Part 3 -- Transfinite --

 

 ゆったりとしたベッドに横たわり、毛布を掛けられた状態で芥は目覚めた。

 丁度視界に入った窓の外、白い太陽が沈んで行くのを虚ろな瞳で見つめる。

 

 どうやら病院ではないようだ。身体は怠さを訴えてはいたが、痛みは特に感じない。

 

 

(跳ぶ度に大怪我してたら、キリが無いよ)

 

 

 感覚で分かった、此処はまた別の世界。

 ならばどのみち、様子を見るしかないのだろう。

 

 鉛のように重い身体を横たえたまま、芥はゆっくりと首を巡らせた。

 がらんとした空間。家具はあるが、申し訳程度。扉の向こうに時折人の気配はするが、入ってくる事は無かった。

 

 

『大丈夫ですから……また、お会いしましょう……』

 

 

 記憶が蘇る。扇の言葉を思い出す。彼の笑顔を思い出す。

 

 ……何もしてあげられなかった自分を、思い出す。

 

 

「ちくしょ……」

 

 

 鼻の奥がツンとしたが、涙は出なかった。後悔ばかりで胸が苦しいのに、思考は恐ろしい程に冷めている。

 自分の中で『自分』が何人もいる感覚。其れを自覚した途端、脳裡で様々な場面がリフレインを始めた。

 

 今まで出会った人たちと交わした言葉が、感情が、とりとめなく浮かび上がってはまた意識の淵に沈んで行く。全てを振り払うように目を閉じ頭を振っても何の効果も無く、積み重ねられた記憶のガラスが次々に砕け散っていく。

 

 

(こんな状態……誠だったら、どうやってコントロールする?仁なら……)

 

 

 不意に31の事を思い出した。

 唐突に首を絞められる感覚が芥を襲う。ダークグリーンの無機質な瞳……声が、出ない。

 

 

 オマエハ、ナニモノダ?

 

 

(駄目だ……誰か!)

 

 

 その時。

 

 

『バイタル不安定。確認願イマス』

 

 

 扉の外で人工的な声が聞こえ、芥は我に返った。室内はもう夕闇に包まれている。

 程なく近づいてきた足音がドアの前で止まり、小さめのノックが2回。一拍置いてからドアが開いた。

 

 

「失礼します……目、覚めたね。大丈夫?」

 

「……ああ」

 

「灯り、点けるよ」

 

 

 ひと言断りを入れて、その人物は室内灯を点けた。目が明るさに慣れると、芥は漸く声の主を見る事が出来た。

 

 そして息をのむ。

 

 ……それは誠と良く似た、金髪の青年だった。

 

 

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「気分は?痛む所とかは無い?」

 

 

 手にしていたマグカップをサイドボードに置きながら、彼はゆっくりと芥に話しかけた。起きられるかと聞かれ頷けば、身体を起こすのを手伝ってくれた。

 動作が慣れている。

 

 

「有難う。その……俺、迷惑かけてしまったようで」

 

「ああ、気にしなくて良いよ。別に怪しい人でも無さそうだったから、僕の判断でこの部屋に運び込んだまでの事」

 

 

 さらっと告げるその内容に、大丈夫なのかと芥のほうが心配になる。警戒心が無さ過ぎるのではないだろうか……そのおかげでこうして助けて貰えてるのも事実ではあるが。

 

 

「良いの?」

 

「ああ。此処は僕が管理人だし」

 

 

 彼が裁量権を持っていると言う事か。

 

 

「失礼。僕は刈安 鷲」

 

「あ、俺は山吹 芥。俺を見つけてくれたのも、君?」

 

「そう。その窓の外で。昼過ぎかな、開けた時に見つけて」

 

「まさか一人で俺を此処まで?」

 

「いや、それはリィライにしてもらったから」

 

「リィライ?」

 

「メカニカル支援スタッフの名前」

 

「はぁ……」

 

 

 早速分からない事が出て来た。

 

 

「此処は?」

 

「エルテナ街45、第27ハウス」

 

「エルテナ街?」

 

 

 芥は首を捻る。今度は鷲が質問する番だ。

 

 

「君、本当にこの辺りの人じゃないんだ?」

 

「うーん。全く違う……って言うか」

 

「もしかして、記憶がとんでる?」

 

「あ、いや。そんなんじゃ無い。ただ、話せば長くなるし、心構えが要るかも……」

 

 

