Familie

 

「こちらの2機に戦闘意思は無い!即時攻撃の停止を要請する!繰り返す……」

 

 

 統は必死に攻撃を止めようと叫ぶ。だが完全に領空侵犯と判断した相手の戦闘機は手を緩める事が無い。

 

 誠が突然機体の進路を変える。その意図はすぐに分かった。

 

 

「死ぬな!!仁、芥ぁー!!!」

 

 

 敬と会うまでは死なないと決めていた。だがそれ以上に、芥を死なせたく無かった……彼は、31に新たな希望をくれたのだから。

 

 だから、誠が起こした行動は正しい。そう、思った。

 

 

 体当たりの直前、視界を夕日がよぎる……それが、最後の記憶だ。

 

 

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 ……ばしゃ、と水音が耳を打ち、同時に皮膚感覚も蘇った。

 

 

(冷てぇ……)

 

 

 胸から下が冷たい。脚に到っては冷えすぎて麻痺している。頬に当たる砂利も濡れていた。どうやら顔はギリギリ地表にあるが、首から下は水の中という事らしい。

 

 

(このままじゃヤベーな……って何で生きてんだ俺!)

 

 

 生きてる。

 

 漸く我に返った統は焦って顔を上げようとするが、冷えた身体は軋んで大して動いてくれない。それでも何とか両肘をついて周囲を見渡し……絶句した。

 

 

(何だコレ……絶対おかしいだろ!)

 

 

 目に飛び込んで来たのは、生い茂る川辺の雑草。その向こうには整備された堤防。河川敷を思い思いに散歩する人々がいて、遠くには見たことの無い建物群。

 

 緊迫感など欠片も無い。

 

 

(……どうなってんだ)

 

 

 うーと唸って地面に突っ伏す。頬に水しぶきがかかる。頭の中がぐるぐる回る。

 

 

「……ありえねー」

 

 

 無意識に声に出たらしい。

 

 

「あ、良かった」

 

 

 直ぐ近くで応じる声があった。

 

 

「ぅえ?!」

 

 

 本気で統の心臓が跳ね上がった。顔を上げれば、目の前に黒髪の女性が一人。いつの間にか彼のすぐ横にしゃがみ、顔を覗き込んでいた。目が合えば、ニッコリと笑顔を見せる。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 この場合、何をもって大丈夫と言うのか。

 

 

「……たぶん」

 

「溺れかけたの?」

 

「違う」

 

「じゃあ、落ちたの?」

 

 

 間髪入れずの質問攻めだが、緊張感の無さに気が抜ける。

 

 

「……そっちのが近い」

 

「どこから?この辺、橋も少し向こうだし、川沿いにビルも無いんだけど」

 

「わかんねー」

 

 

 答えようが無い。聞きたいのはコッチだと、つい内心で毒づいた。

 

 自分は今、何処にいる。何があった。どうして生きている。

 

 

(そもそも、アンタ誰だ)

 

 

「川の水、まだ冷たいでしょ?もう少しガマンしてね。ウインドブレーカー、少しはマシかもしれないから使ってちょうだい」

 

 

 どう考えても初対面の彼女は、初対面とは思えない親しみの籠った笑顔を彼に向けながらそんな事を言う。

 

 

(困ってるヤツ見たら放っとけねータイプか……そんな無防備で大丈夫なのかよ)

 

 

 却って統のほうが心配になる。しかし自分がこの状況から脱出するには、彼女に頼るしかない。

 

 

「ありがと。けどその前に、ちっと手を貸してもらえねーか?」

 

「あ、そうよね。はい」

 

 

 差し出された手を掴んで体勢を直し、辛うじて残っている力で川から這い上がる。草むらに腰を下ろしたところでウインドブレーカーを羽織った。

 無事に統が水から上がったのを確認すると、彼女はどこかに電話をかけた。

 

 

「もう仕事終わった?すぐ迎えに来て欲しいの。そう、近所の河原……私じゃないの。男の子が川の中で倒れてるのを見つけたのよ。怪我もしてるし、半分水没してたから凍えちゃうわ……うん」

 

 

 オトコノコなんて久しぶりに言われたな、と妙なところで感動してしまう。そのままぼんやりと彼女の会話を聞いていたが、最後の一言で仰天した。

 

 

「……そう。よろしくね、芥」

 

 

(え?!)

