Transfinite(4)

 

「送信以上です」

 

『確認しました。次は21時になります』

 

「了解」

 

 

 予定通りに答案用紙を送信し、通信を切ると鷲は芥に声をかけた。

 

 

「僕達も休憩しよう」

 

「ホールへ?」

 

「いや、此処で。今からリィライに持って来てもらうよ。研修が終わる明日の昼までは此処から出られないんだ」

 

「上司も大変なんだな」

 

「僕は別に良いんだけど。悪いね、君まで付き合わせてしまって」

 

「大丈夫、缶詰めには慣れてる」

 

 

 芥の返しに苦笑し、彼は奥のドアを指し示した。

 

 

「そっちに僕専用の居住スペースがあるんだ。ベッドと洗面だけだけどね」

 

「見ても?」

 

「勿論」

 

「じゃあ遠慮無く」

 

 

 言いながら立ち上がって伸びをする。ぶっ通しでファイルに目を走らせていた為か、軽い頭痛を覚えた。

 

 

「リィライが来るまで寝転がってたら良いよ」

 

 

 ドアを開けたところでそんな言葉をかけられ、これ幸いと芥は左奥のベッドに腰を下ろした。そのまま仰向けに倒れ込めばベッド脇の壁一面に収められている書籍やファイルが視界に入り、その量に圧倒された。

 

 

「夕食、オ持チシマシタ」

 

「ありがとう。ああ、彼の分はその上に置いて」

 

「芥サンハ、ドウサレマシタカ」

 

「そっちの部屋にいるよ。休憩中」

 

「アマリ彼ヲコキ使ワナイデクダサイヨ」

 

「君に言われたくはないね」

 

 

 聞こえて来る遣り取りに、笑いが零れる。

 

 

「ハウスの方は?皆変わり無い?」

 

「居住者ノ皆サンハオ変ワリアリマセン」

 

「他には?」

 

「夕方ニあぽ無シデ来客ガ一件」

 

「誰だった?」

 

「すぴおんデス」

 

「……スピオンが?」

 

 

 鷲の声が固くなるのが分かった。

 

 

「用件は?」

 

「芥サンヲ探シテイルヨウデス。先日、白花サンニ付キ添ッテイタノハ誰カト聞カレマシタ」

 

「本当の事は言ってないね?」

 

「アノ方ハ基本オ一人デ外出サレルノデ、タマタマ外デ行キ会ッタ人デハナイデショウカトオ答エシマシタ」

 

「うん、上出来。ありがとう。そうしたら、今日の業務が全て終わったらもう一度此処に寄ってくれるかな。0時を過ぎてても構わない」

 

「分カリマシタ」

 

 

 最後に『無理ハシナイデ下サイネ』と芥に声をかけ、リィライが退室する。

 

 

「やれやれ、彼女は本当に君を気に入ってるね」

 

「……此処のメカニックはウソもつけるんだ」

 

「必要と判断したからだよ。大丈夫、彼女は君の味方」

 

「味方?」

 

「まあ座って。食べながら話そうか」

 

 

 促されるままに先程の席に座り直した。

 

 

「スピオンって?」

 

 

 一口食べてから、芥が先に問い掛ける。

 

 

「例の研究機関の一部門で、改造に関する情報を一括管理している部署。さっき見てもらったファイルも、原本は全て彼等が管理しているんだ」

 

「佐久さんのも?」

 

「勿論。定期的に僕等の居る所を全て巡回してデータを回収するのが彼等の第1の仕事」

 

「2番目は?」

 

「情報の漏洩を阻止する事」

 

「なら、3番目は情報を洩らした人間の処分とか?」

 

「……ホント、君には敵わないや」

 

 

 鷲が小さく両肩を竦めた。

 

 

「俺を此処に連れてきたのは、スピオンから隠すため?」

 

「まあね、そろそろ来る可能性はあったから。まさかこんな大当たりだとは思わなかったけど」

 

