Begegnungen

 

7月某日

 

「おう、鴇」

 

「やぁ」

 

「また此処に居るのか。今日は休みか?」

 

「いや、夕方から。それまでな」

 

「いくら日陰に居るっつってもあちぃんだからさ、熱中症でぶっ倒れるなよ」

 

「大丈夫だよ、有難う」

 

 

 それだけのいつもの挨拶を交わすと、空五倍子は愛車に乗って颯爽と去っていった。

 ……愛車と言ってもクロスバイクなワケだけど。

 

 

「今日は風があるから大丈夫だよ。水分だって摂ってるし」

 

 

 わんわん鳴いてる蝉の声にぼんやり返して、俺はお気に入りの木のベンチに寝そべった。

 

 

--------------

 

 

「ちわ〜、三河屋ですぅー」

 

「誰が三河屋だよ」

 

 

 温い風に吹かれながら、それでも気持ち良く昼寝をしていた俺の帽子を持ち上げてそんな挨拶をしてくる人間なんて、一人しかいない。

 

 

「今日シフト変わったんだよ、だから一緒にバイト行こうと思ってさ」

 

「空と一緒かー」

 

「何だ愛想無ぇな」

 

「愛想あったら嬉しい?」

 

「いんや、気色悪い」

 

「じゃあ言うな」

 

 

 そう言って空の腹に軽く一発当ててやると、大袈裟に呻いてベンチに座り込んできた。

 俺は優しいから、咄嗟に投げ出してた両脚を引っ込めて彼にスペースを空けてやる。

 

 

「誰か休み?」

 

「いや、何か急に団体さん入ったらしいぜ。今日も忙しくなるなあ」

 

 

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8月某日

 

 今日は生憎の空模様。でも、この公園には屋根付きのスペースがあるから雨の日も安心。

 

 ……雨の日の公園なんて余計に退屈じゃないのかって?

 

 

「よ、兄ちゃん今日も居るのか?」

 

「まあね。おっちゃんもお疲れさん」

 

 

 やって来たのは、この辺りで掃除とかしてるおっちゃんだ。お互い顔を見れば軽く手を挙げて挨拶する、そんな程度には顔見知りになってる。

 

 

「疲れちゃいねぇよ、こんな天気だから早々に切り上げて来たさ」

 

「そう言う日も必要だよね」

 

「そうそう。昨日頑張っといたから、今日は褒美で半ドンだ」

 

「……半ドンって久しぶりに聞いたなー」

 

「お、兄ちゃんの歳で分かるかい?」

 

「まあ一応」

 

「そうか。お爺ちゃんっ子とかだったんだな?」

 

 

 へぇーそうかあーとしきりに頷くおっちゃんのその横顔が、いつもの『働くおじさん』から『気の良い親爺』に変わった気がして、俺は何となく尋ねた。

 

 

「おっちゃん、子供さんは?」

 

「おるよ。多分、元気にしてるだろ」

 

「多分?」

 

「……もう15年以上前だなぁ、ヨメさんに逃げられて」

 

 

 かくんと肩を落とし、おっちゃんが話を続ける。

 

 

「その時に向こうが引き取ったんだよ。まあその頃は俺は酒にタバコにギャンブル三昧な毎日だったから妥当だろ」

 

「はぁ」

 

 

 他に打てる相槌が無い。

 

 

「それからずっと一人。ギャンブルから足洗って、酒も辞めてな。タバコも、これでもかなり本数減らしたんだ」

 

 

 言いながら、ぷかりと白い輪っかを綺麗に口から出して見せる。俺は、この輪っかを作れる人は凄いって思う。

 ぼぅっとその輪を見てたら、おっちゃんがこっちを見てニヤッとした。そして今度は小さい輪っかを連続でぽぽぽぽ……と飛ばして見せるもんだから、俺は小さく拍手する。

 

 

「兄ちゃんは吸わないのかい?」

 

「二十歳で止めたよ」

 

「お、やるねえ」

 

 

 笑って、おっちゃんはまた煙を胸いっぱい吸い込んだ。溜息と一緒にそれを吐き出して

 

 

「……あの頃、これを大喜びで見てくれた娘ももう二十歳になってる筈さ。ヨメさん似だったから、さぞ別嬪になってるだろうなぁ」

 

 

 て事は、会ってないんだ。15年以上。

 

 おっちゃんが公園の掃除を仕事にしてる理由は、俺が思ってるのよりも深い意味があるのかもしれない。

 

 

「はは、喋り過ぎたな。悪かったなぁ、つまんねぇ話に付き合わせて」

 

「別に、そんな事」

 

 

 よっこらしょと腰を上げたおっちゃんは『じゃあまたな』と言って何処かへ去っていく。その様子はとても穏やかだった。

 

 雨はいつの間にか止んでいた。

 

 

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9月某日

「あ、流黎くんだぁ」

 

「な、ホントに居るだろ?」

 

「ホントホント。安賀多くん、凄い〜」

 

「……何も凄く無い」

 

 

 空と俺はバイト先で出会ってからもう3年以上の付き合い。俺の行動パターンなんて読まれてる。

 『流黎』が俺、『安賀多』が空の名字だ。空が連れて来たのは、やっぱり同じバイト先の後輩の入江 柳……何で柳を連れて来たんだ?

 

 

「今日、休みじゃん。皆でカラオケでも行こうかって話になってさ。そしたら柳がお前も誘おうって言うから、こうしてお迎えに参上したって訳」

 

「後から参加でも良い?」

 

「……ほら。コイツ、昼間はココから動かねぇんだよ」

 

「ホントだぁ」

 

 

 何の話だよ。

 

 

「流黎くんて、この公園のヌシなの?」

 

「違うよ。主って何だソレ」

 

「だって安賀多君が言うんだもん」

 

「頼むから、ソイツの言うこと真に受けないでくれる?」

 

 

 確かにココには直ぐ来ちまうけどさ。居心地が良いから。

 

 

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 空たちとは7時に落ち合う約束をした。駅前のカラオケボックスだから、此処からなら歩いたって20分もあれば着く。

 

 日が傾いて来た。一旦家に戻って要らない荷物は置いて来よう、そう思って俺は立ち上がる。

 

 周囲では、適当に人々が行き来していた。買い物袋を下げて子供の手を引いて行く母親、重そうなカートを引き摺って歩くOL、ゆっくりと手押し車を押して歩いて行くお年寄り。

 

 がらがら、ごとごと、がたがた、ざざざ。

 

 石畳の多いこの街は、だから色んな音が響いている。綺麗に作られてるけど、平坦な舗装道路とはやっぱり違って、適当にがたがたしてる。でも別に不便な訳でも無い。皆、どこかその凸凹とリズムを楽しみながら暮らしてるような節がある。