 

 

 通話を終えた彼女は、目を丸くしている統にすぐに気付いた。

 

 

「どうかした?」

 

「いや……あんた今、『あくた』って言ったよな?」

 

「ええ。言ったけど?」

 

 

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 彼女---名前は彩だと教えてくれた---が連絡をしてから10分程で堤防の上に一台の車が止まり、車内からスーツ姿の人物が出て来るのを見た時。

 

 

「おいおい、マジで芥かよ」

 

「統?!」

 

 

 本当に統の全身から力が抜けた。

 

 

「……あんたヨメさんいたのか」

 

「第一声がそれ?」

 

「他に言いようがねーぜ……もう何がなんだか」

 

「なあに、知り合いなの?」

 

 

 彩が話に入ってきた。興味津々といった風情だ。

 

 

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 ずぶ濡れのまま芥に抱えられて車に乗りこみ、着いた先は彼の家。
 着くなりヒーターの前に座らされ、風呂が沸いたからと案内され、風呂から上がればリビングで出来立てのホットコーヒーと、手足に出来ていた擦り傷の手当てが待っていた。

 

 

「すまねーな、こんな事まで」

 

「もう寒くない?大丈夫?」

 

「大丈夫。芯から暖まった」

 

「良かった!大きな怪我もしてないようだし。後はゆっくりしてね」

 

 

 言いながら彩は芥の隣に腰を下ろす。何処で知り合ったのと改めて尋ねられ、31でしばらく一緒だったと話せば、彼女は目を丸くして驚いたような、感心したような溜め息を一つ。

 

 

「じゃあ、芥のあの話って本当にホントだったのね?」

 

「……やっぱり信じてなかったのかー」

 

「まあ、普通無理だよな。俺だって今やっと実感し始めたとこだし」

 

「でも、そうしたら統クンて恩人って事じゃない。ちゃんとお礼を言える機会が出来て良かった。本当にありがとう、統クン」

 

 

 その言葉に統は戸惑った。

 

 

「いや、それは別に……」

 

「そうだ、彩。ちょっと早いけど夕食の用意してくれる?彼、腹減ってると思うし」

 

 

 狼狽える彼を見て、芥が横から口を挟む。彼女は『あ、そうよね。待っててね』とキッチンへ向かった。ドアを閉め、芥は小さく溜め息を一つ。

 

 

「ゴメン、いきなりこっちのペースに巻き込んじまって……大丈夫か?」

 

「ああ。まだちっとボーッとしてるけど……でも芥がいてくれて、ホント助かったぜ」

 

 

 これ以上心配をかけたくなくて笑顔を見せようとしたが、頬が引き攣ったように動かない。

 

 

「無理するなよ、混乱して当然さ。俺もそうだった」

 

「……悪ぃな」

 

「謝るなって」

 

 

 頭をくしゃりと撫でられた。懐かしい、優しい感覚。

 

 

「……『あの時』から跳んで来たんだ?」

 

 

 問いと言うより、確認のニュアンスが濃い。確かに芥ならひと目で判っただろう。さっきは彩が隣にいたから、敢えて触れなかった話。

 

 

「ああ、マジで驚いたぜ。芥を見てやっと、俺も跳んじまったのか?って考え始められたくらいでさ」

 

「うん」

 

「あんたの話を聞いてて良かった。知らなかったらホント、どうなっちまってたか分かんねーよ」

 

「うん」

 

「仁とも……誠ともはぐれちまったみてーだけど、あんたがこうして元気にしてるんだから、みんなきっと無事だよな?」

 

「うん。必ず、どこかで生きてる」

 

 

 それを聞いた統の肩が細かく震えた。目を閉じ、何かを耐えるように一つ大きく息をつく。

 

 

「……絶対、死んだと思った」

 

 

 芥は静かに、彼の話を聞いている。

 

 

「けど、後悔はしてねーぜ」

 

「……」

 

「芥さえ生きていてくれりゃそれで良いって……そう思ったのもホントなんだ」

 

「……ありがとう」

 

 

 次第に彼の体から力が抜けていく。体が休息を求めているのだろう。

 

 

「こうしてまた会えたなんて……奇跡だ。サイコー……」

 

 

 涙が頬を伝い、そのまま統はコトリと眠りに落ちた。

 

 

