1月某日

 

 

「またかー……」

 

 

 長い長い夢を見て、ふいと目を覚ませば朝の8時。最近、週に2・3回のペースでこんな事が続いている。内容はいつも同じだ。

 

 如何にもヨーロッパらしい風景。整然とした石畳の道。

 霧雨が降り続いて濡れた表面がガス灯を柔らかく反射する幻想的な風景。

 そして淡いクリーム色の傘をさして歩いて行く女性の後ろ姿。決して振り向いてはくれないけど、あの写真集に写っていた『彼女』に間違い無い。

 

 けど……待てよ。今朝はもう一人出て来た。

 夢の余韻を強引に引き戻して姿を確認する。それはステッキを持った紳士。彼は……

 

 

「枯野かあー」

 

 

 思わず声に出していた。姿も性別も全く違うけど、感じる空気が完全に一致。

 て事は、祖父さんは『彼』に何か助けてもらったとか言う事なんだろうか。

 

 

(肝心の祖父さんが出て来ないと分からないよなー)

 

 

 まだ分からない事だらけだ。けど、この時までに俺は確信していた。見覚えの無い石畳の道や街並みに親しみを感じたり、半ドンなんて言葉がするりと出てきたりするのは、祖父さんの欠片みたいなモノが俺の中にあるんだ。

 俺がホントに祖父さんの生まれ変わりかどうかは分からない。けれど繋がりはかなり濃いに違い無い。ここに来てこんな夢を繰り返し見るっていうのも、何か意味があるんだろう。

 

 前世の枯野と祖父さんと俺。そして『会うべき』あの女性。

 会ったら何か分かるんだろうか。

 何が分かるんだろう……。

 

 ぼーっと布団の中で考えてたら、あっという間に1時間経過。まあ今日はオフだし、いっそ思いっきりだらだらしてやろう。外は雨だし。食糧あるし。

 

 

「……あ、昼」

 

 

 やっと部屋の暖房を入れて、俺はスウェットに半纏を羽織りモソモソと起床。とりあえずコーヒーとメシを。あ、先に残りモン食わないと。

 

 昨夜の総菜の残りと、温め直したご飯にお湯をぶっかけたものを腹に収めて、コーヒーを3杯分淹れる。さあ食後の一服……と思った時に『ぴんぽーん』とチャイムの音。

 

 このタイミングで現れる人間は。

 

 

「おー鴇、ちゃんと起きてたかぁ?」

 

「やっぱり」

 

 

 空だ。しかも上機嫌。

 

 

「イイニオイしてんな」

 

「丁度出来たとこ」

 

「やりィ!カフェオレでよろしくな」

 

「タイミングが絶妙過ぎる」

 

「日頃の行いの賜物ってぇ事だろ。お茶請けは持って来てやったぜ」

 

 

 左手の紙袋をがさがさとこれ見よがしに振りながら、空は勝手知ったるとばかりに狭いリビングに上がって来た。よく見れば、紙袋には彼の郷里の住所。

 

 

「帰省してきたのか?」

 

「そう。半分はな」

 

「あと半分は」

 

「式の打ち合わせ」

 

「早っ」

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

2月某日

 

 

「「「かんぱーい!!!」」」

 

 

 本人の予告通り、先週の大会では空五倍子が見事に優勝。年明け早々から予約しておいた居酒屋で、俺達は勢揃いで彼の祝勝会を開いた。

 

 

「いやぁ凄ぇな、言った通り優勝しちまうんだからさ」

 

「有言実行だよねぇ、カッコイイなぁ」

 

「んな事無いよ、もう必死」

 

「最後なんて気力と緊張感だけで乗り切ったようなものよね?結局」

 

「大会翌日はまだ大丈夫だったけど、その次の日は流石に寝込んだ」

 

「燃え尽きたなあ」

 

「真っ白よねぇ」

 

「あはは」

 

 

 さんざん笑って、おめでとうを言って、運ばれて来た料理もあらかた平らげて。

 