 

 何処か昔のヨーロッパの小都市を思わせる通りと、それを楽しむ余裕のある人達が住んでる街……それが何処か懐かしくて、楽しそうで、俺は4年前に此処に住み着いた。

 

 

「おう、鴇」

 

「やあ」

 

 

 歩いてたら空五倍子が軽くブレーキ音を響かせて俺の横に止まった。いつものバイクだが、服装が『仕事中』と言ってる。

 

 

「計算通りだな。ほら、お前宛ての書類。受け取りのサインも、よろしく」

 

 

 言って、ほいと大きめの茶封筒を手渡される。ついでにペンもポケットから出て来た。

 

 

「効率第一の配達だね」

 

「だろ?大体この時間だろうと踏んで回って来たんだ。これで南へ向かえるから助かるよ」

 

 

 日没前後は俺の移動時間。ここで俺に荷物を渡せれば、俺んちがある東の区画にはもう行かなくて良いって寸法だ。

 

 

「すっかりベテランのメッセンジャーだな」

 

「半年も走り回ってりゃ流石に覚える。道も、お得意さんの動きもな」

 

「あと何件くらい?」

 

「追加がなけりゃ3件。鴇のお陰で予定より10分は早く上がれそうだ」

 

「そしたら良けりゃ終わってからカラオケ。来ないか?」

 

「いつもの面子?」

 

「そうだよ」

 

「分かった、遅れるけど絶対行くからよろしくな!」

 

「じゃあ後で」

 

 

 緩やかだけどだらだら続く石畳の坂道。でも空五倍子は全く気にする事無く走って行った。

 俺も直ぐに踵を返し、家へと向かう。書類は明日から取りかかるつもりだった仕事の分。歩きながらざっと其れに目を通して段取りを考える。

 彼のお陰で俺もこの仕事、効率良く進められそうだ。感謝感謝。

 

 

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9月某日

 

 

「にゃぁ」

 

 

 いつものベンチで今日の予定を纏めてたら、存外近くで猫の声。

 暫く前にこの公園で生まれた猫だ。ついこの前までは掌に乗りそうな仔猫だったのに、図体もでかくなって、鳴き声ももうすっかり一人前になってる。

 

 

「あれ?お前……」

 

 

 ととと、と寄って来る足取りに合わせて鈴の音。首輪がついてた。

 

 

「飼い主、出来たのかぁ」

 

 

 言いながら撫でてやれば気持ち良さそうにぐるぐると喉を鳴らす。人懐っこい。毛艶も良くなってて、飼い主に可愛がられてる事がよく分かる。

 

 

「名前、何て言うんだ?」

 

 

 猫が答える訳ゃ無いよなと思いつつ呟いてみたら

 

 

「たまちゃん!」

 

 

 と返って来てちょっと慌てた……あ、飼い主さん。

 予想通り、前からこの猫に餌をあげたりしてたおばさんだった。

 

 

「あらぁ、こんにちは。今日もお一人?」

 

「どうも、こんにちは」

 

 

 独り身なんでどーやっても一人なんですよ、というのは心の裡でだけ呟く。お互い名前は知らないが、顔見知りではある。

 

 

「この子、飼ってるんですか」

 

「そうなのよぉ。去年の暮れに前の猫が死んじゃって悲しくて悲しくて、もう生き物は二度と飼わないって思ってたんだけどねぇ」

 

「やっぱり拾っちゃったんですね」

 

「そうなのよねぇ、私もこの公園毎日通るし、そうすると絶対見かけるじゃない。この子の母親はこの子が生まれてすぐに姿が見えなくなっちゃったから、そうするとちゃんと育つのかしらって余計気になって、構ってたら情が湧いちゃって」

 

「ほんっとに猫好きなんですね」

 

「自分でも笑っちゃうくらいにねぇ。でも好きだ可愛いだけで構ってやってたら、野良猫って直ぐに増えちゃうでしょ?そうなってから手に負えないって『処分』するなんて人間の身勝手だものねぇ」

 

「じゃあこの猫」

 

「そ。ちゃんと避妊手術もしたの。それも可哀想だと思うとこもあるんだけどね」

 

「でも飼い主としてちゃんと面倒見ようって思っての事でしょうから……」

 

 

 まだマシなんじゃないだろうか。

 まだ『仕方無い』って思えるんじゃないだろうか。

 

 どっちにしても、人間の身勝手がさせる行動だ。この場合、言ってしまえば猫の『生』をどう扱うかの決定権は人間にある訳で。

 

 でも。

 

 

「ありがと。勿論、ちゃんとこの子の最期を看取ってあげる覚悟は持ってるから。やっぱり、猫が居てくれると生活に張りが出るのよねぇ。特に私、一人暮らしだからそうなのかもしれないけど」

 

 

 そう、こうして猫が傍に居てくれる事で癒される人が多いのも事実。

 猫だけじゃない、犬だって、鳥だって、そして人間も。みんな『自分と一緒に時間を共有しながら生きてくれる存在』には変わりない。

 そうした存在を求めてしまう程には人間は弱い生き物なのだろう。けど、それ自体が悪い事とは思えない。その弱さ故、こうして他の人と言葉を交わし、時間を共にし、喜怒哀楽を分かち合える……そう思えるのなら。

 

 にゃ、と猫が鳴いておばさんに甘える。腹が空いて来たのかな。

 おばさんが手を伸ばすと猫も当然の様にその腕に納まり、気持ち良さそうに目を閉じた。

 

 

「じゃあまたね。これからもよろしく」

 

「あ、ええ。こちらこそ」

 

 

 言って俺は、おばさんの腕の中の猫を一撫で。そして

 

 

「またな、たま」

 

 

 と声をかければ、たまは眠そうに「んにゃ」と応じた。

 

 

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9月某日

 

 

「どう?調子」

 

「うん。お陰で良い具合」

 

 

 枯野の声だ。独特の足音でとっくに気付いてはいたけど、あと少しで書類の見直しが済むところだったから、顔を上げないままそう返す。

 彼女もそんな俺の様子には慣れっこで、気にする事無く隣に腰をおろすと、くあぁとのんびり欠伸を一つ……くそ、あと3行なのに……。

 

 

「……ふあ〜ぁ」

 

「あ、伝染った」

 

「あと少しで終わるとこだったのに」

 

「別に良いじゃない」

 

「終わった時の爽快感が違うんだよ」

 

「わっかんないなぁ」

 

 

 鴇ってそーいう分かんないとこ面白いよね、と言ってケタケタ笑う。

 

 

「よし、終了」

 

「ご苦労様。はい」

 

「あ、コーヒー」

 

