「担当医の赭と言います。初めまして。具合は良さそうですね」

 

「お陰様で。助けて頂き感謝してます。忙しいところをすいません」

 

「いえ、こちらこそ遅くなりまして」

 

 

 そろそろ昼食の時間と言う頃にやってきた担当医は、にこやかに敬に挨拶をした。だが相当ハードスケジュールだったのだろう、目元に隈が出来ている。

 

 

「難病治療の研究をしていましてね。今回、初めて実際の手術を担当してきたんです」

 

「初めて?他所の病院でですか」

 

「そうです。隣の州から緊急で要請を頂いてね」

 

「良いんですか、そんな大事な患者を置いてきて」

 

「大丈夫。向こうの先生方に引き継いでます。明後日からまた二日間ほど行きますが、その間も連絡は取れるので問題ありません。それよりも君達の事を聞いたので、是非とも早く会いたいと思いまして」

 

「……会いたい?」

 

 

 “治療すべき患者”に、という感じではない。

 

 

「そうです。以前に君達の事を聞いていましたので」

 

「まさか。誰が俺達の事を?」

 

「山吹 芥と言う人です。ご存知無いですか」

 

 

(……また、あの名前か)

 

 

 流石にうんざりしてきた。そっけなく返す。

 

 

「知りませんね」

 

「そうですか、では……」

 

 

 何故か楽しそうに、赭は小さな手帳を取り出した。ページを捲る指が止まると『ありました』と小さく頷く。

 

 

「この方達はどうでしょうか。蘇芳 仁、桑染 誠、薄鈍 統」

 

「……何だってぇ?!」

 

 

 これには度肝を抜かれた。敬は唖然とする。

 

 

「なんでアンタが知ってんだ!」

 

 

 だってそうだろう。こんな所まで来て彼らの名前を聞くなど、想像出来る訳がない。

 

 

--------------

 

 

 小一時間ほど経過し、海松が敬の病室にやって来た。

 

 

「先生、汐さんのお知り合いの方、意識が戻りました」

 

「それは良かった。面会は問題なさそうですか」

 

「大丈夫との事です。すっかり落ち着かれているそうです」

 

「じゃあ、早速行きましょうか」

 

「……はい」

 

 

 赭に促されて敬も立ち上がる。海松に先導される形で、二人は重傷者棟へと向かった。一歩先を歩く彼女には聞こえない程度の小声で、赭が彼に話しかける。

 

 

「彼にとっては、4~5年ぶりの再会になる筈ですよ。喜んでくれるでしょう」

 

「……だと良いけどな」

 

 

 返す敬の笑顔は強張っていた。未だ100%手放しでは喜べない。赭の言う『山吹 芥』という人物……その彼が話した内容は事実なのか。

 そもそも彼は“敬たちの世界”に実在したのか。誠と彼との接触は本当にあったのか。

 そして。

 

 

(ここに居るのが本当に『4年後』のアイツなら、その間に何があった?)

 

 

 謎の“空白の時間”が、途方もないものに思われた。

 

 

--------------

 

 

 考えている内に再び寝入ってしまったようだった。誠が次に目覚めたのは昼前。

 

 

「目が覚めましたか。もうすぐ昼食の時間ですよ」

 

「……もうそんな時間ですか」

 

「ええ。熟睡されてましたね。良い事です」

 

 

 言われて初めて全身の疲労を感じた。久しぶりの感覚。

 

 

「点滴もしてますけど、食べられそうなら是非」

 

 

 出された食事は少量で、さらにその殆どが流動食のような状態だったが、味は良い。それでも、全てを食べきるまでには至らなかった。

 

 

「昨日の今日でそれだけ行けてたら上々ですよ。経過も順調です。救助隊員から報告が入った時は正直、ヒヤヒヤしましたけど」

 

 

 水柿はそう言って笑顔を見せた。

 

 

「救助隊員?」

 

「説明が未だでしたね」

 

 

 トレーを片付けながら、誠の疑問に応じる。

 

 

「昨日の午前なんですが、国境近くの山林にヘリが墜落したんです。で、貴方はそのヘリの下から発見されたと」

 

「汐も、そこで?」

 

「ええ。彼は近くの木の枝に」

 

「木の枝……まさか、引っ掛かっていたんですか?」

 