「お前もな……本当に、無事で良かった」

 

 

 そっと彼の寝顔に語りかけ、リクライニングさせたソファに寝かせる。照明を落とすと、芥はキッチンへ向かった。

 

 

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「あら、統クンは?」

 

 

 芥が一人で戻ってきた事に気づき、彩が尋ねる。

 

 

「眠ったよ」

 

「そうなの。確かにかなり疲れてたみたいだったし。怪我もしてて……何があったの?」

 

 

 その問いかけに、芥は『うーん』と唸った。

 

 

「ちょっと、座ってくれる?」

 

 

 手招きされ、彼女は料理の手を止めて芥の向かいに座る。

 

 

「……統が『彼の世界』から跳んで来ちまったっていうのは、君にも何となく分かってもらえてるのかなって思うんだけど」

 

「ええ。軍隊にいたって言ってたわよね。貴方も一緒に」

 

「うん。それで……本当はこの話、君には黙っていようと思ってたんだけど……」

 

 

 言い淀む。彩はそんな彼の手を取り、笑顔で返した。

 

 

「言って。私じゃ直ぐには理解出来ないかもしれないけど、貴方が必要だと思った事なら何でも教えてちょうだい」

 

 

 彼女の笑顔と言葉に勇気づけられ、芥は『あの世界』で起きた事を伝えた。

 ……既に覚えていない事も多い。それでも、思い出すままに全てを話してしまっては、彩の負担も大きい。だから彼と接するのに必要な最低限の内容だけにしておきたかったが、『彼の世界から跳ぶ直前に起きた事』は話さざるを得なかった。

 

 

「……そう」

 

 

 話を聞き終えた彩の両手に力が籠もる。
 それに気付いた芥はそっとその手を握り返し、言葉を継いだ。

 

 

「ごめん、辛い話を聞かせちまって」

 

「大丈夫だけど……やっぱり想像しきれない」

 

「いや、それが当然だと思うよ」

 

「統クンの支えになってあげられるかな?私」

 

「特別に考えなきゃいけない事は無いと思うんだ。普通に接してくれたら、それで」

 

「今までの事は話題にしないほうが良い?」

「だと思う。ただ、彼の方が話したそうだったら聞いてあげるくらいで」

 

 

 そこまで聞いて、彩の表情がやっと少し明るくなる。

 

 

「それなら出来そう。分かったわ。他には?」

 

「そうだな……これは気に留めておいてほしいんだけど、恐らく彼はどこかでフラッシュバックを起こすと思うんだ」

 

 

 フラッシュバックと聞いて、彼女も『あ、そう言えば』と思い出す。

 

 

「芥も、あの頃何度か起こしてたわよね。いきなり何も言わなくなっちゃったり、私が目の前にいても見えてないようだったり……」

 

 

 異常に気付いた彩が医者に相談して初めて、彼女はその現象を知ったのだ。

 

 

「うん。でも俺自身は殆ど覚えてないって言うか、制御出来るモンじゃないんだよな」

 

「だからって、貴方がずっとついていられるわけじゃないし……」

 

 

 そこが芥の気がかりだった。もし彼がフラッシュバックを起こしたとして、その症状が芥と同じとは限らない。彩一人で対処するには危険な場合もあり得る。それに……特に今は、彼女に無理をさせたくない。

 

 

「そうなんだよなー。だから明日、霞先生に相談しようと思ってる」

 

「え、でも先生が居るのって総合病院……」

 

「いや、去年隣町に開業したそうなんだ。何か困った事があれば連絡しなさいって言ってもらっててさ。頼らせてもらおうかと」

 

 

 霞は、芥があの事故の時に担当してくれた医者だ。彼が話すパラレルワールドの話を嫌な顔もせずに聞いてくれた、貴重な人物でもある。

 

 

「それだと私も安心だわ。実はさっきの怪我の手当ても、あれで大丈夫なのか気になってたし」

 

「じゃあ、早い内に診てもらえるように頼もうか」

 

「ええ、お願い。明日の予定はそれで決まりね」

 

 

 そうしたらご飯作っちゃうわね、と彼女は再び立ち上がった。

 

 

「ああ、それから念のため、今夜は彼に付き添っておこうと思うんだ」

 

「是非そうしてあげて。そのままリビングで?」

 

「うん。適当に横に布団敷くよ」

 

「分かった。ご飯、30分くらいで出来るから」

 

「ありがとう」

 

 

 それまでに仕事の連絡を済ませておくよ、と芥は書斎に向かった。

 

 

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(……あれ?)

