Transfinite(5)

 

 研修があった日の夜。あれから21時まで、鷲は無言だった。

 再び山のように送られてきた用紙を2時間かけて処理し、返信する。さらに鷲はハウス関連の事務をこなし、全てが終わった頃にはすっかり日付が変わっていた。

 『ヨロシイデスカ』とリィライが事務所に顔を出したのが午前1時。其処から鷲は“計画”の説明を始めたのだった。

 

 

『……それで君には、ヴァルヌスのホールを統括しているエクスペリメンタルに会ってほしい。ショップフェアの途中にでも白花さんに連れていってもらって、何とか彼女と接触してもらいたいんだ。

 このメモが彼女に渡った時が計画のスタートになる。彼女に伝われば、半日以内に他のメンバーにも情報が行き渡る手はずになってる』

 

『分かった』

 

『真っ先に君を危険に晒す事になるけど』

 

『そんなの危険の内にも入らないさ。フェアの開催時間中なら、白花さんと一緒のほうがやりやすいと思うし』

 

『……有難う。彼女の名は、亜麻 香琉那。僕よりも赤っぽくて長髪の女性だ。左胸にスタッフプレートを着けているから間違える事は無いよ』

 

 

 念のためネームプレートの表記を教えてもらう。

 

 

『OK……あ、白花さんは大丈夫なのかな』

 

『一般人にはそうそう接触してこないから、然程危険は無いと思う。彼女はリィライと先に出かけてもらって、君は28街区で後から合流。帰りは他のスタッフを迎えに寄越すようにするから、そこでバトンタッチって言う事で』

 

『ワタシガ付添イデスカ……』

 

『1時間程の事だよ。頼む』

 

『仕方アリマセン。芥サンノ為デス』

 

『悪いね、リィライ』

 

『イエ、芥サンハ何モ悪クアリマセンヨ』

 

 

 あからさまな言い様に苦笑してから、鷲が地図の一点を指差した。

 

 

『その後、隣の27街区の……此処に隠れていてもらったら、香琉那が君を迎えに行く。合言葉はさっきと同じだけど、この時は彼女が先に言うまで黙っていて』

 

『もし、そこに行き着く前にスピオンに見つかったら?』

 

『抵抗はしない、それだけ。君の名前を隠す必要も無い。何なら、僕の過去を調べに来たと言えば良い。後は黙秘』

 

『“佐久さん”の事は言わない方が良いんだな?』

 

『そう。多分それ一つで、君が連れて行かれる所が変わってしまう。そうすると後で見つけ難くなるから』

 

 

 隣に広げていた研究所の見取り図に指を走らせながら、鷲は簡潔に説明をした。

 

 

『普通に連行された場合は此処に入る筈なんだ。彼等は『観察室』って呼んでるけど、体の良い独房』

 

『うん』

 

『その場合は僕達が君を救出してからデータルームへ乗り込む。ルートはこんな感じかな。スピオンの邪魔が入らずに彼女達と合流出来れば、研究所の近くで集合して一緒に、って事になる』

 

 

 彼の視線を受け、芥は頷いた。了解だ。

 

 

『不確定要素はどうしても入ってしまうから、どのパターンになるかは分からない。スタートのタイミングもいつになるかは微妙なんだけど。でもどんなに遅くても、定期巡回の日の午前中には動き出す』

 

『フェアの翌日、だね?』

 

『そう。君は、今日の午後からは“佐久さんの部屋”でしっかり休んでおいて』

 

『その間に、彼にこの内容を伝えておく』

 

『助かるよ。本当は僕からお願いすべきなんだけど、手が離せない。頼む』

 

『解った』

 

 

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「いらっしゃいませ」

 

 

 小一時間程フェアを見て回り、買い物を幾つかした後、二人はこぢんまりとしたカフェに足を向けた。

 

 

「此処がそうよ」

 

「賑やかですね」

 

「人気のお店だからね、こんな日は満員」

 

「そうなんですか。予約しておくべきだったかな」

 

「フェアの日に予約なんてしたら面倒くさい事になっちゃうわ。大丈夫、お客さん達もちゃんと心得ているから」

 

 

 彼女は以前に何度も来ているのだろう。慣れた様子で入口付近にいたスタッフを呼び止める。

 

 