 芥の言い回しに目をぱちりと瞬かせる。それでも鷲は一拍おいてから説明を続けてくれた。

 

 

「エルテナ街は、基本的に35歳以上の人が住んでる街区。身体状況等によって生活に不便を感じる人は必要な援助を受けながら暮らせる。僕は27ハウスの主任援助者として住み込みで働いてる」

 

「35歳?」

 

「そう」

 

「若すぎないか?その年齢制限」

 

「えっ?」

 

 

 鷲が驚く。何かが変だと感じ取る。

 

 

「君、本当に大丈夫なのか?」

 

「ああ、大丈夫……だとは思うんだけど。ええと」

 

「鷲で良いよ」

 

「ああ。鷲は今何歳?」

 

「13」

 

「は?」

 

 

 今度は芥が驚いた。23の間違いじゃないのかと我が耳を疑った。確かに自分より年下でも十分通用する感じだが、それはいくら何でも若過ぎる。

 

 

「変かい?君も僕と同じくらいだと思ってたけど」

 

「でも俺、26」

 

「……え?!」

 

 

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「……じゃあ、時間の経過が此処と君の世界では違う、と」

 

「ああ。そう考えると納得出来る」

 

「比率が、ほぼ1対2で」

 

「うん。そんなトコだよなー」

 

「何か……凄いな。こんな事もあるなんて」

 

 

 結局、芥は此処でもパラレルワールドの説明をする羽目になった。話し始めてから1時間は優に経過した頃、鷲は半信半疑ながらも芥が夢や絵空事を言っているのではないと思ったようで、ひとまずその内容を受け入れた。

 

 

「でも、それだったら芥は今の所は行く宛てが無いってワケ?」

 

「うん」

 

「そうか……あ、ちょっと待ってて」

 

 

 扉の向こうから呼び出し音が聞こえ、鷲が一旦席を外す。軽い音を立てて開いたドアの向こうから暖かみを感じさせる光が差し込んで来た。彼の足音と、誰かの呼び声が閑散とした廊下に響く。

 

 

(エルテナ街、か)

 

 

 先刻の説明を思い出しながら、芥は心中で呟く。ゆっくり両足を床に降ろして立ち上がり、ふらつきが無いのを確認してから窓辺に近づいた。

 外は既に夜の闇の支配下だ。家々の灯火が眼下に広がり、此処が高台に位置している事が分かる。月は出ていないが満天の星が夜空を埋め尽くし、いっそ幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

 

(綺麗だな。こんな夜空、見たこと無いや)

 

 

 見上げていると、緊張が残りささくれ立っていた気持ちが凪いで行くのを感じた。大きく深呼吸をして頭を切り換える。可能ならば明朝はエルテナ街を一通り見て回ろうか。

 

 

「入るよ……あ、大丈夫そうだな。良かった」

 

 

 どれくらい時間が経っただろうか、再びノックの音がして鷲が入って来た。今度は両手でトレイを持っている。

 

 

「腹減っただろ?此処の食事が口に合うかどうか分からないけど、良ければ」

 

「有難う。頂くよ」

 

 

 椅子やテーブルの類が無かったから、芥はひとまずベッドサイドに戻る……と、キュルキュルと軽快な機械音を立てて何かが部屋に入って来た。

 

 

『てーぶる、オ持チシマシタ』

 

 

 目覚めた時に聞いた合成音声だ。

 

 

「有難う、其処に広げて。ああ、『彼女』がリィライだよ」

 

「あ、メカニカル……」

 

「そう。じゃあリィライ、挨拶して」

 

 

 人間なら肩に相当するだろう辺りをぽんぽんと叩いて鷲がリィライに芥を紹介する。機能を優先させたらしい其のフォルムは人とは似ても似つかないが、どこか愛嬌があって憎めない。

 

 

『初メマシテ。27はうす担当ノ、りぃらいデス。宜シク、山吹 芥サン』

 

「あ、こちらこそ宜しく。リィライ」

 

 

 挨拶と共に差し出されたアームの先の4本指を怖々握る。予想に反してふわりとその手を握り返され、握手は無事交わされた。

 

 

『デハ業務ニ戻リマス。今晩ノCしふとハ?』

 

「与優で変更無しだ。もうすぐ来るよ」

 

『了解シマシタ。デハ芥サン、ゴユックリ』

 

 

 そう言って部屋を出て行くリィライを芥は呆然と見送った。『こんな体験は初めて?』とクスクス笑いながら、鷲がセッティングを完了させた。

 

