T.W.W. (4)

 

 仁が去った後は二人とも無言で夕食を食べ終えた。

 

 

「大丈夫か?」

 

「うん……何か、すまねーな」

 

「統が謝る事なんて無いよ……辛い話をさせちまって、俺こそごめん」

 

 

 どのみち、遠からず話さねばならない事だった。それは誰もが分かっている。

 

 

 

 

「おぅ、入れよ」

 

 

 統を見送ってから、芥は資料を抱え仁の部屋へ向かった。

 上衣を脱ぎ、多少は寛いだ様子の彼が顔を出す。

 

 

「遅くからごめん」

 

「構わねぇ。話せる時に話さないとな。慣れねぇトコでの毎日はきついだろう」

 

「いや、だいぶ慣れた」

 

「言うじゃねぇか」

 


 仁の方が辛いだろうに……そう声をかけたかったが、自分が言える立場ではない。

 

 

「本題に入らせてもらっても?」

 

「ああ。只でさえ長くなりそうだしな。まぁ楽にしてくれ」

 

 

 示された傍らのスツールに腰を降ろし、資料を広げる。仁はそれを覗き込みながら質問に答えていった。

 

 

「……そうか、分かった。そうしたらこのパターンで明日シミュレーションしてみる」

 

 

 30分程で訓練の振り返りは終わった。

 

 

「明日?」

 

「午前中はオフなんだろ?俺」

 

「そうだが……アンタ、少しは休息ってもんも考えろ」

 

「ちゃんと休んでる。大丈夫さ」

 

 

 やはり、なかなかの強情っ張りだなと仁は密かに苦笑する。

 

 

「まあ無理しすぎるなよ、どうせ長期戦だ。少し休憩しよう」

 

「ありがとう」

 

 

 資料を片付ける間に、仁がコーヒーを入れてくれる。インスタントだからあっと言う間だ。

 マグカップを一つ彼に渡すと、仁はベッドサイドに腰を降ろした。

 

 

「じゃあ、さっきの件だな。アイツからは敬の事、何処まで聞いた?」

 

「31でとても世話になったと。それから……少尉との潜入任務中に行方不明になったって」

 

「名前で呼んでやれ。誠で良い。他には?」

 

「……敬は彼に汚名を着せられた、って」

 

「そうか」

 

 

 暫し瞑目すると、今度は彼に確認をとる。

 

 

「芥、アンタは他国の言葉を扱えると聞いたが、何処で?」

 

「大学で。国際関係が専門の学部だった」

 

「なるほどな。で、留学とかで他国へ行ったことは」

 

「半分旅行の形だったけど、1年」

 

「その事は誠に言ってるんだな?」

 

「ああ」

 

 

 仁が一旦話を切り、カップに口をつける。芥も彼に倣った。ほろ苦さが疲れた躰に染み込んでいく。

 ややあって、仁が再び口を開いた。

 

 

「敬は、俺の双子の弟だ。アンタほどじゃないが、俺たちもカレッジで対外交流……アンタの言う国際関係と似たようなもんだろうが、それを学んでた。一応留学もした」

 

「何処へ?」

 

「アイツが消息を絶った国だ」

 

 

 国名を教えられ、以前レクチャーされた国際情勢を思い返す。

 

 

「……敵じゃないか、その国」

 

「今はな。俺たちが行った頃は、まだ国交断絶までは行ってなかったんだ。民間レベルでの交流は寧ろ活発なくらいだった。コッチが同盟条約を破棄して完全に関係が破綻したのが3年程前」

 

「じゃあ、留学してた時は問題無く?」

 

「どうかな。最後までいたら小競り合いに巻き込まれてた可能性はある。その程度には向こうも物騒になってきてた」

 

「じゃあ、途中で打ち切ったんだ」

 

「俺達の場合、打ち切るしかなくなったと言うほうが正しいがな。実は留学中に両親が揃って事故で死んだ。そうなりゃ戻るしか無ぇだろ」

 

「事故で……」

 

 

 微かに記憶が浮かび上がる……

 突然の事故の報せ。駆けつけた芥が見た母の顔は、驚くほど穏やかで、でも……。

 

 