「こんにちは、今日も賑やかね。二人なんだけど、じきに空きそうかしら?」

 

「そうですね……今からですと15分程お待ち頂く事になりますが、よろしゅうございますか?」

 

「構わないわよ。今日はこのコに極上のコーヒーとパイを堪能してもらうわね」

 

「有難うございます。では席が空き次第ご案内致しますので、お待ち下さいませ」

 

 

 スタッフは老婦人の言葉に笑みを返し、一礼してから店内へ戻って行った。

 

 

「じゃあ、バギーは端っこに置いておきましょうね」

 

「あ、僕やります」

 

 

 自分でバギーを片隅に寄せようとする彼女を制し、芥が交代する……と、背後から別の声がかかった。

 

 

「お客様、恐れ入ります。バギーは所定のポートに置いて頂く事になっておりますので」

 

「あ、すいません。じゃあ移動……」

 

 

 言いつつ振り向き、声の主を認めた瞬間、芥は声を失った。いきなり目当ての人物が目の前に現れたからでもあったが……それ以上に、その印象があまりにも似ていたから。

 

 

「何か?」

 

「え……あ、すぐ移動させます」

 

 

 意志の強さを秘めた切れ長の目と、後ろで緩く一つに纏めたオレンジの髪、人懐っこさを感じさせる笑顔。男女の違いはあれど、それでも統を連想するには十分過ぎた。

 

 

(……びっくりした)

 

 

 内心の動揺を押し隠し、努めて平静に言葉を続ける。

 

 

「どこに置いたら?」

 

「ご案内します。どうぞこちらへ」

 

 

 す、と流れるような動作で芥をポートに案内する。洗練された、という言葉がぴったりだと思った。

 

 

「此処にお願い致します」

 

「分かりました」

 

 

 ほんの10数歩のところにポートはあった。隣の店との間に、バギーなら10台は置けるスペースが作られ、今は奥のほうに空きがあった。表通りからは死角が多くなる。

 

 チャンスだ。

 

 

「あと、一つお聞きしたい事が」

 

「何でしょうか?」

 

 

 律儀に芥を待ってくれている彼女に、バギーを置きながら声を少し潜めて言った。

 

 

「『ヴァルカン・リングは見つかったのですか?』」

 

 

 ぴく、と彼女の左手が微かに震えた。

 僅かの沈黙の後、鷲に聞いた通りの応えが返って来る。

 

 

「いえ。『もともと私達には見えない』のです」

 

 

 合い言葉が合致した。すかさず左手を差し出す。

 

 

「そうですか。失礼しました」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 

 芥の手を、彼女がしっかり握り返した。成功だ。

 

 

「ではお店のほうへ。お連れ様と今暫くお待ち下さいませ」

 

 

 香琉那は満面の笑みを見せると、何事も無かったように芥を待合へと案内した。

 

 

---------------------

 

 

「そうですか。それなら、芥さんは無事にその人と合流出来たんですね」

 

「はい。これで少し安心です」

 

 

 深夜、香琉那からの連絡を受け取った鷲はその足で“佐久の部屋”を訪ねていた。

 

 

「明日はリィライが来るまで待機で良いんですね?」

 

「はい。スピオンに何か聞かれても、知らぬ存ぜぬで通して下さい」

 

「分かりました。リィライには僕の事は?」

 

「伝えていません。他のエクスペリメンタルにもです。混乱を招きかねないので」

 

「そうですね。じゃあ、明日は“佐久”に戻ります」

 

 

 カップに口をつけ、鷲に視線を投げると扇は目だけで器用に笑った。

 

 

「それで、僕は最終的に何を手伝えば良いんでしょうか」

 

 

 言い出せずにいた本題にいきなり切り込まれ、鷲の視線が宙を彷徨う。

 

 

「その話の為に、わざわざいらっしゃったんですよね?」

 

「……」

 

「心配しないで下さい。貴方と同じだけの覚悟は出来ているし、それで僕も解放されるんですから。教えてください、芥さんには話せなかった事を」

 

 

 芥からこの計画を聞いた時、扇は内容に矛盾がある事に直ぐ気付いた。だが同時にその意図も朧ながら見えたから、その時は敢えてそのまま流していたのだ。

 

 

「……最初に彼から聞いた話をヒントに、”最後”は嘘のシナリオを。本当の事は言えませんでした」

 