 

「まあ食べなよ。あり合わせで悪いけど」

 

「十分さ。有難う」

 

 

 促されて箸をつける。今の芥には何よりのもてなしだった。スープの温かさに彼の親切を感じる。

 

 

「美味い」

 

「そう?それは良かった」

 

 

 調理は得意じゃ無いからちょっと心配だったんだ、と彼は破顔した。つられて芥も一緒に笑う。

 

 

「俺より余程上手い」

 

「そう?でも僕は君の料理の腕なんて知らないから」

 

「いやもう勘弁。食べるの専門」

 

「何言ってんだ。何事もやってみなきゃ……って」

 

 

 其処まで言うと彼は一つパチンと手を叩いた。

 

 

「芥、やっぱりお願いする。此処で僕たちを手伝ってほしいんだけど」

 

「え?」

 

「実はさっきもちょっと思ったんだ。行く宛てが無いんだろ?」

 

「うん、まあ……」

 

「だったら是非。見通しが立つ迄だけでも良いし」

 

 

 芥は戸惑った。確かに助かるが、今度こそ手伝えそうな事が無い。

 

 

「だけど俺、此処じゃ何の役にも立てないと思う……それこそ料理すら出来ないし」

 

「この際に覚えれば良いじゃないか。他の家事なんかは大概リィライがやってくれる、大丈夫だって」

 

「でも、この部屋だって援助が必要な人の為のものだろう?俺が使ったら……」

 

「当面は埋まる予定無いから問題無し」

 

「……」

 

「手伝って貰うのは、此処の人達の話し相手とか外出の付き添い。買い出しや手続きを代行してもらう事もあるけど、最初はそれくらいだよ。難しい事じゃない」

 

 

 反論が無くなったのを承諾と取り、鷲は早速具体的な説明を始める。

 そして。

 

 

「それと……ひょっとして君だからこそ出来るんじゃないか、って思ってる事があるんだ。慣れてきてからで良いから、是非とも協力して欲しい」

 

 

 最後にそんな事を付け加えてこの話を締めくくった。

 

 

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「それは助かります。宜しくお願いします、山吹さん」

 

「芥、で良いよ。こちらこそ世話かけるけど、どうか宜しく」

 

「大歓迎ですよ。それじゃ、僕あがります」

 

「うん。お疲れ様、与優」

 

 

 昨夜からCシフト……つまりは夜勤だ……に入ったスタッフとは翌朝に顔を合わせた。青藤 与優と名乗る彼は鷲の後輩で、此処で働くようになって1年くらいだと言っていた。

 

 

「そしたら僕等も朝飯にしようか」

 

 

 言うと手招きして芥をホールへ誘導する。既に住人の朝食時間は終わり、食洗機の音とリィライが作業する音だけが低く響いていた。

 飲み物を冷蔵庫から取り出し、冷えていた食事は温め直す。ついでに、鷲がキッチンにある機械類の操作方法を手短に芥に教えた。

 

 

「これなら簡単だろ?」

 

「この程度ならね」

 

 

 隅のテーブルに斜め向かいで座った。窓から差し込む陽光が気持ち良い。鷲の髪が其れを弾いて金色に輝く。

 その様はやはり、芥に一人の人物を思い起こさせた。

 

 

「何?」

 

 

 余程まじまじと見てしまったのだろう、食事の手を止めて鷲が怪訝そうに聞いてきた。

 

 

「あ、ごめん」

 

「謝らなくても良いけど。僕、何か変?」

 

「いや、違うんだ……その、俺が前いた世界で世話になった人と似てるんだ、鷲が」

 

「へえ?」

 

 

 ぴく、と彼の眉が微かに跳ね上がった。

 

 

「そんなによく似てる?」

 

「ぱっと見た感じはかなり。特にその髪が印象的で」

 

「そう?此処じゃ割と普通だけど」

 

 

 言いながら自分の髪を指に絡げて珍しそうに眺める。その仕草が彼を幼く見せて、芥は少し笑った。

 

 

「上手く言えないけど、雰囲気みたいなのがさ。顔つきも似てるし、人をまとめる立場にいるのも一緒だ」

 

「僕のはそんな大した内容じゃないけど」

 

「でも此処を任されてるんだろ?」

 

「一応ね。決まりだから」

 

 

 あっさりと流すような答えに、芥は少しだけ肩透かしをくったような気分になる。しかし鷲は気にせず話題を元に戻した。

 

