T.W.W. (3)

 

 この世界へ来てから10日が経ち、リハビリも本格化した。

 思い悩む時間が無い程の容赦無いメニューで、夜は眠るだけ。それはそれで良かったのかもしれない。

 時にはリハビリの傍らで会話教室が始まる。彼にとって、唯一の気分転換でもあった。

 

 

 周囲の変化に気付いたのは、1月も終わりの頃。

 病棟に居た3人が、立て続けに消えた。彼等のその後を考えれば気が滅入るばかりだ。

 

 

 (俺だけ……何故?)

 

 

 芥は、自分が極めて特異な状況に置かれている事を改めて認識し始めた。

 

[大丈夫。此処に居る限りは、安全ですよ]

 

 前に桑染が言っていた言葉。

 では此処を出たら、自分は……。

 


『ねぇ芥、もしもパラレルワールドに迷い込んだら、どうする?』

 

 

 彩に会いたい。

 こんな事になるなんて思ってなかった。

 

 

 

 隔離病棟に一人だけとなった夜、芥は悪夢に魘された。

 

 

 鉄格子の奥へ連行されていく。沼地を歩いているように足が重い。

 沼は一歩ごとに深くなり、やがて漆黒の闇となって芥の動きを封じ込めた。

 

 

『……誰か!!』

 

 

 助けてくれと呼ぶ声は瞬時に虚空へ吸い込まれる。再び助けを求めようとした彼の喉は、闇に締め上げられていった。

 

 声が、出ない。

 息が……

 

 

[オマエハ、ナニモノナンダ?]

 

 

「……っ!!」

 

 

 唸りとも悲鳴ともつかぬ自らの声で目を覚ました。

 

 

「彩!!」

 


 反射的に名を呼ぶが、返事は無い。絶望的な孤独。

 彼は喉の奥からこみあげる嗚咽をそのまま溢れるに任せた。

 

 頭では分かっている。焦っても仕方ない。身体を治して元の世界に戻る方法を根気強く探し、チャンスを待つしか無いのだと言う事は。

 

 

---------------

 

 

 翌朝。

 桑染は芥の姿を見るなり、彼の異変に気づいた。

 

 

(分岐点だな)

 

 

 普段の顔を保っているつもりの表情は、奇異に顔面に貼りついていた。会話も全く噛み合わない。

 

 

「山吹さん、顔色が良くないですが大丈夫ですか」

 

「……いや、別に」

 

 

 ぽつりと言って黙り込む。暫くの沈黙の後、気になる事でもあるかと問えば、幾度も聞いた不安を口にした。

 

 

「……体が元に戻っても、行くところが無い」

 

「でも、自分で動けなければ何も始まらないですよね」

 

「だからって此処にいても、結局は不審人物のままだ。帰りたいのに出口が見えない……堂々巡りじゃないか」

 

 

 ハードなリハビリは泣き言一つ言わずにやり遂げる。かと思えば、こうして弱音を吐く。

 行くところが無いと嘆くその口が、次には帰りたいと叶わぬ希望を述べる。

 

 今のままでは此処から出られないと、これまでに何度も話した。その度に芥は頷き、再び黙ってリハビリに励んできたが、感情を制御出来るようになった訳ではない。

 

 心のブレは、いずれ彼自身の危険に直結する。此方としても邪魔でしかない。しかしこれ以上のケアは時間的に無理。

 

 

 危険を承知で洗脳解除を試すか……だが、その前にあと一つだけ。

 

 

「山吹さん。貴方にはそろそろ腹を括ってもらわないといけない」

 

 

 敢えて冷たく言い放った。途端に芥の頬が引き攣る。

 

 

「……どういう事だ?」

 

「上層部は、貴方の話など欠片も信じていない。貴方の話は、記憶喪失患者の戯言ほどの価値も無い」

 

「いきなり……何を……」

 

 

 震える口元、しかしそれ以上の言葉は出て来ない。

 

 

「はっきり言います。貴方にはスパイ容疑がかかっている。これだけ隔離され続けても気付かなかった?」

 

「……違う、俺は!」

 