 

「それで、皆に報告なんだけど」

 

 

 皆『待ってました』とばかりに居住まいを正す。すぅ、と大きく息を吸い込んだ空五倍子が高らかに宣言した。

 

 

「皆のおかげで、大きな区切りをつけられた。それで俺達、夏に結婚する」

 

「おめでとう!」「おー!」「きゃぁ~!」

 

 

 三者三様に叫んで、一斉に万歳三唱。他の客の視線が一気に集中したけど、めでたいんだから良いじゃないか。いやー良かったよかっためでたいなあと暫くそのまま盛り上がり、一段落したところで今度は空が口を開く。

 

 

「そんじゃぁ俺も発表しなきゃな。俺と柳も、結婚することになりました!」

 

「えー安賀多くん、いきなり言っちゃうのぉ?!」

 

「これまた早い展開じゃないか」

 

「柳ちゃん大丈夫?よく考えた?」

 

「えー勿論ですよぉ、安賀多くんのご両親とも気が合いそうだって思えたしぃ」

 

「既に女性陣の共同戦線が張られちまって、俺のほうが押されまくり」

 

「お-惚気てるねぇ!」

 

「それなら大丈夫だね。おめでとう、空!」

 

「おめでとう!!」

 

 

 メンバーを変えてこれまた万歳三唱。事情を知った店長がビールをサービスしてくれて、俺達は再び乾杯した。

 

 

「かんぱーい!!」「おめでとー!!」

 

「良かったなあ!……って、アレ?」

 

 

 俺のお祝いの言葉だけが虚空を彷徨った。何だどうしたと思ったら、空五倍子の低音。

 

 

「で、鴇はいつまでいるんだ?」

 

「……まさかと思うんですけど、もしかしていきなり日程の」

 

「打合せ。やんなきゃウソだろ」

 

 

 空もすかさず乗ってくる。

 

 

「じゃあ確認。亮司ンとこ、もう式の日取りって決めたんか?」

 

「流石にそれは未だ。大会終わってやっと落ち着いて考えれるってとこだし」

 

「なら好都合だな」

 

「何がぁ?安賀多くん」

 

 

 首を傾げる柳に、空が手招きして耳打ち。途端に彼女がパッと笑顔になった。

 

 

「それ良いわねぇ!一緒にやろぉ!」

 

「なるほどねー。空のトコは、人前式?」

 

 

 枯野も前のめり。

 

 

「おぅ、最初からそのつもり。堅苦しく無いほうが親父もラクだろうし」

 

「良かった、コッチも一緒よ。それなら予定も立てやすそう」

 

「じゃあもうサッサと挙げちまうか。弥が春の大会を終わらせたら」

 

「私達のほうは、ゴールデンウィークのあたりでって言って場所を仮押さえしてるんですぅ」

 

「あらドンピシャ。人数増やせる?」

 

 

 俺の目の前でどんどん話が進んで行く。すごい団結力。

 そんな幸せそうな4人が、俺を絶対参列させようと強力タッグを組んでいる。

 

 一番幸せなの、俺だよなー。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

3月某日

 

 

 楽団の陽気な演奏が聴こえる。何処か調子っぱずれの『結婚行進曲』。傍らでジョッキでビールを酌み交わす人達。談笑の合間にあちこちで歓声が涌き上がる。大皿にはカルトッフェルにヴルストにザウアークラウト。普通の家庭料理だって、俺達にとっちゃご馳走だ。

 そう。此処は間違い無く、ドイツの南部。

 

 出来立てアツアツのヴルストを一口頬張ろうとしたところで……目が覚めた。

 

 

「あー、もったいなぁ~……」

 

 

 思わず頭を抱えて唸った。アレはお祝い用の極上の一品だった筈なんだ。

 

 樹々の若葉が目に眩しいだろう4月の下旬の大安吉日に、空五倍子と枯野、そして空と柳の結婚式が決まった。そのせいか、こんな楽しい夢も近頃はちょいちょい見ている。

 