「リィライには何て言ってあったんだ?」

 

「君から聞いた話そのままだよ。最初は理解に苦しんだみたいだけど、今は君を元いた世界に戻そうって、彼女なりに必死なのさ」

 

「じゃあ、スピオンを追い返したのは完全に彼女の判断……」

 

「『嘘も方便』を忠実に実行しただけだと思う」

 

 

 今度は芥が肩を竦める番だった。

 

 

「気に入ってもらえてて良かったよ」

 

「そう思ってもらえれば幸い」

 

「けど、これ以上俺が此処に居たら君達に迷惑が……」

 

「そんな心配は無し。そもそも君を此処に引っ張り込んだのは僕なんだし……改造を受けてからずっと考えてた事もあったから」

 

 

 そう言って笑う鷲の目が、温度を感じさせないあの光を帯びる。

 

 

「鷲?」

 

「……このハウスの担当を命じられた時、本当は断りたかった。そんなの無理だと分かってても。

 だけど、実際に佐久さんに会って腹を括った。考えを実行に移そうと決めた。後はタイミングを待つだけだった……でも其処からが長かったんだ、彼とコミュニケーションを取る切っ掛けが掴めなかったからね」

 

 

 長い間耐えてきた物を、一気に吐き出す勢い。芥は自然と口を噤んでいた。

 

 

「此処で佐久さんと初めて会った時、妙な違和感を感じた。勿論、着任前に彼の情報は貰っていたけれど、それでも『どうして“彼”が此処に居るのか』という疑問が浮かんだんだ。

 自分でも何故そんな疑問を持ったのか分からない。理由を知りたかった。けど、彼は以前からずっと僕達スタッフとの交流を拒んでいて、話をする機会など無かった……もう、理由は分からなくても仕方無い。けれど彼の本当の気持だけは知りたい。それを知ってからじゃなきゃ動けない。だから僕は、ずっと待っている」

 

「……」

 

「以前の事を覚えてなくても良いんだ。“今”を生きている彼が何を望んでいるのか……100%は無理でも、出来るだけ本人の意向を大事にしたい、それだけは外せない。

 自然の摂理から外れて生きなければならないのなら、せめて本人が望むものを……」

 

 

 言葉が途切れる。かた、とフォークが手もとから落ちた。

 

 

「……ごめん、芥」

 

「何が?」

 

「君を利用した……君を見つけた時、真っ先に身元照会をした。所在登録が何処にもされていなかったからこそ、僕は君を匿ったんだ」

 

「止めろよ、そんな言い方」

 

「本当の事だ、ひょっとしたらこの人は使えるかもしれないって。駄目ならその時に通告すれば良いって。そんな事を思ってたんだ、僕は」

 

 

 悲痛な鷲の告白。反して、芥の口元には笑みが浮かんだ……本当に、“二人”は何と似ている事か。

 

 

「でも俺は今も通告されてない。スピオンの手にも渡っていない。君のお陰で、異世界で野垂れ死にせずに済んでる。おまけに佐久さんとも話す機会まで貰えた」

 

「でも、それは……」

 

「話の内容、未だ言ってなかったよな?」

 

 

 鷲を落ち着かせるのにはこの一言で十分だった。

 

 

「……ああ」

 

「これから全部言うから。佐久さんの考えも少しは聞けたと思うし、俺自身、改めて君にお礼を言わなきゃいけない事もある」

 

「礼?そんな大袈裟な」

 

「大袈裟じゃない」

 

 

 怪訝な顔をする鷲に笑顔を返す。

 

 

「取り敢えず、これ食っちまおう。リィライ、出来立てを持って来てくれたんだよな」

 

「……そうだね」

 

 

 残っていた夕食を完食し、ひと息つく。そして本題に戻った。

 

 

 

「それで、佐久さんは君に何を?」

 

「此処で暮らしている理由や、研究機関の事とかも少し」

 

「ここでの生活は窮屈だって言ってなかった?」

 