「そう聞いてます。救助隊の皆も驚いてたそうですよ、『器用すぎだろ』って」

 

 

 器用すぎる……そのひと言で、誠は『あの時』を思い出した。

 何の衝撃音も発せずに血まみれの芥が目の前に現れた、あの時。

 

 間違い無く、敬が此処に居る。根拠は無いが、確信した。

 

 

「……あいつならでは、だな」

 

 

 大木の枝で宙ぶらりんになっている彼の姿がありありと想像出来て、誠は思わずクスッと笑った。水柿の表情もつられて緩む。

 

 

「怪我も奇跡的に軽かったですし、ね。貴方が一番の重傷者ですよ」

 

「では、全員無事だったと言う事ですね?」

 

 

 鎌をかけてみた。

 

 

「ええ。パイロットも脱出装置が働いて無事でした」

 

「良かったです……不幸中の幸いだ」

 

 

 つまり、他のメンバーは『此処』には居ないと言う事。覚悟はしていたが、やはり残念な思いが残る。

 

 

「色々気になる事もあると思いますけど、後で担当医から話がありますので、他の説明はそちらで」

 

「いつ、お会い出来そうですか」

 

「そうですね……あと20〜30分くらいです。たぶん、汐さんも一緒に来られるでしょう。もう少しお待ち下さい」

 

「分かりました」

 

 

 漸く会える……諦めなくて良かったと、誠は芥に感謝した。

 

 

--------------

 

 

「どうぞ」

 

 

 取り替えたばかりの空の点滴バッグを持って、水柿がノックに応じる。

 

 

「初めまして。担当医の赭です。こちらは研修医の海松」

 

「こんにちは、海松と言います。ご無事で何よりです」

 

 

 まずは白衣を着た人物と挨拶を交わす。

 

 

「初めまして。助けていただき、ありがとうございます」

 

 

 礼を述べ、軽く会釈をする……二人の間から、ひょこっと敬が顔を覗かせた。



(……敬!)

 

 

 間違い無かった。あの時の記憶と、寸分違わない姿……だが彼には未だ微かな不安と猜疑心が見え隠れしている。彼我に生じてしまった年齢差が理由だろう。

 

 

『誠だ。安心しろ』

 

 

 左手で小さく暗号の指文字を描けば、敬も漸く残っていた緊張を解いた。

 

 

「おぅ、誠。お前も無事で良かったな」

 

 

 名乗っても大丈夫だと、それで分かった。

 

 

「本当に。ヒヤヒヤしたぞ、敬」

 

 

 名を呼べば、懐かしい笑顔。敬はベッドサイドに歩み寄り、拳骨で軽く誠の左肩を叩いた。それで全てが通じる。

 

 

「では、私から説明をさせて頂きます。宜しいですか?」

 

 

 水柿が用意した椅子を敬に勧めながら、赭も傍らの折りたたみ椅子に腰をかけた。

 

 

「海松、悪いが回診に行く方達のファイルをまとめておいてくれますか?此方は1時間で終わりますので」

 

「はい」

 

 

 赭の言葉を受け、海松は水柿と共に退室する。ドアが閉まると赭は改めて二人に向き直った。

 

 

「敬君の怪我ですが、2週間もあれば大丈夫でしょう。頭部打撲の影響もありません。誠君は、全治3カ月といった所ですが、体力もありそうだし、もう少し早く治ると考えています」

 

「ありがとうございます」

 

 

 ここまでは普通。本題はこれからだ。

 

 

「これまでの経緯については、先ほど敬君から話を聞かせてもらいました。ですが、ちょっとハッキリとしないところがありまして」

 

「……ハッキリしない?」

 

「まあ、簡単な事ですよ。君からの話が聞ければ、一気に謎も解ける筈です」

 

「謎、ですか」

 

「ええ」

 

 

 ちらと敬の方を見るが、彼も軽く首を傾げただけ。取り敢えずはこの医者の話を聞いてみるしかない。

 

 

「……それで?」

 

「先にひとつお聞きします。君は、山吹 芥という人をご存知ですね?」

 

「な……!」

 

 

 会ったばかりの人物から芥の名前を出されて、誠は文字通り狼狽した。しかも問いかけではなく、確認だ。

 

 

「まさか、芥が……此処に?!」

 

 

