T.W.W. (5)

 

 背中の軋む感覚で目が覚めた。

 仁の部屋なのはすぐに分かった。結局、昨夜はあのまま眠ってしまったらしい。

 

 

「……仁?」

 

 

 ぼんやりした視界に見慣れた色の軍配給の毛布を認める。時計を見れば、ようやく夜が明け始めるかというところ。

 

 仁の姿は既に無い。代わりに彼のメモ書きがテーブルの上にあった。

 

 

『0625までは屋上にいる。急用があればそこへ。無ければ午前はフリー。

 シャワーは左手奥。1245には情報部へ行く事。俺は今日は夕方まで単独任務予定。予定通り終われば、夜は統と合流しよう』

 

「……っう」

 

 

 メモの文字がぼやけた。思わず自分の口元を押さえる。

 目眩を伴った嘔吐感にも似た感覚。遣る瀬なさと、怒りと……哀しさと。

 

 どうして、これほどまでに優しい人が此処に居るのか。

 居なければならないのか。

 

 ……どうして。

 

 

--------------

 

 

 朝食を早々に済ませ、仁はスタッフルームへ足を向けた。

 そこで丁度、出て来た誠とかちあう。

 

 

「よう、早ぇな」

 

「そっちこそ。ちゃんと休んだのか?」

 

「いつも通りさ。今日はD区の確認作業だろ?段取りのチェックにな」

 

「残念だが、それはキャンセルだ」

 

「……何があった?」

 

「未明に爆撃があった。急遽処理チームと調査隊が出向いてる。という事で、待機」

 

「敵さん、そんな所まで来たか」

 

「雑魚レベルらしいがな。それでも回数を重ねればこっちのダメージも拡がる」

 

「確かに。こっちも大して余力があるとは言えねぇ」

 

 

 内容が内容だ、自然と二人の声のトーンは落ちる。先行きは明るくない。

 しかし今それを気に病んでも無駄だ。それより、誠もこれで午前中は少し余裕がある筈。

 

 

「芥の調査はどうなってる?」

 

 

 話を振ってみた。

 

 

「さっぱりだ。何も情報がつかめない。お手上げ状態さ」

 

「情報部のエースが形無しかよ」

 

「何とでも。他に出来る奴がいるならやってみてほしいね」

 

 

 これは相当煮詰まっているに違い無い。

 

 

(なら、嗾けてみるか)

 

 

「……昨夜、アイツと話してたんだよな」

 

「何だ珍しい。おまえの方から情報提供か」

 

「情報提供?話してたってだけだぜ。だがなかなか面白ぇ内容だった。何なら直接聞いてみろ」

 

「やたら煽るな」

 

「それくらいやらせろ。お前だって、アイツの31入りの時には大した情報をくれなかったろうが」

 

「無い情報は出せない。あれだけ似ていれば慎重にもなるし……」

 

 

 最後は独り言のように小さく消えた。

 

 ……封じ込めていた記憶が蘇る。

 

 

 

 ……予想外の内乱の場に巻き込まれた。

 無造作に投げ込まれたいくつもの手榴弾と無数の銃弾は、その場に居た者達に爆風と砂塵と鋼の破片を浴びせた。

 敵味方など関係無しだ。ある者は絶命し、ある者は身体の一部を奪われた。

 

 誠も爆風に煽られ、その場に昏倒した。幸い受けたダメージは少なく、数秒後には意識を取り戻した……だが、その僅かの間に敬の姿は消えていた。

 

 直前には自分の隣に居た筈だった。

 なのにどこにも彼の痕跡が無かったのだ。

 

 

 何も。

 

 

 ……思考が真っ白になった。震える身体は、必死で彼の姿を探して付近を這いずり回った。

 

 

『敬!!』

 

 

 あらん限りの声で名を叫ぶ。と、それに呼応したかのように銃弾が脇腹を掠めた……銃撃戦が再開されていた事にすら、自分は気づいてなかったのだ。

 

 文字通りの灼けつくような痛みのお陰で冷静さを取り戻し、誠は現場からの脱出を図った。ここで足が付いては元も子も無い。

 

 

(お前は死なねぇよ)

 

 

 戦いの轟音に混じって、任務前に聞いた彼の言葉が確かに聞こえた。

 

 

(それは確かだ)

 

 

 だから、生きろ。

 一人でも生還しろ。

 

 

(信頼してるぜ……)

 

 

 ……探したかった。彼を見つけ出し、帰したかった。

 しかし任務の継続は既に不可能。自分が戻り、得た情報を黄丹に報告しなければならない。

 