「いや、自分の事が自分で出来るから有難いって。外出しないのは、手続きが面倒だから」

 

「……そうなんだ。改造前の彼とは正反対みたいだね」

 

「正反対?」

 

「そう」

 

「じゃあ、前はもっとアクティブって言うか……」

 

「冒険家だったらしい。以前耳にした噂だと、世界を飛び回ってたって」

 

 

 夕方に見たファイルの情報と全く違う。だが……

 

 

『……空を飛びたいですね、この身体で』

 

「ああ、それで」

 

 

 冒険家だった佐久への憧れ。扇のあの言葉には、そんな思いもあったのだろうか。

 

 

「それで、って……どう言う事さ?」

 

 

 困惑の表情を浮かべる鷲に、芥は“本当の事”を語り始めた。

 

 

「俺、此処に来る前に別の世界にいたって言っただろう?」

 

「ああ。僕にそっくりな人も居たし、君と良く似た子と会ったとも言ってた」

 

「そう。その、俺に似ていたって言う彼の事なんだけど、別れる間際に不思議な事を言ってたんだ」

 

 

 す、と息を吸いなおす。

 

 

「彼も“以前”に、他の世界に跳んだ。そして跳んだ先の世界で俺とも会ってた、って」

 

「……つまり、その子も君みたいにパラレルワールドへ?」

 

「だけど俺と大きく違う点が一つあった。彼は精神だけを跳ばしてしまったんだ」

 

 

 鷲が眉を顰めた。

 

 

「精神だけ?」

 

「そう。体は元の世界に置き去り」

 

「本当にそんな事が?」

 

「あったんだ。其れを証明してくれたのが、佐久さん」

 

「彼が、って……まさか!?」

 

 

 芥が言わんとする事はすぐに分かった。だが流石に予想の域を超えていた。驚愕の表情でまじまじと見つめてくる彼に、芥は頷いて返す。

 

 

「“彼”は今、佐久さんとして生きているけど、人格と記憶は『本来の彼のもの』なんだ。本名を聞いたら、俺が『前の世界で会った彼』と同じだったし、一緒に世話になった人の名も一緒。だから間違い無いと思う」

 

「じゃあ佐久さんは今、その子と同一の存在って事?」

 

「同一って言うか、“器”だけが佐久さんで、“中身”が扇……あ、彼の名前だけど」

 

「名前……」

 

「そう。フルネームは、木賊 扇」

 

 

 大きく見開かれた目が次第に彼本来の色を取り戻し、次いで肩が唐突に震え始めた……緊張の糸が切れたかのように。


「……っはは……何て事だ、本当に入れ替わってたなんて」

 

 

 鷲は力無く笑い……その声も次第に消えていく。何かを一心不乱に考えているようだった。静寂が暫し、部屋を包む。

 

 

「……そうすると、佐久さん自身の精神は改造の時に“亡くなった”んだろうね」

 

「恐らく」

 

 

 小さく溜め息。

 

 

「奇跡だよな。扇って言う子が佐久さんの身体を生き存えさせてる気がしてきた」

 

「改造とか関係無く?」

 

「少なくともこの状況を作った要素ではあるだろうけど……それよりも、こうなれば扇の希望が大切だ。やっぱり、元の世界には戻りたいよな」

 

「うん、それは言ってた」

 

「でもどうすれば戻れるんだろう……それは君も、なんだけど」

 

 

 何か知ってるのでは?と言いたげな視線を向けられるが、こればかりは芥も答えられる事が無い。

 

 

「分からないんだよな、それが……偶発的な出来事が切っ掛けになってるようなんだけど」

 

「て事は、『その時』が偶然訪れるのをひたすら待つ?」

 

「待つ、って感じじゃないな。本当にいきなり、一瞬。『その時』が何なのかもよく分からないし」

 

「……参ったなぁ」

 

 

 鷲は天井を仰いだ。

 

 

「……君が『元の世界』から最初に跳んだ時は、交通事故が切っ掛けだって言ってたよね」

 