 

「生きてれば自分そっくりな人に何度か出会う事もある……なんて言うけど、別の世界に自分とそっくりな人がいるって言うのも、何だか不思議な気がするね」

 

「そうだな」

 

「芥も自分と似てる人に会ったりしたの?」

 

「ああ……」

 

 

 聞かれて直ぐに思い出したのは、扇。

 

 

「会った。此処に来る前に。此処だったら4歳差ぐらいかな」

 

「相手のほうが上?」

 

「下。彼は身体が弱くて結構痩せてたけど、それでも俺の学生の頃に良く似てたんだ。ただ中身はすごく大人びて落ち着いてたな」

 

「見た目はそっくりだったんだ」

 

「見た目『だけ』は、ね」

 

 

 芥は苦笑した。

 

 

「けど、やっぱり別人なんだよな。当たり前だけど」

 

「そうじゃなけりゃ、それこそドッペルゲンガーになっちまうよ……さてと」

 

 

 二人とも食べ終えたところで、話も丁度一区切り。ここから鷲は勤務時間に入ると言う。

 

 

「あ、俺が洗う。キッチンの中、もう少し見たいし」

 

「そう?じゃあ早速で悪いけど、よろしく。それが済んだら適当に外出してもらっても良いから」

 

「分かった。ありがとう」

 

 

 それからかれこれ30分、芥はキッチン内を隅から隅までチェックした。調理道具や食洗機などの操作は問題無さそうだが、調理そのものはまた別だ。

 

 

『ちゃんとご飯食べてる?』

 

 

 彩の口癖が聞こえた気がして、自炊を殆どしてこなかった自分の食生活をこんな所で反省した。

 

 

「そうだよな、やっぱり簡単な料理くらいは出来ないとダメだなあ……」

 

 

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「……デスカラ、モウ暫クオ待チクダサイ」

 

「大丈夫、ちゃんとバギーを使うから」

 

 

 外出しようと玄関まで来た芥の耳に、そんな会話が聞こえて来た。

 

 

「どうしたんだい?リィライ」

 

「あら、新人さん?丁度良かった。私、買い物に行きたいんだけど、この前転んで怪我をしたからって一人で出させてくれないのよ。メカニカルなのに心配性なのよ、変でしょ?」

 

 

 いきなり話を振られて戸惑う。

 

 

「いや、えーと」

 

「単ナル怪我ジャアリマセン、骨折デシタ」

 

「もう、どっちでも良いじゃない。治ったんだから」

 

「マダ医者ハ完治トハ言ッテマセンガ」

 

「し・た・の!本人が言ってるんだから間違い無いでしょ」

 

 

 芥が口を挟む隙も無い。だがその遣り取りを聞いてる内に一つの折衷案が浮かんだ。

 

 

「あのさ、リィライ」

 

「何デショウ?」

 

 

 ようやっとの事で割り込めば、リィライがこれ幸いと芥のほうを向く。

 

 

「俺、近所を見て回ろうと思ってたんだけど、地理が分からないから困ってたんだ。だからこの人に連れて行ってもらっても良いかな?そうしたら迷子にならずに戻って来れる」

 

「ソウデスネ……確カニ、芥サンハ今日ハふりーたいむト聞イテマス」

 

「そうなの?それなら案内するから、一緒に行きましょう。お昼も外で食べたら良いわ」

 

「分カリマシタ。デハ昼食ハ無シデ」

 

 

 芥の申し出で一気に機嫌の良くなった老婦人を見て、リィライも遂に許可を出した。その言い方は何となく溜め息をついているようにも聞こえる。

 

 

「ばぎーヲ出シマスカラ少シダケオ待チクダサイ」

 

「分かった。鷲にも伝えておいて」

 

「ハイ。モチロン」

 

 

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「それで、此処が私の行きつけ」

 

 

 老婦人は、白花 亜樹と名乗った。大層人当たりの良い人物で、バギーを楽々と操りながら芥にエルテナ街を片っ端から案内して回る。

 実際に歩いてみれば街の規模は知れていたが、此処で暮らすための物資やサービスは十分過ぎる程に揃っていた。

 昼過ぎになって連れて来られた通りには、様々なタイプの飲食店が軒を連ねていた。彼女が『行きつけ』と言ったのは、街では1、2を争う人気店らしい。

 

 

「貴方お肉は好きよね。まだ若いんだし。11・2歳なんでしょ?」

 

 