 

 

 ゆるりと意識が戻ってきた。記憶を手繰り寄せようとするが、なかなかうまく繋がらない。

 

 

(芥に……会った?俺、生きてて……っ!?)

 

 

 途端に戦闘機が視界に飛び込んでくる。

 

 

「ぅわああっ!!」

 

 

 統は思わず叫ぶ。そして飛び起きた。

 

 

「……」

 

 

 反射的に周囲を伺う。

 エンジン音は自分の耳鳴りへと切り替わった……闇の中、左手にオレンジの小さな光。聞こえるのは、自分の荒い息づかいだけ。

 

 

「……大丈夫か?統」

 

 

 少し経って、横から聞き覚えのある声がした。この声は。

 

 

「……芥?」

 

 

 ゆっくりと首を巡らせる。見覚えのある、顔。

 

 

「そう、俺」

 

「……ああ」

 

 

 ほぅと深く息を吐く。鼓動が少しずつ落ち着いてきた。

 芥の家のリビングに居るんだと思い出す。天井近くにあるガラス窓の向こうは、未だ暗い。

 

 

「……今?」

 

「4時過ぎってとこ。少し飲むか?」

 

 

 言われて口の渇きを覚えた。カップを受け取る。

 

 

「……サンキュ」

 

 

 ただの白湯がこの上なく美味しく感じた。温もりが心地良い。

 

 

「悪ぃな、起こしちまって」

 

「大丈夫。今日は俺、仕事も休みだし」

 

「……そっか。働いてんだよな」

 

 

 戦争の無い、芥の世界。

 

 

「『いつ』戻れたんだ?芥は」

 

「そうだな、『今』から3年くらい前」

 

「……そっかぁ」

 

 

 半日と、3年。時間の流れが全く違う事に戸惑いを感じる。

 

 

「……なあ」

 

「ん?」

 

「戻って直ぐの時って大変だったんじゃねーのか?行方不明になってたとかでさ。俺等と半年くらいは一緒にいたじゃねーか」

 

「いや、それが不思議なんだけど……実は俺、あのドッグファイトの後、更に他の世界へ跳んじまったりしてさ。結局、戻るまでに1年くらいかかったんだ」

 

「1年も?」

 

「そう。だからこっちでも1年間行方不明扱いになってたって、普通なら思うよな。ところが俺が戻って来たのは、統たちの世界に跳ぶ直前に遭った『あの事故』のすぐ後で」

 

「……タイムラグ無し?」

 

「そう。ほぼゼロ」

 

「何だよソレ。何でもアリかよ……」

 

 

 もう溜め息しか出ない。パラレルワールドにはお手上げだ。一方で、芥に聞きたい事はどんどん増殖する。

 

 

「……そしたら、芥」

 

「何?」

 

「『あの後』は何処行ったんだ?」

 

「うーん……」

 

 

 何から話そうか、と独り言のように呟く。

 

 

「とりあえず、あれから二つの世界に跳んだ」

 

「ふたつ!?他に二つ?」

 

「そう」

 

 

 仰天する統とは対象的に、芥はマイペースに言葉を返す。

 

 

「何だよソレ。もうパラレルワールド巡りじゃねーか」

 

「上手い事言うな」

 

「そうじゃねーだろ」

 

「まあ落ち着けよ」

 

 

 ぽんぽんと頭を撫でられ、再びハァと溜め息が一つ。

 

 

「……兎に角、あんたが『跳んでた』1年は綺麗にリセットされちまったって事か」

 

「まあ、そうだね。この世界では」

 

「で、3年経ってて……そしたら芥って今、29?」

 

「そうだけど?」

 

「跳んでた時も足しゃあ30になってるよな」

 

「あーもう、そんな計算しなくて良いから」

 

 

 苦笑しながら、芥は彼の布団をかけ直してやった。

 

 

「朝までまだ時間がある。もう一眠りしよう」

 

「……うん。そうだな」

 

「おやすみ」

 

 

 芥と話して安心出来たのだろう、統はすぐに二度目の眠りについた。

 

 

 

>>>Familie(2)

 

 

20130401-0430-20190320