「その可能性がある、って程度だけど」

 

「その後は?」

 

「飛行機同士の衝突と、ヘリの墜落」

 

「過激だな」

 

「俺だって出来れば穏便に戻りたいよ」

 

 

 あまりの言われように、芥はついついぼやいた。

 

 

「ちょっと視点を変えようか。何か明るい材料は無い?跳んでしまっても変わらない事とか」

 

「うーん、記憶とかはそのまま保ってられるけど……あ」

 

 

 重要な事を思い出した。

 

 

「一つある。扇はいつか『元の世界』に戻れるって事」

 

 「何だって?」

 

 

 鷲の目が、くるりと瞬く。

 

 

「何故、言い切れるんだい」

 

「俺が『前の世界』で会ったのが、『この世界から戻った後』の彼だったから」

 

 

 一拍置いて、彼は今度こそ盛大な溜め息をついた。

 

 

「さっきの、彼が『跳んだ先の世界』が此処って事だから……君は先に『未来の彼』に会って来た?」

 

「そう言う事」

 

「時間の行き来も自由自在なのか。パラレルワールドならでは、だね……でも、それなら少しは気楽にやれるかな」

 

「何を?」

 

「計画の実行」

 

 

 さっきも言っていた。『考えを実行に移す』と。

 

 

「鷲……一体、何を考えてる?」

 

 

 問いには答えず、時計をちらりと見遣ると鷲は芥に向き直った。

 

 

「21時になったら、また答案や評価の用紙が送られてくるんだ。それを終わらせたら説明するよ」

 

 

-------------------------------------

 

 

「ああ、そうだったんですね」

 

「驚かない?」

 

「そりゃ意外ですけど。でも分かれば色んな事が納得出来ます。花茶、飲んでみますか?」

 

 

 翌日の昼過ぎに、芥はリィライに誘導され密かに事務所から“佐久の部屋”へと移動した。

 連絡を受けていたらしい扇は、黙って室内に彼を通す。それから事務所での顛末を説明していれば、あっと言う間にお茶の時間になっていた。

 

 

「クセがあるので好き嫌いが分かれるようですが、試しにどうぞ」

 

「じゃあ、ちょっとだけ」

 

 

 黄金色に輝く花茶を注ぎ分けながら、彼はゆっくりと口を開いた。

 

 

「意外だと言ったのは、エクスペリメンタルが援助業務に就く事は無いと聞いていたからです」

 

「え、そうなんだ」

 

「はい。少なくともこれまでに、改造を受けた人が住んでいるハウスにエクスペリメンタルが配置された事は無い筈です」

 

「主任じゃなくても?」

 

「そうですね。住人はスタッフの素性は分からない、でもスタッフは住人各々の内情を把握出来ます。ご存知の通り、ハウスに改造を受けた人が居れば、専用のファイルが存在しますから」

 

「どうしても住人のほうが立場が弱い……」

 

「こちらは援助を『必要とする』側です。圧倒的な差があります」

 

「住人の生き死には、スタッフ次第?」

 

「極端に言えばそうですね。勿論、それを肝に銘じて自分をコントロール出来る人じゃないと主任にはなれません。その上で一般援助者のフォローもしていますから、滅多な事にはなりません」

 

「でも彼等だって人間だ……だから、これ迄の此処の主任援助者は長くても3年が限界だったって事か」

 

「互いの距離が近いから、良くも悪くも感情が共鳴しやすい。そんな中でも自分自身を客観視出来る分、精神が悲鳴を上げる時が自分で分かるのではないかと」

 

 

 みんな辛かったと思いますよ、と扇は曖昧な笑みを浮かべる。

 


「更に、改造は本人の意志に関係無く行われると言う根本的な問題があるんです」

 

「拒否出来ないって事……」

 

「表向きには存在しませんからね。気付いたら改造されているんです。そんな風に生き延びられても、あまり嬉しくない。僕がこれまでに会ったエクスペリメンタルの人達も、ほとんどそんな感じでした」