「で、まあ色々あって俺たち二人とも退学するしかなくなった。働いて食ってくのが先だったしな。だがこの国も次第に深刻な状況になってきちまった。そこでやむにやまれず此処に……てトコだ」

 

「志願したのか」

 

「そうだ。敬も誘って」

 

 

 生きるため……しかしそれは束の間の延命措置に過ぎなかった。

 

 

「入隊後すぐ31に配属された。これは後で知ったんだが、俺たちは志願した時点で既にマークされていた。留学の話は当然筒抜けだったから、向こうとの繋りを疑われてな」

 

「留学しただけなのに?」

 

「一般人の経歴など、すぐに調べ上げられる。俺たちの行動に不審なところは無いと、黄丹が大目に見てくれただけのことだ。少しでも怪しい所がありゃあ、入隊直後に尋問に送られる可能性もあった」

 

「じゃあ最初からずっと、彼が上官?」

 

「そうだ。実の所31は、ヤツが少尉に昇格した時に自分で作ったようなモンだしな」

 

 

 “異端”の集まりである31小隊。まさか……。

 

 

「もしかして、君達の為に31が作られた?」

 

「その通り」

 

 

 ふっと仁が笑う。

 

 

「幸か不幸か分からねぇが、俺はフライト技術を、敬は精神心理方面の才能を見込まれて、半年近く徹底的に訓練された。他国語も一応出来るから、情報部で重宝されもした」

 

「けれど、31からの移籍は無い……」

 

「あの国との繋がりが有るって事実は消えねぇからな。疑おうと思えばいくらでも出来る。俺たちは便利だが迂濶には使えねぇ、言わば両刃の剣だ。だから俺達を黄丹の管理下に置き、使える内は有効利用する。31は、そんな了解の下で設置された異例の隊さ。
 上層部にとって好都合なのが、俺たちに身内が居ないって事だな。怪しい動きをすれば、最前線に送るなりしてサッサと消しちまえば良い」

 

「……そんな事があって良いのか?!」

 

 

 思わず芥が声を荒げる。が、仁は少しばかり自嘲めいた笑いを口の端に乗せただけだ。

 

 

「統も一緒だ。聞いただろうが、アイツはあの髪だけが理由で実の親と養父母と、二度捨てられてる。この国では、あの色に嫌悪感を抱く者が異常に多い。くだらねぇ迷信なんだが」

 

「それで、入隊したての頃は揉めたって」


「そう。アイツが来たのは俺たちの1年ほど後だ。すぐ揉め事を起こすってんであちこちの部隊をたらい回しにされてた。で、最後に此処に振られた。そうしたら、どこにも馴染まなかったアイツが敬にはあっさり打ち解けてな。それでめでたし、ってトコだ。
 元々アイツは器用で、特に機体整備は最高のパフォーマンスを見せる。正規の部隊には入れられねぇが、31に置いときゃ有効に使える。そしてアイツに身内と呼べる人間はもう居ない。

 だからアイツも此処から動かない。動かせねぇんだ」

 

「そんなの!皆が生殺し状態じゃないか。何故こんなところにずっと居る?」

 

 

 あまりの事に怒りを見せる芥と対照的に、仁は淡々と話を進める。

 

 

「以前は除隊も考えたさ。軍なんて碌でもねぇトコだって、じきに気付いたから。だが俺たちがマークされてるって事実を黄丹から知らされた時には、もう逃げられなかった」

 

「……統はその事、どこまで知ってる?」

 

「きちんと話したことは無ぇが、31の特異性は十分理解してる。アイツなりにな。

 但し俺たちの経緯は知らねぇ筈だ。だから余計に、敬の一件はアイツにとってショックな出来事だったんだろう。敬はアイツにとって、人生で初めて信頼出来る人間だったんだ」

 

「それは、さっき話してる時にも感じた。今も本当に彼を慕ってる」


「ああ。アイツも統を心底かわいがってた。黙って置いていく訳が無ぇ……それに、俺と敬はこれを付けられてる」

 

 

 言葉を切り、彼はシャツの袖を捲って己の左肩を芥に見せる。

 

 

「……これは?」

 

「知らねぇのか?」

 

「初めて見た」

 

 

 一瞬、仁が首を傾げた。

 

