Transfinite(2)

 

「芥サン、午後ノ予定ハオ決マリデスカ?」

 

「空いてるよ。何かする事ある?」

 

「白花サンガ、マタ外出シタイト言ッテマス。付添イヲオ願イシタイデス。宜シイデスカ」

 

「ああ、勿論」

 

「有難ウゴザイマス。デハ、外出ノツイデニコノ郵便物ヲ出シテ下サイ。買イ出シノりすとハ、コレデス」

 

「……何気に人使い荒いよね、リィライ」

 

「イエ、ソレホドデモ」

 

 

 鷲との話から10日近くが経った。あれ以来、件の人物の話題は互いに全く口にしなかったが、彼と顔を合わせる度に無言のプレッシャーと期待をかけられている気がして、芥はどうにも気が重い。

 

 

 

『……僕が生まれる前の話だし、この件は機密扱いだから本当の所は分からない。確実なのは、「本来の」その人は40歳で一度亡くなった。完全に心臓が止まったんだ。

 直接の死因は不明。こういう人の場合、当時は心停止が確認された時点で「改造」へと回され、体細胞の死滅を抑えながら人工心臓を埋め込んで「再生」を試すのが手順だった。……ああ、さっき言ったけど、細胞の老化そのものを抑える薬が臨床実験として使われていたんだ』

 

 

 彼の話の続きは、思わぬ方へと進んだ。

 

 

『それで生き返るのか?』

 

『稀に、という感じだね。「再生」率は本当に低かったそうだよ。それこそ100人に一人とか、そんなレベル。しかも心停止中に脳や内臓がダメージを喰らっちまうから、運良く再生されても何らかの深刻な障害が出る。結局は長生き出来ないんだ。

 記録に残っているのは、昏睡状態で最長16ヶ月』

 

『無茶だ、そんなの』

 

『だろうね。結局その後もなかなか成果を上げられなかったから、このタイプの改造は今は中止されている』

 

『なのに、その人だけは今も生きてる……』

 

『投薬の段階で心臓が再び動き出したそうだ。そして意識が戻ってみれば、中身が全く変わってしまっていたと』

 

『何だかオカルトっぽい』

 

『エルテナ街の怪談だね』

 

 

 懸命に軽口を叩いて、互いに笑おうとして、しかし二人とも失敗する。

 

 

『……だけど、良いのか?そんな重要な事を俺なんかに話して』

 

『芥になら良いさ。協力してもらうために必要な情報だし』

 

『俺は何をしたら?』

 

 

 その人物に関わる何かに協力依頼されているのはよく分かった。だから先に聞いてみたのだが。

 

 

『君が此処に慣れてからで良い。急がないから、いずれその人に会ってほしい』

 

『俺が?』

 

『そう。芥が』

 

『会ってどうしろと?』

 

『話をしてほしいんだ。彼と』

 

 

 まさかそんなに直接的な内容だとは思いも寄らなかったのだ。

 

 

 

 

「……ばぎーヲオ出シシテキマス」

 

 

 リィライが老婦人とやって来た。

 

 

「ええ、よろしくね……あら、浮かない顔ねえ」

 

「あ、こんにちは白花さん」

 

「こんにちはじゃないわよ。大丈夫?疲れてるんじゃないの?」

 

「いえ、考え事をしてただけです。大丈夫ですよ」

 

「そう?ただでさえ研修生はこき使われるから無理しちゃダメ。どうせ買い出しでも頼まれたんでしょ」

 

 

 芥にコロコロと笑いかけ、『また外でお茶でもして息抜きしましょうね』と気遣ってくれるが、何となく彼女を騙しているような気になって少し心苦しい。

 

 

『……君と最初に話した時に「ひょっとしたら」と思ったんだ。また彼と話せる時が来るんじゃないかって。もう何年も、彼は僕等と口をきいてくれない。これまでの経緯を思えば当然なんだけど、それじゃ寂しすぎる』

 

『だけど、それこそ俺が何を話せるって言うんだ』

 

『何でも良い。他愛ない事で構わない。此処と全く関係無い人にだったら、彼も話しやすいかもしれないし』

 

『鷲』

 

『これは僕の独断で頼んでいる事なんだ。上からの強制でもないし、ましてや何かを聞き出せとかいう話でもない。普通に話してもらえるようになれば、それだけで有難い』

 

『……』

 

『協力してもらえないか?』

 

 

(普通ってのが、一番難しいんだけどなあ)

 

