Transfinite(3)

 

「芥さん?」

 

 

 小さくノック音がして、ドアが細めに開けられた。与優だ。

 

 

「起きてるよ。何かあった?」

 

「いえ、帰る前に寄らせてもらったんです。大丈夫でしたか?」

 

「何が」

 

 

 芥の隣までやって来た彼は、声を潜める。

 

 

「聞きましたよ。佐久さんと話をしたって」

 

「……ああ」

 

 

 耳の早さに芥は密かに感心した。

 

 

「だからついつい気になって。あの人、新入りには殊更手厳しいんですよ。だから芥さんも強烈なの喰らって凹んでるんじゃないかって」

 

「手厳しい?」

 

 

 芥が受けたイメージと随分違うようだ。

 

 

「そうですよ。ただでさえ話しにくいのに、一方的に怒られるって言うか。俺なんて初日に挨拶に行ったら、いきなり怒鳴られて追い出されて終わり」

 

「それは凹むなー。その時って、何て言われた?」

 

「内容は大した事じゃ無いんですけど……此処だけの話、佐久さんは先輩を毛嫌いしてるみたいで。最後は『彼の後輩ならもう話す事は無い』って、そんな感じで」

 

 

 1年も居れば慣れましたけどね、と彼は苦笑した。

 

 

「そうなんだ。じゃあ俺、かなりラッキーだったかも。怒られなかったし。白花さんがついててくれたせいかもしれない」

 

「へー!かなりのレアケースですね。あ、白花さんと言えば、芥さんの事すっかりお気に入りですよ。買い物が楽しくなったって」

 

「でも良いのかな。外出の度にご馳走になっちまってるけど」

 

「ちょっとした役得ですよ、気楽に考えといて下さい。白花さんも、そうやって周りの人に何かをしてあげるのが嬉しいっていつも言ってますから」

 

「そう?じゃあ、そう受け取らせてもらう」

 

「大丈夫ですって。佐久さんの事も、何言われても気にしなくて良いですよ」

 

「ありがとう」

 

 

 じゃあまた明日と言って、与優は帰って行った。その後ろ姿を見送りながら、成る程と思考が繋がる。

 

 彼のさっきの言葉から、扇はスタッフをわざと遠ざけていると確信した。そのお陰で、彼等は厄介事に巻き込まれる危険を回避出来ているのだが。

 

 

 

『……これは、不特定多数の人間との接触を避けるための処置?』

 

『そうです』

 

『だから研修生も入れないって事か。情報の漏洩を警戒して』

 

『その通り。本人にその気が無くても、国家レベルの機密をばらしたとなればタダでは済みません』

 

 

 与優は鷲の後輩。だから余計に厳しく彼に当たったのだろう。彼は他のどのスタッフよりも鷲に近い。即ち、機密に触れるリスクが高い人物と言う事になる。

 

 

『よって、このハウスの主任援助者を希望した人は、更に特別な訓練を受けてから着任します。それでも精神的負担は相当なんでしょう。これまでの人は、長くとも3年以内で交替しています』

 

『鷲は?』

 

『5人目です。今が3年目だった筈です』

 

『前任者はどんな感じ?』

 

『メカニカル以上に機械的な対応でしたね。それはそれで気を使わずに済むから、楽と言えば楽でしたけど』

 

 

 言って扇は苦笑した。

 

 

『比べて、刈安さんは確かに“人間らしい人”だと感じました……ですがそれ以外にも、それまでの人たちとは違うと言う印象があったんです』

 

『其れには、何か根拠みたいなものが?』

 

『いや、特には。ただ、着任の挨拶に来た時に「本意では無い」と彼は言った。それが最初に引っ掛かった事でした』

 


(……一応ね。決まりだから)

 そっけない彼の言葉を思い出した。

 

 

『なりたくて此処の責任者になった訳じゃないって事か……』

 

『主任援助者はエルテナ街では人気の仕事で、希望者も多い。“私”の噂のせいか、この27ハウスをわざわざ志願する人もいると聞いている』

 