 

「……コイツは、国際手配犯に刻まれる印だ。黄丹にやられた。完全に消せる方法はまだ確立されていない。少なくともこの国では」

 

「消せなければ、逃げても……」

 

「その通りだ。無理に消そうとしても必ず痕が残る。顔を変えようが洗脳されようが、この痕跡だけでも確認出来れば100%、身元が割れる。アンタも発見当初に確認されてる筈だ」

 

 

 無ぇんだろ?と念押しされた。頷き左肩を見せる。当然そのような痕は一切無い。

 仁は大きく頷いた。

 

 

「て事は、黄丹はアンタを別人だと判断してる筈だ。後はスパイじゃねぇと誠が証明すれば、アンタの正体まではとやかく言わねぇよ」

 

「少尉……誠は?」

 

「基本的には同じだ、敬だとは思ってねぇ。だがアンタの身元が割れる迄は落ち着けねぇだろうな。そりゃ相当強い自制心を持ってるが、どうしたってアンタに敬の幻影を見る」

 

 

 隔離病棟の時も31の上官として接するようになってからも、彼は一貫して冷静そのものに見えた。だが心の裡では苦悩していたのだろうか。

 

 

「……俺を最初に発見したのは彼なんだ。本人が言ってた」

 

「そいつぁキツかっただろうな」

 

「何があったんだ?彼が消えた時」


「任務中に、小規模だったが予想外の内乱に巻き込まれたそうだ。手榴弾が至近距離で爆発し、誠はその衝撃で短時間だが気を失った。

 すぐ隣に敬もいた筈だが、アイツが意識を取り戻した時には何処にも姿が無かった、って話だ。死んだにしても、その痕跡すら見当たらなかったと」


「作り話の可能性は?」

 

「それは無ぇ」

 

 

 即座に否定された。

 

 

「アイツは俺達と同期でな。エリート出だから俺たちとは全く毛色は違うが、気は良い奴なんだ。

 敬の事も帰還するなり真っ先に俺に知らせてくれた。自分も大怪我を負ってたってぇのに……だから、その部分は信じてる」

 

「汚名を着せられたっていうのは……」

 

「アイツが上に報告してからおかしな事になったんだ。敬は相手国に寝返った、元から逆スパイの可能性もあったって話に変わっちまった。そして統は、その話しか聞いてない」


「本当の話をしてやらなかったのか?」

 

「したかったんだがな」

 

 

 仁は軽くため息をつく。

 

 

「アイツは誠への憎しみで自分を支えてる。誰も悪くなかったとなれば、姿を消した敬を恨むかもしれねぇし、最悪、上層部へ乗り込みかねない。そうなればアイツ自身が壊れちまう……だから言えねぇんだ。
 誠も、此処では統の好きにさせてる。31にいる分には問題無ぇって言ってな」

 

「じゃあ、誠は自ら汚れ役に?」


「さぁな。敬の事も含めて、何か指令を受けてる可能性はある……ただ、事件直後のアイツの言葉だけは信じてぇんだ。

 アイツは黄丹には逆らえねぇ。こんなトコじゃ、それが普通だ。だからって、アイツが只の傀儡ってワケでもねぇんだ。本人もあれで色々と矛盾は感じてる」

 

「板挟みか」

 

「だろうな。でも表立っては動けねぇから、その矛盾を一人で抱え込んでる。エリート出ならではの悩みもあるってことさ。だが統にそんな事は言えねぇ。それこそ火に油を注ぐようなもんだ」

 

「そうだよな。たとえ頭で理解出来ても、感情的には受け入れられないだろうし……」

 

「そう言う事だ。そんな所にアンタが来たもんだから、何のトラップかとマジで思った」

 

 

 その言葉で、初対面の時の反応に納得が行った。

 

 

「さすがに初っぱなは面食らったぜ。事前に知らされてたのはアンタの名前と状態だけだったからな。それなりに警戒もした。

 だが幸い、そこから一週間の猶予があった。任務の合間、俺なりに情報を集めたんだ。結局は殆ど収穫無しだったが、逆にそれで、アンタは敬じゃないと推定出来た。本人だったら情報量はこんなモンじゃ済まねぇよ」