「今は、世界規模の戦争がいつ始まってもおかしくない。小規模な戦いは世界各地で、もう何年も続いている。今後、戦火が拡大していく事はあっても収まる事は無い」

 

 

 だから、敬。此処に“居る”のなら、どうか出て来てくれ。

 

 違うのなら……俺は、今度こそ諦める。

 

 

「どの国も交錯する情報の真偽を見極めようと躍起になっている。その為なら何でも有りだ。先を読みながらの情報攪乱やスパイ行為、裏切り、そして暗殺が絶え間無く繰り広げられている。力も資源も無い国は、他の大国に支配される。世界は、もうその段階まで来ている」

 


 桑染は賭けに出た。敬の人格を引き摺り出す為のキーワードを話に組み込んでいく。

 思いも寄らない話の流れに茫然となった芥の瞳が大きく見開かれた。その目前で一瞬、人格操作解除の暗示をかける。

 

 

(……どうだ?)

 

 

 長い静寂。そして。

 

 

「……俺はどうしたら良い?」

 

 

 芥の声から怯えの色が消えた。瞳に力強さが戻る。

 

 

「……貴方の切り札は“他国語”だ。情報部で実績をあげるのが一番早い。国への貢献が認められれば、スパイ疑惑もいずれは晴れるだろう」

 

「俺はスパイなんかじゃない」

 

「ではそれを行動で証明しろ。その為に生き延びろ」

 

 

 解除成功かと思ったが、どうやら違う。敬に[山吹 芥という人格が上書きされている]可能性は消えた……だが、この遣り取りが全て無駄だった訳でも無いらしい。

 

 

「……畜生!」

 

 

 芥の拳が壁を殴った。

 初めて見せた怒り。彼の新たな一面。追い詰められる程に開き直る質か。

 

 

(ならば、そのように)

 

 

 「繰り返す。今、此処は戦争中だ」

 

「そうなんだな……分かったよ」

 


 再び告げられ、最初から自分に選択権など無かったと識る。ここで手の内を明かすコイツは性悪だと、内心で悪態をつく。全身が細かく震えた。恐怖だけではない。怒りと緊張……そして、闘志だったのかもしれない。

 


「……だけど俺は生き延びてやる!」

 

「それは結構。では軍からの命令を伝える」

 

 

 桑染の声音が、そして纏う空気が、鮮やかなまでに上官のものに切り替わった。

 

 

「身体はあと2ヶ月で完治させる。その後は第31小隊に配属となる。それ迄に、改めて我が国の状況、軍の規律、各国の情勢、その他必要事項のレクチャーを行う。

 レクチャーは、リハビリと平行して今夜から開始する。後で教本を持って来させるから、夜までに目を通しておけ」

 

 

---------------

 

 

 3月も半ばを過ぎ、芥は第31小隊のメンバーとの顔合わせに臨む。

 

 

「山吹、こちらへ」

 

 

 あの日以来、桑染は完全に芥の上官として接するようになった。聞けば彼の階級は少尉、そして第31小隊のリーダー。統括は “あの”黄丹 蓮。

 それを聞いた時はさすがに『やられた』と思ったものだ。

 

 そんな切れ者が管理している小隊とはどんなところなのかと想像していたのだが。

 

 

(……二人だけって、どういう事だよ)

 

 

 其処に居たのは、ビックリ眼で芥を凝視する赤い髪の青年と、自分に似た顔立ちの癖毛の人物。

 


「自己紹介を」

 

 

 言われるままに芥は二人に挨拶した。



「山吹 芥です」

 

 

 名乗れば、癖毛のほうが微妙に顔を歪める。

 

 

「……蘇芳 仁だ」

 

 

 渋面のまま、仁は素っ気なく返した。

 

 

「あ、俺……薄鈍 統」

 

 

 仁に小突かれ、我に返ったらしい赤毛の青年が名を告げる。儀式はそれで終わり。

 

 暫し沈黙が流れた。桑染は無表情のまま、黙ってその様子を見ていた。

 

 

「……アンタのことはだいたい聞いてる」

 

 

 沈黙を破ったのは仁。

 

 