 そして二人に伝えなければならない。彼の事を。

 

 

 軽症とは言えない傷を抱えたままの単独脱出は困難を極めた。何とか国境を越え、無事救出されたのはそれから10日以上経っての事。
 帰還直後、運良く格納庫にやってきた仁を掴まえる事が出来た。それで辛うじて敬の事は伝えられたが、それが限界だった。

 

 次に気が付いた時には、病室で黄丹と中佐の二人に見下ろされていた。
 何らかの処分が下る事は覚悟していたが、言い渡されたのは予想外の少尉への昇格、そして31の監視役を兼務する事。

 


『詮索するような事でも無い、単なる貧乏籤だ。降格や謹慎で休ませるなど以ての外だそうでな。面子は立てておいてやるから失態の分も働け、という事だ』

 

 

 黄丹は笑っていた。

 

 

『少しはゆっくりさせてやりたかったが……ま、お前たちのお陰で俺も大尉になれた。ここからが本番だぞ。こんな事で潰れるな』

 

 

 31を潰す権利があるのは俺だけだ……。

 

 

 所詮、31は黄丹が仕掛けたゲームの駒。

 自分はどうすべきなのか、もう何をしても無駄ではないのか……復帰してからも、ふとそんな疑問が過ぎる事があった。しかしその都度、敬の言葉が脳裡に響く。

 

 

(お前は死なねぇよ)

 

 

 死ぬな、と。

 

 

(信頼してるぜ)

 

 

 だから、生きる。自分がここで崩れる訳には行かない。

 感情は殺せ。冷静沈着な黄丹の右腕であれ。そして二人を守り抜け……それが自分への約束。

 

 

 

 ……訓練室のある方向を目で示しながら、仁が言葉を継いだ。

 

 

「折角だから聞いてみろ。アイツの事だから、あと30分もすればシミュレータと睨めっこになっちまうぜ?」

「……分かった」

 

 

 仁がそこまで言うのなら、何かあるのだろう。

 まんまと焚き付けられた事を自覚しながらも、誠は早速行動に移す事にした。

 

 

---------------

 

 

「山吹」

 

 

 朝食を終え、シミュレータに向かおうとしていたところを呼び止められる。

 

 

「はい」

 

「聞きたい事がある」

 

 

 来た、と思った。

 

 

「昨日、仁と話したと聞いた……俺にもその内容を教えてほしいんだが」

 

「今から?」

 

「ああ」



 仁が作ってくれたチャンス。具体的な事は何も言っていないのだろう。



「分かった。どこか別の場所で」

 

「ミーティング室を使う」

 

 

 誠が先に立ち、奥の小部屋へ案内する……不審な気配が無い事を確認すると芥に向き直った。

 

 

「あまり時間が無い。彼に何を?」

 

 

 ダイレクトに言うしかない。一か八か。

 

 

「俺が此処に来る前の話をした。俺は……別の世界から跳んできてしまったんだ」

 

 

 誠が眉を顰める。

 

 

「別の……世界だって?」

 

「そう」

 

 

(……パラレルワールドの事か?!)

 

 

 彼も概念は知っている。だが……。

 

 

「まさか……そんな話、聞いた事が無い」

 

「でも、あったんだ。そうでなければ俺が此処にいる訳がない」

 

 

 揺るがない、芥の視線。

 

 

「正気か?」

 

「それは君が判断してくれた筈だ」

 

「……お前、結構食えない奴だったんだな」

 

「君ほどじゃない」

 

 

 嫌味を交えた切り返し。こんな事を言う奴だったのか。

 妙なところが敬に似ていて少し嫌になる。

 

 

「そんな話、仁は信じたのか?」

 

「全面的にじゃないだろうけど。ただ、『話のスジは通る』と言ってくれた」

 

 

(話の筋……)

 

 

 いくら調べても情報が上がって来ないのは当然だ……別世界から来たのなら。

 

 

『今は、いつですか』

 

 

 普通なら『今日は』と尋ねるところだろう。

 妙な聞き方をすると思った、あの時。本人は既に自分の状況を認識していたのか。

 

 話の整合性がとれていく。ぞく、と鳥肌が立った。

 

 

『体が元に戻っても、行くところが無い』



 あの言葉も。

 彼の絶望の叫びが、耳の奥で木霊となって響いた。

 

 

(これが本当なら……よく精神崩壊せずに済んだものだ)

 

 

 未だ理性は荒唐無稽だと主張している。それでも、彼の話を聞いてみたくなった。

 

 

「何があったんだ?跳ぶ直前に」

 

 

 話を促された事に小さく安堵の息をつき、芥は昨夜の話を繰り返した。

 

 

「道を渡っている時に、ものすごい音が聞こえた。車にはねられたんだと思う」

 

「事故に巻き込まれたという事か?」

 

「音を聞いた後の記憶が無いから断言は出来ないけど、たぶん。それで次に気がついたら、あの病室にいたんだ」

 

 

(受傷直後に跳んだ……それでだったのか?)