 

 

 仁も、最初は落ち着かない時間を過ごしたのだろう……再会の期待と、失望の狭間で。

 

 

「……悪ぃな、俺ばかり喋っちまった」

 

 

 少しバツの悪そうな顔になり、仁が改めて芥に話を振ってきた。

 

 

「アンタの番だ。此処に来る前に何があったのか、教えてほしい」

 


 これで芥も腹を決めた。

 仁は、この時間で自分自身の事、更には敬の事まで話してくれた。芥の話を聞く前にだ。

 正体の知れない人間にこれだけ話すのは、相当の覚悟が要った筈だ。

 

 だったら、自分も正直に話さなければ。

 

 

「知り合いの家に向かう途中、交差点でものすごい音を聞いた。交通事故に巻き込まれたんだと思うけど、そこからの記憶が無い。次に気づいたら此処の病院にいた」

 

「……」

 

「誠と最初に話した時、あらゆる事が俺の知ってるものと違う事に気付いた。

 俺の『世界』にあった電話番号も住所も、此処には無いんだ。何処にも。

 それに、俺の国には軍隊なんか無いのに、俺が収容されたのは海軍病院。もう最初は訳が分からなかった。極めつけは、俺は21世紀に入ったばかりの時代に居たはずなのに、此処は1955年だと言われて、これは……」

 

「待ってくれ」

 

 

 早々にストップがかかった。さすがに予想外過ぎる展開だ。

 

 

「それ、真面目な話なのか?」

 

「そうなんだ。本当の事」

 

「それだと、アンタは『全く別の世界』から来たってことになるんだが?」

 

「パラレルワールドって聞いた事ないか?」

 

「……勘弁してくれよ」

 

「あるんだ?」

 

「あるけどな。ありゃ物語の中の話と思ってた」

 

「それが実在したんだ。俺は『自分の世界』から跳んでしまったとしか考えられない」

 

「ったく……信じらんねぇ事をさらっと言いやがる」

 


 困惑と驚きの混じった声。残りのコーヒーを飲み干す手が震えるのも無理はない。

 マグカップをサイドテーブルに置くと、仁はそのままベッドに仰向けに転がった。

 

 

「……だが確かに、それならスジは通る」

 

 

 ひとつ大きく、息をつく。

 

 

「アンタの情報が無ぇのも尤もだ。『印』を知らねぇのも頷ける」

 

 

 知らない者はいないと言われる、国際手配犯の印。

 芥には全く見覚えの無かったもの。

 

 

「信じてくれるのか?」

 

「100%じゃねぇがな。その方が話がシンプルに繋がるから、あり得るってぇトコだ」

 

「……ありがとう」

 

 

 両肩の、見えない重石が落ちた気がした。呼吸が楽になる。

 話を否定されないだけで、十分嬉しかった。

 

 

「じゃあ、『この世界』にはアンタの知り合いは誰も居ねぇって事か?」

 

 

 天井を見つめたまま、仁が尋ねる。

 

 

「ああ。強いて言えば、ここで出会った人達だけ」

 

「そんな中でよく今まで頑張って来たな。もう3ヶ月以上経ってる」

 

「戻らなきゃいけないから。どれだけかかっても、何としてでも」

 

「誠には話してねぇのか?パラレルワールドの事は」

 

「言えるような雰囲気じゃなかったんだ」

 

「無理も無ぇか……アイツも、いきなり出たり消えたりする人間相手で大変だな」

 

 

 出たり消えたりする……。

 

 

「……あ!」

 

 

 芥は唐突に閃いた。

 

 

「どうした?」

 

「今気付いた……もしかして、敬も『別の世界』に跳んだのかもしれない」

 

「何だって?」

 

 

 迂闊な事は言うべきではない。だが一旦口から出た言葉は、芥の中で急速に確信へと変わっていった。

 

 自分の体験した事。仁の話。誠が語った『その時』の状況。

 

 

「彼が消える直前の爆発だ。その弾みで異世界へ跳んだとは考えられないか?俺も多分、事故の衝撃がきっかけになってる。パターンが共通してるだろ」

 

「……」

 