 与優と同い年くらいと思われたようだ。適当に話を合わせておく。

 

 

「はい」

 

「大丈夫よ、此処は私のおごりだから。お任せで良いかしら?」

 

「はい。あの、ご馳走になります」

 

「まあ、礼儀正しいわねぇ」

 

 

 年長者らしい事を言いながら、少女のようにコロコロとよく笑う。人柄もあるのだろうが、何より久々の外出で嬉しくて仕方無いようだ。

 

 

「このお店も久しぶり。怪我をする二週間前くらいに来たっきりだったのよ」

 

「そう言えば骨折されたと」

 

「そうなのよ、いつも気をつけてた筈なのに。ふいっと気が抜けた時にうっかり段差に躓いて、それで脚をね」

 

「それは大変でしたね」

 

「まあねぇ。いくら治療費はかからないって言っても、あんな病院に行かなきゃいけないんだもの。痛さより何より、それが面倒で憂鬱だったわ」

 

 

 大げさに顔を顰めておどけた風に言う。それが却って気になり聞いてみた。

 

 

「あんな病院?」

 

「あら、“あの病院”よ。知らないの?」

 

 

 一瞬で背中が冷えた。この街では当たり前の事なのかもしれない。

 

 

「あ、話には聞いてたんですが。実は僕、最近になってこっちに来たので、未だ実際に見てないんです」

 

 

 どうか誤魔化されてくれと内心で必死に祈る。

 

 

「あら、じゃあまだ研修生さんなのかしら?」

 

「はい。実は」

 

「そうだったの。じゃあ知らなくて当然ね」

 

 

 少し不審そうだった老婦人の顔に笑みが戻った。

 

 

「すいません」

 

「謝る事なんか無いでしょ?寧ろ知らない事は知らないって、はっきり言った方が良いわ」

 

 

 そこへスープが運ばれて来て、彼女は一旦言葉を切る。ウェイターが去ったのを確認してから、そっと芥に耳打ちをした。

 

 

「……貴方は未だ若いから大丈夫とは思うけど、兎に角大きな怪我や病気には気をつけなさい。35にならなくても、働けなくなったら彼処に連れて行かれるしかないのよ」

 

 

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「聞きたい事があるんだけど」

 

「何?」

 

 

 外出から戻れば、お茶の時間が近づいていた。配膳準備をする鷲を手伝いながら、芥はさっき疑問に思った事を口にした。

 

 

「“あの病院”って、何だい?」

 

 

 がちゃ、と食器のぶつかる音がした。続いて返ってきた鷲の声が何処か固い。

 

 

「それ……何処で?」

 

「昼飯の時に、白花さんが。彼女の怪我の話からその話題に」

 

「どんな事を言ってた?彼女」

 

「治療費が要らないと言う事と……働けなくなったら其処に連れて行かれるしかない、とか」

 

「そうか」

 

 

 そう呟いたきり、鷲は黙り込む。両手は休む事無く動いていたが。

 

 

「……今晩、その件について説明する。昨日の今日で悪いけど、いずれ言わなきゃって思ってた事だったし。協力してもらいたい事にも関係してるからね」

 

「あ、昨日言ってた件?」

 

「そう。21時には手が空くから、それから部屋へ寄らせてもらっても?」

 

「勿論。他にも教えて欲しい事がいくらでもある」

 

 

 そんな芥の返事を聞いて、彼の顔に漸く笑みが浮かんだ。

 

 

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「彼女が言ってたのは、国直轄の医療研究機関の事なんだ」

 

 

 予定通りにやってきた鷲は、暫くの雑談の後に本題を切り出した。『直轄?』と聞き返した芥に頷くと話を続ける。

 

 

「普通の病院機能も持ってるからエルテナ街の住人は優先的に受診出来る。だけど、後は他では手に負えない重症患者しか受け入れない。それこそ瀕死の人とか」

 

「国直轄って言うなら、救命設備も揃ってるよな?」

 

「一通りはね」

 

「なら、重症者を優先的に受け入れて当然じゃないか。専門の治療をしなきゃいけない」

 

「勿論、表向きはそうなってるさ。だけどあれは治療なんて物じゃない」

 

 

 ぞ、と芥の背中を冷たい物が走る。次第に張り詰めていくような空気を感じて、だが次に言うべき言葉が見つからない。

 

 

「何処から説明したら良いのかな……」

 

 

 鷲は何か思案しているようだった。ややあって口を開く。

 

 