 

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「調子、どう?」

 

「ありがと。お陰で良い仕上り具合」

 

「流石、頼もしいな。これ、後で皆で分けて」

 

「わ、イチゴ!!こんなに良いの?ありがとう、皆も喜ぶわ」

 

 

 午前のトレーニングを終えた枯野に声を掛けた。今日は陣中見舞いってとこ。

 彼女の復帰第一戦まであと10日と少し。1時間後にやって来る空五倍子との待ち合わせついでに、俺はこの食堂にやって来た。

 昼飯を注文し、席に着いてから彼女が徐に話を促す。

 

 

「やっと持って来てくれたのね?」

 

 

 指差す先には俺の鞄。入ってるのは例の写真集。

 

 

「ハイ。遅くなりました」

 

「やったね!やっと見れるわ。これで本番まで頑張れちゃうな」

 

「いっそ試合後の楽しみにしといた方が頑張れるんじゃ?」

 

「んな訳無いじゃない。先に見せてもらった方が良いわよ。どんな人に会いに行くのか分かれば、追い込みでキツい時にも思い出してニヤニヤ出来るんだから」

 

「趣味悪いな」

 

「何とでも」

 

 

 言う間にも彼女は昼飯をどんどん平らげる。見る間にA定食を食べ尽くした。

 未だチャンポン麺を啜ってる俺に片手で『ほらほら』と催促してくる。

 

 

「付箋貼ってるページがそうだよ」

 

「うん。でもちょっと、最初から見せてね」

 

 

 ぱらぱらとページを捲りながら、枯野は『へぇ』とか『綺麗』とか呟いてた。半分くらい見たところで顔をあげて、楽しそうに言う。

 

 

「良い場所っぽいね」

 

「うん」

 

「石畳の道、すっごく綺麗だし。雨の日の路地裏の風景なんて素敵」

 

「あ、其れ。俺もすっごい気に入ってんだ」

 

「前にドイツ遠征した時もこんな感じの所はあったけど、こっちの方が繊細っていうか徹底されてるっていうか……兎に角、綺麗だねぇ」

 

 

 ドイツ。

 今朝の夢を思い出した。

 

 やっとチャンポン麺を食い終わった俺は、食器を下げ、コーヒーを二つ持って席に戻る。

 

 

「ありがと。オゴリ?」

 

「はい、オゴリです」

 

「サンキュー」

 

 

 ニッカリ笑ってコーヒーを一口。それからカップを横にどけて、付箋を貼ったページを広げるとトンと指差す。

 

 

「この女(ひと)なんだ?」

 

 

 その写真は、朝市で賑わう街角の風景。人混みの中、誰かに呼び止められたのか、それとも何かに気付いたのか……大きな籠を抱えながら丁度こちらを振り返る仕草でファインダーに収まってる一人の女性。

 

 それが、俺が会いに行く人。枯野は一発で当てた。

 

 

「分かるの?」

 

「勿論。面影みたいなのがあるもん」

 

「それって、前世の記憶ってヤツなのかな」

 

「そんなはっきりしたモンじゃないけどね。でも、私も会ってると思うな」

 

 

 極普通に、彼女はそう言い切った。だから俺も普通に続けた。

 

 

「そういえば、『以前の』枯野が彼女と一緒に夢に出て来た事、ある」

 

「あらー」

 

「それに、空とも柳とも空五倍子とも会ってたみたいなんだ」

 

「いつ分かったの?」

 

「分かったっていうか、今朝の夢で。ドイツで、ご丁寧に二組揃っての結婚パーティーの場面だったんだ。思い返せば今回と全く一緒のパターンだった気がする」

 

「それ笑える!前も同じような事やってるんだねー」

 

「そうらしいよ。相変わらずなんだな俺たちって」

 

 

 だんだん心の底から可笑しくなってきた俺達はゲラゲラ笑った。

 端で聞いてたら中々にぶっ飛んだ会話だよな。

 