「現場には彼の痕跡が一切無かったって言ったじゃないか。それも、一瞬で何処かへ跳んだとしたら、無くて当然なんだ。きっと、彼は生きてる」

 

「証明出来るか?それを」

 

 

 敬の生存の可能性を語る芥に、仁が冷静に返した。

 

 

「え……」

 

 

 何も言えない。彼は続けた。

 

 

「今アンタがいるのは『俺達の世界』だ。元々のアンタの知り合いは、アンタが行方不明になってどう思ってるんだろうな。彼等は何をどうすりゃ良いんだ?」

 

「それは……」

 

「死んだって証拠が無けりゃ、生存への期待はずっと持ち続ける。だがアンタはそこには居ねぇ。アイツも此処には居ねぇんだ。待ってるヤツの気持ちはどうなる……生きてるって、一体何なんだろうなって思うぜ」

 

 

 静かに語るが、それは慟哭。

 突然に近しい人を削ぎ取られ、一人残された者の心の叫び。

 

 

「ごめ……」

 

「謝ってもらいたいワケじゃねぇ」

 

 

[生きてるって、一体何なんだろうなって思うぜ]

 

 

 ……心底、ぞっとした。


 一人で異空を漂っているだけでは、単に生物としての一個体を維持しているだけ……人は、他の人々との関わりの中でしか生きられない。

 

 母との突然の別れはショックだった。それでも、一つの生命が消える過程を全て見届けた。

 悲しくても、最後は別れを受け入れた。自分なりに納得出来たと、芥は思っている。

 

 危険の無い任務は無い。仁も誠も、最悪の事態は常に覚悟していた筈だ。
 しかし、敬が生きているのか死んだのかが一切判明しない別れなど、想像もしていなかった。

 

 

[何をどうすりゃ良いんだ?]

 

 

 遺された者の想いは、宙に浮いたまま置き去りにされるしかないのか……それでも。

 


「……証明は出来ない。だけど」

 

 

 此処が、自分が存在するべきではなかった場所でも。

 

 

「今までの記憶を持った俺が此処にいる。俺は『自分の世界』を忘れてない。世界が変わっても、誰にも信じてもらえなくても、俺という存在は続いている」

 

 

 全てが自分の生きている証。自分が『在る』という事を己が信じてやるしかない。

 

 

「それだけの自信があるってな、大したモンだ」

 

「いや、そう信じなきゃ自分を保っていられないだけだよ。自信なんて無い……あれこれ考え出せば、気が狂いそうになる。本当に戻れるんだろうか、もし戻れたとしても、俺の事を皆が忘れてたら……って」

 

「……」

 

 

 仁の表情から、批判めいた色が消えた。

 

 

「ああ、でもそうなんだ。君の言葉で気付いた。

 俺の事を覚えててくれる人が居なかったら、戻れても意味が無い。だから俺、考えないようにしてたんだ。知りあいだった人達の気持ちを。

 自分が忘れられてしまったら……っていう恐怖を消したくて仕方無いだけなのかもしれない。自分勝手で臆病者なんだ、俺は」

 

 

『手加減したら訓練にならないだろう?』

 

 

 飛行訓練での、芥の言葉。死に急いでいるのではないかと見間違うほどの懸命な姿。

 だからなのか、と合点がいく。

 

 

「いや……アンタは臆病でも自分勝手でもねぇ」

 

 

 寧ろ臆病なのは自分かと、仁は自らを嗤った。

 

 

「軟弱なのは俺のほうだ。俺は諦めたかったのかもしれねぇ……どっかで、自分が一番辛いと思ってた」

 

「仁……」

 

「正直、辛ぇよ。最近は上に楯突くのも面倒になってきてたしな。

 全てを諦めちまったほうがどれだけ楽かなんて、分かりきってんだ。敬が消えて、31の存在価値は激減した。俺達は黄丹の気まぐれで生き延びてるだけだって……そう考えていた」

 

 

 明日の事も分からない日々。根拠も確証も無く、誰にも頼れず。

 そのような状況の中で彼の無事を4年もの間信じ抜くのが、どれ程難しく辛い事か。

 

 

「だが本当は、俺こそが最後までアイツを信じ抜いてやらなきゃいけねぇんだ」

 

 