『けれど5人目は志願者からは選ばれず、希望をしていなかった鷲が配属された』

 

『命令なら、仕方無かったんでしょう』

 

『命令って、誰から……』

 

 

 芥の呟くような問いに、扇は右手の人差し指を立てて唇に当てた。誰にも言わないように、の合図。

 


『彼は、あの研究機関の関係者なんだと思います。つまり、それまでの主任援助者とは別格。本人は特に何も言わなかったんですけど、察してくれという事なのかな、と』

 

『……』

 

『専属職員かどうかは分からない。けど少なくとも契約スタッフ以上だと、僕は思っています』

 

『……どうして』

 

 

 やっと絞り出した声は、しかしすぐに掠れて消えた。

 

 

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 纏まらない思考を弄ぶ内に空が白んできた。

 ドアの向こうから少しずつ朝の生活音が響き始める。リィライが廊下の掃除をする気配。その近くをスタッフが足早に通り抜け、起きてきた居住者と挨拶を交わす。

 

 水を使う音。

 一人一人違う足音。

 カーテンを開けた窓から差し込む朝日の輝き。

 その向こうに、山並みに消えようとしている残月。

 

 自分の世界とも扇の世界とも全く異なるが、此処ではありきたりの日常の一コマ。

 

 

「でも、普通じゃない……やっぱり」

 

 

 独りごちた。

 

 己の小さな判断基準だけで、違う世界の価値観を否定するつもりはない。自分の世界でも、地域が変われば常識が違った。

 “普通”など人それぞれ……それでも、不老不死を実現させるための研究だけは、どうしても強烈な違和感と不快感が纏わりつく。

 

 

(生きている限り、より良く自分の人生を生きられるように……)

 

 

 彼のスタンスと研究機関の方針は正反対。なのに彼が其処の関係者だと言うのが理解に苦しむ。こればかりは、本人に聞いてみるしか無さそうだ。

 

 

「教えてもらえると良いんだけど……どうかな」

 

 

 こうなったら当たって砕けろ。腹を決め、芥は起き上がり伸びをした。

 

 

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「あ、おはよう。芥さん」

 

 

 朝食後の片付けをとキッチンに向かえば、与優の挨拶が飛んできた。

 

 

「おはよう、与優。今日は朝からなんだ?」

 

「そうです。今日はまた良い天気ですね。この分だと、また白花さんのご指名がかかるんじゃないですか?」

 

 

 悪戯っぽく笑いながら、それでも手元は一時も休まない。その手際良さも見慣れたものになったが。

 

 

「今日、何かあるの?」

 

「え?」

 

「急いでるみたいだし。何なら俺、此処やっておくよ」

 

 

 芥の言葉に一瞬キョトンとしてから、そうか芥さんは知らないんですねと笑って解説してくれた。

 

 

「俺、今日研修なんですよ。まあ確かに、ちょっとソワソワしてるかも」

 

「研修?」

 

「1年研修と言われるヤツ。エルテナ街で働くスタッフは必須で、養成校を卒業して1年経った時点から半年以内に受ける必要があるんです。その後も、3年・5年と研修が義務づけられてて」

 

「きっちりしてるんだな」

 

「そうですね。中身も結構厳しいって噂で、どうなる事やらですよ。久々に仲間達と会えるのは嬉しいけど」

 

「何処であるの?」

 

「第2街区です。聞かれたかもしれませんけど、1~5街区は国の管轄なんです。1が、居住に関する色々な手続きを行う機関の集まるところ。2が養成機関。3は街の保全絡み全般で、4が医療関係。5には、1~4を包括して管理する機関があります」

 

 

 医療関係だけで独立して1街区分を使っている。やはり相当の規模だと言う事だろう。

 

 

「君が通った養成校も第2街区にあるって事?」

 

「ええ。業種職種を問わず、エルテナ街で働いてるスタッフの大半は其処の出身です。だから結構大規模で……あ、時間はあるんで、大丈夫です」

 

