「ああ良かった、起きてましたか。どうですか?具合は」

 

 

 夜の9時を回った頃、赭が小振りの冊子を持ってやって来た。誠は丁度、食事を終えるところだ。

 

 

「眠ったらかなり楽になりました」

 

「それは何より。昼間よりも顔色も良いですね。敬君は?」

 

「大丈夫です。痛みも少しずつ引いてますし」

 

「お二人とも順調ですね……少し、お時間を頂いても?」

 

「ええ」

 

「勿論」

 

 

 二人の承諾を得て、赭は腰を降ろした。

 

 

「芥君の写真があったので持って来ました。ご覧になりますか」

 

「……残ってるんですか」

 

 

 誠が信じられないと言う表情を見せた。其れは、異世界の人物が存在した証拠だ。

 

 

「私も、まさかと思ったんですけどね……こちらを」

 

 

 言って差し出された冊子はアルバムだった。先ず敬が受け取り、付箋の付いているページを拡げる。

 

 

「……コイツぁ」

 

 

 それは、ラボで撮った集合写真。件の人物は赭の隣で穏やかに笑っていた。若干の年齢差を除外すれば、確かにドッペルゲンガーかと思う程に似ている。

 

 

「すげぇな」

 

 

 敬は大きく息をついて、アルバムを誠に渡した。

 

 

「……そうですね、彼です」

 

 

 誠も直ぐに芥を見つけ、目を細める。

 

 

「……顔つきがとても穏和になってる。此処では良い時間を過ごしたのでしょうね」

 

「嬉しい言葉です。ありがとう」

 

 

 赭も顔をほころばせた。そして手を伸ばし、アルバムのページを数枚捲りながら紹介する。

 

 

「こちらに写っているのが、昼に少しお話した、木賊 扇という少年です」

 

「ああ……」

 

 

 今回の墜落現場から芥と同様に姿を消した、難病を患っていたと言う少年。

 

 

「なるほど、よく似ていますね」

 

「そうでしょう」

 

 

 自分の身内を褒められたように破顔する。

 

 

「最初は扇のお兄さんが来た、扇に兄弟がいたなんてと、ラボで話題になったものです」

 

「確かに、これだけ似てりゃぁ言われるだろうな」

 

 

 横からアルバムを覗き込んだ敬も同意を示した。

 

 

「相当賢いな、コイツ。18にゃ見えねぇ。なぁ、ま……」

 

 

 振り向いた彼の言葉が突然、途切れる。

 

 

「……おい、誠」

 

 

 彼の様子がおかしい。目の焦点が合っていなかった。だが器質的な異常と言うよりも、これは……。

 

 

(マジかよ……)

 

 

 現象としては知っていたが、彼がこうなったのは初めてだ。

 

 

「どうしました?」

 

 

 赭も異変に気付いた。

 

 

「何てぇのか……意識だけ、ぶっ飛んじまってる」

 

「意識だけ?トランス状態と言う事でしょうか」

 

「たぶん……」

 

「また唐突ですね。ひとまず寝かせましょう」

 

 

 のんびりとした口調はそのままだったが、赭は素早くベッドをリクライニングさせて誠の状態を確認する。

 

 

「……バイタルは正常です。君の言う通り、トランス状態に入っているようですね」

 

「放っといても大丈夫なんですか?こう言う場合」

 

「これで命を落とす事は無いでしょうが、本人の安全のためにも早く『戻って』くれたほうがベターです」

 

 

 赭は敬の方に向き直り、言葉を続けた。

 

 

「解除してあげてください」

 

「……俺が?」

 

 

 敬の顔に困惑の色が浮かんだ。トランス状態解除の方法など、聞いた事が無い。

 

 

「分かんねぇよ、そんなんの解除方法なんか」

 

 

 ついつい素の口調が出る。そんな彼を前にしても、赭は鷹揚に構えたままだ。

 

 

「そう難しく考えずに。こうした状況には慣れているでしょう」

 

「そりゃコイツの専門分野だ」

 

「その活躍を誰よりも近くで見ていたのは、君なのでは?」

 

「……」

 

 

 敬の右目が、すっと細くなった。思考が冷静さを取り戻す。

 

 

「先生こそ、何か知ってんじゃねぇのか?」

 

「残念ながら、私では駄目です。世界が違います」

 

「世界、ねぇ……」

 