 仁は大きく息を吐き、何かをふるい落とすように肩を揺らした。

 

 

「俺は、山吹 芥という存在を知った。ソイツは敬と同じ顔をしてやって来た。アイツがゲキ飛ばしに来てくれたのかもしれねぇ。『へこたれてんじゃねぇ』ってな」

 

 

 不敵な笑いを浮かべる。

 

 

「今、思い出した。アイツは『何があっても必ず戻る』と言って出て行ったんだ。アンタが思い出させてくれた。俺は敬を信じる……そして芥、アンタの言葉も信じる」

 

 

[覚えててくれる人が居なかったら、戻れても意味が無い]

 

 

 忘れない。諦めない。

 いつまでも待つ。

 いつか必ず戻る。

 

 

「ありがとう……俺も、君と皆を信じる」

 

 

 信じる心は時空を超えられるのかもしれない。不意に時空を超えてしまった者も、取り残された者も、きっと思いは同じ。

 

 

「諦めたら終わりだ……そうはさせねぇ。何としても生き延びてやろうぜ」

 

 

 差し出された手を握る。それだけで、常に緊張を強いられ尖っていた気持ちが凪いでいった。

 

 

 今感じている、彼との心の繋がり。

 それは嘘ではない筈。

 

 

-------------

 

 

「で、未だに身元は割れないと言う事か」

 

 

 誠の報告を聞き、黄丹は彼を見上げた。

 

 

「申し訳ありません。ここまで調査をしても、一向に情報が出てこないと言うのは予想外でした。再度精査を行いつつ、他のルートを探ります」

 

「そう焦らなくて良い。彼奴が敬ではないと分かっているだけで扱いやすさが全く違うからな。

 周辺国の動きも騒がしくなってきている。本来の任務が疎かにならない程度にやってくれ」

 

 

 彼が一人の人物の身元特定に何ヶ月もかかるとは前代未聞だった。しかもその焦りからだろう、僅かだが精神的均衡を崩している。

 

 

(此奴まで使えなくなると厄介だ)

 

 

 あの件が、これ程の影響を彼に及ぼしていたのは計算外だった。

 敬と瓜二つの容姿を持つ、謎の人物……使い方は慎重に考えたほうが良いだろう。

 

 

 


 ……第31小隊がスタートしてすぐだった。

 黄丹は敬の『力』に気付いた。

 

 きっかけは芥にも課した、あの飛行訓練。技術面は仁が秀でていた。対して敬は、ふとした瞬間に予想外の行動をとる事が何度もあり、周囲をヒヤヒヤさせていた。

 

 10日ほど訓練を続けたある日、編隊飛行の訓練中に彼は突然コースを外れ、そのまま国境近くの森に着陸した。そしてその森で、1週間前から行方不明だった隊員が発見された。
 一連の行動を問い詰めても、敬は『勝手に身体がそう動いただけ』の一点張りだったが、結果的にその隊員が持ち帰った情報が作戦の見直しに役立ったのだ。

 そしてその作戦は大いに戦果を挙げた。

 

 この件で、黄丹は彼の能力が使えると思った。磨けば立派に『先読み』が出来ると……。

 

 一応上層部に報告した上で、特別プログラムを組んだ。更には、実際に黄丹が立てた作戦の成果を実行前に予測させてみたりもした。

 訓練が進むにつれ、彼の『先読み』は数字データから確率をはじき出す方法とは全く次元を異にするという事が分かった。

 

 本人は『未来から情報収集をする感じ』だと言った。

 

 ならば、味方へのダメージを最小限に出来る作戦を組める。黄丹はほくそ笑んだ。

 彼の予測を基に作戦の弱点をあぶり出す。そうして修正をかけたプランで実戦に臨めば、勝率は格段に上がった。先読みを繰り返す内に彼の予測精度も上がり続け、半年後には彼が『読んだ』作戦は、常にずば抜けた成功率を示すようになった。

 そうなれば上層部も放ってはおかない。彼を他の部隊にも回せと要求し、更には誠と組ませて難度の高い潜入任務を命じるようになっていった。

 

 その結果が、あれだ。

 

 

 

 