「僕が貴方の立場でも同じ事をしたでしょう。あんな優しい人に正直に話したら、反対されるのは目に見えてます」

 

「僕自身は、これで“造られた自分”から解放される。そして……扇、貴方も恐らく、精神がその身体から解放される事が元の世界に戻るきっかけとなってくれるでしょう」

 

「そうですね。芥さんの証言もあるので心強いです」

 

「だけど、彼だけは違う」

 

 
 芥だけは、その身体を損なう事があってはならない。

 

 

「そうですね。五体無事で戻ってもらわないと」

 

「はい」

 

「本当のシナリオは?」

 

 

 再び問われ、鷲は一度だけきつく唇を結ぶ……次に顔を上げた時、その瞳から逡巡の色は消えていた。

 

 

「研究所のデータルームへ乗り込み、エクスペリメンタルに関する書類とデータを抹消するまでは同じです。」

 

「スピオンが反撃してきますね?」

 

「其れは僕と仲間で必ずくい止めます。屋上のヘリポートへは、データルームの奥にある非常用ルートを使います。香琉那が貴方と芥を誘導するので、先に一緒に行って下さい」

 

「刈安さんは?」

 

「全てを終わらせたら、追いかけます」

 

 

 全て。
 その意味を、扇は正確に読み取った。

 

 

「分かりました。彼と屋上でお待ちしています」

 

「ありがとうございます」

 

 

 鷲が深々と一礼する。そして扇は最後の質問をした。

 

 

「それで、貴方は自分自身をどうやって解放させるつもりですか」

 

「……ご存知の通り、僕達が自分自身を殺す事は不可能です」

 

 

 ジャケットの内ポケットから取り出した物を扇に渡す。

 

 

「良いんですね?」

 

「はい。貴方なら『彼を守る』という大義名分が立つ筈です……どうか、お願いします」

 

 

---------------------

 

 

「まあ入って。狭苦しいトコだけど」

 

 

 香琉那の笑顔につられるようにして一歩踏み込んだ芥は、途端に二人の視線に射竦められた。

 

 

「あ、えっと」

 

「大丈夫、二人とも仲間。左に居るのが紅紫、右が青藍……」

 

「見かけない顔だね」

 

 

 香琉那の紹介が終わらない内に、紅紫と呼ばれた方が口を開いた。口調は穏やかだが、刺すような眼差しはそのまま。明らかに警戒されている。

 

 

「心配要らない。彼は信頼出来るわ」

 

 

 言いながら香琉那が軽く右手を上げれば、立ち上がろうとしていた青藍が一拍置いて再び腰を下ろした。

 

 

「彼は山吹 芥。彼のお陰で、今回のゴーサインが出たのよ」

 

「改造組じゃないよな?」

 

「違う。でも私達の仲間なのは確か」

 

 

 短い遣り取りでも、芥には彼等の関係が見えて来た。この計画に何人参加しているのかは知らないが、彼女は間違い無くグループの№2。ハウスで業務に忙殺されている鷲に代わってメンバーをまとめ、連絡の要を担っているようだ。

 

 

「証拠は?」

 

 

 今度は青藍が尋ねる。瞳には微かな猜疑心。

 

 

「彼のおかげで、鷲があの方とお話出来た」

 

 

 途端に二人は驚愕の表情になる。

 

 

「え?!」

 

「あの、ハウスに軟禁されている……」

 

 

 そのまま二人とも黙り込んだ。その反応を見て、今度は芥が質問する。

 

 

「佐久さんって、そんなに凄い人なんですか」

 

「凄いって言うか、私達にとっては伝説の人ね」

 

「伝説?」

 

「私達エクスペリメンタルは、ハウスでの勤務には入れない。鷲は本当に特例で就任したから会う事が出来たんだけど、私達は未だ一度もあの方を見た事すら無いの」

 

 

 確かに彼は、既に10年以上あのハウスに住んでいる。研究所で顔を合わせるチャンスも無かったのだろう。

 


「香琉那さんも鷲と同じぐらいなんですか?11期とか」

 

 

 その質問に彼女はニッと笑った。

 

 

「良い推理ね。私は9期。鷲より半年くらい“先輩”ってトコ。11期は残ってなくて、紅紫が12期。青藍が13期」

 

 