 

 

 芥を発見した時に抱いた違和感を思い出した。

 

 唐突にヘッドライトに浮かび上がった、血まみれの姿。

 誠が急ブレーキをかけるのと、彼の身体が地面に落ちるのはほぼ同時だった。

 至る所にある裂傷や挫傷は、つい今しがた彼が何らかの激しい衝撃を受けた事を物語っていた。

 

 脇の壁を見れば、新しい血痕。彼はそこに叩き付けられたのだろう。

 血の飛び散り方からみて、落下ではないのは明らかだった。直前に他の車両にはねられたか……しかし誠のジープの前には1台もいなかったし、すれ違った車両も皆無。

 

 それだけではない。

 あの時、ブレーキの音も衝突音も聞こえなかった。

 あって然るべき音が一切、無かったのだ。

 

 

「確かに辻褄は合う。山吹 芥……“あの時”君はいきなり、音も無く俺の前に現れたんだ」

 

 

 敬とそっくりな姿で。

 彼が消えた時のように、唐突に。

 

 

「その事は、誰かに?」

 

「いや、今が初めてだ。大尉にも言っていない。何かの見間違いか俺の勘違いだと自分に言い聞かせていた。でもこうなると、“俺が見たもの”が事実だったらしい」

 

「“少尉”がそれを言っちまって大丈夫なのか?」

 

「これだけ引っかき回しておいて今さら何を」

 

 

 誠は苦笑した。

 

 

「あくまでも俺“個人”としての考えだ。大尉に上申するにも、根拠の無い物は無効だからな」

 

「……敬の時は?」

 

 

 失踪の件だと、すぐに分かる。 

 

 

「仁に聞いたのか」

 

「ああ」

 

「他には何を?」


「31の経緯、仁と敬の入隊の時の事、統の話、『印』の事」

 

「殆ど全部だな」

 

 

 昨夜は相当話し込んだのだろうと、容易に想像がつく。だが話はそれだけで終わらなかった。

 

 

「それで、敬の失踪の件なんだけれど……俺が仁に言った。彼はきっと生きている、って」

 

「……何だって?!」



 思わず立ち上がる。何を馬鹿な、と叫びそうになった。だが……

 


「確証は無い。でも俺がこうして君たちの世界に入り込んでしまったように、彼も別世界に跳んでしまったんじゃないかって思う」

 

 「敬が……」

 

 

 つい今しがた、自分は芥の話に信憑性を感じた。

 敬が忽然と姿を消したのも同じだという事なのか。

 

 それならば痕跡など無くて当然なのだ……だったら。

 


「まだ、生きてる……?」


「そう、きっと生きてる。俺だってこうして此処にいるんだから」

 


 だから、生きろ。

 誠も。

 

 

(……信頼してるぜ)

 

 

 お前は死なない。

 きっと全てうまく行くから。

 またいつか必ず皆で会える……。

 

 

「……大丈夫か?」

 

 

 蘇る敬の声に芥の声が重なる。何が、と言いかけて初めて気付く。

 

 

「あ……」

 

 

 頬を伝った、一筋の涙。

 自分の運命は黄丹に握られていると知ったあの時、自ら封じた哀しみと……喜びの、感情。

 反射的に口元を押さえる……それでも。

 

 

「……良かった!」

 

 

 耐え切れない思いが口を突いて零れる。動揺が収まらない。苛立ったかのように2・3度大きく頭を振ると、両の手で顔を覆った。その背中は細かく震えている。

 

 芥はただ見守るしかなかった。

 昨夜の統の慟哭が、仁の静かな叫びが、目の前の彼と重なる。

 4年だ……その間、彼もまた押し潰されるほどの悔恨の思いと重責に堪え続けているのだろう。

 

 

 

「……すまない。もう大丈夫だ」

 

 

 しばらくの後、誠は一つ深呼吸すると芥の方へ向き直った。彼らしからぬ気弱な笑みが微かに浮かぶ。

 

 

「裏の取りようが無い話だが、何の手がかりも無い状態よりは良い。敬の事も、芥……君の事も」

 

 