「人の口に戸は立てられない。研究機関の存在は本当は機密扱いだけど、此処じゃそれを知らない人はまず居ない。実態そのものまでは知らなくても、『行ったら終わり』という噂は行き渡っている」

 

「仕方無い部分はあるじゃないか。こう言っちゃ何だけど……その、重症者が多ければ死亡率はどうしても高くなるし」

 

「そんな甘い物じゃない」

 

 

 芥の見解は即座に却下だ。

 

 

「確認なんだけど。治療って言うのは『生きている限り、“その人”がより良く自分の人生を生きられるようにする為のもの』……僕はそう思ってるんだけど、君は?」

 

「それは当然だと思う。同意するよ」

 

 

 芥の返事を貰い、鷲の表情が少しだけ緩んだ。だがそれも一瞬の事。

 

 

「良かった、スタンスが一緒で……だけど残念ながら、あそこで行われているのは『改造』であり『実験』なんだ」

 

 

 その言葉に彼は絶句した。

 

 

「な……!」

 

 

 まじまじと鷲を見る。そんな芥を見返す彼のまなざしは、次第に無機質なものになっていく。

 

 

「エルテナ街については昨日説明した通り。この国の人々は35歳になったらエルテナ街に移住する。怪我や病気等で日常生活が困難になった人達もだ」

 

「それって、本当に……全員が?」

 

「そう。義務だからね。但し費用は国持ちだから、経済的な負担は無い。人によっては身辺整理に手間取ったりする事もあるから、猶予期間はある。けど、それも最長1年さ」

 

 

 これは、一種の人口管理なのだろうか。

 

 

「僕は主任援助者だって言ったよね。主任援助者は担当ハウスの住人を管理・監視する責務も負っている。常に住人達の健康状態を把握し、適切な対応をするよう求められるんだ」

 

「管理はまだ分かるけど、監視って……」

 

「ああ、誤解しないでほしいんだけど。僕は本当に、皆に平穏で幸せな毎日を此処で送ってもらいたいと思っている。出来れば此処で天寿を全うしてほしいと」

 

「鷲は、上の方策に根っから賛同している訳じゃ無いんだな?」

 

「そりゃそうだよ。そう思ってる人は少なくない。おおっぴらには言えないけどね」

 

 

 ふ、と鷲の顔に生気が戻った。ひょいと肩を竦め自嘲気味に笑う。

 

 

「この国は人口が減少している。出生率自体はあまり下がってないけど、短命の人が増えてる。以前は50近くだった平均寿命が、今じゃ45前後まで下がっててね。それで国を挙げての取り組みが始まった。それが12年前の話」

 

「じゃあ、国の研究というのは平均寿命を延ばす事?」

 

「元々はそうだったと聞いてる。けど……」

 

 

 彼の声のトーンが落ちた。

 

 

「現在、最終目的は『不老不死』まで行ってるんだ」

 

「待てよ、そんな……無茶だ」

 

「僕もそう思う。それでも、出来る事なら長生きしたい、長生き出来たら出来たで、次は死にたくないと思う人は多いって事。その辺から計画が暴走したって言うのが妥当な線」

 

 

 背筋の寒気は未だ去ってくれない。芥も自然と声を潜める。

 

 

「だけど、それは推測だろ?」

 

「いや、それなりの根拠はある」

 

「根拠?」

 

「ああ」

 

「それはどんな?」

 

 

 す、とひと息ついてから、鷲は種明かしをした。

 

 

「実は、このハウスに今年54になった人が居る。彼は、此処に10年以上前から住んでいる……これは歴代の主任だけに申し送りされる事項だから他には言わないで欲しいんだけど、その人こそが、第一期に『改造』を受けたグループで唯一人の生き残りなんだ」

 

「一期?唯一?」

 

「そう。おまけに見た目は40そこそこ」

 

「かなり若く見えるって事だよな。それも改造の影響?」

 

「みたいだ。偶然だったらしいけど、細胞の老化そのものを遅らせる処置が成功してるって」

 

「何だよそれ……凄すぎるだろ」

 

 

 芥は思わず溜め息をついた。イメージが追いつかない。

 その様子に苦笑しつつ、鷲は最大の謎を彼に明かした。

 

 

「ただ、疑問点が一つあってね。彼の人格も記憶も、『改造』の前と後で全く変わってしまったって言うんだ。それこそ中身だけが別の誰かと入れ替わったみたいに」

 

 

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20111020(最終)-20190105