「最初に言っておく。31(サンイチ)は4人だが、単独行動のほうが多い。軍の経験が無いそうだから、暫くは誰かがアンタに付く。通常は統、手が空けば俺、情報部に回る時は誠だ」

 

「……はい?」

 

 

 聞きたい事が追いつかず、思わず語尾が上擦った。その様子が相当マヌケだったのだろう、統が必死に笑いを堪える。

 

 

「では後はよろしく、仁」

 

「ああ」

 

 仁が『ついて来い』というように軽く顎をしゃくり、無言で歩き出す。ほら、と統に左腕を取られ、引き摺られるようにして芥は二人の後に続いた。

 

 

-------------

 

 

「芥って体力ねーんだなー!」

 


 いっそ感動するぜと統が見下ろす視線の先には、息を切らせて突っ伏している芥がいた。

 

 

「もう病み上がりだの何だの言ってらんねーけど?」

 

「……」

 

 

 反論の言葉すら出てこない。

 

 今日は顔合わせだけと思っていたが、自分は既に第31小隊所属らしい。この展開の早さについていくだけで精一杯だ。

 

 

 三人で桑染の前を辞してから、仁は『夕方まで彼を鍛えてやってくれ』と統に言い残し単独任務へ出て行った。

 統は統で『もう普通に動いて支障ないって聞いたぜ』と、早速トレーニングを開始した。いくつもの機器を使用した筋トレが続き、仕上げに10kmランニング。

 リハビリでも相当鍛えられたと思っていた芥だったが、ランニングの途中でとうとう心肺機能が悲鳴を上げた。

 

 いや、あれはランニングでは無い。8kgの荷物を背負っての全力疾走。

 

 

「とりあえず休憩。15分な」

 

 

 助けられて仰向けになる。言われるままに膝を立てると、がちがちになった筋肉を解すように軽く叩いてくれた。

 

 

「生きてる?」

 

「殺しかけ……といて、聞か……ないで、くれる……」

 

 

 やっとのことで声を出すと『あんた面白ぇな』とケラケラ笑われた。統も同じメニューをこなしているのに、未だ余裕綽々だ。

 

 

「まぁ頑張りな。仁と同い年ぐらいなんだろ?」

 

「……26」

 

「ひとつ上か。まあ、鍛えたらまだまだ行けるさ」

 

「薄鈍……さんは?」

 

「そんな呼び方するなよなー。統で良いぜ。俺は20。ほら、水分摂っとけよ」

 

 

 差し出された水を飲めたところで、漸く人心地がついた。

 

 

「多分ここ一週間ぐらいはこんな感じ。仁が丁度単独任務だし、俺に付き合ってもらうしかねーんだ。来月になったら、仁か少尉殿に付く時が増えると思うけど」

 

 

 まぁ今の内に仲良くなろうぜ、とニカッと笑う。敵意の無い、素直な笑顔。

 

 

「あと、何かある?分かんねー事とか」

 

「……あり過ぎて困ってる」

 

「何だよ」

 

「此処の上下関係が分からない。俺、皆を何て呼べば良いんだ?」

 

「仁は仁。少尉殿も下の名前で良いんじゃね?」

 

「仁は准尉だって聞いた。准尉より少尉のほうが階級が上じゃないか。リーダーも少尉だって聞いたし」

 

「んなもん関係ねーよ。少尉殿だって、エリート路線だったってだけでトシは同じ25なんだぜ。

 ここはずっと仁が司令塔でやって来てんだ」

 

「反則だ……」

 

「こんなトコに反則もへったくれもあるか。マニュアル通りにやってたら、とっくに死んでる。教本に従った奴からお陀仏になってんだからな。

 あんなモン、糞の役にも役に立たねーぜ。アタマの隅っこに追い遣って鍵でも掛けといたほうが身のためだ」

 

 

(この小気味良い喋りは誰かに似てるなぁ……)

 

 

 言葉は多少荒っぽいが、こちらを見下すような態度ではない。このトレーニングも彼なりに楽しんでいるようなところがあった。

 

 

「……統の担当は?」

 

「機体整備とか修理とか。他隊からもしょっちゅう呼び出しくらうから、これでも忙しいんだぜ」

 