「……山吹の飛行訓練は続行だ。飛行時間を重ねて更に身体に叩き込ませろ。射撃訓練は後回しで良い。翻訳能力が十分なら、情報部では解読に時間を回してスピードを上げろ。何より解読要員が不足しているからな」

 

「分かりました」

 

 

 敬礼を返し、誠は黄丹の部屋を後にした。

 今は補助灯のみが点いている薄暗い廊下を一人歩きながら、物思いに沈む。

 

 ……黄丹は、芥の正体までは上層部に伝えていない。それは薄々感じていた。 

 

 確かに上層部は、敬の件には神経質過ぎる程の反応を示す。彼が生きている可能性があり、しかも敵国で消息を絶ったとなれば、次に彼がどう出てくるかが気になるのは当然だ。

 もしも彼が完全に向こう側の戦力となっていれば、一気に上層部を狙ってくるに違いない。彼ならそれが出来る。その能力が有る。

 

 その不安が払拭されない内に芥が現れた。上層部には相当のプレッシャーになっている筈だ。

 しかしそれすら、黄丹の目には滑稽に映るのだろう。

 

 

『……生きてるなら、また取り返せば良いってだけなんだがな』

 

 

 いつだったか、黄丹が笑いながら零した一言が誠の記憶に刺さっていた。彼にとっては、戦争は単なるゲームでしかない。誠はそう確信している。

 

 戦争は自分の力を試す場。軍は道具。人間は単なる駒。一般兵も上官も部下も全てが手段。

 階級など関係ない。自分の肩書きは、組織内で発言権と決定権を持つ為に必要だっただけだ……上官を動かすために。

 

 

『しかし、大尉が狙われる危険性もあるのでは』

 

『当然だ、俺に恨みが無い訳が無い。俺を狙って来るのなら受けて立つまでだ。生身で一対一というのも悪く無い』

 

 

 呵々と大笑して話すそれは、上官としてのポーズでも何でも無い、彼の本音。彼は戦争そのものの行方にも、自身の生死にも頓着していない。

 だが別に人生を投げている訳でもない。今は戦いと彼の人生がイコールの関係になっているだけの事。

 

 リセットボタンの無い、一度きりの壮大なゲーム。

 


(軍医上がりのせいだろうか)

 安易かもしれないが、そう思った事がある。

 ひっきりなしに運び込まれる重傷の兵士達。
 外側だけでなく、その内側からも壊れていく多くの若者。
 無事に復帰しても、程なく無惨な遺体となって還って来る事もザラだ。

 誠自身も、今まで何度もそうした場面に立ち会ってきた。確かにそれは、精神・心理のエキスパートと言われる彼ですら、気が滅入る類のもの。

 そうして追い立てられるように過ぎる日々の中で、しかし黄丹は飽きてしまったのではないか。

 

 戦場における生の儚さ、死の空しさに。

 治療という行為の限界に。

 

 そして、一介の軍医という立場に留まる事が耐えきれなくなったのかもしれない。

 下士官時代の彼を、誠は知らない。しかし、何年も見ていれば厭でも分かる。

 彼は『人を動かす側』の人間。

 

 

『動かされる側はたまったモンじゃねぇけどな』

 

 

 任務の前夜、敬はそう言って苦笑した。

 

 

『何か不安要素があるのか?』

 

『そンくらい、あって当然だ』

 

『成功率は高いって言ってたじゃないか』

 

『失敗のビジョンは見えなかった、だから何とかなる。ただ、展開が読めねぇ。すっぽり抜け落ちてるパーツがある』

 

『それ、中尉には言ってなかったよな?』

 

『今回は急かされてたんだよな。ま、大丈夫だろ。

 お前は死なねぇよ、それは確かだ。信頼してるぜ……』

 

 

(お前自身の未来は見えなかったのか?敬……)

 

 自室に戻り、そのままベッドに倒れ込む。

 さすがに訓練の疲れが出ている。が、時間は待ってはくれない。

 

 

「明日は……D区と、午後が……」

 

 

 予定を復唱し、深呼吸を一つ。そして気合いを入れて起きあがる。

 休める時には、出来る限り身体を休めるべき。とにかくシャワーだけはと、誠はタオルを手に取った。

 

 

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20091101-20110514-20180708