 スムーズに進む二人の会話を聞いていた紅紫と青藍が、漸く緊張を解いた。

 

 

「分かった、香琉那。確かに彼は信用しても良さそうだ」

 

「鷲も、とってもお世話になったって言ってた」

 

「そっか。悪かったね、失礼した」

 

「気にしてないよ。よろしく」

 

 

 差し出された手を順番に握って、場の空気が一気に和らぐ。

 

 

「君もあの方と会ったんだね」

 

「ああ」

 

「それは羨ましいな。彼はどんな人だった?」

 

「えっと……」

 

 

 言って良いものかと躊躇う芥を、香琉那が笑顔で後押しした。

 

 

「話してくれる?みんな知りたくて仕方無いの。勿論、私もね」

 

 

 促され、芥は口を開く。

 

 

「……穏やかな人だよ。最初は気難しい印象もあったけど、それは彼なりの理由があっての事だった。話せるようになってからは、俺にもすごく親切にしてくれた」

 

「今の生活に対しては?その……苦痛とか不自由だとか」

 

「いや。少ないけど交流している人もいたし、軟禁されているという印象すら受けなかった」

 

「そうなんだ?」

 

「本当は外出も出来るけど、手続きが面倒だから出ないって」

 

「え、ホントか?」

 

「ホント。屋内では自分の事は自分で出来るから有難い、とも言ってた」

 

「へぇ……」

 

 

 想像していた人物像と、かなり違っていたのだろう。信じられないと言った顔の二人に、香琉那は『偏屈な人じゃなくて良かったわね』と悪戯っぽく笑う。

 

 

「じゃあ、明日は俺達も話が出来るかな?あの方と」

 

 

 青藍が、今度は期待に満ちた目をして彼女に問う。

 

 

「時間があれば。鷲も言ってたけど、あの方は私達の存在を嫌っている訳じゃない」

 

 

 ね?と続きを振られ、芥は頷いた。

 

 

「嫌うどころか、とても気にかけていたよ。エクスペリメンタルの事も、あのハウスの住人や、一般スタッフの事まで」

 

「体調は良さそうだったかしら?」

 

「フェアに行く前まで彼の部屋に居たんですが、問題無かったです。朝のチェックでも異常無しでした」

 

「それは何より。鷲もついてる事だし、此処まで来れば大丈夫ね」

 

「そうだな。後はきちんと合流する事だ」

 

 

 紅紫がよし、と意気込んで立ち上がった。

 

 

「もう一度チェックをしてくるよ」

 

「じゃあ俺も」

 

「あ、何か手伝える事は……」

 

 

 一緒に立ち上がった青藍につられるように腰を上げた芥は、しかし香琉那にやんわり押し止められた。

 

 

「大丈夫。準備はすっかり出来てるの。あれは気持ちを落ち着かせるための儀式みたいなもの」

 

「そうなんですか?」

 

「そう。それにあの二人は普段から2時間も休めば十分ってコ達だから、付き合ってたら明日バテちゃうのは君だよ」

 

「え?」

 

 

 有り得ないと言いかけたが、ふと一つの可能性に気付く。

 

 

「体質……じゃ、無いですよね?」

 

「そうね、副作用とでも言うのかな。改造の」

 

「……」

 

「そんな顔しないで。二人ともすっかり折り合いをつけて暮らしてるんだから。人の心配してる時間があったら体を休めておいてちょうだい」

 

 

 香琉那はカラカラと笑うと彼に毛布を渡した。

 

 

「明日はハードな日になるからね。休める時に休んでおく事。そこのソファ、使って」

 

「香琉那さんは?」

 

「私は隣の部屋。何かあれば遠慮無く壁を叩いて。薄いからすぐ分かる」

 

「でも」

 

「ほら、移動移動」

 

「……未だ聞きたい事が」

 

「君が横になったら受け付けるわ。ほらほら」

 

 

 あっと言う間にソファまで追い立てられ、就寝準備を急かされた。言われる侭に眠る体勢を整える。

 

 

「しっかり休んでね」

 

「あの、香琉那さん」

 

「なあに?」

 

 

 やっとの事で引き留めるが、ドアを開けた彼女は軽く此方へ顔を向けただけ。視線も合わそうとしない。明らかに話を切り上げたがっていた。

 

 今、聞ける事は、ひとつだけだ。

 