「所属はずっと31?」

 

「まあ、そうだな。そろそろ5年」

 

「5年?じゃあ入隊したのって16?」

 

「そう。誕生日の次の日に入ったから、ぎりぎり規定内」

 

「凄いな、16になるのを待って志願したってこと?」

 

 

 彼を志願兵と信じて疑わない芥に、彼はあははと笑って答えた。

 

 

「違うよ。俺のそン時の親から、最初で最後の誕生祝い」

 

「え……」

 

「ていうか、餞別?まあ、要は奴らにぶち込まれたって事」

 

(どう言う事だ?)

 

 

 分からない。彼の言葉と無邪気な笑顔が繋がらない。

 

  ……第31小隊。

 人員構成だけでなく、何もかもが異例づくめだ。

 

 

「さぁ15分経過だ。それだけ喋れるようになってんならまだ行けるよな?」

 

 

 芥の思考を断ち切るように、ぱんと手を打って統が休憩の終わりを告げる。

 その後延々と繰り返される1kmスパートで、芥は考える余裕も気力もすっかり無くしていた。

 

 

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 一週間が経ち、仁が戻ってきた。ここから暫くは彼に付く事になる。

 初対面の時は苦虫を噛み潰したような顔だったが、この日の彼はあっさりと『よろしく頼む』と笑って言った。統が『仁って、ああ見えてすげー人見知りなんだぜ』と言っていたのは本当らしい。
 

 

「悪かったな、ほったらかしで。トレーニングは?」

 

「少しだけ楽に出来るようになったかな、ってところ」

 

「情報部のほうは」

 

「未だ数回だけど、何とかなりそうだ。専門用語はもっと覚ろと言われてる」

 

「上出来だな。じゃあ、少しだけ挨拶回りするか」

 

「挨拶回り?」

 

「主にパイロット達が集まる詰め所があるんだ。其処だけは顔を出しとかねぇと」

 

 

 言われるまま、芥は仁について詰め所へ向かった。

 


「よう、仁。もう戻ったのか」

 

「今回も早かったな。流石TOP3」

 

「成る程、こいつが新入りかぁ。よろしくな!」

 

「仁は上にもしゃあしゃあとぶちかますからな。気迫負けすんなよ、新入り!」

 

「こいつの飛行訓練は覚悟しとけよ。びびるんじゃねーぞ」

 

 

 これだけでも仁の人柄と能力が窺い知れる。彼を羨望の眼差しで見る小隊長もいた。

 

 

「面白いトコに入ったな。まぁせいぜい頑張りな」

 

 

 芥にも、嚇しめいた励ましの言葉が手荒い歓迎と共に降ってくる。しかし一方で、此方を胡散臭そうに見遣る者たちにも気付いた。

 聞こえよがしに『ケイの……』『どうせスパイだろ』『いきなり31かよ』などとひそひそ話している。当然あるだろうとは思っていたが、それでも気分の良い物では無い。

 

 

「気にするな」

 

 

 仁に、肩をポンと叩かれた。

 

 

「まぁ、こんなもんかな」

 

 

 詰め所を出て、仁が今後の予定を告げる。

 

 

「午後は飛行訓練についての詳細と、基本の機体整備手順を教える。明日は実際に整備だ。その後で俺が同乗して飛行訓練を行う。明後日までに一通りの操作をクリアしてもらうから、そのつもりでいてくれ」

 

「分かった」

 

「よし。そしたらメシに行くか。後から統も来るだろう」

 

 

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 統が合流したところで場所を変え、持って来た昼を食べながら打ち合わせをする。

 

 

「もう飛行訓練するんだ?」

 

「ああ。お前が芥を鍛えといてくれたからな。何とか行けるだろう。0700に格納庫前集合。誠には連絡してある」

 

「手順は」

 

「まず整備の実践だ。マニュアルはこの後、俺からレクチャーしておく。明日はお前がチェックしてくれ」

 

「りょーかい」

 

「その後で飛行訓練。サポートは任せる。アイツの指示に従ってくれ」

 

「少尉殿は、どこから入るんだ?」

 