「何時から?」

 

 

 拭き掃除を手伝いながら、芥はさらに尋ねた。

 

 

「正式には17時から。けど、午後には時間のある奴から集まって来て、分科会を先にやってたりもするそうです」

 

「熱心だね。俺なんか、勉強とか言うだけで拒否反応だよ」

 

 

 溜め息をつく芥に、与優はカラカラと笑って返す。

 

 

「俺だって嫌ですよ、面倒だし。でもエルテナ街で働けるのは名誉な事だし、働き続けるなら研修は必須。更に主任援助者を狙うなら、人一倍頑張らないと」

 

「目指してるのかい?主任援助者」

 

「はい。俺、先輩が目標なんです。先輩みたいに賢くないから、養成校から下積みしていかなきゃダメだけど、それでも不可能って訳じゃないし」

 

「……ちょっと待って」

 

 

 思わず与優の言葉を遮る……そうだ、自分は鷲の事を何も知らない。

 

 

「君と鷲って、養成校の先輩後輩じゃないの?」

 

「え、まさか!」

 

 

 彼は仕事の手を止め、顔の前で大きく横に振って笑いながら否定した。

 

 

「俺達、同郷なんですよ。ガキの頃通ってた学校が一緒。先輩後輩ってのはそこからなんです。

 先輩が大怪我をして入院したと聞いてからは音沙汰無しだったんですけど、俺が養成校を卒業する少し前に奇跡の再会。で、27ハウスで主任援助者をされていると聞いたから、俺も此処の勤務を希望したんです」

 

「じゃあ、鷲は他の養成校の卒業生って事か」

 

「どうですかね?そこまで聞いた事は無いんで。でも11歳から主任援助者をしているんだから、どのみち特進クラスだと思いますよ。

 実際、主任援助者の大半は特進の管理者コース出身なんです。ヒラからのし上がろうと思ったら大変な事この上ナシ!しかも養成校上がりは主任援助者の受験資格が15歳からで、時間がかかるんですよね……でも俺、必ず先輩みたいになってみせます」

 

 

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「芥、お疲れさま」

 

「やあ、鷲」

 

 

 午後の日課になった外回りの掃除をリィライと済ませ、ホールに戻って来たところで鷲に会った。

 

 

「外は終了?助かるよ、ありがとう」

 

「芥サンハ、トテモ優秀デス。貴方ノ助手ニシテオクノハ、モッタイナイデス」

 

「言ってくれるね」

 

 

 リィライの芥びいきに苦笑してから鷲は話を続ける。

 

 

「ところでリィライ。残念だけど、今から明日の午後まで彼は僕専属になる。もし白花さんが彼を呼びに来ても断っておいて」


「……アノ方、粘リ強イデス。オ断リスルノハヒト苦労。苦手デス」

 

 

 リィライの声が明らかにしょんぼりした。これは、昨日も相当やり込められたに違いない。

 

 

「じゃあ折衷案を出しておくよ。もしも彼女が明後日のショップフェアへ行くと言ったら、優先して予約してあげて。そうすれば少しは機嫌も良くなる筈だから」

 

「……ワカリマシタ」

 

 

 リィライがのったりと去って行った。人間なら確実に、がくりと肩を落としているところだ。

 

 

「メカニカルも人の好き嫌いをするんだ。意外」

 

「特にリィライはね。感情や情緒のプログラミングが独特なんだ」

 

 

 時々は『人間は何て面倒なんだ』と憤慨したり嘆いたりしているらしい。

 

 

「かなり人間くさい仕様になってる、って事か」

 

「そう言う事。日常生活支援に目的を絞り込んで作られてるし」

 

「全てのハウスに?」

 

「いや。あれでも未だプロトタイプで、あとは30、31ハウスくらいにしか無い。まだまだ課題も多くてね。メカニカルとしての正確さを活かしながら『ヒト』に近づけるって言うのがね」