 

「明日、作戦が終わった後、あなた達はどうなるんですか」

 

「……」

 

 

 尋ねてはいけない事だったかもしれない。現に、彼女は一瞬声を失った……それでも、芥は確かめたかった。

 

 

「香琉那」

 

 

 もう一度呼びかければ、漸く彼女が此方を向く。笑顔で。

 

 

「私達の事なら心配要らない。鷲も言ってた筈よ?データさえ抹消出来れば、向こうに相当のダメージを与えられるから時間稼ぎも出来るし、何とでもなる」

 

「でも……」

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、貴方は今は自分の事を考えてちょうだい。鷲がパイロットとして同行するにしても、あの方をメインでサポートするのは貴方。ヘリでの国境越えは、あの方には相当の負担になる筈だし。頼んだわよ」

 

 

 言い切られた。これ以上はもう無理だ。

 

 

「……わかりました」

 

 

 残った言葉を全てのみこみ、彼はおとなしく横になった。

 

 

「先に休ませてもらいます。おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみ。明日はよろしく」

 

 

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「ご苦労様」

 

「そっちこそ」

 

 

 隣室に戻った香琉那は、グラス片手に通信機の前に座った。

 

 

「あの方との話は済んだの?」

 

「ついさっき。そっちは?」

 

「二人と顔合わせしてもらって、さっさと休ませた」

 

「話の辻褄は合わせてくれたよな?」

 

「大丈夫だと思うけど……彼、一体何者?めちゃめちゃ聡いコじゃない」

 

「やっぱり苦労したか」

 

「苦労どころじゃない、あんなの反則よ。久しぶりに冷や汗かいたわ」

 

 

 溜め息をつく香琉那の耳に、押さえきれなかったらしい彼の笑いが低く届いた。

 

 

「もう、他人事だと思って」

 

「さっきまでの僕の苦労を分かってもらいたかっただけさ」

 

「何それ。付き合いきれないわねぇ」

 

 

 聞こえよがしにもう一度、大きく溜め息をついてやる。

 

 

「悪いね」

 

「思ってもいないクセに」

 

「そんな事無い。来世にでも、この埋め合わせはさせてもらうから」

 

「何言ってんの」

 

「無理なら、せめて別世界の君に」

 

「鷲……」

 

 

 彼の様子がいつもと違う。

 

 

「大丈夫?」

 

「何が」

 

「私が知ってる貴方は、そんな事言わない。何かあったの?」

 

「何も無い、大丈夫……まあ流石にちょっと浮かれてるか」

 

 

 長い間待ち焦がれていた時が来たのだ。それも仕方無い事だと、香琉那は自分を納得させた。

 

 

「でもホントに、あと少しなんだから。気を引き締めて行かなきゃ」

 

「勿論さ。全てが終わるまでは壊れられない。其所にあるデータは?」

 

「末梢準備は出来てる。明日、貴方からの連絡が入ったら実行。紅紫と青藍が何度もチェックに行ってるわ」

 

 

 軽いノイズの向こうで鷲が頷く気配があった。

 

 

「OK……そうしたら、僕たちの最後の明日に、乾杯」

 

「乾杯」

 

 

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「すぴおんノ巡回ガ来マシタ」

 

 

 朝食の片付けがあらかた終わった頃、リィライがやって来てそう告げた。その向こうで、この建物には似つかわしくない荒っぽい靴音が響く。

 

 

「予定通りか。律儀なのは有難いね」

 

「既ニアノ方ノ部屋ヘ2名向カッテイマス」

 

「構わないよ」

 

 

 スピオンの一人が、こちらへやって来る。情に厚い無二の相棒と握手を交わし、労いの言葉をかけた。

 

 

「今まで僕を助けてくれて有難う。与優とハウスの事は任せたよ」

 

「ハイ。ドウゾオ元気デ」

 

「うん……じゃあ、業務に戻って」

 

 

 リィライを下がらせ、スピオンに目礼する。軽く顎を引いてそれに応じる彼の表情は明らかに強張っていた。

 

 

「お待ちしていました」

 

 

 先手を打つ。

 

 

「どういう事だ?」

 

「よく解らないのです。ただ、白花氏は僅かながらもあの方との交流がありますので」

 

「其れは以前の報告で見た。こんな事なら当人の外出も禁止すべきだったな」

 