「0900予定だ。整備が終わる頃だな」

 

「りょーかい。じゃあコレ食ったら西6で整備してるから、何かあったら」

 

「コッチは大丈夫だ。今日は頑張って働いとけ」

 

「へーい」

 

 

 すっかり身内感覚。それだけ信頼関係も出来ているのだろう。ただ、統が誠の事を『少尉殿』と呼ぶのが気になった。エリート出の彼とはソリが合わない、という程度なら別に良いのだが。

 

 

「……て、聞いてるか?芥」

 

「ああ、すまない。少しボーッとしてた……ごめん。飛行訓練の事だったよな?」

 

 

 仁の説明に集中する。

 

 

「そうだ。一応、31は情報部所属って事になってる。基本的に使用するのは二人乗りの偵察機だ。アンタには操縦の基本操作と並行して、レーダーやデータ収集等の機器を扱えるようになってもらう。イメージトレーニングだけでは補えない部分もあるから最初は思い通りに行かないだろうが、まぁこんなもんは慣れだ。

 今日はシミュレータを使って機体の概要を頭に叩き込んでもらう」

 

「了解」

 

「んじゃ俺、そろそろ行ってくる。また夜な、芥」

 

「ああ」

 

 

 統と別れ、二人は訓練室に向かった。

 整備はマニュアルを理解出来れば一通り出来るようになっているので、未だ問題は少ない。だが操縦技術にはシビアにならざるを得ない。一つのミスが死に直結する。

 シミュレータでの訓練で、仁は何度も芥を叱り飛ばす。しかし、芥も一歩も引かずに喰らい付いて行った。

 

 

(……やるじゃねぇか、コイツ)

 


  結局休憩を一度も取らなかった二人は、統が『晩メシ食いっぱぐれるぜ!』と呼びに来るまで訓練に没頭していた。

 

 

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 翌朝、芥が集合の15分前に行くと、統は既に訓練用の機体に上っていた。芥に気付くと、操縦席からいつもの調子で挨拶をしてくる。

 

 

「ちゃんと寝たか?芥」

 

「うーん、まあ大丈夫なんじゃないかな」

 

「お、頼もしいねー!」



 話している内に仁もやってきて、早速機体整備の実践。統のチェックで無事OKをもらったのと、誠が姿を現したのがほぼ同時だった。

 

 

「昨日のシミュレーションは?」

 

「まあ良い線まで行ってるだろう。デモは一度で十分だ」

 

「そうか。では二度目からのフライトは山吹、君だ。仁のOKが出れば、以後は実戦想定でのレーダー監視・計器操作・通信傍受の操作確認を」


「俺は?」


「飛行データと、彼のバイタルを記録してくれ。失神の一度や二度はあるからな」


「はいはい、りょーかい」

 

 

 統と誠の遣り取りは、やはり若干よそよそしい。そして、統の言葉の端々に棘がある。だが、それを誰も咎めない。

 

 

 訓練が始まった。仁のデモンストレーションが済めば、芥の番だ。

 離着陸操作は想像していたよりもスムーズに出来て、少し安心する。基本的には自動操縦モードなので有難い。

 

 

「初めてでこんだけ飛べりゃ上出来だろ」

 

 

 仁のそんなコメントでフライト訓練は一旦終了。休憩を挟んで再度仁が操縦桿を握る。

 

 

「ビビんじゃねーぞ、芥!」

 

 

 統の応援がヘルメットから響く。覚悟はしていたが、仁のフライトは想像を遙かに超えていた。

 ループやターンなどは単なる馴らし。地上ぎりぎりまでの急降下、エンジンオフできりもみ状態に入ってからのエンジン再点火、急上昇。

 敵機の追跡までも想定したアクロバティックな動きを、偵察機で。

 

 

「1時間休むか」

 

「いや……もう一度」

 

 

 最初の二回は流石に意識を飛ばしたが、芥は頑として譲らなかった。生きるために必要だと言うならば、微塵も妥協する気は無い。

 

 

「手加減したら訓練にならないだろう?」

 

 

 初めの内は仁も気にしていたが、芥のこの言葉で腹を括った。

 