 

 

 鷲も、そうなのだろうか……彼の冷めた眼差しを思い出した。

 

 

「強制的に“生き延びさせられた”という、やり場の無い感情が自分の中で燻り続け、ある時其れが怒りとなって住人へ向かう危険性がある……だから、エクスペリメンタルは援助者にはなれないんです。其れは其れで配慮が行き届いているとも言えますけど」

 

「でも27ハウスは鷲が任命された……“佐久さん”の存在は、本当に別格なんだ」

 

「そうですね」

 

「エクスペリメンタルが自分で自分の存在を消すとか、そう言う事は?」

 

「ありません。と言うより、出来ないようになっているそうです。それを実行しようとすると、意識に刷り込まれた防止システムが作動すると」

 

「暗示みたいな事が……」

 

「そう言う事でしょうね」

 

 

 どちらからともなくカップに手を伸ばし、喉を潤した。暫くの沈黙の後、本題に戻る。

 

 

「鷲の計画を、どう思う?」

 

「彼らしいなと思います。忍耐強くこの計画を進めてきたんでしょう。芥さんの話から行くと、改造を受けた人の恐らく全員に、意向を確認していると思います。協力者がいたとしても、かなりの時間を要した筈です」

 

 「やっぱり、そうだよね……だけど、どうしても気になる事が」

 

「何ですか」

 

「実行後、彼がどうなってしまうのか分からない」

 

 

『死ぬな、芥!!』

 

 

 昨夜、鷲から計画を聞かされた時に蘇った誠の声。

 彼はどうなってしまったのか……そして、鷲はどうするのだろう。

 

 

「……心配なんですね」

 

「扇は元の世界に戻れると、今なら信じられる。俺だって意地でも戻ると心に決めてる……けれど俺はいつも、何もしてあげられない。この世界を離れたら、もう……」

 

「気持ちは分かります。でも、彼を信じましょう」

 

「……簡単に自分の命を捨てるような真似はしてほしくない」

 

「彼も別にそんなつもりじゃないですよ。僕達を、より可能性の高い方法で元の世界に還そうとしてくれているんです。

 刈安さんは優秀な方です。不測の事態にも上手く対応出来る筈ですよ。僕達なんかよりも、ずっと」


「……」

 

「もう少し、いかがですか」

 

 

 花茶を注ぎ足し、芥に勧める。

 

 

「あ、ゴメン。もうお茶は……」

 

「ああ、お口に合いませんか」

 

「うーん。申し訳無いけど、この香りは少しキツいかなって」

 

「やっぱり若者向けではないみたいですね」

 

 

 ふふ、と笑って扇は話題を変えた。

 

 

「実はこのお茶、研究所に居る頃から飲んでいるんです。もう少し南にある国で健康茶として栽培されているそうですけど、その国には長寿者が比較的多いという事もあって『長寿の茶』として売られているんです。根拠は無いらしいですけど」

 

「何故そんなお茶を飲むように?」

 

「当時の研究所長に勧められたんです。これで更に長生き出来るかもしれない、と」

 

「……研究所のトップが、そんな事を?」

 

「お茶だから、効果が無くても害も無いだろうって」

 

 

 面白いですよね、と笑う。

 

 

「最新技術を駆使して研究を進める人達でも、そうした物に頼りたくなる心理は似てるのかなって。幸い“佐久”としては飲みやすかったですし、折角勧められたからって事で飲み続けてるんです」

 

「でも、それもデータは取られてるよね?」


「勿論。ただ、彼は研究者としてだけでなく一個人として、純粋に“私”の未来を心配してくれている面があったので。そんな彼が言うのなら、まあ良いかと」

 

「……そう」

 

「改造からほぼ14年経ちましたけど、これは間違い無く、研究者達の予想を超えるものです。彼等としては、直ぐにでも解剖してその理由を探りたいでしょう。でも、こうして生きている間はそう言う訳にもいきません。長命の原因はデータから推測するしか無い」

