「おぅ、聞いたぜ」

 

 

 翌朝、顔を合わせるなり白群が口を開いた。

 

 

「両腕だけで操縦だって?面白い事考えつくな、あんた」

 

「そうか?殆ど俺の我が儘だが」

 

 

 そう言う仁の頭を、今度はぐしゃぐしゃとかき回した。

 

 

「我が儘でも何でも良いさ。こんなの、今まで誰も言わなかったし」

 

「……いい加減止めろ、コラ」

 

 

 流石に鬱陶しくなった手を乱暴に振り払い睨み付ける……だが、其処にあった白群の眼差しに仁は黙り込んだ。

 

 

「……実際、俺も今回初めて考えた。もし俺があんたみたいな状況になったら、と」

 

 

 咄嗟に何も返せない。戦後7年以上が経過したとは言え、白群でさえ……いや、彼だからこそ、胸を抉られるような思いに襲われる事があるのが当たり前だ。

 

 

「……そうか」

 

 

 後悔、慟哭、そして……懺悔。

 

 

「ビャク、アンタだって自分しか知らねぇ苦労があるだろ」

 

「そんな事言うなら、誰だって苦労してる」

 

 

 白群が、一つ大きく息をついた。

 

 

「所詮、当事者しか分かんねぇんだ。仕方無ぇよ」

 

「まあな……」

 

 

 暫しの沈黙。白群は天を仰いだ。

 

 

「……これ迄にも、やむなくパイロットをリタイアした奴等が少なからずいる。あんたの話が具体化すれば、何人かは復帰の可能性も出て来る。あいつらの浮かれる顔が見たいもんだ」

 

「なら、先ずは檜皮に頑張ってもらわねぇと。試作機が出来るかどうかは彼次第だ」

 

「ああ。檜皮も上司冥利に尽きるだろうよ」

 

 

 互いにニヤリと笑う。

 

 

「さて、準備に入るか」

 

「おう。アンタの真髄を見せてもらうぜ」

 

「一日じっくりやってやる。へばるなよ?」

 

 

 軽口をたたき合いながら、二人は格納庫へと歩き出した。

 

 

--------------------------

 

 

 練習機の前で訓練内容を確認しあっていた鳶と浅葱は、右後方から響いてきたエンジン音に振り向いた。

 

 

「始まりましたね」

 

 

 そのまま、飛び立つブルーの機体を見送る……と、浅葱が『あれ?』と首を傾げた。

 

 

「テイクオフのパターンが、いつもと違っていたんです」

 

 

 どうしたかと問えば、そんな答えが返ってくる。

 

 

「ああ。気合いが入ってますよね、白群も」

 

「……これまでも、指導官とはよく飛ばれてますけど」

 

「全マヌーバ解禁だそうです」

 

「はあ……成る程」

 

 

 今ひとつピンと来ていないようだが、それでも良いかと鳶は更なる説明を避けた。浅葱が“其れ”を感じ取れるようになるのは、もう少し先だ。

 

 

「あの様子だと、明日は相当ハードになりますよ。頑張りましょう」

 

「あ、はい!宜しくお願いします!」

 

 

 鳶に敬礼して一足先に練習機へと走り去る浅葱の背を見送る。その視界の端を白群の機体が掠めた。

 

 

 

 ……昨日の、仁との会話を思い出す。

 

 

『悲愴ぶる気はこれっぽっちも無ぇが、俺も必死なのは確かだ』

 

 

 檜皮のもとを辞してから、彼は半分独り言のように話し出した。

 

 

『俺は、ついこの間まで戦争の直中に居た。ビャクだって戦火をくぐり抜けた末に、此処に居る。おまけにアイツは常に極限に挑んで来た。俺達には“攻める意識”みたいなモンが根っから染み付いてんだと思う。
 対して他のヤツらは、本格的にパイロットとして活動し始めたのが終戦後だろ。基礎から系統立てて教え込まれているから、質のバラつきは確かに少ねぇ。だが正直、何処か面白味に欠ける……俺はそう思っちまうんだろうな』

 

 

 大戦を生き延びたという点では鳶も同類だ。言わんとする事は解る。

 

 

『単なる世代の違い、という訳ではありませんよね』

 

『世代って言うより、時代だな。ドンパチが無ぇのは有難ぇんだが、環境があまりにも違いすぎる……このズレは本当に、どうしようもねぇ』

 

 

 浅葱の熱意と必死さは嘘ではない。だが根本が違いすぎて、仁とは比較のしようも無い。

 

 