 

「何爆笑してんだ」

 

 

 空五倍子がやって来た。スポーツドリンク片手に怪訝な顔をしている。

 

 

「あ、亮司。お疲れ」

 

「何だ?その本」

 

 

 開きっぱなしになってた写真集を指差して聞いて来る。枯野が笑い過ぎで目に滲んだ涙を拭きながら説明した。

 

 

「鴇のチェコ行きの理由」

 

「へー、これか。でもそんなに笑えるような本?」

 

「笑ってたのは別件。これは鴇お気に入りの写真家の作品集。すっごく綺麗よ」

 

「空五倍子、昼飯は?」

 

「もう食った。コレ見ても良いか?」

 

「もちろん」

 

 

 枯野の隣に座る空五倍子の右手は、もうページを繰っていた。俺はコーヒーを啜りながら、写真集を興味深げに眺める彼の様子を眺める。枯野が時折、横から『ほら、此処なんて素敵』とか言って一緒にページを覗き込んでいた。

 

 やがて例の写真のページ。

 

 

「それでほら、これが鴇が会いに行くって言う人」

 

 

 彼女が指差した女性をしげしげと見た後、空五倍子は俺に意外だと言いたげな視線を寄越した。

 

 

「鴇のタイプってこんな感じなんだなあ。素朴な美人って言うか」

 

「……えーと、そのニュアンス」

 

 

 何か全然違う。でも訂正も難しい。空と同じパターンだ。

 まあ、俺もちゃんと説明してないから、しょうがないか。

 

 

「うん、きっとそれがポイントよ。『素朴な美人』、良いじゃない」

 

 

 枯野がそんな事を言いながら、俺だけにこっそりとウインクを寄越した。

 ちぇ、楽しんでるな。

 

 

「ま、無事に会えると良いな」

 

 

 にんまりとしながら彼なりの応援をしてくれて、この話は一区切り。

 後は午後の予定についての話へと変わり、途中で枯野は『じゃあ後半行って来る』と、再びトレーニングに戻って行った。

 

 

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4月某日

 

 

 仲間達の歓声とクラッカーの音が入り交じり、宴も佳境。今日の主役達は着替えタイム。

 彼等の両親はさっき引き揚げて行き、会場はそろそろ仲間内での二次会に突入。

 

 

「おー、鴇!」

 

 手荒いお祝いの嵐を受けまくってきた空が、柳と一緒にやって来た。もみくちゃにされ、折角キメてた髪の毛はすっかりいつも通りに戻ってる。

 そんな彼と手を繋いでやってきた柳は、淡いピンク色のワンピースに薄手のレースのカーディガンを羽織ってる。はっきり言ってめちゃめちゃ可愛い。超お似合いだ。

 

 

「やぁ、空。お疲れさん」

 

「お前こそ。色々悪かったな、手伝わせて」

 

「流黎くんのスピーチ、親がすっごく感動してたの。ありがとぉね」

 

「いや、あれぐらいしか話せなくて、何か申し訳ない」

 

 

 しかもどもるし。焦るし。人前で話すのは未だ苦手なんだ。

 スピーチ中の記憶なんて半分くらい飛んでる。

 

 

「うぅん、全然そんな事無かった!あったか~いスピーチだった」

 

 

 でも、そう言ってもらえるなら有り難いな。

 

 

「鴇!」

 

 

 今度は左の方から空五倍子の声。薄いクリーム色のパンツスーツに着替えた枯野と腕を組んで登場。

 

 

「お疲れさん!色々すまなかったな、鴇」

 

「そんな事無いよ。俺もこんな形で関わらせて貰えて楽しかった」

 

「お陰でとっても良い式にしてもらえたわ。ホントに感謝」

 

 

 握手しながら、お互い労いの言葉を交わす。そこへ空が絡んで来た。

 

 

「ところで亮司達、ホントに新婚旅行行かねーの?」

 

「来月また大会あるからな。その後か、秋になってからのんびりと」

 

