。

 朝から最終の合わせに駆り出され、昼飯をご馳走になってから服を着替える。マスターを始めとする他のメンバーの人達は慣れたモンだけど、俺はこういうのは初めてだからって事で、柳さんが全面的に手伝ってくれた……のは良いんだけど。

 

 

「何で俺だけこんなメイクなんすか」

 

「ばーろ、お前自分じゃやれねぇから先に作っただけだ。俺達も今からやンだから安心しろ」

 

「そうそう!大丈夫だって、ステージに上がりゃあこれでも地味なくらいだからな」

 

 

 ドラムさんがそう言ってがははと笑う。確かに俺、本番前後のマスターとかって間近で見た事無かったけど(ライブは見てもすぐ帰ってたから)、マスターも毎回こんなにがっちりメイクしてんのかなあ。

 

 

「あとは髪の毛を直しますぅ。スプレーかけるからちょっと目瞑っててね」

 

「え、うわ」

 

 

 言うなりハードスプレーをぶわっとかけられた。

 直ぐにに2・3回手櫛で毛先を散らされる感覚。そして目を開けた時には、鏡の中に如何にもバンドやってます的な人間が映ってた。全くもって自分とは思えない。

 

 

「専門学校だったらそんな格好するコト滅多に無ぇだろ。良い記念になるさ」

 

「はぁ」

 

 

 もう何も返す気にもなれず、其のままスコアに目を落とす。弾く事自体は大丈夫と思うけど、やっぱりキーボードそのものの扱いに不安が残った。しかも2曲目には32小節、ソロがある。本番用のキーボードで合わせたのは僅かに2回。どうなる事やら。

 

 先に準備が出来てしまって手持ち無沙汰になった。落ち着かない。

 

 

「今から練習とかすンなよ」

 

 

 俺の心を読んだように、マスターが自分の髪を弄りながら声を掛けてきた。

 

 

「いやでも」

 

「どうせ俺等だってアドリブ入れまくりになるし、コード進行だけおっきくズレなきゃどうにでもなる」

 

「……はあ」

 

「そうそう、別にコンテストとかじゃ無いんだからな。楽しまなきゃ損だ」

 

 

 ベースさんまでそう言って、俺の手からスコアを取り上げた。

 

 

「あ」

 

「今更睨めっこしても何が変わるモンでも無し。ちょっとそこいらでも散歩して気分転換してきたらどうだ?」

 

「あー、はい」

 

 

 有無を言わさず背中を押されてドアの前。当然こっちとしちゃ散歩なんて気分じゃないんだけど、これは出ざるを得ない。

 

 

「行ってらっしゃぁ〜い!30分後に戻ってきてくれたら良いわよぉ」

 

 

 柳さんの手がドアノブに手が伸びた……と、全く同時に外からノックの音。『はいよ』とマスターが声を掛けると、直ぐさまドアが外に開いた。

 

 

「きゃあ〜!!」

 

 

 柳さんの一層甲高い声がして、次にマスターが『おー!』とこれまた歓迎の声をあげた。俺の位置からは件の人物はドアの陰になってまだ見えない。

 が、マスターの次の一言で本人を見る前に分かってしまった。

 

 

「久しぶりじゃねぇか、鴇!」

 

 

 今来ますか?よりによって今。

 

 

「わざわざコッチに回って来てくれたのぉ?」

 

「まあね。時間もあったし。ホントに久しぶり、柳」

 

「ちょっとぉ嬉しいじゃなぁい!兎に角入って入って!」

 

「じゃあ、お邪魔します」

 

 

 柳さんに挨拶を返しながら部屋に入って来るその声は、確かに先日電話で話したあのテノール。挨拶はしておかなきゃと、やっと視界に入って来た声の主を見た瞬間。

 

 

「あ」

 

 

 俺は固まってしまった。何でって言うと、間違い無く見覚えのある人だったから。

 

 ……いや、初対面なんだけど。

 

 

「どした?青磁」

 

「あ、いえ」

 

 

 マスターの声で我に返る。同時に流黎さんの視線が俺を捕らえた。

 

 

「鳥栖珈 青磁、君?」

 

「あ、はい」

 

 

 辛うじて返答すると彼の目がきゅっと細くなり、何かを呟いた。それは声にはならなかったけど、唇の動きは『やっぱり』と言ったように見えた。

 

 

「どうも、流黎 鴇です。初めまして」

 

「初めまして」

 

 

 差し出された手を握り返すと、彼はふわっと笑った。その仕草が、何かを懐かしむように感じられるのは気のせいだろうか。

 

 

「何時空港に着いたんだ?」

 

「今朝。予定よりだいぶ早かったから助かった」

 

「お、じゃあひょっとして」

 

「ああ。午前中に一仕事片付けれたから今晩はフリー」

 

「わぁ!じゃあ飲みに行けるわよねぇ?!」

 

「うん。願ったりだよ」

 