「流石にぼーっとしてるでしょ?」

 

「ちょっとね」

 

 

 ひんやり冷たい差し入れを有難くもらって、早速一口。良いなあ……この、一仕事終えた時の爽快感。

 

 

「それ、もう出せるなら持ってってあげるよ。いつもの、亮司の事務所で良いよね?」

 

「うわ、助かる」

 

 亮司ってのは空五倍子の事。彼女はこうして、時々届け物を手伝ってくれる。

 

 

「いつも悪いね」

 

「別に。家に帰るついでだし、トレーニングにもなるから私も助かるんだ」

 

 

 言って彼女が右膝を軽く叩けば軽い金属音が響く。

 

 

「調子良いみたいだなぁ。それに何かカッコいいな、前のより」

 

 

 それを聞いた彼女は満面の笑み。

 

 

「やっぱ違うって分かる?これ、バリバリ陸上競技にも使えるくらいのヤツなのよね。こういう技術がどんどん進んでくれてるから有難いわ」

 

「じゃあ再デビューも間近?」

 

「そうだね。来年の春の大会が目下の目標」

 

「空五倍子は、何て?」

 

「『頑張れよ』って、それだけ。いつも通りよ」

 

「素っ気ないなあ」

 

「変に応援されたり心配されたらそれこそ気持ち悪いでしょ」

 

 

 口とは裏腹、彼女の頬は緩んでる。しかもちょっと桜色。年上だけど、こう言う時の彼女は可愛いなあと思う。

 

 

「それに亮司の方が先に大会があるし。そっち頑張ってもらわないとね」

 

 

 彼は自転車。彼女はトラック競技。『走る』の共通点で出逢った二人だ。

 

 

「そう言や、今度の冬の大会は絶対優勝譲れないって言ってた。気合い入ってるよな」

 

「え、そんな事言ってた?」

 

「言ってた言ってた。もう先月だけど、カラオケ行った時に。気合いだー!とか言いながら青春の歌いっぱい歌ってた」

 

「恥ずかしいヤツ」

 

「あ、顔ゆだってる」

 

「え?」

 

「真っ赤っかだ」

 

「うー」

 

「あ、もしかして」

 

「もう!」

 

 

 枯野の声と同時に俺の視界が揺らいだ。相変わらず良いパンチ。

 

 

「未だ何も言ってないだろ?」

 

「言ったも同然でしょ!鴇は顛末知ってんだから」

 

「じゃあやっぱりいよいよ?」

 

「結果次第よ」

 

「それで『優勝は譲れない』ってワケか。それ、アイツから?」

 

「そう」

 

「じゃあ、春には婚約で……早ければ夏にはゴールインで」

 

「やだ、秋が良いわよ。夏は暑いし、準備でバタバタしそうだし、私だって他にも大会があるんだからね」

 

 

 流石、アスリートカップル。

 

 

「じゃあ、秋。ほぼ1年後かぁ。それでもあっと言う間だろうな」

 

「上手く行けばね」

 

「行くさ。おめでとう」

 

「気が早いわねぇ……ってちょっと、来年はもう此処に居ないとか言うんじゃないわよね?」

 

「え?大丈夫だよ。居る、と思う……けど」

 

 

 確かに俺は放浪タイプだけど、此処は本当に気に入ってる。だから余程のキッカケが来なければ動くつもりは無い。

 

 

「怪しいなあ。だったらコッチも早いとこ式挙げないとダメじゃない」

 

「いや、俺の都合に合わせなくて良いから。ちゃんと居ますから」

 

 

 両手でどうどうどう、と彼女を宥めながらそう言って、やっとその場は収まった。確約を取り付けた彼女は満足気にニッカリ笑うと立ち上がる。

 

 

「よろしい。じゃあこれ、預かってくね」

 

「ああ。よろしく」

 

「この話、本人にはナイショだよ?」

 

「テンフォー」

 

 

 片手を上げ、空五倍子がよく言う10コードで答えてやれば、彼女は『あっはっは』と豪快に笑って走り去って行った。

 

 俺の書類をぶんぶん振り回しながら。

 

 

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「……へえ、そう言う事かぁ」

 

「おい。何でお前が今、此処に居るんだ」

 

「ンな事知るかよ。来たくて来た。そしたら居た。そんだけじゃねぇか」

 

 

 振り向けば、空。何と言うタイミング。

 

 

「聞いてたな?」

 

「『夏にはゴールイン』って辺りからだけどな」

 

「空五倍子には言うなよ?」

 

「がってんだ」

 

「その言い方が信用ならない」

 

「テェ〜ン、フォ!」

 

「……もういい」

 

 

 脱力する俺の隣にケラケラ笑いながら座り込んで来る。俺は優しいから、咄嗟に横に置いてた鞄をどけてやった。

 

 

「でもよぉ、やっとって感じじゃね?メデテェ事だよ」

 

「そうだな」

 

「亮司の奴も前向きになったって事だしさ。アイツが居たから、弥さんだってあれだけ元気になったんだ。お前も一安心だろ」

 

「……まあな」

 

 

 俺が枯野と空五倍子に出会ったのが2年半前。それから今日までは長いようで短いような、あっという間のようで無限の長さのようでもあり。

 

 ……これは感慨ってやつだ。俺がさっきから感じてるこの気持ち。

 

 

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 2年半前、仕事で立ち寄った隣町で、偶然彼女の事故現場に居合わせたのが始まりだ。

 夜間のロードワークに出ていた彼女は、川沿いの道路を走っている時に飲酒運転の車に突っ込まれた。彼女の右脚はコンクリートと車の間に挟まれ、素人目にもまずい状態だと分かった。

 

 そしてショックと出血で朦朧とする彼女を抱え……混乱していたのだろう、その名をただ繰り返し呼んでいた自転車の伴走者が、空五倍子だった。

 

 事故は俺の乗ってた車の僅か10数m先で起きた。辺りは民家も殆ど無くて、俺とタクシーの運転手しか現場でまともに動ける人間が居なかった。運ちゃんが機転を利かせて無線で状況をセンターに報告してくれたお陰で救急にも連絡がついて、思ったより早く病院に行く事が出来たんだ。

 

 成り行き上、俺も一緒に救急車に乗り(初めての緊急車両だった)、着いた病院では輸血用血液が足りないってことで、たまたま血液型が枯野と同じだった俺が血を提供し、疲れと眠気と軽い貧血でふらふらの中で警察の聴取を受け、その途中で彼女の手術成功の知らせが入って空五倍子が漸く落ち着きを取り戻し、それで俺はお役御免になった……筈だった。

 

 

 --------------

 

 