『そうしたギャップは自分もよく感じました。この7年でようやく馴染んだという感じです』

 

『それだけの時間は必要さ』

 

 

 檜皮も白群も、当初は相当戸惑っただろう。しかしSS所属となった事で、つぶさに敗戦後の経過を見つめ、新しい時代に馴染もうと努め、己を納得させてきた。

 

 だが、仁にはその時間すら無かったのだ。その中で重責を負い、日々の任務に邁進している……彼の強靱な精神力と忍耐力に改めて感服した。

 普通なら心の均衡を崩していてもおかしくない……。

 

 

『何だ?』

 

 

 振り向きざまに問われた。こちらの思考を読んだかのようなタイミング。

 

 

『……貴方はタイムリープして此処へ来られました。白群や自分のような時間的猶予も無いままに』

 

『……』

 

 

 仁は何も言わない。続けろと目で促す。

 

 

『自分などには想像出来ないストレスもあると思います……それでも貴方は、前へと進み続ける。その強さの源は何だろうかと、考えていました』

 

『強さ、か』

 

 

 鳶の言葉を噛みしめるように、彼は暫く黙り込んだ。

 それから、ぽつりとひと言。

 

 

『……強くなんかねぇよ、俺は』

 

 

 その言葉に、鳶は底無しの孤独を感じ取る……だがそれも一瞬の事だった。

 


『補佐がアンタじゃなかったら、こうは行かなかっただろうさ。ただ、俺には目標がある。だから頑張っていられる、それだけだ』

 

 

 ニッと笑って告げられる。

 

 

『目標……ですか』

 

『ああ』

 

『其れを、お伺いしても?』

 

『31のヤツらと再会する事だ。いつになろうが、俺は待つ』

 

 

 ……これを聞いた瞬間に感じた物を、何と説明すれば良いのだろう。鳶の全身に鳥肌が立った。

 

 

『再会……』

 

 

 思わず漏れ出た声は掠れていた。

 

 

『そうだ。芥が、その目標をくれた』

 

 

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(山吹 芥……か)

 

 

 仁との訓練を終えて着陸態勢に入った浅葱の機体を見守りながら、鳶は心中で独りごちた。

 異世界から跳んできたという人物が仁に与えた影響は多大だ……彼の生き方を大きく変えるほどに。

 

 

『……芥は、元の世界に還る事を諦めちゃいなかった。全く方法なんざ解らねぇ、しかも戦時中のゴタゴタの中で、それでも希望を失わなかったんだ。
 そんなアイツのお陰で、敬も単に失踪したんじゃなく、どこか別の世界で生き延びてるのかもしれねぇと思うようになった……その時は未だ100%信じてたワケじゃねぇがな。

 ところがそうこうする内に、俺までタイムリープしちまった。こうなったらもう、信じるしか無ぇだろ。だったら俺がすべきなのは、皆を信じて待つ事だ。その為にも俺は、生きてかなきゃなんねぇ』

 

 

 だから、檜皮の要請を受諾した……此処で生きていく為に。

 

 

『だからって適当に済ませるつもりは無ぇ。自分に出来る最大限の貢献をする覚悟だ』

 

 

 彼はSSに留まるつもりは無い。だからこそ、己の全てをつぎ込んでいる。

 

 

(こんな訓練を見せられたら、嫌でも解りますって)

 

 

 鳶の視線の先で訓練機が一際大きなエンジン音を響かせ、急制動がかかった。

 

 

「さて、浅葱の反応が見物だな」

 

 

 隣で同じく様子を見守っていた白群がそう言って笑う。

 

 

「荒療治にも程があります」

 

 

 それだけ返すと、鳶は停止した機体に向かって走り出した。
 ……たった一度だけだが、飛行中に仁はとんでもない事をやっていた。その影響を確かめねばならない。

 

 

「お疲れ様です。いかがでしたか」

 

 

 先ずは後部シートのキャノピーを開け、仁に声をかけた。ヘルメットを外した彼の様子はいつもと全く変わらない。

 

 

「どって事ぁ無ぇ。それより浅葱を見てやってくれ。かなりショックだったらしくてな」

 

「そりゃそうでしょう。あんなの、誰だって肝を冷やしますよ」

 

 

 急上昇から背面飛行の過程で、いきなり機体が予定外の錐揉降下をした。見ていたメンバーの中からも墜落かと叫び声が上がり、白群ですら一瞬身を固くした。

 

 だが、仁は乱気流の発生を察知した上で、わざと其処へ機体を突っ込ませたのだ。其れは正に、彼にしか出来ない芸当だった。

 