「よっしゃ。柳、そしたら亮司とこにも連絡入れといてくれ」

 

「はぁい、了解」

 

「青磁君は?」

 

 

 握手の状態そのままに、流黎さんが俺に話を振ってきた。

 

 

「あー」

 

「勿論行くよな?打ち上げも兼ねてんだからよ」

 

「茜ちゃんも誘っておくわねぇ」

 

 

 何で堀越。

 

 

「参加だね?良かった。じゃあまた後でゆっくり話そう」

 

 

 降参だ。この場合に他の選択肢は無い。『宜しくお願いします』とお辞儀しながら流黎さんに言えば、ずっと握手してた手を漸く離してくれた。

 

 

------------

 

 

「お疲れっした」

 

「おう、お疲れ」

 

「青磁君のキーボード良かったぜ。またヘルプに来てくれよ」

 

「え、あ」

 

「任せとけ、コイツが要る時は俺がきちんと連れてくる」

 

「マスター、またそんな」

 

「良いじゃねぇか、何でも経験だ……じゃな青磁君。またよろしく頼むぜ」

 

 

 明日が早いからと、ドラムさんはライブが終わってじきに会場を後にした。

 

 

「お前は?打ち上げ、来るんだろ?」

 

「ああ。亮司も来るし、久々に話したいしなあ」

 

 

 ベースさんは社長とも仲が良いらしい。そう言えば練習の時、凄い本格的なクロスバイクに乗って来てた。そんな関係の仲間なのかもしれない。

 

 

「お待たせぇ!お店の予約取れたわよぉ」

 

「お、サンキュ」

 

「8人で良かったわよね?」

 

「そうだな、ちょっと待って……にぃ、さん、し……結局茜ちゃん来るのか?」

 

「えぇ。少し遅れるけど来るって」

 

「ならOKだな。そしたら移動するか」

 

「流黎君呼んでくるわねぇ」

 

「直接駐車場に行ってくれよ。機材積み込みしてっから」

 

「りょぉかーい」

 

 

 それぞれの楽器と機材を持って移動開始。台車を二台借りれたから効率が良い。

 駐車場に着くと、ほぼ同時に流黎さんと柳さんもやって来た。

 

 

「みんな、お疲れさま」

 

「おぅ、鴇もありがとな」

 

「礼を言うのはこっちだよ。久々で無条件に楽しめた。やっぱり音楽はどんなものでも楽しくないとね。それが伝わるような記事を書きたいな」

 

「え、流黎さんはこんなライブの記事も書くんですか?」

 

 

 ベースさんが意外そうに尋ねる。確かに、彼のコラムやエッセイを読んだ事のある人ならそう思うだろうな。現に俺も今そう思った。

 

 

「たまに、ですけどね。でも自分としては結構好きなジャンルなんです」

 

「へえ。本当にオールマイティですね、流黎さんは」

 

「そんな事無いですよ。良いものは良い、それだけです。ジャンルは関係ありません……今日のステージはパワーが躍動してた。会場全体が一番楽しんでましたよね。文字通り、ベースがしっかりしているからこそ出来る事です。良いステージを有り難うございました」

 

 

 言いながら笑顔でベースさんに握手を求める。人間、褒められれば嬉しくない訳が無い。少し照れながら、ベースさんは握手に応じていた。

 

 その様子を隣で見てた俺には、だけど違和感が残った。

 悪意は全然無かったけど。
 彼は……流黎さんはたぶん、何かを少しだけ誤摩化した。

 

 

「何?青磁君」

 

 

 一連の遣り取りをじぃっと見てた俺に気付いた彼がこっちを向く。

 

 

「いえ、何でも……すいません」

 

「え?謝るような事してないじゃないか」

 

「いやでも俺、今すっごい失礼だったと思って」

 

「見てた事?そんなの関係無いさ」

 

「でも」

 

「君は『いつも』そうやって俺の事を気にしてくれてたから」

 

 

 ぞ、と背中を何かが走り抜けた。でも恐怖とか不気味とかそんな感じじゃなくて。

 

 

「……前に、お会いしてるんですか?俺」

 

「そう」

 

「……申し訳無いんですが、いつお会いしたかってのが思い出せなくて」

 

「そんなモンだよ。まあそれはまた追々で」

 

「おいおい?」



 丁度そこで聞こえてきたマスターの出発の合図で、流黎さんとの話は一旦終了。急いで車に乗り込んだ……あ、結局積み込み作業手伝ってない。

 

 

「何やら話、盛り上がってんじゃねぇか」

 

「まあね。空が言ってた通りだな」

 

「だろ」

 

「ああ。面白いよ、彼」

 

 

 そうだろそうだろ良かった良かったとか言い合いながら、マスターと流黎さんは運転席のヘッドレスト越しに小さくぱちんとハイタッチ。

 

 

「んじゃ、語り明かそうぜ。時間はたっくさんあるしな」

 

 

>>>3

 

 

20091101-20100504-20180923