 

「よし。なら、覚悟しろ」

 

 

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 午後に入ると、芥は仁の操縦に身体が慣れ始めたのを感じた。そうなればこちらのモノだ。

 後はこの感覚とシミュレーションで叩き込んだ作業を組み合わせて行く。そこからの彼の変化は、明らかに目を見張るものがあった。

 

 

「よし、解散」

 

 

 日没直前に訓練は終了した。統に支えられながら引き揚げていく芥の後ろ姿を見送る。

 

 

「初日でここまでとは驚いた。かなり使えそうだよな?」

 

 

 誠が感想を求めるが、仁はフンと鼻を鳴らしただけだった。

 

 

(参ったぜ、負けず嫌いの強情っ張りなトコまで似てやがる)

 

 

 彼の粘りと適応力には仁も感心していた……苦い思いを胸の裡に燻らせながら。

 

 

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 翌日は、桑染の指示と仁の叱咤の声が絶えず無線で飛び交う訓練となった。

 

 

「俺、こんなんゼッタイ受けたくね-」

 

 

 統がぽつりと零すほどの内容だ。

 しかしその甲斐あってか、芥は課題の作業をこなせるようになってきた。フライトは、今は基本的なパターンだけで良い。それよりも、飛行状態での情報収集スピードと精度を上げていくことが優先課題とされた。

 

 

「これで終了。但し、まだ最低ラインをクリアしたところだ。これからも頑張ってくれ」

 

 

 誠が解散を告げた。芥は仁に確認したい事があったが、彼はすぐ誠と別の話し合いに入ったので、後回しにすることにした。それに、フライト後の整備手順を統にチェックして貰わないといけない。

 

 押し寄せてくる疲労を振り払うように頭を振り深呼吸をすると、芥はこの二日間ですっかり見慣れた機体に向かって走る。統がカラカラ笑いながら手を振った。

 

 

「慌てなくていいから!それよりプロテクタ外さねーと整備も出来ねぇぜ!」

 

 

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 全て終了し、格納庫のロッカーで着替えているところへ仁が顔を出した。

 

 

「ご苦労さんだったな。素人にしちゃ上出来だ」

 

「仁の指導が良いからだよ」

 

「いや、アンタは筋が良い……あんまり嬉しいモンじゃないかもしれねぇけどな」

 

 

 そこで一旦言葉を切ると、やや困ったように頭をがしがし掻いて俯く。

 

 

「何か?」

 

「あ、いや」

 

 

 暫く何かを躊躇っていた仁だったが、ややあって意を決したように顔を上げる。

 

 

「アンタ、記憶喪失でもスパイでも無ぇな」

 

「え……?」

 

 

 いきなりの話に戸惑う。

 

 

「記憶喪失って事になってるのか?俺」

 

「軍の敷地内で大怪我して転がってたって聞いたぜ。しかも正体不明なんだろ」

 

「正体不明……まあ、そうだな」

 

「スパイを疑われるのは仕方無ぇ。そんなの日常茶飯事だから気にするな」

 

 

 それはそれで、面倒臭い世界だ。

 

 

「でも、記憶喪失って……」

 

「アンタ、何かややこしい事情があるんだろ?詳しくは聞いてねぇが、誠がぼやいてた事があってな。取り敢えず“そう言う事”にしとけ、てなトコだろう」

 

「何故、違うって分かったんだ?」

 

「俺たちにゃ簡単な事だ、統も分かってる。誠にかかれば記憶喪失なんて、ひと月もありゃあ『戻せる』んだよ。アイツはその道のエキスパートだ」


「……何てことだ。またいっぱい食わされた」

 

 

 芥が愚痴る。仁は笑った。

 


「でもスパイ容疑は?それも君たちにはバレバレの嘘って訳?」

 

「そこまで単純じゃない。最初は俺も疑っていた。その程度の嘘は見破れたってだけだ」

 

「何故?」

 

「……ま、色々とな」

 

 

 コレは話すと長くなっちまうんだと、軽く流される。 

 

 

「兎に角、アンタは游がされてる。そこに黄丹や上層部の意図があるのは間違い無ぇんだ。だが俺にはそれが何かは分からない」

 