「柳ちゃん達は明日から?」

 

「そぉなんですー!お土産買って来ますねぇ!」

 

「ありがと。楽しみにしてるね」

 

「はい。弥さんも頑張って下さい!応援してますぅ」

 

 

 そんな話をしていたら、唐突に照明が切り替わった。

 

 

「あ、始まるねぇ」

 

 

 二次会は、このレストランのオーナーに進行を任せてある。オーナーは空の知り合いの知り合いで、レストランを開く前はイベント関係の仕事をしてたそうだ。

 イベントはイベントのプロに任せた方が確実だし楽しめるからな。

 

 

『レィディース アンド ジェントルメェ~ン!』

 

 

 陽気な司会の挨拶に続いて、小さなバンドの演奏が始まった。コミカルに、そして何処か調子っぱずれで演奏されるのは『結婚行進曲』。空五倍子と空は直ぐにステージに引っ張り上げられて余興のダシにされている。

 あちこちで涌き上がる歓声。出て来る料理は、それまでと打って変わって手軽につまめるようなオードブルやデザート。サモサにゴマ団子にシュウマイにブーシェ……和洋中、何でもありの無国籍状態だ。

 

 俺達の前にも大皿が一つ、どんと置かれた。そこには以前、夢に出て来たヴルストが。

 

 

「あ」

 

「どうしたの?鴇」

 

「あのヴルスト……この前、夢で喰いそびれたヤツ」

 

「あら、良かったじゃない!」

 

 

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5月某日

 

 

「よぅ、兄ちゃん」

 

「あ、こんちわ」

 

 

 ドタバタの4月も終わって、ちょっとゆっくりした時間が戻って来た頃。

 公園で久々に、掃除のおっちゃんが話しかけてきた。

 

 

「聞いたよ。あのハデな兄ちゃん、結婚したんだってなあ」

 

「はぁ」

 

「今頃は新婚旅行かい?」

 

「そう。明日戻って来る予定」

 

「そりゃ丁度良い。コレ、渡してやってくれ」

 

 

 手渡された紙袋の中には、期間限定の極上ビール。

 

 

「コレを渡せば良いの?」

 

「ああ。結婚祝いってとこだ」

 

「おっちゃん、ホントに彼と知り合いだったんだ?」

 

「兄ちゃんの友達って事でな」

 

 

 いつの間に仲良しに。

 

 

「それでこの前、夏にいよいよ娘に会えるって言ったら、あの兄ちゃん自分の事みたいに喜んでくれて祝い酒まで奢ってくれたんだよ!あれが嬉しくてねえ」

 

「いつの間に……て、ちょっとおっちゃん!」

 

 

 会えるのか?16年ぶりに。

 

 

「そーなんだ、もう成人したって事で、ヨメさんも無理には止めないでくれたらしくてなあこれが。自分で俺の居場所探してくれて『一度会いたい』って手紙寄越してくれたんだよ。

 5分でも会えりゃ良いんだ。元気にしてるって分かれば、それで……」

 

 

 おっちゃん、涙ぐむ。そりゃ空も祝いたくなるよな、アイツも親父さんの事が頭にあったに違いない。勿論、俺だって嬉しくない訳が無い。

 

 

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5月某日

 

 

 にゃぁという懐っこい鳴き声の後に

 

 

「こんにちは」

 

 

 と、おばさんの声。

 

 

「こんにちは」

 

「久しぶりねぇ、元気だったの?」

 

「はぁ。ちょっとバタバタしてたもんで」

 

「そう、しばらく姿を見ないから何処かに行っちゃったのかなあって思ってたのよ」

 

 

 一瞬、背中に冷や汗。でも、こうして気に掛けて貰えてたんだなあ。

 だけど、そうなるとやっぱり言えなくなって。

 

 

「……だいぶ落ち着いて来たんで、またここに来ますよ」

 

「あらそう、良かったわ」

 

「おばさんもたまもお元気そうで」

 