「……それにさ、そン時血液型の合う人間が居なかったら彼女危なかったかもしれないんだろ?前みたく元気になるのが、命の恩人に対する一番の礼だって言ってたぜ」

 

「枯野が?」

 

「いんにゃ、亮司」

 

「そうかぁ」

 

「そう思ったのは、この街でお前と再会した時だったそうだけどな。ああ頑張らなきゃいけないなって思ったんだと。お前の存在が良い刺激になってんじゃねぇの?」

 

「それならそれで有難い事だよ」

 

「……で、今日は空いてんの?」

 

「一応。あっちの仕事も一区切りついたし」

 

「そりゃ良かった。バイト行こうぜ。一人欠員」


「目的はそれか」

 

「気付くの遅ぇよ。んじゃ頼んだぜ!」

 

 

 これまたあっはっはと笑いながら、空は両手をひらひらさせて立ち去った。

 まあ良いか。今月、少し足りなかったんだよな。これで何とかなるだろう。

 

 

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10月某日

 

 

「いたいた。ママぁ、あのおじちゃん!」

 

 

 子供の声は良く通る。公園の向こう側なのに、俺の居るベンチまではっきり聞こえてくる。

 

 

(元気だよなあ、良いなあ子供は……)

 

 

 そんな事を思いながらうつらうつらしていたら

 

 

「おじちゃん!!」

 

「あ、俺?」

 

 

 やっぱりもう『おじちゃん』なのか……何かグサッと来るなあ。

 

 

「なに?」

 

 

 ボヤキは心の裡に。日よけ代わりに顔に載せてた雑誌をどけて声の方に向き直る。

 ……あ、この子。

 

 

「こら、若葉。その人は『おじちゃん』じゃなくて『おにいちゃん』でしょ!」

 

 

 慌てた声が子供の向こうから飛んで来る。一拍置いて母親らしき女の人が俺の視界に入って来た。

 

 

「ほら、ちゃんと言いなさい」

 

「うん。おじ……おにいちゃん、この前はどうもありがと!」

 

 

 ああ涙ぐましい。こっちこそ、おにいちゃんって言い直してくれてありがとう……。

 

 

「お礼を言うのが遅くなってしまってすいませんでした。お陰で大事にならずに済みました。どうもありがとうございました」

 

 

 2・3日前の事。空五倍子とここで喋ってたら、若葉ちゃん、遊具スペースの端っこで派手に転んで泣きだした。そうなれば、やっぱ何とかしてあげないとと思う訳で。

 

 公園の水道で取り敢えず傷口を洗い流し、空五倍子がクロスバイクに常備してる救急キットを使って応急処置をしてやった。痛みと、恐らく警戒心が働いて、最初はこの子の顔も強張ってたけど、落ち着いてからはガーゼをあてて包帯を巻いていく空五倍子の手際を興味深そうに見ていたっけ。

 

 それから3人でジュースを飲んでいたら、この子を知ってるという近所の人が通りかかって(同い年の子が居るそうだ)家までおんぶして送ってあげると言ってくれたから、後はその人に任せてバイバイしたんだ。

 

 

「〜さんから話を聞いて、念のため病院にも行ったんですけど、お医者さんも『応急にしては綺麗に処置してありますね』って驚いてらして」

 

「あー、それはその時の連れが。器用な奴なんです」

 

 

 自転車乗りとして当然て言うのもあるけど、枯野の件があってから一通りきちんと習ったって言ってたし。怪我の処置だったら薮医者よりは絶対に上手い。

 

 

「じてんしゃのおにいちゃんは?」

 

「今日はお仕事で居ないんだ」

 

「ふーん」

 

 

 残念そうだなぁ。会いたかったかな。

 そう思ってたら、今度聞いてきたのは母親のほう。

 

 

「あの、その方にはまた近い内に?」

 

「ええ、会いますよ。わざわざ来て下さってすいません。連れにも伝えます」

 

「ありがとうございます。そうしたらこれ……その方にも是非」

 

 

 差し出された紙袋を見れば……うわ、これ、雑誌に載ってたあの店のだ。ここの、めちゃめちゃ美味しいって柳が言ってたぞ。特にシュークリーム……

 

 

「シュークリームなんですけど、そんなに甘くないですし。良かったら」

 

 

 おおビンゴ。でも、こんなタナボタ式で貰うのは申し訳ない。しかもこれ、いくつ入ってんだ。でかいし、箱。

 

 

「でもあの」

 

「クッキーはね、わたしとママでやいたの!」

 

「あ、そうなんだ……」

 

 

 丁重にお断りをと思った出鼻は、若葉ちゃんに見事に挫かれた。

 クッキーは紙袋の中の、シュークリームの箱の上に乗ってた。可愛いラッピングまでされて。

 

 

「あの、何だか却って気を使わせてしまってすいません。有難く戴きます」

 

 

 ついつい小声になってしまったけど、そう応じると母親の両肩が3センチくらいストンと下がった気がした。

 

 

「いえ、こちらこそ本当に助かりました……私達、ここに越して来てから未だ三月も経ってなくて知り合いも少ないので、ちょっと心細い思いでいたんです。

 でもここは優しい方が多いって、今回の件で気付く事が出来ました。この街、好きになれそうです。あなた方のお陰です。ありがとうございました」

 

 

 深々とお辞儀をされて、慌てて俺も立ち上がって礼を返した。若葉ちゃんも『おにいちゃん、ありがとう』って手を伸ばしてくれるから、握手した。

 あー照れくさい。空五倍子だったら、こう言う場面もスマートに対応出来るんだろうに。

 

 

--------------

 

 

「へぇ〜!また人助けをしてたのか」

 

「そんな大袈裟な事じゃない」

 

 

 事の次第を聞いた空が、やたら感心した声を出すから速攻で訂正する。

 例の箱は、すでに空が持ってる。

 

 

「で、これ本当に俺が分け分け担当して良いのか?」

 

「ああ、頼むよ。空のほうがこういうの上手く出来るし」

 

「おぅ任せとけ。こーいうのは鮮度が命だ。でもホントたくさんあるな!お前の人望のあつさがよく分かる」

 

「なんだそれ」

 

 

 シュークリームの数と俺の人望と、何の関係が。

 

 

「だって、お前有名じゃん。あの公園で」

 

「空が勝手に主とか言ってるだけじゃないか」

 

 

 滞在時間は長いと思うけど……でも俺、いっつも隅っこに居るんだぞ。そーっと。

 

 

「阿呆ぅ。いっくら隅っこだってずっと居りゃぁ皆認識するさ。俺だって何度も聞かれた事あるんだからな。『いつもの兄ちゃんは今日は居ないのかい?』ってな具合にな」

 

「まさか」

 