 そんな彼の様を見て同じく慌てたのが、敬だった。

 

 

「じゃあお前、やっぱトシ食っちまってんのか!」

 

 

 赭から聞いた、芥という人物の話は本当なのだ。

 

 

「お前、“今”いくつだ?」

 

「25」

 

「……マジか」

 

 

 何てこったと、敬は頭をぐしゃぐしゃかき回した。どうやら、この赭と言う医者は最初から“分かっていた”らしい。

 

 

「……ドッと疲れたぜ」

 

「お二人とも不安と疲れで辛いでしょうに、更に気を使わせてしまって申し訳ありません」

 

「いえ……それよりも、理解者がいてくれて助かります」

 

 

 いきなり迷い込んだ異世界で、これ程すんなりと二人を受け入れてくれる人物が居るなど奇跡以外の何物でもない。



「これも全ては芥君のお陰だと感謝していますよ。まずは二人が再会出来て、本当に良かった」

 

「芥が……」

 

「そうです。彼には本当に、いくら感謝しても足りません」

 

「俺も……俺達も同じです。せめて彼に礼を言いたいのですが」

 

 

 彼は何処に居るのかと誠は身を乗り出す。しかし赭は首を横に振った。

 

 

「残念ながら、入れ違いだったようです。彼は『あの』ヘリに乗っていましたが、墜落現場からは彼のものは何も、それこそ髪の毛一本すら見つからなかったので」

 

「え?」

 

「……って事ぁ」

 

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 

「また他の世界へ」

 

「行っちまったってぇ事か?」

 

 

--------------

 

 

 きっかり一時間経ったところで、海松が赭を呼びに来た。

 

 

「では、そう言う事で。また夜に寄らせてもらいます」

 

 

 去り際に軽く一礼する赭に、敬は反射的に立ち上がり敬礼を返しそうになり……危うく踏みとどまった。全く、癖というものは恐ろしい。

 

 

「何か凄ぇ事になったな」

 

 

 病室のドアが閉まり二人の足音が遠ざかると、彼は再びどかっと椅子に腰を降ろした。ついでに天井を見上げて溜め息をひとつ。だがそれは困ったというよりも、気が抜けたといった風だ。変わらないマイペースぶりに、誠の気持ちがほぐれる。

 

 

「まあな。だが本当に、無事で良かった」 

 

「お前もな、誠」

 

 

 よっ、とひと声かけて敬は再び立ち上がり、ベッドのリモコンを手に取った。

 

 

「疲れただろ」

 

「少し」

 

 

 顔には出さないが、相当辛いはずだ。上体を倒し、楽な体勢に戻してやる。

 

 

「まだ話してても大丈夫か?」

 

「ああ。眠い訳じゃない」

 

「そっか……じゃあ、聞きてぇんだが」

 

 

 椅子をベッド脇に寄せて座り直すと、敬は改めて尋ねた。

 

 

「何があった?俺がいない間に」

 

 

 先程、赭を交えて話している間に敬が知ったのは、主に芥が31に組み込まれてからの経緯。それ以前の事は敢えて話題に挙げなかったし、赭も特に詮索しなかった。

 

 

「全然楽しい話じゃないぞ」

 

「ンな事ぁ重々承知だ」

 

 

 共有出来なかった4年という歳月の重さ。其れは彼の外見の変化にも現れていた……黄丹の下で、それこそ自分には想像出来ない程に悩み苦しんできたのだろう。

 

 

「話せるトコだけで良い。怠くなったら遠慮なく言えよ」

 

「ああ」

 

 

 黄丹は死んだと、さっき聞いた。ならば、もう彼を押さえつける者はいない。
 31の経緯を知りたいのも確かだが、それ以上に、彼が今まで裡に押し込めてきた事を吐き出してほしかった。それで彼の心が少しでも軽くなるのであれば……それが今の自分に出来る唯一の事だろう。

 

 

--------------

 

 

 室内に夕陽が差し込んできた事に気付く。

 さっき眠りに落ちたばかりの誠を起こさないようにと、敬はカーテンを閉めるため窓際へ歩み寄る。

 

 そこへノックの音がした。

 

 

「失礼します。桑染さんの点滴、交換します」

 

「ああ、すまねぇな」

 

 