「……何故、そんな事まで言う?」

 

「何だ、俺を疑ってんのか」

 

「だってそうだろう。仁が俺を監視してたって不思議じゃない」

 

 

 それを聞いた仁の表情が僅かに強張った。

 

 

「……違う。俺も“監視される側”だ」

 

「え?」

 

 

 聞き間違いじゃないのか?しかし……。

 

 

「ここじゃ十分、異端分子だからな」

 

「……それ、どう言う事なんだ?」

 

 

 芥の問いには答えず、彼は僅かに口の端を上げると『また後でな』と言って立ち去る。

 

 茫然と立ち尽くしていると、彼の消えた方向から入れ違うように統がやってきた。

 

 

「よ!お疲れさん」

 

「ああ、統も」

 

「何かやらかしたのか?仁の奴、えらくご機嫌斜めだったぞ」

 

「俺の事で話をしていただけだよ」

 

「あ、そろそろ話す気になった?」

 

「統も知ってたんだって?」

 

「最初からだいたい気付いてたさ。31のベテランを舐めんじゃねーよ」

 

 

 わざと明るく話してくれているのだろうが、疲れた頭には少々きつい。

 

 

「でも、あんたホントにスゲーな。今だからバラすけどよ、本当はあの訓練、5日かけてやるもんなんだぜ」


「5日?!」

 

「そうさ」

 

「……どういう無茶なんだ」

 

「ハイお疲れさん。でも実際、あんただからあれだけのスケジュールが組めたんだなって思うぜ。普通の奴ならあんなの絶対にやれねーよ」

 

「……だって俺は戻らなきゃいけない。そう誓ったんだ。だから逃げてなんかいられない。死ぬ訳にもいかない。食らい付いてくしかないんだ」

 

 

 気づけばあっさり本音を口にしていた。今更どう思われたって構わない……そんな気持ちもあったのだろうか。

 

 

「はぁ?戻るって、何処へだよ?」

 

「俺のいた世界」

 

「世界?」

 

 

 突然の空白。

 たっぷり1分以上経ってから、統がぽつりと呟いた。

 

 

「……やっぱりあんた、違うんだな」

 

「違う。ホントにスパイじゃない」

 

「そうじゃねーよ。敬だ」

 
(ケイの……)

 

 

 詰め所で耳にした名を思い出した。

 

 

「敬って、誰?」

 

「仁の弟」

 


 誰からも、その人物の事は聞いていない。

 


「俺、最初あんたに会った時、驚いたんだ。敬が戻ってきたと思って」

 

 

 彼も31のメンバーだったと言う事か。

 


「なのに名前は全然違うし、見せてる反応はドシロウトだろ?こりゃ違うなって思ったけど、訓練であれだけの腕を見せられると、ちょびっと期待しちまって……」

 

「……」

 

「悪ぃ、やっぱ腹減ってちゃダメだな。メシ行こーぜ」

 

 

 ぶる、と頭を一つ振る。促されて芥も格納庫を後にした。

 

 

 人影もまばらになった食堂に移動し、遅い夕食を手に食堂の隅に座る。

 統は付近に誰もいないことを確認してから口を開いた。

 

 

「さっきの話だけど。敬は、仁の双子の弟なんだ。そんでもってあんたとそっくり」

 

「敬と俺が?仁と似てるとは自分でも思ったけど、もっと?」

 

「ああ。瓜二つだ」

 

「敬も31?担当は?」

 

「他国への潜入捜査」

 

 

 つまりはスパイ。正体を隠し周囲を欺くのは得意分野だ。

 

 

「だから俺、やたら警戒されるのか」

 

「元のあいつを知らねーヤツほどそうだと思うぜ」

 

「今、彼は?」

 

「行方不明。もう4年近く前になる。任務先でいきなり姿を消したって」

 

「長期任務とかじゃないんだよな?」

 

「違う。いきなり消えて以来、全然消息がつかめねーんだ」

 

「そんなトコに俺、来ちまったのか……」

 

「芥も何かワケアリみてーだけど、敬に激似ってのは良いんだかヤベェんだか」

 