 蘇った彼の言葉に、内心でぼやく。そもそもスタッフにすら長い間心を閉ざしているような人間が、いきなりやって来た正体不明の若造に『こんにちは』と言われてホイホイと打ち解けてくれるものだろうか。

 

 

「行ッテラッシャイ」

 

 

 リィライに見送られ、芥は老婦人と出発した。

 

 

「今日は何処へ?」

 

「消耗品とお菓子の買い出し。12街区のほうまで下りるわよ」

 

 

 基本的に、エルテナ街は街区番号が大きい程高台に位置する。現在、最大の街区番号は47。最初に彼女と外出した時に教えてもらった。つまり初日の夜、芥が部屋の窓から見下ろした家々の灯りは10~30番台の街区だった事になる。

 

 

「45街区も、良く言えば山の手にある高級住宅街よね。でも出かけるにはちょっと不便。私はまだ元気なほうだし、元々外出が好きだから苦にもならないけど」

 

「そう言えば、他の方々は白花さんみたいには出かけられませんね」

 

「出かけなくてもそれなりに暮らせるから、かしらね。必要な物は毎日届けられるし、部屋に居ながらご馳走も服も、買いたいなら宝石だって買えるもの」

 

「成る程」

 

「でも、私には無理。それだけじゃ『生きてる』って思えないから。安心と安全を保証されても、ドキドキわくわくする気持ちを忘れたらつまらないのよね」

 

 

 きっぱりと、彼女は言い切った。その言葉が胸に響く。

 

 

「分かる気がします。僕が言うのは烏滸がましいですけど」

 

「あら、ご謙遜。貴方も、若いのに色々苦労して来てるんじゃないの?」

 

「いえ、そんな事は」

 

「ほーら、そうやって言う人ほど苦労性な事が多いのよね」

 

 

 話の矛先が自分に向きかけて焦る。が、次の一言で其れも一瞬で吹っ飛んでしまった。

 

 

「何だか、上の階の長老さんにそっくり」

 

「え?!」

 

 

 27ハウスで『長老』と言えば、例の人物。鷲や与優からの話で、それは分かっていた。だが彼と交流を持っている人は殆ど居ないと聞いていたから、彼女からこんな話が出たのが意外だった。

 

 

「あら、何か?」

 

「白花さん、その方と話される事があるんですか?」

 

「ええ、時々ね」

 

 

 軽く笑顔になる様子を見れば、件の人物に対してはそれなりに好意的であるらしい。

 

 

「佐久さん、でしたよね?」

 

「そう。私と真逆で本当に外出されないわね。部屋からも滅多に出て来られないから偏屈と思われてるみたいだけど、私ともう一人、長老さんのお隣の方には話をしてくれるのよ。たまにだけどね。

 どうしても自分で買いたい物がある時には私に頼んでくれるの。実は今日も、彼の分の買い物があるのよ」

 

「そうなんですか。スタッフとは話をされないと聞いたんですけど」

 

「そうね、ホントに必要最低限の事しか話されないみたい。年齢差があり過ぎて話しにくいんじゃないかしら」

 

 

 だったらますます交流なんて無理じゃないかと気落ちしかけた芥に、しかし一条の光が差し込んだのはその直後だった。

 

 

「でも、貴方とだったら話しやすいかもしれないわね。私の印象だけど、長老さんと貴方、おじいちゃんと孫みたいな感じがするのよ。それに貴方はこんな我が儘おばあちゃんの買い物にも付き合ってくれるほど優しいし……そうだわ、今度私が彼に引き合わせてあげる。

 一度話してごらんなさいな。でも一応、他の人にはナイショにしておいてね」

 

 

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「そちらは?」

 

「この前言ってた研修生さん。一昨日も買い出しに付き合ってくれたんですよ」

 

「……」

 

「あの、初めまして。山吹と言います」

 

「どうも」

 

 

 買い出しの翌々日。午後のお茶の用意をしていた芥は老婦人にあっさり掴まった。『約束してたでしょ』と腕を取られ、エレベータで上の階へと案内される。

 

 

「ほら、お若いでしょ?私も初めてお会いした時はびっくりしたわ。それに、兎に角ダンディで素敵な方なの」

 

「困りましたな。そんなに褒めて頂いても、お出し出来るものが無い」

 

「あら、何を仰いますやら」

 

 

 芥と目が合った時、彼の表情が一瞬強張ったように見えた。だが今は感情を殆ど見せず……強いて言えば不快感とも取れる渋面を保っている。

 