「まさかじゃねぇよ。柳だって、お前が何時も公園に居るっての、全然別のとこで耳にしたんだぜ。それで俺に聞いて来るから、こないだわざわざ連れてってやった、って訳」

 

「そんなに?」

 

「まあ、よくあの辺りを通る人たち限定だろうけどな」

 

 

 マジで管理人にでも間違われてるんじゃね?って、空はカラカラ笑う。

 

 

「だから、その母親ってのも噂くらいは耳にしてるだろ。俺等と喋ってるのも見てるかもしんねぇし、そしたら『知り合いがいっぱいいるみたいだからその人達にも』的な」

 

「なら、やっぱり空に分け分けしてもらえるのが一番だな」

 

 

 ……そこまで言ってから、俺はふと引っかかった事を聞いてみた。

 

 

「そう言えば柳は、何で俺んとこに?」

 

「……俺が知るかよ。気になってんじゃねぇの?お前の事」

 

 

 何だその機嫌の急降下ぶりは。

 

 

「待てよ、気になるってどーいう事だ?」

 

「そーいう事だろ」

 

「そーいう事って……なんで?」

 

「だから俺が知る訳ゃ無ぇだろ!」

 

「おい待て、キレるな」

 

 

 慌てて両手で押し止めると、空は少しバツの悪そうな顔になった。

 

 

「……悪ぃ」

 

「彼女、何か言ってるのか?俺の事」

 

「いや、別に何がどうって程じゃ無いけどさ。最近、お前に聞きたい事があるって言ってて」

 

「俺で分かるなら答えるけど?」

 

「だからそうじゃなくてさー……」

 

 

 俺の答えは何かが違ったらしい。

 

 

「ホンッと、お前って天然だよな」

 

「だってそれだけじゃ分からないだろ?彼女が何を聞きたいのかなんて」

 

「じゃあ俺がはっきり聞いてやるよ。柳が『付き合ってほしい』って言ってきたらどうすんだ?」

 

 

 そういうジャンルかぁ。

 

 

「うーん、ちょっと無理。俺、会わなきゃなんないヒト居るからさ」

 

「……何ですと?」

 

 

 空が固まった。

 

 

「ヘンかな?」

 

「いや変じゃねぇけど。鴇に婚約者がいたなんて意外だなって」

 

「いや婚約者じゃないんだけど」

 

「……どう言う事?」

 

 

 未だ俺も会って無いんだよ。顔も知らないし……多分、会えば瞬時に分かるけど。

 

 

「……まあ、色々事情があるんだ」

 

「どんな」

 

「色々。それよりも」

 

 

 強引に話題を切り替える。

 

 

「最近、お前が遊びに行く時って大概柳も一緒じゃないか。カラオケなんて絶対だし。

 彼女も楽しそうだから、ひょっとしたら付き合うんじゃないかって思ってたんだけど?」

 

「そんな良いモンでも無ぇんだよな。『話し易い』とは言われたけどさ。俺みたいなお気楽人間は、オトモダチとして気軽に遊べて危険も無くて手頃なんだろうよ」

 

「うわ自虐」

 

「自虐もするわ」

 

「彼女、フリーなんだろう?」

 

「今はな。でも未だ忘れられないんだと」

 

 

 元カレって奴がな。

 そう呟いて、はぁ〜と大きく溜息一つ。秋だなあ。

 

 

「そりゃ前途多難だね」

 

「ちぇっ、ヒトゴトだと思って」

 

「まあまあ。ここは俺が一肌脱いでみましょうか……とりあえず彼女と話してみる。それ持って行きながら俺がココに居る時間帯を伝えといて」

 

「……よし分かった。このままじゃ俺だけ不眠症だ。とにかく動かねぇと」

 

「そうそう」

 

「で、お前はいつ居るんだよ?」

 

「今週確実なのは明日と明後日。それと金曜日。時間はいつも通り」

 

「ガッテン承知の助だ」

 

「おい、変な力入ってるぞ」

 

「多少は仕方ねぇだろ。じゃあ宜しくな!!」

 

 

 言うなりブンと手を振って歩き出した。そんなにしたらシュークリーム崩れるぞ。

 

 

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10月某日

 

 

 空が気合い入れたら雨。しかも横殴り。

 何でこうタイミング良く(いや悪くか)来るんだ、台風のやつ。

 

 さすがに台風の日まで公園には行かない。バイトの予備要員として自宅待機。こういう時はとりあえず、どーでも良い事をしておく。久々にお気に入りの写真集を引っ張り出し、まだ鑑賞出来てなかった後半をぺらぺら捲って頭の中で世界旅行をする。

 

 この写真家は年がら年中世界を飛び回り、かと思えば一つ所に何年も留まって、色んな国の街角の風景や人々の暮らしをファインダーに収めてる。その土地の本当の日常を切り取っている。面白味が無いとか言われる事もあるらしいけど、俺はこの人の写真は好きだ。

 よくわからないけど、何て言うか、俺が小さい頃には普通に居た『角のタバコ屋のおばちゃん』みたいな、静かにその土地の日常を見つめ慈しむような視点を感じるんだよな。

 

 淡々と飄々と、優しく人々の生活を見つめる。きっとちょっと『変人』とか言われる類いの人なんだろう。もし会ったら、楽しくて一晩中でも喋ってられるんじゃないだろうか。

 

 

--------------

 

 

 結局出勤不要の連絡が来て、俺はいつの間にか眠りこけてたらしい。ふと気付けば朝。

 台風一過だ、窓の向こうが明るい。鳥の鳴き声が元気だから、間違い無く今日は快晴。

 

 昼になる頃、俺はいつもの場所に向かった。風はきついけど日差しは良い具合。昨日の嵐で落ち葉とかゴミとか散らばってるだろうなと思った公園は、既に掃除のおっちゃんがあらかた片付けてくれたようで、いつも通りの佇まい。

 

 来る途中で買い込んだ昼飯を口に運びながら、次の仕事の構想を練る。書類は明日には届く筈だから、今日中に外枠が決まれば後は早い。

 

 ……かれこれ小一時間は、そのまま作業してただろうか。

 

 

「あ、いたいた。流黎君」

 

 

 柳がやって来た。一昨日の空とのやりとりを思い出す。

 

 

「あれ、珍しいな。今日は一人?」

 

「そうなのぉ。本当は昨日来ようと思ったんだけど、台風だったでしょ?流石に来れなくて。流黎君は昨日も来てたのぉ?」

 

「いや、さすがに無理。昨日は家で缶詰。ここでこうやって居るのはフツーの雨まで」

 

「そっかぁ」

 

「そっちこそ、台風、大丈夫だったのか?」

 

「うん、平気へいき。ボロアパートだからちょっと雨漏りはしたけど、それだけよぉ」

 