 現に今、こうして穏やかな気持ちでいられる自分がいる。絶望を抱えて日々を機械的に生き延びるよりも、余程人間らしい事だろう。


 きっと、仁もそうだった。だからこうして仕向けてきたのだ。

 ……信じたい。
 諦めたくない。


「再会の可能性があると思えるだけでも心強い」

 

「こっちから探す方法が思いつかないのが申し訳無いけど……」

 

 

 自分よりも敬の事を心配する芥に、誠はまた苦笑するしかなかった。

 


「本人が今戻って来てもややこしいだけかもな。それよりも芥、君のほうが心配だ。身の危険が増す事になりかねない」

「何故?」

 

「身元調査が意味を成さない。『君が敬ではない』という証明も出来なくなる」

 

 

 暫し、考え込む。誠の表情が険しくなったように見えた。

 


「……彼の能力について、仁から何か聞いたか?」

 

「能力?」

 

 

 気になる物言いだ。

 


「いや、具体的には。精神心理……とは聞いたけど」

 

「そうか」

 

 

 確かに、敬の力は上官クラスの極秘事項だ。本人も黄丹に釘を刺されていた。この様子だと、仁でも詳しい事は知らないのかもしれない。

 

 しかし今となっては、芥が何も知らないのは却って危険だ。

 

 

「君には知っておいてほしいから言う。敬にあったのは、先読みの力だ」

 

 

 芥は首を捻った。

 

 

「先読み……予知能力?」

 

「ああ、恐らくそれに非常に近い。彼はしばしば、作戦の実行前に先読みをかけて戦果を予測する任務を命じられていた」


「戦果の予測……もし、失敗するって出たら?」

 

「作戦を立て直し、再度先読みをかける。成功率が高い作戦を実行するんだ。だから敬がいた時期は戦争を有利に進められたし、当然ながら大尉も上層部も彼を重宝していた」

 

「そんな事が出来たんだ。影の切り札だな」

 

「確かに。だが行方不明となっている現在、上層部は彼が再び現れる事を恐れている。大尉は君は別人だと考えているからまだ良いが、上層部は今でも君が敬ではないかと疑っている」

 

「俺には『印』は無い」

 

「だが、どの国も他国を出し抜こうと必死で新たな技術を開発している」

 

 

 芥の反論は即座に打ち消される。

 

 

「既にその印を完全に消す技術を持つ国が無いとは言い切れない。そしてもし、『あの国』がそれを開発していたとしたら……どうなる?」

 

 

 印を消し、洗脳した上で送り込む。内部の攪乱も狙うなら、容姿は敢えて変えずに。

 

 

「……だから、スパイか」

 

 

 誠が言っていた事は本当だった。しかも、実際には更に根深いものが存在している。

 

 

「単なるスパイならその時点で処分だが、敬の能力は取り戻したい。しかし完全に相手側の人間になっていたら報復をされるのではと心配になる。

 味方になれば心強いが、敵に回せばこれ以上厄介な存在は無い……そんなところだろう。君は今31所属だから、上層部も辛うじて黙っているんだ」

 

 

『俺たちは便利だが迂濶には使えない、言わば両刃の剣だ』

 

『怪しい動きをすれば、最前線に送るなりしてサッサと消しちまえば良い』

 

 

 仁のあの言葉は、自分にも当てはまるのだ。

 

 

「じゃあ俺は、先読みが出来ない事がバレたら終わりか……」


 自分が想像以上に拙い立場にいることに気付き、芥もさすがに怖気を震う。誠はすかさずフォローを入れた。

 

 

「まだ時間はある。大尉も全てを上層部に伝えている訳ではないから、いきなり先読みを試される事は未だ無い。それよりも情報部の解読要員不足が喫緊の課題だから、そちらに回る事が多いだろう」

 

「俺が注意すべき事は?」

 

「先読みの件を決して話さないように。仁にも。本当に機密事項なんだ。それと、今後は解析室に入る時間が増えていくと思うが、其処のメンバーには上層部寄りの奴らも多い。発言には気を付けて」

 

「……わかった」

 

 

 芥が頷く。その肩を軽く叩いて、励ますように誠は続けた。

 

 

「俺も最善を尽くす。此処で31を死なせる訳には行かない」

 

「ああ、生き延びよう。皆で」

 

「そうだな」

 

 

 そこで手もとの時計をちらりと見る。そろそろ時間切れだ。

 

 

「そうしたら、芥。午後からは解読に回ってもらう。先程の注意点を忘れないように」

 

「了解」

 

 

 誠は踵を返し、そのまま振り向く事無く部屋から出て行く。

 いつもより少し小さく見える彼の背中を、芥は黙って見送った。

 

 

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