 

「もしそれが達成されたら、ヒトとメカニカルの境界が無くなりそうだ」

 

「……さらっとキツイ事を言うね、君も」

 

 

 芥の言葉を受け流し、鷲は日勤シフトのスタッフに声を掛けた。

 

 

「リィライには伝えたけど、今から事務所に缶詰になるんで、後はよろしく」

 

「ああ、研修ですね」

 

 

 それだけで事の次第を把握したようで、スタッフは芥に一礼すると立ち去った。

 

 

「俺、何か研修の手伝いでもするの?」

 

「……僕、前に説明した?」

 

「いや。今朝、与優に聞いたんだ。1年研修だって」

 

「じゃあ、それもやってもらおうかな。あ、こっち」

 

 

 言いながら、芥を事務所に案内した。

 

 

「悪いけど、入ったら僕が合図するまでは黙ってて」

 

 

 ドアを開ける直前、声を潜めて芥にそんな指示を出す。単なる手伝いではなさそうだと、芥は薄らと勘付いた。

 

 入室するなり鷲は入口を施錠し、芥に身振りで『そのまま待つように』と指示をする。そうしておいて、彼はデスク上にある小振りの端末を操作し始めた。

 

 

「セット完了。送信願います」

 

『了解しました。宜しくお願いします』

 

 

 短い遣り取りの後、脇のプリンタから用紙が次々と送り出されてきた。鷲は慣れた手つきでそれらを纏めながら、視線は端末のディスプレイを見つめる。

 

 2分ほど待つとプリンタの作動音が止み、鷲が『受信完了』と報告した。

 

 

『了解。返信予定時刻は?』

 

「19時です」

 

『分かりました。遅れる場合は連絡をお願いします』

 

「了解」

 

 

 そこで通信回線を切ると、彼の顔に漸く笑みが戻った。

 

 

「もう音を立てても大丈夫、有難う。通信中はこちらの音声も全て向こうに送られてるんだ……その席を使ってくれる?」

 

「分かった、借りるよ。何かしようか」

 

「良いの?そうしたら、これを番号順に並べ替えてくれるかな」

 

 

 プリントアウトされたばかりの紙の束を手渡された。ざっと100枚くらいか。

 

 

「これ、解答用紙?」

 

「そう。研修の初っぱなにテストがあるんだ。一発ガツンと入れてやるためにね」

 

「厳しそうだな」

 

「まあね。特にエルテナ街勤務のスタッフにはシビアな内容が入ってるし」

 

 

 並べ直しながら設問を読んでみるが、確かに難解なものが多い。現場で必要とされる知識を問うものが半分、施設の運営管理に関わるような事柄が半分という印象だった。

 

 

「凄いな。与優もこれをやってるんだ」

 

「ああ」

 

「今朝話した時に聞いたんだけど、彼も主任援助者を狙ってるんだね。君が目標だって、張り切ってた」

 

「僕も直接言われた事があるよ。個人的には、あの意欲は買ってやりたいところなんだけど」

 

 

 続く言葉は、芥が全く予想もしていないものだった。

 

 

「……彼は現場に向いているし、現場で頑張って欲しいスタッフなんだ。だから与優には、今回の研修で主任援助者を狙うのを諦めてもらう」

 

 

 思わず手が止まる。

 

 

「諦めさせるって事?個人の判断で?」

 

「担当上司としての判断だよ」

 

「君にはそれを決定する権限もあるって事か」

 

「最終決定権は無いけど、その権限を持つ人に進言する事は出来る」

 

「勝手に彼の未来を潰して、どうするんだよ」

 

「遅かれ早かれ、与優の希望は消されるのさ。傷は浅いほうが良い」

 

「……」

 

 

 扇との会話が無ければ、それは鷲の傲慢だと詰め寄っていただろう。だがそんなに単純な話ではない。それは芥にも分かっていた。

 

 

「……君は、上の機関の方針に対して異議がある」

 