「なら良かった」

 

「うん……あ、これ。シュークリームのお礼にもならないけど」

 

 

 プレミアム缶コーヒーじゃないですか。俺、ちょっとわらしべ長者になってるよな。

 

 

「そんな気を使わなくても。アレは人から貰ったんだ。空から聞いてない?」

 

「聞いたよ。それがまた流黎君達らしいなあって思ってぇ」

 

 

 さり気なく空の名前を出してみたけど、軽くスルー。

 うーん、次のチャンスを待とう。さり気なくだな、さり気なく……。

 

 

「あれは空五倍子のお手柄だよ。ところで、今日はどうしたの?何か話とか?」

 

 

 あーダメだ俺。ぜんぜんさり気なくない。柳は『うん……』と言ったきり黙ってしまった。

 間が持たなくなった俺は貰ったばかりの缶コーヒーの口を開け、一気に半分くらいまで飲んでしまった。味が今ひとつ分からないままだ。ああ勿体無い。

 

 

「とりあえず、座ったら?」

 

「……ありがと」

 

 

 肩に掛けてたバッグを俺と自分の間に置いて、柳はやっとベンチに腰掛けた。二人して公園の真ん中にある噴水……今日は水が止められてるから、ただの池だけど……を眺める形になって、一分くらいして彼女がちょっと溜息を付いて、それから徐に話し出した。

 

 

「あのね、流黎君に教えてほしい事があって来たんだけど」

 

「うん」

 

「安賀多君って、流黎君の事良く分かってるじゃない?」

 

 

 そうなのか?アレは『分かってる』って事なんだろうか。定義が分からないけど。

 

 

「まあそう言えなくも無い、かな」

 

「だよねぇ。じゃあ流黎君も安賀多君の事、良く知ってるよね?」

 

 

 それは保証出来かねる……いや待てよ、聞きたい事って空の事?!

 

 

「良くかどうかは分からないけど、俺が知ってる事なら答えるよ」

 

 

 心の中でガッツポーズ。次のひと言を待つ。どれだけでも待つぞ。


「……あのね」

 

 

そして漸く口を開いたかと思ったら。

 

 

「安賀多君って今、彼女居るのよねぇ?」

 

 

 いきなりシュートのかかった剛速球。

 

 

「いや、居ないよ」

 

「えーウソぉ!あんな優しい人だし、モテモテじゃないのぉ?」

 

「いやいやちょっと。ホントに、アイツ彼女居ない」

 

 

 必死に否定する。何だか切ない。

 

 

「完全フリーなんだよ、アイツ。気を遣う癖に、おちゃらけをやるから『お調子者』って思われちゃってさ。損な性格なんだ」

 

「え?フツーに優しい人だと思うけどぉ」

 

 

 そりゃ空は柳の事好きだから……と言ってしまいたくなるのをぐっと堪える。

 

 

「空がどうかしたの?」

 

「……あのね、ふた月くらい前に、高校の頃付き合ってた人から連絡が来たのぉ」

 

 

 唐突な話題。

 

 

「今はもう別れてるけどぉ。卒業して半年くらいで」

 

「じゃあ、モトカレ?」

 

「うん」

 

 

 まだ話が良く分からない。とりあえず続きを聞く。

 

 

「話は単に『元気?』っていうだけだったけど、すっごい嬉しかったのね。単純に」

 

「うん」

 

「でもね、そしたらすぐに安賀多君の事を思い出して『え、なんで?』って思ったの」

 

「……うん」

 

「それから何日かしてモトカレが夢に出て来たの。ジャンボジェットを操縦しててカッコいいの。

 でもそれを直接見てる訳じゃなくて、この公園から飛んでくジェット機を見てて『あー、あの飛行機を彼が操縦してるんだなあ〜』って思って隣を見ると、安賀多君が居たの。そんな夢」

 

 

 分かりやすい。非常に分かり易い。

 

 

「現実のモトカレは何してるって?」

 

「航空大学校に行ってるよぉ」

 

 

 そのまんまだな。

 

 

「それで、俺に聞きたい事って?」

 

「うん、あのね……その、つまりわたし、安賀多君の事がすっごく気になってるんだけど!」

 

「よく分かる」

 

「でも、夢を見た後で安賀多君にモトカレの事を言っちゃって」

 

「うん」

 

「そしたら、それから何だかずっと変なのよぉ」

 

「空が?」

 

「そぉ。それ迄も優しかったしそれは変わらないんだけど、何となく笑顔が引き攣ってたり、ひょいっと手を引っ込められたりするのぉ」

 

「気のせいじゃない?」

 

「じゃないのよぉ。で、それから初めて考えたの。ひょっとして安賀多君て彼女がいるんじゃないの?って。

 安賀多君って、私がここにバイトで入った時に指導係だったから、今も私の事を気にかけてくれてるだけなんじゃないかなぁって。なのに私、勝手に調子に乗っちゃって……つい元カレ話なんてしちゃったけど、彼女がいたら余計にそんな話、聞きたくないじゃない。そう考えると辻褄が合うのぉ」

 

「いや、そんな辻褄を合わせなくても」

 

 

 何でそうなるかな……二人してものすごいすれ違いをやってるじゃないか。

 

 

「流黎君も、ホントの事を言ってよね?」

 

「……ホントの事しか言ってない。空の事よく知ってる先輩の言う事だから信じなさい」

 

 

 先に空の気持ち聞いてて良かったぁ。

 

 

「はい。信じます」

 

「よろしい。そうしたら、暫くここで待ってて」

 

 

 それだけ言って、俺は電話ボックスへ走った。

 この二人、放っておいたらいつまでもこのままだ。空を呼び出さなきゃ。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

11月某日

 

 

 出がけにジャンパーを羽織った。

 昨日は木枯らし一番が吹いたそうだし(どうりで風が強くて雑誌が読みづらかった訳だ)、冷え込む日も出て来る頃か。

 

 

「俺の周りは皆アツアツだけどねー」

 

 

 我ながらオヤジ臭い事を言いつつ、公園に向かう。

 途中の本屋で小さなPOPに目が留まった。あの写真家のだ。3年ぶりに新しい写真集が発売。

 

 

「金、あったかな」

 

 

 財布と相談。それなりに値の張る写真集を買うには今一歩足りず。

 バイト代が入るのは……えーっと、明後日か。それまではじっと我慢だ。

 

 自分に言い聞かせて、しっかりビニールでコーティングしてある写真集の表紙だけ拝ませてもらう。赤煉瓦の屋根が綺麗な街並み。そして石畳の道がある。いいなあ、中欧かぁ……。

 

 

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「ほい、これ」

 

「……なんで?」

 

 