 ……空に守られ、空を味方につけている稀有な人物。

 

 

「大丈夫ですか、浅葱?」

 

 

 前部シートへ回り、キャノピーを開けた。微動だにしない彼の肩を軽く叩くとビクッと体を震わせ、我に返る。

 

 

「大丈夫ですか」

 


 再度、声を掛ける……と、鳶は突然、浅葱に両腕を掴まれた。

 

 

「……凄いです、補佐官!何故、あんな事が……凄い!」

 

 

 声が上擦っていた。興奮状態だ。

 

 

「レーダーには映っていなかったんです、でも、指導官は……!」

 

「やっと気付いたか?」

 

 

 白群が、鳶の後ろからひょいと顔を覗かせた。

 

 

「リーダー……」

 

 

 幾らか冷静さを取り戻した浅葱に、白群は大きく頷いてやった。

 

 

「スゲーだろ?これが、こいつの“本領”だ」

 

 

--------------------------

 

 

 興奮冷めやらぬ浅葱と、彼に群がるメンバーは白群に任せ、仁は鳶と共に訓練機で離陸した。

 


[そう言や、一緒に飛ぶのはこれが初めてか?]

 

[そうですね。やはり白群との波長合わせが最優先でしたから]

 

[ああ。お陰でかなり感じ取れるようになったな……海に向かってくれ]

 

[了解]

 

 

 即座に鳶は旋回し、機首を海へと向けた。

 

 

(……成る程、似てる)

 

 

 一連の動きに、仁は密かに唸った。荒削りではあるが、妙に自分の感覚とシンクロする。たまたま元から似たタイプだったのかもしれないが、自分を手本としてきた結果がこれだとしたら大したものだ。

 

 

[浅葱はどうでしたか]

 

 

 自動操縦に切り替え、手が空いたところで鳶が尋ねてきた。

 

 

[No.2なだけはある。基本はパーフェクトだし、メカの扱いも申し分無ぇ]

 

[そこで“あれ”ですか]

 

[まあな]

 

 

 急降下の件だ。

 

 

[何とか行けるだろうとは思った。操縦桿は連動にしてたしな。あれであとコンマ3秒遅かったら手を出してたが、結局は触らず終いだ]

 

[指示は?]

 

[一度だけ。俺が思ってたよりも冷静に対処出来てたからな]

 

 

 これは結構高い評価だ……当の本人は、それどころではなかったようだが。

 

 

[では、あの動作は全て彼のものだったと]

 

[そうだ。あれならいずれ、VIP警護でも行けるようになる。アイツがその役を持てるようになればビャクの負担が減るしな。後は……そうだな、木欄あたりが伸びてくりゃ面白ぇか]

 

 

 彼はSSに留まらない。だから今の内から……。

 

 

[鳶]

 

 

 思考に沈み込む鳶に、すかさず声がかかった。

 

 

[あ、はい]

 

[年単位で先の話だ。慌てなくて良い]

 

[……はい]

 

 

 気持ちを切り替え、顔を上げる。視界に広がる海が眩しい。

 ……彼は、この海岸で発見されたと言っていた。

 

 

[まだまだ苦労かけるがな]

 

[いえ……自分も努力します]

 

 

 そう、今は目の前の事に全力を尽くす。それだけだ。

 

 

[よし、そうしたら180°ターン。そこから先程のマヌーバを一通りやってみてくれ]

 

[了解]

 

 

 即座に言われた通りの動作に入る。傾き始めた陽を受けて黄金色に輝き出した海を背に、機体は滑らかな動きで急上昇に入った。

 

 

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 翌日から5日間、仁はメンバーにマンツーマンでの現場指導を行った。

 訓練機に同乗し、文字通り体で個々の特性と問題点を改めて把握する。現場指導は1日に2人……それでも時間は足りないが、当面に必要な情報を得るのが先決だ。本人と白群を交えたミーティングには鳶をオブザーバーとして同席させ、意見の偏りや誤解が生じないように配慮した。

 

 一通りの指導を終え、翌日からいよいよ3晩連続の夜間訓練となった。

 

 

「……本当に大丈夫ですか?」

 

 

 初日が終了し解散となったところで、鳶が遂に耐え切れず、仁の体調を気遣う言葉を発した。

 

 

「大丈夫だ。他のヤツらだって問題無ぇだろ」

 

「彼等は適宜に休憩を取れています。貴方はロクに休んでもいない」

 

「大した事じゃねぇ。睡眠もとってるし、コレが済んだらゆっくりさせてもらうさ」

 

「ですが……」

 