「気楽な隠居暮らしだからね。でもうっかりするとすぐ太っちゃって大変!せめて出歩いて運動しなきゃね」

 

「無理しないで下さいね」

 

「ありがと。じゃあまたね」

 

「はい」

 

 

 たまを抱きかかえて歩いて行くおばさんの背中に、俺は心の中で謝った。

  出発する迄にまた会えるだろうか。

 

 

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「おにいちゃーん!」

 

 

 おばさんを見送って暫くすると、今度は若葉ちゃんの声がした。

 公園の向こう端から全力疾走してくる。そう言えばこの春に1年生って言ってたなあ……小柄な子だから、何だかランドセルが走って来るみたいだ。その後ろから、お母さんが笑顔で歩いて来る。

 

 

「今、学校からの帰り?」

 

「うん!今日はさんかんびだったの」

 

 

 あー、参観日。

 

 

「楽しかった?」

 

「うん!わかばね、二回もはい!って手をあげたんだよ」

 

 

 とても自慢げに誇らし気に、若葉ちゃんは胸を張ってそう言った。後ろでお母さんが苦笑する。

 

 

「当てられた途端にしぼんでましたけどね」

 

「しぼんでない!わかば、ちゃんと答えたよ!ねえ、おにいちゃん!」

 

「うんうん、偉かった」

 

 

 ここは若葉ちゃんに合わせてあげる。ついでにぽんぽんと頭を撫でれば、嬉しそうにえへへと笑ってくれた。

 

 

「もうすっかり慣れたみたいですね?」

 

「ええ。子供の順応力って凄いですね。もうすっかり、この街の子になりました。私の方が追い付いてくのに精一杯です」

 

 

 そう言いながら笑う表情は、以前と比べ物にならない程柔和で穏やかだ。

 

 

「知り合いの方も?」

 

「そうですね、大分増えました。親切な方が多くて有り難いです。この子と同じクラスのお母さん達とも面識が出来ましたし……そう言えば、貴方のお友達のあの方、結婚されたんですって?」

 

「あ、空五倍子ですか」

 

「そうそう。もう1週間近く前なんですけど、たまたま荷物を届けて下さって。その時に伺ったんです」

 

「アイツが、自分で?」

 

「いえ、ちょっと失礼かと思ったんですけど、私から聞いたんです。ぱっと見た瞬間に『あ、雰囲気が変わったな』って感じたので。それで『何か良い事でもありました?』ってお聞きしたら、新婚さんだって」

 

 

 納得。アイツ口数は少ないけど、その分全部顔に出るから。

 

 

「そうだよ、じてんしゃのおにいちゃん、およめさんもらったの!」

 

 

 若葉ちゃんが張り切って俺達の会話に加わってくる。こう言うところ、やっぱり女の子って感じだなあ。おませさんだ。

 

 

「そっかー」

 

「おにいちゃんのおよめさんは?」

 

 

 う。

 

 

「まだだよ。未だ、居ないんだ」

 

「ふぅ~ん、ひとりみ?」

 

「こら、若葉!」

 

 

 子供ってホント真っ直ぐですよね。

 

 

「そうだね。ひとりみだよ」

 

「じゃあ、わかばがおにいちゃんのおよめさんになったげる!」

 

 

 あー、でもやっぱり子供って可愛い。

 俺はもう一度若葉ちゃんの頭を撫でて『ありがとう』と礼を言っておいた。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

6月某日

 

 

「遅いね、亮司達」

 

「ホントぉ、搭乗時間になっちゃうよぉ」

 

「まあまあ、多分大丈夫」

 

「多分て……相変わらず暢気だねえ、そういう所」

 

 

 空港のロビーで、弥と柳がやきもきしてる。でも搭乗手続きは17時開始予定だ。まだ20分はある、彼等なら来るだろう。

 

 

「で、先ずはプラハに入るんだよね?」

 

「うん。それで落ち着いたら移動する」

 

「どこに行くのぉ?」

 