 夕方。

 バイトに行ったら空が無造作に何かを寄越すから受け取れば、朝に目にしたばかりの写真集。

 

 

「お前その写真家お気に入りだろ?よく見てるみたいだし」

 

「給料日に買おうと思ってた」

 

「だと思った。今日にして正解だったぜ」

 

「なんで」

 

「いやぁ……ま、“仲介”のお礼ってとこかな」

 

 

 空と柳は、すっかりラブラブだ。

 

 

「おぉ、太っ腹」

 

「気にすんな気にすんな。ほら、持ってってくれよな」

 

 

 照れてるなあ。ま、有難く頂こう。

 

 

「じゃあ遠慮なく。それで?」

 

「お陰さんで。来週の連休にはウチの両親に会ってもらうよ」

 

「展開早いな」

 

「取り敢えず顔合わせしときゃ、親父もちったぁ安心するかなとか思ってさ」

 

「……親父さんの具合は?」

 

「んー。一進一退っていうか、まあ相変わらずだな。直ぐにどーのって事は無ぇけど、ちょっと気弱になってるかな。でもまあ、兄貴んとこが直ぐ近くに居てくれてるから」

 

 

 自分がふらふらしてるのが親父の今の一番大きな心配事なんだ、と空はカラカラ笑った。

 

 

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 今日のバイトは忙しかった。ロクに休憩も取れず、空や他のスタッフ達と話す暇すら無い程に俺達はバタバタ黙々と働いた。

 この時期は毎年こうなる。ま、仕事があるって事は有難い事。

 

 

「やぁ〜終わった終わった」

 

「お疲れさん」

 

「明日もこんなんかなあ」

 

「これ以上かもしれないからよろしくな!」

 

「ひゃあ」

 

 

 残業、2時間。やっと解放されて、皆はぎゃいぎゃい言いながら『景気付けに飲むぞ!』と妙な気炎を上げてる。もうナチュラル・ハイだ。

 

 そんな彼等の誘いを躱しすり抜け断って、俺は家に向かう足を速めた。だって写真集があるんだ。これ観るんだ。その楽しみがあったから今日のハードなバイトも頑張れたんだぞ。

 

 

「ただーいまー」

 

 

 誰も居ない部屋のドアに話しかけながら鍵を開け、電気を点け、靴を脱ぎジャンパーを脱ぎ軽く暖房を入れ、朝の残りのコーヒーをレンジで温め直す。

 夜食は後。以前、食いながら写真集を観てたらその上にこぼして大後悔した事があるから、もう絶対それだけはしない。

 

 

「いぇ〜い」

 

 

 口からは謎の歓声が飛び出す。一方で両手は写真集のカバーをそろそろ剥がす。頭の中は既に中欧。暖まって血行が良くなったせいで右足が痒くなってきたから左足で掻いてやる……何か俺、今すっごくバラけてんなぁ。

 

 ちょっと深呼吸して自分を落ち着けて、写真集を一ページずつ眺めて行く。

 石畳の道、赤煉瓦の屋根、其処に住む人々の日常生活の断片。

 

 ……何だろう、何かすごく

 

 

「懐かしいな」

 

 

 言葉にしてみたらしっくり来た。しっくりすぎて自分でびっくりした。俺の生まれ故郷にだってそこまで懐かしさを感じないのに。

 未だ中欧なんか行った事なんか無い。それなのに、何で……。

 

 

(この風景のせい?)

 

 

 石畳の道は、今住んでるこの街を連想しないでも無い。でも逆に、それ以外は大した共通点は見出せない。首をひねるばかりだ。

 

 でも、答えは思ったよりも早く呈示された。丁度、半分くらいまでページが進んだ時。

 

 

「……見つけた」

 

 

 居たんだ。

 俺が会うべき人が、其処に。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

12月某日

 

 

「チェコぉ?!」

 

 

 空の間の抜けた叫び声が公園を横切って行く。

 

 

「何でまたトートツにそんな流れになってんだ」

 

「空のお陰だよ」

 

「え?俺、何か悪い事した?」

 

「してないしてない。寧ろ感謝してる」

 

「相変わらず分かんねぇな、お前のそういうトコ」

 

「ごめん」

 

「別に謝らなくても良いけどさ……そんで、いつ行くんだ?」

 

「来年の夏かな」

 

「じゃあ、早ければあと半年ってとこか。あっと言う間だなぁ」

 

「多分ね」

 

 

 天気は良いけど風は冷たい。どんどん湯気の減ってく中華まんを俺達は慌てて頬張った。

 

 ……『彼女』を見つけた俺は、あれから出版社に何度も問い合わせた。それで漸く分かったのが、あの撮影場所がプラハ近郊の街だったという事と、撮影されたのが去年の冬だという事。

 撮影した本人にも直接聞きたかったが、担当者によれば彼は今南米だという。現状では、こっちは諦めるしか無かった。

 

 粗方食い終わって缶コーヒーを一口飲んで、それから空がまた聞いて来る。

 

 

「いつ戻って来るんだ?」

 

「うーん」

 

「決まってねぇのかよ」

 

「分かんないんだ、こればっかりは」

 

「まさか、向こうに永住とか?」

 

「それは無いけど」

 

「……何なんだよそりゃ」

 

 

 あー分っかんねぇな!と空は苦笑い。残ってたコーヒーを全部飲み干すと

 

 

「とりあえず、元気で居ろよ」

 

 

 と、気の早い餞の言葉を送ってくれた。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

12月某日

 

 

「へぇ、チェコかあ」

 

「うん」

 

 

 明日はオフだという空五倍子と居酒屋で飲む。と言っても、彼は大会が控えてるから既に調整に入ってる。って言う事でウーロン茶オンリーだ。ちょっと申し訳ないと思いつつも、俺は報告を兼ねてチェコ行き計画の話をした。

 

 

「まあ、鴇らしいかな。でも予想範囲内っていうか」

 

「あ、範囲内なんだ?」

 

「それにお前、一カ所に定住するタイプじゃない」

 

 

 お、言い切られた。

 

 

「そう見える?」

 

「見えるさ。大体、流黎なんていう名前からして落ち着いてない」

 

「わー辛辣」

 

「でもそうだろ。弥も言ってた、お前は下手に定住したら澱むタイプだって」

 

「枯野には言われたくないよ」

 

「仕方無いさ。名前じゃお前と良い勝負だからな。彼女は走ってないと生きてる意味が無いなんて思うような人間だろう?『自分は名前そのまんまの人間だ』とか嬉しそうに言うんだよ」

 

 

  --------旅に病んで夢は枯野をかけ廻る--------

 

 

 唐突に俳句を思い出した。あれはえー……芭蕉だ、芭蕉。

 