「言うな」

 

 

 他に聞こえない程に小さな声で、しかしこれ以上にない程の厳しさで、仁が鳶を咎める。

 

 

「蒼が後ろにいる。迂闊に話すんじゃねぇ」

 

 

 脚に相当の負担がかかっている、それは彼自身が一番解っていた。

 疲労は肉体の弱っている部分を容赦なく攻撃してくる。痺れが増強し、気を抜くと脚を引き摺りそうになる。

 当然、鳶には気付かれていると思っていた。だが他のメンバーに知られたくはない。

 

 

「申し訳ありません」

 

 

 白群に一声掛け、二人は先にミーティングルームを出た。

 

 

「……あと二日だ。それで第一段階は完了する」

 

 

 周囲に誰も居ないのを確認して、仁が話を再開させる。

 

 

「心配は分かるが、此れもリハビリだと思っといてくれ。アイツらに今、余計な気兼ねをさせるワケにゃいかねぇんだ。訓練には全力で取り組んでもらわねぇと」

 

「確かにそうですが、既にかなりの無理が……」

 

「だとしても、こればっかりは脇で眺めてたら意味が無ぇ」

 

 

 皆まで言わせず、彼は鳶に切り返した。こうなると、とりつく島もない。

 

 

「……あまりご自身を過信されないように」

 

 

 軽く溜息をつき、鳶はそれだけ言った。補佐としての忠告以前に、彼の体調を本気で心配しているが故の言葉だ、それは痛い程に感じる。

 

 

「解った。これが済めばビャクが暫く中心になる。そうしたら2・3日休ませてもらう」

 

「ええ、是非。後で自分が手配しておきます。ちょうど檜皮にも呼ばれていますので」

 

 

 言いながら二人は管理棟に向かった。

 鳶は仁を気遣い、半歩前を行く。深夜の静寂が通路を支配し、二人の足音と仁の杖の音だけが響いた。

 

 程なくして二人は渡り廊下に差し掛かる……と、鳶が此方へ早足に向かってくる人影を認め、立ち止まった。

 

 

「珍しいですね、こんな時間に」

 

 

 渡り廊下は建物内の通路よりは格段に狭く、照明も暗いので直ぐに人物の特定は出来ない。帽子も被っていれば尚更だ……だが、着ているのは設備管理部門の作業服だった。

 

 

「今夜中に直さなきゃなんねぇトコでもあるんだろう」

 

 

 確かにその人物の腕には、小振りの工具箱。現場に急いでいるところかもしれない。

 

 

「待っといてやるか」

 

 

 渡り廊下の手前で二人は壁際に寄り、彼に道を譲る。相手は近づいたところで帽子を取り、目礼の仕草を見せながらも急ぎ足で二人の横を通り過ぎた……その瞬間。

 

 

(なに……!?)

 

 

 相手からの強烈な気配を感じる……殺気だ。

 

 

「……常磐!」

 

 

 狙いは彼だ。しかし後ろからの襲撃に鳶のガードが遅れる。

 仁も身を躱そうとしたが、痺れた脚が枷となり意思に身体がついていかない。

 

 

(畜生!)

 

 

 避けきれない。咄嗟に杖を両手で持ち身体の前で構えたが、相手はそれを掻い潜るように体当たりしてくる。

 

 

「……っ!」

 

 

 杖が吹き飛び、仁は壁に叩き付けられた。同時に左肩に走る激痛。

 

 

「貴様、何を!」

 

 

 鳶が相手にタックルをかけ引き剥がす。反動で仁はその場に倒れ込んだ。その肩にはジャックナイフが深々と突き刺さっている。

 

 

「鳶……」

 

 

 目の前で、鳶とその男が揉み合いになった。加勢したくとも身体が動かない。仁は歯噛みした。

 

 ……と、唐突に銃声が一発。相手はギャッと喚いて自分の大腿を抱え転げ回る。すかさず鳶は体勢を立て直し、相手を後ろから羽交い締めにした。

 

 

「常磐!鳶!」

 

 

 続いて二人の名を呼ぶ声と駆け寄ってくる足音。

 

 

「ビャク……!」

 

「大丈夫か、鳶」

 

 

 彼が組み敷いている相手に銃口を向けたまま、白群が声を掛けた。

 

 

「自分は大丈夫です。それよりも常磐が、刺されて……」

 

 

 全てを聞き終える前に、彼は仁に近寄り上体を抱え起こした。壁に凭せかけるようにして座らせ、状態を確認する。ナイフは敢えてそのまま残した。

 

 