 芥は予想以上に若く見える彼の姿に驚きを隠せなかった。長老という呼び名には似合わない容姿。親の世代と言っても通用する。

 

 

「ほらほら座って。此処ではお客様で良いんだから」

 

 

 二人の間の空気を知ってか知らずか、老婦人はお茶の用意をしながら芥に椅子をすすめ、佐久には『貴方に負けず劣らずの優しい子なのよ』と言って芥を持ち上げる。が、それに対しては何の返答もせず、佐久は再びちらと芥を見遣っただけだった。

 

 

(お、重い……)

 

 

 それは間違い無く、芥にとって今までの人生で一番重苦しいお茶の時間だった。

 彼女はいつもと変わらずお喋りをしてはコロコロ笑う。芥は引き攣りそうになる顔を必死で抑えて、老婦人の話に相づちを打った。

 全体でもせいぜい15分かそこらの事だったようだが、その時は永遠に続くかと思えたものだ。

 

 

「……そうしたら、来週のお買い物はお茶の葉といつもの石鹸ですわね?」

 

「そうですな。茶は花茶のほうをお願いしておきます」

 

 

 次回の買い出しの打ち合わせが出来たところで、お茶の時間は終了となった。

 

 

「あ、僕片付けます」

 

「あら大丈夫よ、これは私の役割。貴方はもう少し休んでらっしゃいな」

 

「いえ、でも」

 

「山吹君、でしたな」

 

 

 抑揚の無い佐久の声が割って入り、芥はぴた、と凍り付く。向こうから声をかけてきたのはこれが初めてだった。

 

 

「……はい」

 

 

 出来るだけ平静を装って芥は彼の方を向いた。そのタイミングに合わせるように彼が立ち上がる。長身の彼の動きはゆっくりではあるが滑らか……だが同時に奇妙な感覚を芥は覚えた。

 しかしもっと意外だったのは、続く彼の言葉で。

 

 

「白花さんの言う通りだ。時間が許すなら、夕方まで此処に居たら良い」

 

「え?」

 

 

 まさか、と思った。嫌がられた訳ではないのだろうか。

 

 

「ほら、良かったじゃない!あの頑固メカには適当に言っておいてあげるから、ゆっくりしてらっしゃいな」

 

 

 対照的に、弾む老婦人の声がキッチンから飛んで来る。当初の目的を考えると好調な流れだが、この苦痛の時間が未だ続くのかと思うと、手放しでは喜べない。

 

 

「じゃあごゆっくりね。また来週、買い物に付き合ってちょうだいね」

 

 

 さっと洗い物を済ませ、彼女は部屋を後にした。どうしたものかと棒立ちになる芥に、佐久は声をかける。

 

 

「まあ掛けなさい。取って食いはしないから」

 

「……はい」

 

 

 再び芥が座るのを確認すると、佐久もソファに身を沈めた。そのまま顎に手を当ててじっと芥を見つめ……ややあって口を開いた。

 

 

「研修生なのかね」

 

「はい」

 

「いつからですか」

 

「2週間くらいになります」

 

「そうか」

 

 

 小さく頷き、芥の目を見据えたまま彼はまた問い掛けた。

 

 

「出身は何処ですかな?」

 

「え……」

 

 

 これは答えようが無い。言葉に詰まる。

 しかし佐久はそれを気にした風も無く、淡々と質問を重ねていった。

 

 

「ところで、私の事はどこまで聞いているのかね」

 

「あ、白花さんからは……」

 

 

 言いかけた芥を軽く片手で制して、佐久が聞き直す。

 

 

「此処のスタッフから聞いた事は?」

 

 

 びくりと芥の肩が小さく揺れた。それを認め、佐久は曖昧な微笑を浮かべる。

 

 

「ひょっとして、私が『改造』を受けている事を知っている?」

 

「……はい」

 

「それは、刈安君から聞いたんだね?」

 

 

 どうやらお見通しらしい。芥は早々に観念した。

 

 

「はい。それと……あの、貴方の履歴が全く不明だとも」

 

「ほう」

 

 

 ずいと、佐久の上体が僅かに乗り出してきた。

 

 

「それは、ハウスの責任者だけが知っている筈だが?」

 

「はい。彼もそう言っていました」

 

「刈安君がそんな事まで話すとは。何故かね?」

 

「それは……」

 

 

 つい口籠もる。鷲の思いは自分なりに理解しているつもりではあったが、その先に彼が何を見ているのかは、やはり分からない。

 

 

「……もう長い間、貴方と話が出来ていないと彼は言っていました」

 

 