 振り返りねぎらいの言葉をかければ、入室してきた水柿の動きが一瞬止まる。

 

 

「何か?」

 

「あ、いえ……」

 

 

 少しきまりが悪そうな素振りを見せたが、すぐに『失礼しました』と詫びて本来の業務に戻った。医療従事者としての分はわきまえている。

 

 

「俺って、そんなに芥ってヤツと似てる?」

 

 

 だから聞いてみても良いかと思った。自分の姿を見て狼狽える理由など他に無い。

 

 

「そうですね……本当に、そっくりで」

 

 

 点滴のチューブを繋ぐ、その横顔が笑みを浮かべた。赭が見せたのと同じ、懐かしむ笑顔。

 

 

「赭先生から聞かれたと思いますが、彼は先生のラボの仕事を手伝っておられました。検体やカルテ、資料などをこちらの病棟に運んで下さったりもしてたので、私達も多少は面識がありました」

 

「俺達の事は?」

 

「先生はご存知だったそうですが、後はラボのメンバーでもあまりお聞きしていなかったようで……こちらの病棟に至っては全く知らない者ばかりでしたので、昨日は不快な思いをさせてしまい、すいませんでした」

 

「いや、別に気にしてねぇから大丈夫」

 

 

 知らない内に赭が通達でも出したようで、二人は“隣州へ長期派遣されていたラボの関係者”という事になっていた。それでスタッフが全員納得しているのが凄い。

 

 

(変わった医者だな)

 

 

 常識に囚われない、思考の柔軟さもかなりのものだ。難病の治療法を確立したとも言っていた。赭と言う医者は(あらゆる意味で)ただ者ではない。

 

 そう言えば芥も異世界からの来訪者だったはず。なのに、此処のスタッフから慕われていた節すらある。脅威的な適応力だ。

 

 

(まあ、31で生き延びたようなヤツだし)

 

 

『……姿形は、本当にお前と似てたな。仁よりもだ。特別な能力は無かったが、負けず嫌いと粘り強さはお前以上だった』

 

『やるじゃねぇか』

 

『あと、彼のほうが何倍も品が良くてスマートだった』

 

『るせぇ。俺だって上品な振る舞いくらい出来らぁ』

 

 

 誠ほどの人間がそっくりだと言っていたのだから、黙っていれば本当にパッと見では分からないのかもしれない……口を開かなければ。

 

 

 

「終わりました。後は夜にもう一度交換します」

 

「ありがとう」

 

「よく眠られてますね。夕食はあと30分ほどで来ますけど、無理に起こさなくても」

 

「ああ。目が覚めてから食わせる」

 

「蘇芳さんは大丈夫ですか?体調は」

 

「どって事ぁ無ぇ。ありがとな」

 

 

 一礼して、水柿は退室した。傍らのカルテは自分達の本来の名に書き換えられている。

 

 

「ま、気楽に考えるとすっか」

 

 

 ふぅと一息ついて、誠の状態を確かめる。バイタルは安定している……と、その目から涙がひとしずく、零れた。

 

 

「……」

 

 

 目尻から頬へ流れ落ちる涙が、敬の記憶を呼び起こす。

 前に彼の涙を見たのは……。

 

 

(……あの時か)

 

 

 無意識の内に、左肩に触れていた。

 

 彼らが31の鎖に繋がれた、あの日。

 小さく、心の底から絞り出すように謝罪の言葉を繰り返していた彼……その時に頬を伝ったのは、悔恨と絶望の涙だった。

 

 

「ずっと、皆で信じてくれてたんだよな。俺の事……」

 

 

 誠へとも自分自身へともつかぬ言葉を、そっと呟く。
 深い眠りに入っている彼は、これまでに見た事が無いほど穏やかな表情を見せていた。

 

 

『つまりお前の先読みは、ちゃんと当たってたって事だ』

 

『随分ギリギリだったみてぇだけどな』

 

『それでも良い。だから俺は生き延びる事が出来た。こうしてお前とも再会出来た……信じて、良かった』

 

『何を?』

 

『お前を……芥を。みんな、全てだ』

 

 

「大丈夫、必ず戻れる。戻ろうな、一緒に」

 

 

 そっと涙を拭ってやりながら、敬は新たな誓いを立てた。

 

 

 

>>>AW(3)

 

 

20150315-20190406