 

 専門外と言う事か、それとも言葉通りの意味か……ともあれ、目の前のハプニングは自分が解決するしかないらしい。

 

 

「大丈夫、君なら解除出来ます。時間は有りますから」

 

「……何かの試験みてぇだな」

 

 

 何故だかカレッジの修了試験を思い出していた。1年次の最終試験……そう言えば今、目の前にいるこの医者は、あの時の担当教授と似ていたかもしれない。

 

 

(『自分の持ち駒に応用を利かせる』か……)

 

 

 教授の口癖。31でも、此れのお陰でピンチを切り抜けられた事が何度もあった。

 

 

(この場合の持ち駒って言やあ……先読みしか無ぇよな)

 

 

 トランス状態の解除操作を直に見た事は無い。暗示の解除は誠の得意とするところだが、それに必要な指の動きは速すぎて(付け加えるならば、敬には繊細すぎて)ついぞ習得出来ずに終わったのだ。

 

 

「では、そこから行ってみましょう」

 

 

 先読みを試すと赭に告げれば、あっさりとそう返された。

 だが、戦果を高める事だけに特化した先読みを全く同じ手順で使うのは無理だ。此処で応用力が試されるという事か。

 

 

(「式」を組み替えなきゃなんねぇ……)

 

 

 軍で求められた先読みは、先に[プロセス]をインプットして[未来の結果]を求めるものだった。しかし今するべきなのは[結果]を出すための[プロセス]を読む事。

 方程式としては単純極まりないが、いきなりの実践となると、どうか。

 

 ……一つ大きく息をつき、敬は姿勢を整えた。先読みに入るための指の動きは変えない。これは集中するための儀式のようなものだ。

 それよりも変えねばならないのは、先読みの時系列の変更。[プロセス]を読むためにイメージを180°転換させ、引き寄せるべき[未来]から[現在]まで時間を巻き戻す。

 

 

(よっしゃ……やるぞ)

 

 

 一気に集中する。既に、赭が隣に居る事も忘れていた。

 

 誠の意識を戻すために自分がするべき事……必死でイメージの流れを追うが、ヴィジョンは非常に曖昧だ……一つだけ、明確に掴めたものはあったが。

 

 

(ソレかよ……俺、実践した事無ぇんだけど)

 

 

 またぶっつけ本番かと、敬は天井を仰いだ。

 

 

--------------

 

 

 ……誠の瞳が本来の光を取り戻し、笑みを象る。

 

 

「大丈夫か?」

 

「ああ、ちゃんと戻って来れた。よく覚えてたな」

 

 

 対処は正解だったらしい。ほぅ、と敬は息をついた。赭も『良かったですね』と笑顔だ。

 

 

「気分はいかがですか?頭痛などは?」

 

「大丈夫です。痛みも特にありませんし……寧ろ、心地良い感じがしてます」

 

 

 問いかけにも淀みなく応える。問題無さそうだ。

 

 

「聞こえたんだな?」

 

「2度目あたりからだろうな……3回復唱したんだろう?」

 

「あぁ、勿論」

 

 

 敬が行ったのは『逆暗示』だった。元の暗示そのものを解除するのではなく、元と『逆の暗示』を重ねてかけ、元の暗示を“弾き飛ばす”方法。

 彼が以前に誠から教えられていたのは、独特の音節とキーワードを組み合わせ、相手の聴覚から入り込むパターン……先読みで唯一見えたのが、まさにそうして逆暗示をかけている自分の姿だったのだ。

 誠なら、トランス状態に入るためのきっかけを自分で作る事も出来る。だがこの場でそんな必要は全く無い……手段は分からないが、外部から何らかの働きかけがあった筈だ。

 ならば、催眠暗示と似た状況だと敬は判断した。それなら逆暗示のヴィジョンが出て来たのも納得出来る。

 

 

「逆暗示は応用の幅が広いし。キーワードの選定方法も教えといて良かった」

 

「何でも聞いといて損は無ぇってコトだな。実践は初めてだったけどさ」

 

「お前の記憶力と度胸に感謝しておく」

 

「そりゃどーも。お陰で先読みの新しい使い方も見つけられたし、結果オーライだ」

 

 

 そして赭のほうを振り返った。

 

 

「こんな感じですか?」

 

「お見事です」

 

 

 笑顔が返って来た。

 