 それでも彼が芥にだけ伝えたこの思いは、告げるべきだと感じた。

 前任者達が彼と同じ思いを持っていたとは限らない。寧ろ逆だったのだろう。だからこそ今の状況が存在しているのではないのか。

 

 

「今までの事を思えば仕方無いかもしれないけど、このままでは寂しすぎると。彼は、貴方とも普通に話せるようになりたいと、僕にそう言ったんです」

 

「成る程」

 

 

 彼の真剣な眼差しに佐久は苦笑を返す。

 

 

「その気持ちは有り難く受けとめよう。ただ、私が聞きたかったのは少し違う事でね」

 

「あ、すいません」

 

 

 見当違いな答えだったかと芥は焦ったが、別に咎められたりはしなかった……それどころか、佐久の眼差しが先程よりも優しいものになってきた気がする。

 

 

「刈安君が責任感と使命感をしっかり持った人物だと言う事は、私にも分かる。そんな彼が何故、此処へ来て間も無い君に、私の事を話したのかな?」

 

 

 話しながら小さく首を傾げる仕草……それを見て、芥は再び妙な感覚に襲われる。だが其れに構っている場合では無かった。

 

 

「君は研修生ではない。だが彼は君に此処の機密事項を打ち明けた。そんな君は何者なのかと興味があるのだよ」

 

「え」

 

 

 研修生という嘘が既にバレている。芥は慌てた。

 

  

「あの……何故それを?」

 

 

 他に返す言葉が見つからない。

 

 

「……さっき、君は自分の出身地を言わなかった」

 

 

 佐久が立ち上がり、芥に歩み寄る。

 

 

「それは君が咄嗟に身元を隠そうとしたか、何らかの理由で本当に“言えなかった”かのどちらかだろう。だが私に出自を隠しても何の意味も無いし、研修生であれば卒業した養成校の名前ぐらいは言う」

 

 

 茫然と自分を見上げる芥に穏やかに話しかけながら、佐久は彼の隣のソファ……先程まで老婦人が使っていた場所に腰を下ろした。

 

 

「それと、君は知らないようだが、27ハウスでは研修生を受け入れていない」

 

「え?!」

 

 

 これは予想していなかった。ならば、最初から怪しまれていたと言う事だ。

 

 

「でも、白花さんは……」

 

「彼女は去年まで別のハウスだったからだろう。研修生の受け入れは、此処以外では普通の事なのでね」

 

 

 思い返せば、鷲も芥を研修生だと言った事は無かった。あくまでも『手伝い』だと。

 

 

「あのー、何か……その、すいません」

 

 

 力無く謝罪の言葉を述べる。佐久はそんな芥の肩をあやすように軽く叩いてやった。

 

 

「気にしなくて良い。君は白花さんの言う通り、優しい子のようだし。

 さて、そろそろ君の“本当の事”を話してほしいんだが。君は元々、刈安君の友達なのかね?」

 

「いえ、此処で知り合いました……彼は、ハウスの外で倒れていた僕を助けてくれたんです」

 

「保護されたという事か。そうしたら君は、随分と遠くからやって来たのかな?」

 

「そうですね……その、別の世界から」

 

「……別の世界?」

 

 

 佐久の目が、好奇心で輝いたようだった。意外な反応ではあったが、彼も人格や記憶が変わるなどと言う数奇な人生を辿っている人物。多少のことには動じないのかもしれない。

 

 

「僕は、此の世界の人間じゃ無いんです。パラレルワールドはご存知ですか?」

 

「知っている。では君は、此の世界に迷い込んだと」

 

「はい。此処は僕にとって三つ目のパラレルワールドなんです」

 

「それはなかなか苦労しているね。その事は刈安君には?」

 

 

 これまでに無くスムーズに話が進む。

 

 

「最初に話しました」

 

「そんな不思議な人物に、私の事を教えたというのは……」

 

「僕を貴方に会わせたいと思ったそうです。僕が、貴方とスタッフが普通に話せる切っ掛けになる事を期待して」

 

「そうであれば、君は結構な重責を背負わされていた事になるが?」

 

「正直、少し気が重かったんですけども」

 

 

 佐久の問いに、素直に答えていく自分がいる。違和感は全く無かった。

 

 

「……彼は、此処と全く関係無い人間のほうが貴方も話しやすいかもしれないと言ってました。それで、僕で役に立てるのならと思ったんです」

 

「なかなか義理堅いね」

 

「いえ、そんなんじゃ無いんです……僕はどの世界でも助けてもらいっぱなしで、何も返せてなくて。だから何か出来るのなら、って」

 