 

 統は其処で一息つくと、ぼんやりと自分の髪を弄りながら話を続けた。

 

 

「俺のこの髪……勿論自前だけど、この色は此処じゃあ異端なんだ」

 

「異端?」

 

 

 仁もさっき言っていた。異端分子だと……。

 

 

「そう、不吉の色。だから本当の親は俺を産んで直ぐ俺を捨てたって聞いた。

 それから15まで施設にいたけど、さすがに出ねーとダメになってさ。上手いコト引き取ってくれるやつが現れたから、髪染めて誤魔化して養子になったワケ。

 でも、そんなのやっぱりバレるんだよ。そんで此処に入ったのはこの前言った通り」

 

 

 厄介払いってヤツ?と、彼は苦笑する。

 

 

「大変だったんだな」

 

「かもな。それがフツーだったから分かんねーけど。でも確かに、此処に来た時は荒れてた。揉め事も起こした……でも31に来て、敬は俺を本当の弟みたいに可愛がってくれた。それでやっと人間になれたようなモンなんだ、俺は」

 

 

 本当に彼を慕っていたのだろう。いつもどこか斜に構える癖のある統だが、彼の事を話す時の瞳は子供のように澄んでいた。

 が、直後その眼差しが苦しそうに歪む。

 

 

「けど、やっと俺が敬と組めるようになると思ったら、敬はその任務で……」

 

「彼はその時、単独任務だったのか?」

 

「少尉殿と組んでた。難しい任務も成功率が高いペアだってんで、当時はよく組まされてたんだ。敬は『あいつがいれば大丈夫だ』って、いつも言ってた。なのに……」

 

 

 ぐ、と拳に力が籠もった。血の気を失う程に。

 

 

「なのに、あの野郎だけ帰ってきたんだ。敬に汚名を着せて」

 

(汚名?……)

 

 

「何話してるんだ?」

 

 

 唐突に仁の声が背後で響く。話に入り込んでいた二人の心臓が本気で跳ねた。

 

 

「わっ!」

 

 

 驚きすぎた統が椅子からずり落ちる。完全に狼狽していた。

 


「じ、仁……メシは」

 

「桑染とミーティングしながら食った」

 

 

 コーヒー飲むか?と笑うその手には既にカップが三つ。此方の返事も待たず、仁は統の隣に座った。

 

 

「で、何を話してたんだ?」

 

 

 改めて聞かれたが、統は俯いて黙り込んでしまった。勝手に敬の事を話したと知ったら、仁は何と思うかと気になっているのだろう。だが、こんな話の流れになったのは、芥が発端だ。

 

 

「……さっき、俺が記憶喪失でもスパイでも無いっていう話をしていた」

 

「そうか。統も分かってただろう?」

 

 「ああ」

 

 

 芥は、彼等の領域に踏み込む覚悟を決める。

 

 

「……それから、敬の事を聞いたんだ」

 

 

 刹那、電流に触れたように彼の手が小さく震える。手にしていたコーヒーが細波を立てる……が、仁が動揺を見せたのは一瞬だけだった。

 

 

「そうか」

 

「すまねぇ、仁!」

 

 

 突然、椅子ががたんと倒れ統がその場で土下座した。
 ……彼は泣いていた、涙を一切見せずに。切ないまでの慟哭。

 

 

「謝るんじゃねぇよ。お前の事だ、今も辛い思いをしてるんだろう」

 

 

 仁は静かに労いの言葉をかける。

 

 

「気にしてねぇ、大丈夫だ。良いからメシだけはしっかり食え……芥、アンタには明日の午後から情報部へ行ってもらう。午前中はオフだ。さすがに疲れただろう、アンタも今夜はもう休んだら良い」

 

「……いや、実は今日の訓練の振り返りもしたいんだ。忙しいとこ悪いけど、是非」

 

 

 確かに疲労感はある。しかしこれ以上この件を後回しには出来ないし、したくもなかった。

 

 

「本当に熱心だな……わかった、後で俺の部屋まで来てくれるか」

 

 

 彼の意図を察し、仁はあっさりと了承した。

 

 

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