「側頭部も打ったな、血が出てる。そのまま動くな」

 

「ああ」

 

 

 軽傷とは言えないが、命に別状は無い。ホッと息を吐くと、白群は改めて彼を襲った男に向き直った。

 

 そこで、鳶の表情が強張っている事に気付く。

 

 

「どうした、鳶」

 

 

 相手を後ろ手に縛り上げながら白群は問う。
 鳶は抑えつけていた腕をゆっくり離し、ポツリと答えた……悔恨の色を滲ませて。

 

 

「饗庭です。この男、情報部所属だった……」

 

「情報部……海軍のか?」

 

 

 聞いた白群は眉を顰めた。二人の遣り取りを聞いた仁も微かに反応する。

 

 

「兎に角、人を呼んでくる。こいつを抑えててくれ、もう暫く……」

 

「手前ぇ、蘇芳!この野郎!!」

 

 

 二人の話を遮って罵声が響いた。止めを刺せなかった悔しさからだろうか、男が歯を剥き出しにして喚き散らす。

 

 

「この悪魔め!お前等のせいで負けたんだ、この国は!!お前が大尉を殺して“あの情報”を売ったりしなけりゃ……31なんざ国賊だ!畜生!!」

 

「なに……」

 

 

 仁の表情が固まった……記憶が一気に蘇る。

 

 

 

『……芥がヤバい、黄丹が何か手を下したかもしれねーって』

 

 

 あの時……統が血相を変えてやって来た。

 

 

『誠が救出に行ったけど、早く追いかけねーとマズイ。芥を助けて此処を出るって……彼がそう言った。俺も賛成した。だから……仁、後からすぐ来てくれ!』

 

 

 芥の身が危険に曝された事だけは理解出来たが、実際に何があったのか……それは今でも分からないままだ。だが黄丹の部屋に入った時、統は右肩を撃たれ、誠は黄丹に殺られる寸前だった。

 

 

(もう、止めてくれ……!)

 

 

 思った時には彼の頭を撃ち抜いていた。後悔は無い。

 そんな事より、もう誰も失いたくなかった……その思いだけが頭を占めていた、あの時。

 

 自分は潔白だと言う気など毛頭無い。

 だが、此処まで来て何故、仲間が貶められなければならないのか。

 

 

「……何て言いやがった?」

 

 

 仁の影が動いた。ず、と這いずるようにして饗庭に近寄る。

 先程己に向けられたものの数倍の殺気を放ちながら。

 

 

「常磐……」

 

 

 鬼気迫る彼の姿に、鳶だけではなく白群すらも言葉を失った。今まで耳にした事の無い程に低く、唸るようなその声音。饗庭でさえも彼の本気を嗅ぎ取り、顔色を失う。

 

 

「何だ、っつってんだよテメェ」

 

「……」

 

 

 饗庭は声も無い。つい今しがたの勢いは何処かへ吹き飛んでいた。
 確実に近づく、彼の姿。視線。見えない糸に拘束されたように、饗庭は全く動けない。

 

 

「おい……聞こえねぇのか?」

 

 

 仁の瞳が狂気を帯びた。

 これが、彼の奥底に押し込められていたもの……。

 

 

「あぁ?もう一度言えってんだ……この野郎がっ!!」

 

 

 闇を揺るがす怒声に、白群が先に我に返った。

 

 

「仁、よせ!」

 

 

 彼の行動に気づいた白群が叫ぶ。

 鳶は動けない……その目前で仁は左肩に刺さっていたナイフを一気に引き抜いた。刃先はそのまま弧を描いて饗庭の喉元を狙う。

 

 

「ひっ……」

 

 

 ナイフが床に刺さる音を耳元で聞き、饗庭は悲鳴すらまともにあげられずに失神した。漸く自分を取り戻した鳶が、慌てて確認する……ナイフは饗庭の首の皮一枚を切り裂き、床に突き立っていた。

 

 

(何て事だ……)

 

 

「鳶、立て!医療班を即刻連れて来い!出血が酷い!」

 

「あ……はい!」

 

 

 白群の叱咤を受け、鳶は弾かれたように立ち上がった。医療棟に向かって走り出す。

 

 

「おい!しっかりしろ、仁!」

 

 

 声を掛けながら止血を試みるが、血は容赦なく流れ出る。

 急速に顔色が失われていく。怒りの色が消えた瞳は、今は虚ろに澱んでいた。

 

 

「…敬……」

 

 

 無意識の内に弟の名を呟く。

 そして仁は気を失った。

 

 

 

>>>TDA(5)

 

 

20120610-20190505