 

「君が未来予知の能力を持っている事は芥君から伺っていたんですが、想像以上です。しかもこんな間近で見る事が出来て、貴重な体験をさせてもらいました」

 

「じゃあやっぱり、先生が仕組んでいたと?」

 

「いえ。寧ろ、扇が導いてくれたのでしょう」

 

「どう言う事ですか。本人は此処にゃ居ない……」

 

「いや、居たのかもしれない」

 

 

 誠が口を挟んだ。敬が『は?』と振り向く。その眼前に、先程のアルバムが差し出された。

 

 

「さっきの写真……?」

 

「『居た』と言うのは語弊があるかもしれないが、写真の彼と目が合ったと感じた。その直後に意識が跳んだんだ」

 

「て事ぁ、残留思念の類?お前、そー言うのは信じねぇって言ってたのに」

 

「ここまで来たらどんな超常現象があっても不思議じゃない」

 

「そりゃまあ、そうだけどよ」

 

 

 アルバムを受け取り、敬は改めて扇が写っていたページを開く。

 そして息を呑んだ。

 

 

「おい、居ねぇぞ!」

 

「え?!」

 

 

 続いて誠も写真を見る。

 

 

「……消えてる」

 

 

 やっとの事で絞り出した声は掠れていた。

 

 付箋のついているページ。間違い無く、つい先程見た集合写真だ。

 だが、あの少年の姿だけがそこから消えていた。これで驚くなと言う方が無理だろう。

 

 

「……何のトリックですか、これは」

 

 

 アルバムを赭に渡し、敬が説明を求める。だが赭は『あぁ、成る程』と頷いただけだった。

 

 

「不思議ではない?」

 

「この程度で驚いてたら、彼の主治医は勤まりませんからね。きっと君達へ何らかのメッセージを伝えたかったのでしょう」

 

「でも消えちまった」

 

「目的を果たせたんでしょう」

 

「……分っかんねぇな」

 

 

 ひとつ大きな溜め息をついて誠の方を振り向けば、彼も小さく肩を竦めて降参の意を示した。

 

 

「ひとつ確かなのは、彼が不思議な能力を持っていたと言う事ですね。この分だと他にも色々なエピソードがありそうですが?」

 

「確かに。実に様々な事をしてくれました。別の世界で何十年もの時を過ごしてきた、なんて事もありましたし」

 

「え……?」

 

 

 それは、本人自ら語った事なのだろうか。

 

 

「それも、此処で半日間意識不明に陥っている間の事です」 

 

「意識不明?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、身体はずっと此処にあった……」

 

「そうです。意識だけで、別の世界へ跳んだと言ってました」

 

 

(意識だけ……)

 

 

 赭の言葉に、誠の中の何かが反応した。つい最近、それを感じたのではなかったか……。

 

 

「身体が置き去りなのに、どうやって別世界で生きてたってんだ?」

 

「本人が言うには、全く他人の身体に入り込んでしまったそうで」

 

「はぁ……」

 

 

 想像を超えている。これに比べれば、暗示や先読みなんて子供のお遊びレベルだ。

 

 

「本当に、そんな事が?」

 

「高次元の扉を開いてしまえば、それこそ何でも有りなのかもしれませんね。君達も、こうして時空を超えて再会出来ている訳ですし」

 

「だとしても、その扉ってのがこんなに気まぐれじゃコッチの身が持たねぇ」

 

「いや、別に気まぐれという事でもありません」

 

「……何?」

 

 

 敬はぐっと身を乗り出した。応じた誠の声が僅かに震える。

 

 

「これが……必然だと言うんですか」

 

「そうです。扇が芥君と会い、その後に君達が此処へ来た。そして君達は、いずれ元の世界へ還る……これは扇が私に遺してくれた予言です」

 

「予言……」

 

「更に言えば、その予言は一つずつ実現していってるんです。見事なまでにね」

 

 

 一筋の希望が見えた気がした。

 

 

「戻れるんですか、いつか僕たちも……」

 

「ええ、きっと。方法までは私には分かりませんが、君達二人なら見つけられるでしょう」

 

 

 赭は右手を差し出す。

 

 

「大丈夫、時間はあります。先ずは体をしっかり治して……折角ですから、暫く『この世界』を楽しんでいって下さい」

 

 

 

>>>AW(4)

 

 

20150315-20190429