「そんな事は無いだろう。此処でも既に、白花さんを助けてあげている。最近の彼女はとても楽しそうだ」

 

「そうだったら嬉しいです。有難うございます……でも貴方はどうなんですか」

 

「特に不便は感じていないが。何故そんな事を?」

 

「彼……鷲は、貴方の事を心配しています。殆ど誰とも話をしないまま暮らすのは寂しい事じゃないのか、って。自分達スタッフとも、気軽に話してほしいと言ってたんです」

 

 

 その言葉に、彼はまた苦笑した。

 

 

「変ですか?彼の考え」

 

「いや、そんな事は無い。寧ろ逆で、そうした考えを表明出来る者が此処を管理しているのは大したものだ」

 

 

 引っ掛かる物言いだ。

 

 

「ただ、おおっぴらには言えないとも言ってましたけど」

 

「そうだろうな。言えば即座に此処を解任される」

 

「どう言う事ですか」

 

 

 未だ自分の知らない事がある。何か、重要な事が。

 

 

「……良いだろう、君には教える」

 

 

 暫く思案した後、佐久が口を開いた。

 

 

「私は14年前、此の世界に来てしまった。但し、精神だけ。何かの弾みで、この体に私の意識が入り込んでしまったらしい」

 

「え……」

 

「無論そんな話は、誰も信じてはくれなかったがね」

 

 

 記憶が微かに、佐久の話と共鳴する。まさか、と思った。

 

 

「私は器と中身が別人なんだ。比喩でも何でもない、事実として」

 

「じゃあ、貴方も……」

 

「そう。精神だけか身体ごとかの違いはあるが、君と同類と言えるだろう。元々は此の世界の人間ではない」

 

 

 まさか。

 

 

「貴方の……本当の名前を教えてもらえませんか」

 

 

 彼の表情が緩んだ。警戒を解いた、穏やかな顔。

 

 

「そうやって尋ねてくれたのは君が初めてだよ……『私』の名は、木賊 扇」

 

 

 トクサ セン。

 

 芥の全身が総毛立った。感動と驚きが綯い交ぜになって心を震わせる。

 

 

(僕の場合は精神だけが別次元へ跳んだ……別の世界で別人として生きている時に、芥さんに会ってます)

 

 

 そうなんだ……と心が納得する。

 

 

「どうかしたかね?」

 

 

 黙り込んだ芥に声をかける。小首を傾げ……そうだ、その仕草は彼そのものではないか。

 

 

「僕は、此処に来る前の世界で会ったんです。木賊 扇という少年に」

 

 

 ぴく、と佐久の左眉が微かに上がる。何かを言おうと口を開きかけ、だが思い直したようにソファに座り直した。

 

 

「聞かせてくれるかね」

 

「……“彼”は難病と闘っていました。移植以外に助かる可能性は無いと言っていて、担当の先生や周りの人と一緒に、病気の治療法を確立させるために頑張ってました」

 

 

 ついこの前までの世界を思い返しながら、芥は話を続けた。

 

 

「僕は火傷を負って入院したんです。其処で“彼”に会いました。扇は僕の心を支えてくれました。担当の先生も、とても良くしてくれて……」

 

「……『私』の主治医の名前を、覚えていますか?」

 

 

 佐久の声が掠れた。

 

 

「赭先生です。赭 快暁」

 

「……そうですか」

 

 

 ほ、息を吐くと、佐久は泣きそうな笑顔になった。

 

 

「なら、間違い無いでしょう。その『木賊 扇』は私です。無礼をお許し下さい、山吹さん」

 

「そんな、謝らないで下さい!」

 

 

 深々と頭を下げる彼を慌てて押しとどめる。

 

 

「謝るのは僕のほうです……扇から聞いてたんです、彼が別の世界に精神だけ飛ばしてしまった事があると。でも、どこかでその話を信じ切れていなかったんだ。なのに、本当にこうして……それも全くの別人として生きてたなんて……」

 

 

 “本当の自分”の存在を認められないまま、研究対象として別世界で“生かされる”日々。

 

 

「しかも何十年も……元の世界なら30年近くになるじゃないか……俺だったら、耐えられない」

 

 

 途方も無い話だ。想像を絶する時の長さを芥は恐れた。同時に、その年月を自分自身を失わずに生きてきた扇に畏敬の念を抱いた。

 佐久と目を合わせていられなくなり、芥は俯く。涙が彼の膝を濡らした。

 