 

「枯野って言ったらフィールド。どんな形であれ、色んな土地を渡り歩いてその土地を走って、空気を直に感じられるのが幸せなんだとさ」

 

「ホントに好きなんだなあ」

 

 

 本当に……『もう一度走りたい』という夢が夢のまま終わらなくて良かった。

 

 

「だから俺は、弥が走るのをサポートしてやりたいんだ。出来る限り長く」

 

「どう言う事だ、それ」

 

「うん……」

 

 

 俺の問いに直ぐには答えず、皿に残ってた焼き鳥をぽいぽいと口に放り込んで10回程もしゃもしゃ咀嚼して、ウーロン茶と一緒に胃袋に流しこんでから、徐に続きを話す。

 

 

「実は、今行ってるメッセンジャーの会社。社長が『代表になってやってみないか』って言ってくれたんだ」

 

「で?」

 

「受ける事にした」

 

「じゃあ、レースは?」

 

 

 年明けの大会で優勝すれば、プロへの道も開けるっていうのに。

 

 

「てっきり優勝してそのままプロへ転向すると思ってた」

 

「プロにはならない。でも優勝は頂く。そうしたら弥と結婚する」

 

 

 自分で決めた道を進む。才能のある彼がプロの可能性を捨てるのを『勿体無い』と言う人は居るだろう。でも彼には今、何にも代えられない大切な物が有るって事だ。

 

 

「何かお前、カッコいいなあ」

 

「ンな事言ったって奢らないぞ」

 

「照れるな照れるな」

 

「でもお前が夏には行っちまうんなら、式の予定を前倒ししないと」

 

「別に俺に合わせなくても」

 

「何言ってる」

 

 

 べし、とおしぼりを持った左手で頭をはたかれる。

 

 

「俺達の式には絶対出てもらうぞ。そうじゃないと俺が式の直後にシメられる」

 

 

 ……思い出した。枯野に言ったなあ。ちゃんとコイツとの結婚を見届けるって。

 

 

+++++++++++++++++++

 

 

12月某日

 

 

「聞いたよ、鴇」

 

 

 空五倍子と話した翌々日、今度は枯野と喫茶店にいた。

 

 

「ごめん」

 

「何で謝るの?私は、いよいよ鴇が動き出すって知って嬉しいよ」

 

「そう?なら、助かる」

 

「助かるも何も、鴇は根っからの旅人でしょ。私もある意味同類だからね」

 

 

 そう言ってニッと笑う。

 

 

「走ってないとダメってヤツか。空五倍子が言ってた、名前そのまんまだって」

 

「そうそう!私、高校で芭蕉を知って自分の名前に納得したもの」

 

「俺も思った。『旅に病んで……』ってヤツじゃない?」

 

「それそれ!」

 

 

 ニュッと俺の目の前に両手を出して、そこでパチパチ小さく拍手する。

 

 

「だから私は走ってるんだなーって分かった。歩いても何でも良いんだけど、要は『自分の足であらゆる土地を踏みしめる』事がしたいんだよね」

 

「そうだな。良く分かるし、凄くしっくり来る」

 

「ただ、そこから先は私と鴇では違うと思うんだ。鴇が色んな所へ行くのは『会うべき人たち』に会うため。そうだよね?」

 

 

 どくん、と心臓が一つ大きく鳴った。

 会うべき人に会うため……空五倍子には言ってなかった筈。

 

 

「何で知ってるんだ?」

 

「同類だもの」

 

「いくら同類だって言っても。しかも複数だし」

 

「たぶんね」

 

「そこまで言われると信憑性が……」

 

「変なトコで疑り深いわねー。じゃあ、鴇の本名を知ってるって言ったら信じる?」

 

 

 突然何を。

 

 

「俺きちんと本名ですけど?」

 

「うん、音は一緒。でも本当は……こう書くんじゃないの?」

 

 

 俺の胸ポケットに刺さってたペンをすいっと取ると、手元の紙ナプキンにさらさらとそれを走らせた。

 

 

 『流 刻』

 

 

 ……当たりだ。

 

 

「ながれ、とき。つまり、時の流れを旅する人。時の流れを超えて会うべき人に会うために、何度でも人生という時間の流れを流浪する人なのよ」

 

「サブイボ立った。そんな意味まで?」

 

「そうみたい」

 

「どこでそれを?」

 

「それが面白いんだけど、事故の時にね」

 

 

 はい、とペンを俺に返しながら彼女はタネ明かしをしてくれた。

 

 

「事故の直後から殆ど意識不明だったけど、その間ずっと……夢を見てたって言うか、別世界に行ってたって言うか、そんな感じだったワケよ」

 

「三途の川?」

 

「違うわよ。臨死体験じゃないの」

 

 

 枯野はケラケラ笑う。

 

 

「綺麗な白髪のおじいさんが居てね。その人に私、お礼を言われたんだ」

 

「は?」

 

 

 突然の異世界話に一瞬ついていけない。自分の顔の筋肉が一気に硬直するのを感じた。

 今、俺は最高に情けない間抜け面をしてる筈だ。それが証拠に、枯野が『何て顔すんの』と笑いながら俺の額をおしぼりでべち、と叩く。

 

 

「それ誰?仙人?」

 

「違う違う。その人がこの人だったっての」

 

 

 人差し指で、先程の紙ナプキンをトントンとつつく。

 

 

「……だとすると、それ、俺の祖父さんて事になるんだけど」

 

「なるほどねー。納得」

 

 

 俺は全く納得出来ない。

 


「勿論、鴇のお祖父さんには会った事無いよ?でもどうやら“前世”とかで関わりがあったみたいなんだ。で、『自分の名を継いだこの者を通じお礼申し上げる』とか言ってね」

 

「確かに、名前は祖父さんのをもらったって聞いた事あるけど……」

 

「あと、『今こそ貴女に恩をお返しする番』とも言ってたわね。だから私が助かったのは、貴方のお爺さんのお陰なのかも」

 

「待てよ。輸血に協力したのは俺……」

 

 

 祖父さん、良いトコだけ持っていくんじゃないよ。

 

 

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 俺の誕生日は、祖父の命日から丁度一年後。両親はそれに何か因縁を感じて、祖父の名前を俺に付けたのだと聞いた事がある。

 そして俺は、小さい頃から祖父が愛用していた万年筆を欲しがったり、初めて祖父の墓参りに連れていかれた時に、一人でさっさと祖父の墓の前まで辿り着いてたりしたそうだ。

 

 そんなだったから『この子は、おじいちゃんの生まれ変わりかもしれないね』なんて言われたりしたもんだったけど。

 

 ……祖父さんとの因縁も、その内なにか分かるんだろうか。

 

 

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