 

 一般人への干渉が過ぎる。面倒臭い奴だと、鷲は内心で毒づいた。

 

 

「白花氏は外向的な方です。怪我をされて以来、外出機会がかなり減っていました。屋内だけでの生活を強制しては、却って精神的バランスを崩しかねません。そうなっては意味が無いかと」

 

「相変わらずお利口さんだな。だが、その結果がこれだぞ。件の人物が、当人を利用してあの方の事を探っているという疑いは否定出来ないだろう。データはどうなってる?」

 

「保管していたファイルは処分し、今朝までのデータは研究所に全て転送済みです」

 

「……手際が良いな。何故さっさと連絡を入れなかったんだ?」

 

「先日の突然のご来訪が無ければ考えたと思いますが、そもそもこの件を知ったのがその時でしたので。もし何処かでその人物に此方の動きを見られていたらと考えると、緊急の連絡を入れるのは躊躇われました。此方が気付いたと相手にバレるくらいなら、1日2日は普通を装っておこうと」

 

「……」

 

「今日が定期巡回日で、心底助かりました」

 

 

 そう言って用意しておいた笑顔を見せれば、少しは此方への警戒を緩めたようだった。

 

 

「そうか。では今から我々がどうするかも解っているな?」

 

「あの方に、本部へ戻って頂くのですね」

 

「そうだ。これ以上こんな所へは置いておけん」

 

「……」

 

「お前も来い。それと、白花氏には明日話を聞く。その時は同席するように」

 

「解りました」

 

「車は裏口だ。5分後に来い」

 

 

 最後は吐き捨てるように言うと、彼もまた佐久の部屋へと上がって行った。

 

 

「5分か。相変わらず人使いが荒いね」

 

 

 呆れたように鷲は笑い……スピオンの後ろ姿が見えなくなったところで、こちらも事務所に向かってダッシュした。

 

 

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「合図が来た」

 

 

 早朝から通信機の前に張り付いていた紅紫がヘッドフォンを外して振り向いた。

 

 

「予定通りね。他には何か?」

 

「何も。通信そのものが1秒足らずで切れてる。相当慌ただしい事になってるみたいだ」

 

「あら。こっちも急がなきゃね」

 

 

 香琉那の言葉が終わらない内に、三人は一斉に立ち上がる。

 

 

「芥、こっちだ」

 

 

 青藍が手招きする。向かう先には小型の車があった。

 

 

「奥のシートに。キャップはしっかり被って……そう」

 

 

 芥は二人と同じ作業服に着替えていた。ブルーが基調のそれは、彼等が通常使用している制服だと言う。

 

 

「じゃ、行きましょうか」

 

 

 買い出しか何かに出かけるような気軽さで香琉那が言い、車をスタートさせた。

 

 

「間に合うよね?」

 

「大丈夫でしょ、こっちの方がだいぶ目的地には近いし」

 

「淺黄の方は行けたかな?」

 

「着けば分かるさ」

 

 

 全員の気持ちが高揚しているのが分かる。対するに芥は緊張が高まる一方だ。掌にじっとりと汗をかいていた。

 

 

「大丈夫かい?」

 

 

 走りだしてからずっと無言の彼を気遣って、青藍がそっと話しかけた。

 

 

「ありがとう……大丈夫」

 

 

 必死で笑ってみたが、どうやっても顔が引き攣る。そんな彼に香琉那が笑って応えた。

 

 

「そんなに心配しなくても大丈夫。鷲が貴方達をちゃんと送り届けるから」

 

「そうそう。彼、ひょろっとしてるようで実はスタッフ間で一番の強者だし」

 

「ツワモノ?」

 

「そう」

 

 

 紅紫が我が事のように胸を張るが、芥には今ひとつピンと来ない。頭脳戦に強いであろう事は容易に推察出来たが……『強者』とは、腕っ節の強い人物を指すのではないだろうか。

 

 

「力の要る仕事をしてるとは思うけど」

 

「ハウスでの業務の事かい?あんなの軽作業さ」

 

 

 確かにリィライが居る分、スタッフの負担は軽くなってはいるだろうが。

 

 

「後は現場で見てのお楽しみかな」

 

 

 紅紫は軽く笑って話を終えた。丁度、第一の目的地に着いたせいもあったが。

 