 

「……貴方も、大変な思いをしてきたんですね」

 

 

 それでも、“扇”の口から零れ出た言葉はやはり、芥をねぎらうもので。

 

 

「確かに、辛くないと言ったら嘘になります。でも、此処でも僕に心を砕いてくれる人が居るから、生き続けようと思ってきました。本当にそれだけでしたけど、今こうして貴方の話を聞く事が出来て、ああこれで良かったんだと思いました」

 

「ありがとう……ゴメン、俺、やっぱり何もしてあげられなくて……」

 

 

 結局、此処でも扇に慰められている。自分の情けなさに、また涙が零れた。

 

 

「そんな事ありません。貴方は、僕を救ってくれました。僕の此処での14年間は今、貴方のお陰で報われたんです。そして、僕の心に大きな希望を吹き込んでくれました」

 

 

 芥の肩に手を置き、静かに微笑みかける。

 

 

「希望……?」

 

「貴方は、『異世界で過ごした僕』の事を知っていました。それはつまり、貴方は先に『未来の僕』と会ったと言う事になります。なら、僕はいずれ元の世界に戻れる。そうでしょう?」

 

 

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「ふぅ……」

 

 

 夕食の片付けを終え、すっかり自分の部屋となった空間に戻った芥は、ベッドに仰向けに転がった。

 予想だにしていなかった扇との再会は、彼を軽い興奮状態にしていた。夕方に『佐久さんと話せたって?』と鷲が聞いてきた時も頷くのが精一杯で、ぼうっとなっていた頭では何も説明出来なかったし、ましてやこちらから何かを尋ねる事など出来なかった。

 

 

『……白花さんから「研修生が来ている」と聞いた時は、何の冗談かと思いました』

 

 

 あの後、芥が落ち着きを取り戻してから、扇はこれまでに知り得た27ハウスの内情を教えてくれた。

 

 

『いくら知識や技術を身に付けたと言っても、研修生の段階では経験など当然ありませんし、責任感も薄い。エルテナ街に関しても、知っているのは通り一遍の事です。ハウスに入ってから、先輩のスタッフや住人などから色々な事を聞き学び、現場経験を積んでいく事になります』

 

 

 改めて淹れたコーヒーを芥にも勧めながら、話を続ける。

 

 

『その中で、彼等は様々な噂を耳にするようになります。“私”の情報ファイルも事務所にあるので、いずれそれも目にします。内容は適当に辻褄を合わせている筈ですが、勘の良いスタッフなら『改造』の疑いを持つ可能性もある』

 

『白花さんは……』

 

『彼女は知りません。そうした研究の噂は知っている世代ですが、実物が目の前に居るとは思いも寄らないのでしょうね』

 

『此処で研修生を受け入れてないのは、“貴方”が居るから?』

 

『そうです』

 

 

 即答した彼は、僅かに声を潜めた。

 

 

『本当は、研究機関の人達は“私”を外へ出したくなかった。あの研究機関の事を知り過ぎているからです。でも“私”が一般人と同じ生活をしなければ、彼等が知りたいデータは手に入らない』

 

『データ……』

 

『こればかりは、“私”しか提供出来ない貴重な物だからね』

 

 

 促され、芥もコーヒーに口をつける。

 

 

『外出は全くしないと、白花さんから聞きましたが』

 

『ああ、すいません。どうぞ気楽に……僕も佐久としてのクセが染みついてしまっているので、暫くはややこしいと思いますけども』

 

『あ、そうなんだ』

 

 

 扇は、少し肩を竦めて苦笑した。

 

 

『じゃあ……扇は、外出はしない?』

 

『近場への外出なら体力的にも問題無いですし、外出を禁止されている訳でもないんですけど、手続きが面倒で。おまけに専属の付添が二人付くという決まりがあるんです』

 

 

 つまりは監視役と言う事だ。

 

 

『出たいと思った時に出られる訳じゃない……』

 

『“私”だけは予約制なんです。でも其処までしてデータ取りに協力する気にもなれなくて。それよりは、白花さんみたいに外出したい人に買い物を頼んで、きっかけを作ってあげたほうが良いと思っているんです』

 

『だけどそれだと、扇自身は軟禁状態なんじゃないか?』

 

『特にそうは思いません。こうして自分で歩き、自分の事をこなせています。僕にとっては十分、有難い事です』

 

 

 ……そう言えるのは、扇だからこそ。

 元気な人なら気に留めもしない、当たり前の事なのだから。

 

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20111020(最終)-20190113