 

「解剖なんかしたら、延命の更新記録を自分達で止めてしまうもんな」

 

「相当なジレンマですけど、“私”が生きている間は悩んでもらうしかないですね」

 

 

 なかなか辛辣だ。芥は苦笑する。

 

 

「特別な薬とかは?」

 

「特に飲んでないんですよ。後は生活パターンとかでしょうか。でも、それも別に他の人達とも違わないんですよね」

 

「定期検査みたいなのは」

 

「今は年1回程度です。毎回、研究者の人達の期待と失望が繰り返されてます」

 

「やっぱり、何も出ないんだ」

 

「だから“私”がこれほど長生きしているのは、改造の成果とかではないんだろうなと思ってます」

 

「……それ、鷲も言ってた。“佐久さんの身体”をここまで生かしているのは、改造というよりも“君の存在”なのかも、って」

 

 

 それを聞いて、扇はひとつ頷いた。

 

 

「確かに、“私”の身体は実験材料となりました。でも、改造後も“私”を単なる実験体ではなく、一人の人間として接し気遣ってくれる人が居ました……その人達の想いが、“私”をこんなに長く生かしてくれているのだと思います」

 

「想い……」

 

「赭先生が言っていた『大いなる存在』が、漸く理解出来たような気がします……最も大切な物は目に見えないけれど、確かに存在している。全ては大いなる存在の元で繋がり、その中で人々の想いが巡っている。そんな風に感じます」

 

 

(……だからこそ、俺達は己が信じるものに賭ける……君は死なせない……)

 

 

 31の想い……自分という存在も、彼等が生かしてくれているのかもしれない。

 

 

「……確かに、誰かが誰かを想う力って、もの凄いものがあるのかも」


「そうですね。今なら僕は『ある』と言い切れます。

 特に芥さんは、人々の心を繋げる力が人一倍強いんじゃないかなって思うんですよね。貴方が来て、刈安さんと僕を繋いでくれた。そして彼が新たな一歩を踏み出すチャンスを作ったんですから」

 

 

-------------------------------------

 

 

「あらー、早かったのね」

 

「ショップフェアの事を言ったら急かされました。良い物から売れてしまうから早く行けって」

 

 

 28街区の端にあるカフェに行けば、白が基調の編み込み帽を被った老婦人が嬉しそうに手招きする。名前の通り花咲くように笑う彼女は、やはりチャーミングだ。

 

 

「この街区では年に一度の大きなフェアなの。この日がずっと待ち遠しかったわ」

 

「リィライは?」

 

「先にハウスに戻ったわよ。珍しく荷物持ちをしてくれてね。いつもああだと良いのに」

 

 

 つまり、買い物第一弾は既に終了したと言う事だ。

 

 

「今からはどうされますか」

 

「これと言って決まってはいないの。見て楽しむのが第一。気に入ったものがあればそこで買うわ。貴方にも何でも買ってあげるから、遠慮無く言ってちょうだいね」

 

「そんな、申し訳無いです。いつも頂いてばかりで」

 

「あら、まだそんな事言って。お遣いにはお駄賃がないと。そうでしょ?」

 

 

 まるきり子供か、孫扱い。そんな彼女に笑顔で返す。

 

 

「お駄賃ですか」

 

「そうよ。気軽にね」

 

「ありがとうございます。そうしたら、一つお願いが」

 

「あら、なあに?」

 

「『ヴァルヌス』って言うお店のコーヒーが美味しいと聞いたんです。後で寄ってもらっても?」

 

「モチロンよ。あのお店はパイも有名だから、それも食べてごらんなさい」

 

 

 これでお茶の時間は決まりね、とバギーをスタートさせる姿を見守りながら、芥はジャケットの左ポケットに入っている、鷲から預かったメモをそっと握りしめた。

 

>>>3-5

 

 

20111020(最終)-20190206