「多分、ピルゼンに向かうと思う」

 

 

 聞いた弥がニヤッと笑った。

 

 

「ピルスナーかあ。やっぱりビールなのかな」

 

「え、ビールの産地なのぉ?」

 

「そう。お土産それでどう?」

 

「わぁ、大歓迎!皆喜ぶわ、絶対!」

 

 

 大喜びの柳の後ろで、エスカレータがバタバタと賑やかに鳴った。そして『間に合ったぁ!』と空の声。

 

 

「おっそーい!」

 

「どうしたってのよ?もう、こっちは気が気じゃ無かったんだよ?!」

 

 

 見事なカカア天下をダブルで目の当たりにしたような。

 両手を合わせて謝り倒す空の隣で、空五倍子が懸命に弁解する。

 

 

「悪ぃ、俺が忘れ物して戻ってたら遅くなった」

 

「忘れ物?」

 

「そう。若葉ちゃんから鴇へのプレゼント」

 

「若葉ちゃんから?」

 

「そうなんだ。これを鴇に渡し損ねたら、若葉ちゃんに顔向け出来なくなる」

 

 

 彼曰く、昨日の夕方に公園を通りかかったらお母さんと買い物帰りの若葉ちゃんに会ったそうだ。そこで俺の話になった時に、今日のチェコ行きを伝えたら大泣きに泣かれてお母さんと彼で大層困ったらしい。

 

 

「そりゃ大役だったね、有難う」

 

 

 小さな紙袋を受け取り開けてみる。空と柳が覗き込んできた。

 

 

「あらあ、カワイイ!」

 

「何かでもすっげぇ職人技ぽいぞ。子どもが選んだにしちゃ渋くね?亮司」

 

 

 出て来たのは、軽く掌に乗る大きさの木彫りの鳥。

 

 

「元は、あの子の父親が貰ってきたんだって。それも10個くらい。あの子を宥めようって母親が提案してくれたんだ。そうしたら『おにいちゃんとお揃い』って機嫌も直ってさ。

 因みに俺ももらった。それと、これは空と柳の分」

 

「やったぁ!私たちもお揃いなのねぇ!」

 

「良いものもらったね。それ、幸運のアイテムだよ。チェコの」

 

 

 俺達の遣り取りに、弥が笑ってそんな事を言う。

 

 

「ホント?」

 

「ホントホント。『ポルビチカ』とか言う筈」

 

「チェコのお守りアイテムなんて、すっごい偶然ねぇ、流黎くん!」

 

「うん、ホントだね」

 

 

 偶然なんだけど、偶然なんかじゃない。

 

 

「幸先良さそうね、鴇」

 

「こりゃ、目指す人のもとへひとっ飛びって感じじゃねぇか!」

 

 

 偶然じゃない。

 

 

「……そうだね。思ったより早く会えるかも」

 

 

 そこへ搭乗開始のアナウンス。いよいよ俺の乗る機だ。

 

 

「あ、これだね」

 

「じゃあな。たまには連絡しろよ」

 

「無事に会えると良いな」

 

「有難う」

 

「戻って来る時は教えてね!」

 

「勿論」

 

「元気でやれよ」

 

「みんなも元気でな」

 

「待ってるよ。みんな、この街で」

 

 

 俺が通路を曲がってしまうまで、4人はずっと手を振って見送ってくれた。

 飛行機に乗り込み、シートに座って暫し瞑目する。

 

 皆の暖かさが身に染みた。

 

 

 俺を送り出してくれる人達が居る。

 俺を待ってくれてる人が居る。

 俺が会うべき人が何処かに居る。

 

 だから、俺はここから動き出す。彼女を必ず見つける。

 その時こそ、俺の次の時間が回り始めるんだ、きっと。

 

 

 雲一つない真っ青な空に向け、飛行機は定刻に飛び立った。

 人々の想いを、たくさん載せて。

 

 

>>>Zeitfluss(1)

20091027-20100411-20180427