「そうだね」

 

「一方で、佐久さんの居るこのハウスを上手く運営している」

 

「それは僕には分からないけど」

 

「本人から聞いた。君が来てからのほうが快適に過ごせてるって」

 

「それは光栄」

 

 

 平坦な声でそう言い、彼は目だけで微かに笑った。形だけ。

 

 

「与優の目標は、君だ」

 

「其れはさっきも聞いた」

 

「だけど君を目標とすれば、上からは反対分子と見なされる?」

 

「そんなラジカルじゃないけど、それなりに煙たがられるだろうね」

 

「それでも君は、27ハウスを2年以上任されている」

 

「それが決まりだからさ」

 

 

 たん、と鷲は手にしていたペンをデスクに置いた。

 

 

「君にしちゃ回りくどいね。与優と何を話した?」

 

 

 苛立っている訳では無い。ただ淡々と、事実だけを教えろと言いたげに芥を見据える。

 

 

「彼の目標の事」

 

「それはもう聞いた」

 

 

 言って左手を差し出してきた。

 

 

「1~5街区の分類と、養成校の話」

 

 

 応えながら、伸ばされた左手に分類し終えたばかりの解答用紙を載せてやる。

 

 

「これ、全部?」

 

「ああ」

 

「早いね」

 

「ありがとう。こう言うのは割と得意なんだ」

 

「そう……それから?」

 

「君の経歴」

 

「ああ。何て言ってた?」

 

「君は特進クラスの管理者コースを出てるんだろうって。そうでなければ、君の年で主任援助者にはなれないと」

 

「その通り。普通のコースを進むと15になるまではチャンスが無い」

 

「……ただ、佐久さんは、君があの研究機関のスタッフだと言った」

 

 

 がさ、と書類が不自然な音を立てた。

 

 

「彼が……そう言った?」

 

 

 間違い無い。芥は確信する。

 

 

「そう。他の管理者とは別格だって」

 

「参った……流石、佐久さんだ」

 

 

 言葉を切り、暫し瞑目する。

 

 

「……与優と僕が同郷だって言うのは聞いた?」

 

「ああ」

 

「他には?」

 

「君が事故で大怪我をしたと」

 

「そうか」

 

 

 鷲が顔を上げる。彼は笑っていた……諦めと安堵の入り交じったような複雑な表情で。

 

 

「……6歳の時に事故に巻き込まれた。列車事故で、多くの人が亡くなった。僕も助け出された時には心臓が止まっていたらしい。それで、取り敢えずって事であの病院へ搬送される事になった。そして幸か不幸か、搬送の途中で息を吹き返したんだ」

 

「鷲?」

 

 

 芥の首筋を、覚えのある冷たい風が吹き抜けた。

 

 

「覚えてるよね?芥……あの病院の話」

 

 

(他では手に負えない重症患者しか受け入れない。それこそ瀕死の人とか)

 

(あそこで行われているのは『改造』であり『実験』なんだ)

 

 

「……まさか、君も?」

 

「そう」

 

 

 鷲の笑顔から温度が消える。

 

 

「僕も改造を受けている。11期組だった。『同期』は同じ事故での犠牲者もいて結構多かったんだ。でも11期で生き残っているのは僕一人」

 

 

 目を瞠る彼の前で、鷲は着ていたトレーナーとシャツをあっさりと脱いだ。

 

 

「……それが?」

 

「そう。境目、分かるだろ」

 

「色が、違う」

 

「人工皮膚だけど、最初は本当の人間の皮膚を加工してたから、そっちの方は色素沈着を起こしたんだ。脱色処理も途中でやったけど、これが精一杯」

 

「……」

 

 

 濃淡の差は酷くはないが、それでも一目で違いが分かる。うっすらと残る縫合の跡のせいもあるだろう。

 

 

「触ってみる?背中」

 

 

 促されて触れてみた。普段あれだけの業務をこなしているのだから大丈夫と分かっていても、どうしても壊れ物を扱うような触り方になってしまう。

 