 

「あれ、淺黄の車だけだね」

 

「この様子だと、鷲はスピオンと一緒か?」

 

 

 先に着いていた小型ジープの前に車を停めると、早速一人の人物が近づいて来た。

 

 

「淺黄!」

 

「やあ、香琉那」

 

「早かったね」

 

「そりゃもう。こっちは昨日連絡をもらってから、ずっと臨戦態勢だったからね」

 

「あら、頼もしい」

 

 

 クスクス笑って振り向いた香琉那が、芥を呼ぶ。

 

 

「紹介しておくわね。今回の件の立役者よ。山吹 芥」

 

「君がそうか!皆が世話になったね。俺は13期の浅黄。今日はよろしく頼むよ」

 

 

 言いながらヌッと出された手を反射的に握り返す。訂正したい事もあったが、のんびり話している余裕など全く無かった。

 

 

「そうしたら、さっさと移動する?淺黄」

 

「うん、そうだな。鷲はスピオンに同行させられたみたいだし」

 

「やっぱりね」

 

「よし、出発しよう」

 

 

 香琉那達の車が先になって出発する。ジープに戻った淺黄も、直ぐに追いついた。

 

 

「ここからは、もう数分ってトコ。入口の警備の一人はエクスペリメンタル……私達の仲間だけど、もう一人は完全に研究所側の人間だから、注意してね」

 

 

 忠告に頷くが、実際は何に注意したら良いのかよく分からない。取り敢えずは青藍に言われた通り、ゲート通過時に顔を極力見せないようにするぐらいしか、芥に出来る事は無さそうだ。

 

 

「身分証、良い?」

 

 

 研究所本部のゲートが見え、香琉那が三人に確認を取った。

 

 

「OK」

 

「はい」

 

「いつでも」

 

 

 三人の返答があって直ぐ、車は減速した。

 

 

「大丈夫だよ芥、僕達の仲間がこっち側だ」

 

 

 紅紫が助手席から教えてくれる。それだけでも、呼吸が楽になったような気がした。

 

 

「こんにちは」

 

 

 香琉那が笑顔で話しかけるも、警備員は完璧なまでの無表情で返してくる。

 

 

「今日はいやに賑やかだな。緊急招集でもかかったのか」

 

「そんなところね」

 

「ここには通達は来てない」

 

「あら、じゃあ私達が一番乗りね?連絡を受けてから20分も経ってないもの」

 

「それは……」

 

 

 言いかけた警備員の後ろから淺黄のジープのクラクションが響き、ついでに怒声も聞こえてきた。

 

 

「何やってんだ!緊急なんだから早く通してくれよ!」

 

 

 相次いでやって来たエクスペリメンタルに、警備員が困惑の色を示した。

 

 

「何があったって言うんだ」

 

「未だ極秘ですが」

 

 

 内密にと暗に頼みながら彼女が小声で彼に伝える。

 

 

「私達のみならず、『あの方』の情報までも掴もうとした不審者が発見されたらしいんです」

 

「何?!」

 

 

 ここへ来て警備員の顔色が変わった。そこへ更に畳みかける。

 

 

「とりあえず情報ファイルは持って来ましたが、早くこちらで状況を確認して頂かないと」

 

「そ、そうだな。では身分証を」

 

「はい」

 

 

 香琉那と青藍の身分証を警備員が、紅紫と芥の分をエクスペリメンタルがチェックする……確かに仲間なのだろう、芥の分は見て見ぬ振りだ。

 

 

「……リングをお忘れ無く」

 

「了解」

 

 

 チェックを済ませたエクスペリメンタルが紅紫と謎の言葉を交わし、香琉那は駐車スペースに車を移動させた。他に車は無い。

 

 

「鷲はもう中にいるのね?」

 

「ああ言ってたんだから間違い無いだろうね。予定通りに行って良いんじゃないかな」

 

「リングって?」

 

 

 どうにも解せずに問うた芥に、彼女は小さく笑って答える。

 

 

「ヴァルカン・リング。暗号ね。仲間内では、あの方のことをそう呼ぶの」

 

 

 それでも首を捻る彼に、しかし彼女からそれ以上の説明は無かった。

 

 

「では、正面から堂々と入りますか」

 

「賛成」

 

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20111020(最終)-20190306