 

「結構恐がりなんだな」

 

「仕方無いよ」

 

「そう言えば、リィライと最初に握手した時もそんな感じだったね」

 

「今更それを言う?」

 

 

 笑いながら、鷲は上衣を着直した。

 

 

「本物みたいだ」

 

「そう。良く出来てるだろ」

 

「これは、佐久さんみたいな方法じゃないんだよな?」

 

「細胞老化を抑える薬は、今は使用が厳しく規制されてる。そもそも崩れた細胞の修復は出来ないから、僕には使いようが無かったのさ。それに、5期の頃からは人工組織との置換が主流になってきてたし」

 

「人工組織?」

 

 

 これまでの話から行けば、其れが皮膚だけで終わっている筈が無い。

 

 

「皮膚以外にも、人工組織が?」

 

「色々あるよ。僕の場合は筋肉と血管、骨、そして腸と腎臓に使われてる」

 

「臓器まで?」

 

「あと、両脚と左腕は義肢」

 

「嘘だろ、全然分かんないじゃないか。義手義足にしちゃ動きが滑らかすぎる」

 

 

 素直な感想に、鷲はひょいと小さく肩を竦めて応じた。

 

 

「それは賞賛と言う事で……確かに、義足に仕込まれてるバランサーや義手のメカニズムなんかは、この世界で最高レベルだと思うよ」

 

「それも全部、あの病院で?」

 

「仕上げはね。個々の技術は色んな形で輸出もされてる。この国は、持っている資源は少ないけど、技術大国って事で世界から認められてるんだ」

 

「それって、医療以外にも応用されてる?」

 

「重機や建築技術、それから僕たちの身の回りの色んな物に利用されてる。けど、流石に人の改造に絡む技術は国家機密だ……だから、35未満で改造を受けた人間は、社会復帰が可能な場合でもエルテナ街以外での勤務を認められない」

 

 

 鷲は自分のデスクに戻るとペンを執った。

 

 

「右側の棚を見てもらえるかな」

 

 

 言われるまま、芥は書棚の前に移動した。

 

 

「一番上の段の左端、グリーンのファイルがあるだろう」

 

「ああ。分厚いヤツだよな」

 

「そう。それをどけて、奥のブルーのファイルを出して」

 

「二冊ある」

 

「両方だよ……ありがとう。そうしたら其れに目を通しておいてほしいんだ」

 

「分かった」

 

 

 厚めの方のファイルは、予想通り佐久のもの。そして、もう一冊。

 

 

「これ……君のなのか、鷲」

 

「データの提供は、改造を受けた人間の義務だからね」

 

「他にも君みたいな人達が?」

 

「職業は様々だけど、12人いる。ハウスで生活している人を含めれば25人ぐらいかな」

 

「思ったより少ない……」

 

「未だ技術が『その程度』って事。だから尚更、社会復帰出来ている12人は佐久さんに次いで貴重な存在なんだ。研究所で僕達は『エクスペリメンタル』と呼ばれて区別されている」

 

 

 エクスペリメンタル……実験台。

 

 

「当然、与優はそんな裏事情までは知らない。だけどこの先も僕の下についていれば何処かで必ず勘付く。そうなってからじゃ遅いんだ」

 

 

 其れまで澱みなく動いていたペンが、一瞬だけ止まった。

 

 

「……彼は本当に人間が好きで、この仕事が好き。適性も申し分ない。折角エルテナ街で働けるようになったのなら、このまま気持良く働き続けて欲しい。彼の笑顔に元気を貰ってる人が、既に大勢いるんだ」

 

「……」

 

「喋ってばかりでごめん。ファイル、読んでおいてくれる?恐らく今しかチャンスが無い」

 

 

 そう言って、鷲も本来の作業へと戻る。ページを捲る音と、ペンを走らせる音。それだけが響く室内で、芥はひたすら文字を追った。

 

 

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20111020(最終)-20190123